救世主降臨
昨日、入学式を済ませたばかりの真新しいランドセルを背負う近所の新一年生の手を引いて、俺は、昔慣れ親しんだ通学路を歩み17年前に卒業した母校に向かった。
名前をまだ思い出せない連中に背中を気軽に叩かれながらの通学は、懐かしいというより腹立たしかった。
(走馬灯ならこんなどうでもいいイベントさっさと流せよ)
あまりに何もかも進行速度が遅くてイラついていたのだ。
(やっぱり、これは走馬灯じゃなくてタラレバのリアルワールドでの蘇りなのか?)
とも思ったが、もしタラレバを願うならこの時代ではないし、スマホの存在が説明できない。
(やはり、このワールドは、宇津伏リクに復讐をさせるためのもの)
強引に思い込んだ。
とにかく何もかも謎のまま、遅いとしか感じない時間の流れの中で本当に懐かしい安古市第二小学校に到着した。
昔の記憶をたどり四年生エリアに向かうと二つの教室の前には名前と席順が貼りだされている。
俺は、学級人数41名の四年一組、記憶通りだ。
俺の席を確認すると、隣には、当時の俺が知るよしもない宇津伏リクの名前があった。
(これで決まりだな!)
どうやら、この走馬灯ワールドは、本気で仇との出会いから何もかもやり直しをさせて、復讐させる気らしい。
「あいつに復讐してやる!」
俺は、小声ながら改めてウルトラソウルな気合を入れて指定された自席へと向かった。
窓辺の隣席には転校生らしからぬ登場の仕方で、すでに大きく目立つ宇津伏リクが着席していた。
新学年だからこそ、こんな登場シーンになったのだろう。
背後から近づき観察すると、机上の一点を凝視しながら目立たぬように猫背で震えている。
(これは典型的な緊張状態だな)
俺は席に着き、ふと隣に目を向けると怯えた隣人と目があった瞬間に記憶がドカ~ンと刺激され、頭の中が急に回りだし眩暈を起こした。
(あ~~~思い出した)
俺は昔、まさに、この今の瞬間に、この隣席少女に、
「デカッ!」
と何も考えず思ったままを大きな第一声に選んでいたのだ。
その時の憎悪よりも悲しみに満ちた顔を俺は鮮明かつ明確に思い出した!
一つ思い出すと次から次へと、ゴミ箱入りしていた記憶がシュッシュッと鮮やかに蘇る。
俺は、「ジャイアンリク」「巨人リク」「リクジャンボ」「ビッグリク」などと思いつくままの“大”を少ないボキャブラから選び出しては、なんとなしに毎日毎日この隣人に浴びせかけていたのだ。
《おい俺ヨ、それってイジメじゃん!》
心内での俺の声の響きがきっかけで第二回目の緊急心内会議が始まる。今回はゲストがいた。間もなく10歳になる俺だ。
▲ 第二回 心内会議 ▼
(おい、10歳の俺よ、どうして宇津伏リクに初日から、「デカッ」なんて酷いことを言ったんだ)
[だって、はぐいいじゃん、あいつ一目で、わしより背が高いのがわかったけぇ言うてやったんよ、デカッて]
(だからなんなんだ、そんなことどうでもいいだろう、身長なんて)
[そう言うてもわしは、とーの昔から学年で一番背が高かったし・・・]
(一番背が高かったしって・・・マジで10歳の俺ってバカだったんだな・・・バカすぎるぞ。いいか、これから先はこの俺に従ってもらうからな。用がある時だけ出てこい)
[あんまり変なことせんどいてや、頼むでぇ]
(何が、頼むでぇや、ああ腹が立つ)
《おい俺ヨ、ここはやり直しができるんだ、爽やかに笑顔でいけばいいじゃないか、あんまり当時のオレを責めるなよ》
(チッ、まぁ、そうだよな、幼かったというよりバカだったんだよな、俺は・・・)
▽
当時「学年一位の身長がカッコイイ」と思っていてこだわっていた事を思い出した俺は、深呼吸をして、
「おはよう、あれ君って見かけないね、もしかして転校生?宜しくな僕は加羅翔介だ、わからないことがあったら何でも気軽に聞いてくれ」
戸惑う隣人に俺は笑顔で握手を求めた。
(しまった握手なんて四年生のガキはしないよな)
そう思ったが手を引っ込める間もなく、その手はしっかり握り返された。
「宇津伏リクです、宜しくお願いします」
外人訛りの日本語だったけど、怯えた表情から瞬時に変わった花咲く笑顔は可愛らしく、
(あっ眩しい!)
純粋で頼りない気持ちが溢れた眼差しに俺は目をやられてしまった。
(あ~止めてくれ~)
それがまた記憶を刺激して、またまたゴミ箱入りしていた記憶が次から次へと蘇ってくる。
リクは両親とも日本人だがニューヨーク生まれのニューヨーク育ちの帰国子女。
日本人離れした欧州人的な顔立ちとクールで無機質な表情からの垢抜けたルックスは、こんな田舎町では当然浮いた存在になる。
女子からは妬まれ、男子からも高身長から見下ろされている感から敵視され、日本人らしからぬ日本語もあってイジメの対象にされた。
そのきっかけが俺の(こだわり)が奪われた幼い嫉妬からの、「デカッ」第一声だったのだ。
▲ 第三回 心内会議 ▼
(おいオレよ、リクへの復讐どうすんだ?考えてみたら取材を断ってきたの当然だよな。俺がイジメの元凶だったんだからな)
《イジメの元凶だって?そんな意識あったか》
(そんなもんないさ、俺が幼かっただけで、ガキ嫉妬からの面白半分で触りがたいリクとのコミュニケーションのつもりで放った言葉の数々だったんだからな。今にして思えばというやつだ)
《今にして思えばか、だったら復讐しないのか?》
(まさか!俺はあいつのせいで死んだんだ。たとえ直接、殺されたわけじゃないにしろ、死の原因はあいつだ、宇津伏リクだ!)
《だったらここは初志貫徹でいいんじゃねぇ》
(そうか?そうなのか・・・なんとなく納得できんぞ。ここはどうだろう復讐は復讐でも方法を変えないか)
《方法を変えるだと?どんなふうに》
(当初の予定では、宇津伏リクと親しくなって、あいつのロリ好みの画像を集めたりするはずだったけど、)
《そうだ、そしてあいつがモデルとしてブレークした時に俺があることないこと記事にして貶めるというものだったが、それでいいじゃん。意図して親しくなって意図してヤバイ物コレクションするとなるといい記事ネタが沢山集まるぞ。最初は小学生にして喫煙と飲酒画像から、最後はロリエロ画像とか色々コレクションしてやるのさ》
(それダメだな。なぁオレよ、よく考えたら俺は本来芸能人のスクープ記事なんかバカにしていた正統派の新聞記者じゃないか。そんなくだらないネタを記事にするのはやめようぜ。それに、あいつがこの俺をシカトした原因を思い出した今となっては、俺としては、ここは路線変更を提案するぞ)
《なにぃ〜路線変更だと、どんなにするんだ。復讐路線の変更までは許さんからな!》
(ああ、もちろんだ、復讐は譲れない。だが俺も反省しなければならない点はあるのは認めてくれ)
《反省か・・・イジメの加害者は都合の悪いことは忘れ、被害者はいつまでもトラウマになって覚えている・・・10歳前の俺はバカだったからな》
[えっ、わしのこと!?]
(うるさい、バカな俺、用があるとき以外は出てくるなと言っただろう。おまえのせいじゃないか、リクにシカトされたのは)
[だって~]
(なにが「だって~」だ!このクソが!)
《おい!それで、具体的にどうすんだ?》
(あいつと親しくなる基本路線に変更はないが復讐方法は少しばかり考えてから決めようじゃないか)
《一時保留か、仕方がないな》
▽
「リクちゃんか、俺のことは翔介と呼んでくれ」
「翔介・・・」
「ああ、それでいい、それで家はどこ」
(知ってるけどな)
「上安三丁目・・・」
「なんだ同じだね、僕も三丁目なんだ。じゃあ一緒に帰ろうよ」
「いいの?」
「もちろんだけど、それとも何か予定があるの?」
「うんうんないよ、ひとりで帰れるか不安だったの」
澄み切った笑顔を向けてくるリクは本当に可愛かった。
(ああ、俺がロリ属性ならグラッとくるとこなんだろうな)
二人の姪っ子を思い出し涙が出そうになる。
(会いたいな・・・)
こうしてファーストコンタクトに成功した俺は、案の定、転校生珍しさに集まってくる好奇心に満ちたハエどもからリクを守る側へとなってしまった。
「見んさいやぁ、こいつデケェー」
始業式の為に体育館へ向かうため立ち上がったリクに俺の代わりにイジメの火蓋を切ったのは、畳屋の息子“フルチンキング”河島登だった。
この小柄だが柔道場通いで体格のいい少年の第一声は、ここで登場した担任の石原伸子先生(あ~懐かしい)の引率する声よりも影響力を発揮して、リクの周りに人だかりを作ってしまった。
「おまえ、よーにでかいのぉ」「どうして上級生がここにおるん」「ぶちでかぁ」「みょうちくりんな格好じゃのう」「げに日本人なんか」
群れるガキどもが口にするのは、どれもこれもリクを傷付けるような事ばかり。しまいには、
「この外人、どがぁなパンツをはいとるんじゃ」
河島登、フルチンキングともう一つ“スカートめくりの帝王”の異名を持つこの悪ガキは、ここでリクのスカートをめくってきた。
小学生にはほど遠い白のレースを大っぴらにされたところで間髪いれずに、リクの平手が河島登の左頬を強烈に打ちつけた。
ピシッ!
「Don't play with me!」
「ワレ何してくれんとじゃ」
こいつ、子分を持つ事からこの手の恥辱には敏感ですぐさま柔道慣れした反撃の体制を整え、女子でも平気で暴力をふるう幼い凶暴さを発揮してリクに殴りかかってきた。
バシィ!!
登のパンチをその身体で受け止めたのは、俺の腹だった。
(おい、また脇腹かよ、同じとこじゃん・・・)
「痛たぁ・・・」
(うん?痛くないぞ・・・)
「何をしとんのじゃ加羅、わらバカか」
「登、おまえこそアホか、なんで転校生をそれも初日から殴るんや、ええかげんにせえよ」
「われこの転校生にほの字なんか、そこどけや」
俺を柔道技で投げ飛ばしにきた登は、逆に俺にドガァと張り倒される事になる。
(あっ!この力、大人の力だ)
格闘能力は、今も昔も全くないが「スィラブ社会人編」ではジム通いは必須事項であり、俺は腹筋パックの為に鍛えあげたパワーが維持されている事に気がついた。
ベンチプレスがやっと、本当にやっと80キロを十回補助付きでできるようになった程度だったんだが・・・
それでも、ほぼ毎日風呂代わりに通うジムで五セットしていたのが功を奏した形で、俺は小柄な小四生を思いきり突き飛ばすことができた。
ガタンゴログシャ
机に椅子もいくつか登と一緒にひっくり返り教室は騒然となった。
キャー 女子たちの声
ウワァー翔ちゃんスゲェ 男子たちの声
俺はここで自分の慣れないキャラに戸惑うが、登の怒りは、「からっあ〜」頂点に達してきたところで先生の介入だ。
「あなたたち何をしているの!!」
石原先生は数人の生徒から耳打ちされると事情をすぐさま察して、登を取り押さえ職員室に連れていってしまう。
「ありがとう翔介」
リクのぎこちない俺の名前呼びが可愛く、礼儀も正しい。ペコリと頭を下げ自分の代わりに殴られた俺の脇腹を気遣ってくれた。
▲ 第四回 心内会議 ▼
(これは厄介だ、いらん敵を作ってしまったかな?)
《そうか?別に畳屋が怖いわけじゃないだろう、ここは、昔の俺の意見を聞こうじゃないか ーーー 昔の俺ヨ、あの河島登を敵に回したら厄介なんか?かなりの悪ガキぽかったが》
[登?大丈夫だよ、あいつ凶暴でバカだけど、僕には手が出せんのんよ]
《どうしてだ?》
[三年生の時、あいつわしにフルチンの刑をしやがったからお母さんに言いつけたら、お母さんがもの凄く怒って、]
(ああ思い出したぞ、ウチの母さんは、お茶の先生だし公民館で料理教室もやってるから影響力が結構あって、河島畳店との取引をやめると宣言したらそれが大きく波及したんだったな)
《そうだった、そうだった》
(ウチの茶室もお弟子さんとこも全部登とこだったから、あいつ顔を腫らして親父に連れられて我が家に謝りに来たな。それがあるから10歳の俺は大丈夫だと言うんだな)
[そりゃぁそうじゃろう、今度もあいつがわしに何かしたらまたお母さんに言いつけてやりゃぁええんじゃ]
(なるほどな、和室重視主義の母さんと畳屋じゃうちの方に分があるというわけか、しかし子供の喧嘩を親頼りとは・・・)
俺は思い出して苦笑いした。そして当時の俺の立ち位置も思い出した。
俺は長い髪をキザたらしくたなびかせていたが、学年で一番背が高く、成績もそこそこよく、ませた二人の姉のせいで大人びた雰囲気もあり自然に一目置かれる存在になっていた。
悪ガキの登は、俺をフルチンにしたことで親父にぶん殴られてからというもの懲りたのだろう、もう俺には手出しはしてこなかったし、それなりの友好関係を構築していた。
だが、今日の事件で、俺は女顔で優しく見えても、本当は無意識にせよ登同様にイジメ好きだったのに、正義感あふれる全く別キャラに変貌してしまったのだ。
(ここはどうするオレよ)
《イメチェンでいいんじゃねぇ》
(イメチェンね・・・真面目な優等生スタイルか、なんかそれって、)
《そうじゃなく普通の俺でいいんじゃねぇ》
(普通の俺って間もなく30の俺のままということか)
《そういうことだ。何も気取らず気楽にやらないと、場合によっては長いステージになる可能性もあるから体はともかくまずは精神を安定させようじゃないか》
(そうだな気軽に気取らず普通でいこう。それでリクに対してはどうする)
《気軽に気取らずなんだろう。だったらわかるだろう》
(ああ、リクを庇うスタンスはそのままで、自然に思うままにやっていくよ)
▽
「リクちゃん、あんなやつのこと気にすんなよ。あいつがまた何かしてきたら、この僕がまたブッ飛ばしてやるからな」
そんな大人気無い台詞に、またも向けられる澄み切った眼差しからの笑顔に、
(あいつらに会いたいな)
またしても姪っ子を思い出し目が潤んでしまった。
始業式が終わり再び教室に戻ると、畳屋は職員室から戻ってこなかったが、石原先生から改めてリクが帰国子女である事などが紹介された。
可愛くデザインされ白衿の黒のワンピース姿と長く美しい黒髪から繰り出されるなんとも優雅な佇まいが、
(何あれ?気取っちゃって)
クラス女子たちにすれば、なんだか近寄りがたく、初日からの友人獲得には失敗したようだ。
三年生の時に横浜から転校してきたテニス少女、沢尻陽子はすぐに友達ができたし、同じく宇品から引っ越してきたそろばん少女、大石岬もクラスに即日馴染んだが、彼女たちは最初から同じ人種感をばらまいていたからこそだ。
リクはそうはいかない。
(あんな綺麗な子がうちらの同級生?)
全く異種の存在としてクラス女子たちに、そこにいるだけで劣等感を与えてしまった事から、敬遠されてしまったのだ。
それに畳屋をひっぱたいたのも重なり、男子たちからも、
(下手に関わると登を敵に回しかねない)
悪ガキ大将の今後の動向を恐れ警戒される事になった。
早くも三年生の時から引き続き、クラス女子のリーダー格となった坂之下早百合は、そんなクラスの空気を敏感に感じ取りでもしたのか、
(この転校生はいらん子)
なんて浅はかに決めてしまい、転校生に示していいはずの親切心を出す事をしなかった。
「宇津伏リクです、宜しくお願いします」
どこか、たどたどしい日本語を笑うのも空気の元、坂之下に忖度する女子の流れ。
(あ〜もうガキのくせに空気よんでやがる)
男子にない女子だけのませを俺は、新聞記者ならではの嗅覚で敏感に感じ取っていた。
そんな女子のご機嫌取りをする一部男子が、放課後、リクに嫌がらせをしにくる。
「ほんまに小学生なんか?」「身長どんくらいあるん?」「何喰ったらそげに大きくなるん?」「変な日本語じゃのお~」
次から次へと点数稼ぎのデリカシーのない台詞に俺は、敏腕記者独特の凄みある視線でハエを蹴散らし、約束通り一緒に下校する事にした。
「さぁリクちゃん、帰ろうぜ」
早々に俺を冷やかす台詞、
「どうしたんや加羅、ひょっとしてわれ、そのデカ女子のことがマジで好きになったん、それってもしかして一目惚れなんかぁ」
「ええ格好しいが、なかなかお似合いじゃん」
口笛交じりが飛び交う。
そんな状況の中で、クラス替えでこんどは隣のクラスになった若林勇が俺の所にやってくる。同じクラスの萩本栄太に轟肇など本当に懐かしい顔も揃ったところで俺は三人に、
「この子さぁ、転校生の宇津伏リクちゃんだ。僕の家の近所なんだ、宜しく頼むな」
そう言ってリクを紹介するのと同時に、昔の記憶を辿りながらこの三人をリクに紹介した。
「こいつは若林勇。イサミでいいよ。度胸もあって喧嘩も強いけど、マジで優しい奴だから困ったときとか、さっきみたいに嫌なことをされたら助けてもらえ。嫌な顔を一つせずにリクちゃんのこと助けてくれるから」
(こいつなんてこと言うんだ)
的な顔する若林勇。三年生までの俺とは違う俺に、驚く顔を俺は面白がりながら、次に萩本栄太を紹介した。
「こいつはエイちゃんでいいよ。頭がいいから勉強でわからないとこがあったら教えてもらえよ。絵もうまいし、なかなかの才人だぜ」
頭をかいて照れるエイちゃんをよそに、最後に轟肇を紹介した。
「こいつはハジメ。曲がったことが大嫌いで、スポーツ万能の数学じゃなくて算数が抜群にできるナイスガイだ。シャイだからあんまり女子とは口はきかなきけど、いざという時は必ず助けてくれるから安心して友達してやってくれ」
(これでこいつらがリクをイジメる側にまわることはないはず)
三人が俺の目の届かない時に、リクの防波堤になるように、あえてこんな紹介の仕方をした。そして明らかに春休み前と違う俺に驚くように、
「どうしたんや?翔ちゃん」
顔をマジマジと見てくるが、「よろしく」とリクへのそれぞれの挨拶も忘れてはいなかった。
俺がガキ間にイニシアティブを発揮してリーダー格に就任したところで、俺はごく自然にリクと手を繋いで下校を始めた。
この行為が来週からどういう騒ぎになるかは、当然予想できたが、俺によく懐いた姪っ子たちとの経験から子供が不安な時は手を繋いでやると落ち着くのをよく知っているからそうしただけなのだ。
(あ〜あいつらに会いたいなぁ)
俺の両手を塞いだ姪っ子に甥っ子、もしかして木村佐和子よりも会いたい存在かもしれない。
そんな思いをリクからだけでなく、当時の俺と仲の良かったこの友たちからも感じ取っていた。
この友人たち、リクと手を繋いで下校する俺に、
「翔ちゃん何をしとんの?」
宇宙人でも見るような目を最初こそ向けていた。だが、素直な子はすぐに感化される。
俺の自然な振舞いにいつしか異種を見るような目はなくなり、大人の会話力から来年に迫った日本でのワールドカップの話題に、「ベッカム覚えとけよ今のうちから」夢中になってくれた。
リクは見た目には確かに俺より背も高く中学生にしか見えないが、その実、まだ10歳前の小学生で、俺と繋ぐ手をしっかり握って不安を隠して、なんとか平静を保っているただの少女なのだ。
別れ際、
「リクちゃん、明日の土曜日は休みだから、朝から僕の家に遊びにお出でよ、可愛い子犬がいるんだ、じゃあねバイバイ」
そう言ってファーストコンタクトデーは終わった。
◆
救世主が現れたの。
私が日本にやって来たのは昨年の夏でした。
最初の住まいは、東京の深川っていうところなの。
これまで住んでいたニューヨークの家とは違い、東京の住いは、高いマンションで、庭もないし狭かったの。
でも両親と弟、四人で住むには充分で、東京タワーも遠くに見えたんだ。
夜景はとてもきれいで、いつまで見ていても飽きなかったよ。だけど、小学校は酷かったの。
ニューヨークでは、9月から新学年が始まるんだよ。
だから私は、本当は、四年生になるはずだったのにもう一度、三年生をする事になったの。
なんだか損したみたい。
だけどね、日本の学校は楽しみだったんだ。
だから転校初日はママに連れられて弟のトオルと喜んで、近くの小学校に行ったの。
でもね、アメリカでは何も言われなかった私の背の高さが日本では変に思われて、「ジャイアン」なんていきなり呼ばれたんだよ。
私はビックリして何も言い返せなかったんだ。
だって、そんなこと言われるなんて思ってもいなかったから・・・
それにママが私や弟の服装にはこだわっていて、ニューヨークでは注目だった私のファッションが日本では変な目で見られちゃったの。
家で一生懸命練習していた日本語も、「変」だって笑われたし・・・
ランドセルとかいう変なカバンを使わない事までいろいろ言われたし・・・
でもね、上級生の男子にニューヨークで見ていた日本のドラマや映画によく出ている子役の人気俳優さんがいたんだ。驚いちゃった。
クラスに馴染めなかったけど、その人がお兄さんのように優しく声をいつもかけてくれて私は嬉しかったんだ。
放課後にも時間があったらいろいろ話をしてくれたし励ましてくれたのに、私が六年生の女子に呼び出されてイジメられた時は、その場にいたのに助けてくれなかったんだよ、悲しかったなぁ・・・
私は、頑張ったけど毎日呼び出されてのイジメにとうとう耐えられなくなり、クリスマス前に学校やめたの。
お医者さんが、
「これ以上無理をさせてはダメ、環境を変えないと大変なことになる」
なんてパパとママに言ったからなの。
それにニューヨークで三年生をクリアしていたからね。それでトオルも賛成してくれたので広島にやってきたの。
パパがお勤め先の偉い人に私の事を相談したら、
「だったら本社へ移動したらいい」
と言って、その偉い人が自分の使っていない家まで貸してくれたの。
私のお父さんは、アメリカでも人気がある車のメーカーmazdaのエンジニアなんだけど本社勤務は初めてで、とても喜んでるの。
新しい住まいは、住宅街の中の庭付きの一軒家だったけど、これまでになく不便な所だったの。
学校にも遠くてスクールバスもないから歩いて通うしかないし、近くにモールもないしショッピングセンターもないんだよ。
あるのはコンビニに小さなパン屋さんに小さなスーパーだけ。
それでも私は新しい小学校に期待したんだ。
(こんどはイジメられませんように)
って。
「僕は加羅翔介だ、よろしくな」
私を見てやっぱり身長が高いのに驚いたんだろうな、そんな顔をした髪が長い隣の席の男の子は笑顔で私に手を差し出してくれたの。
固い握手だった。彼は、親切にいろいろ教えてくれるナイスガイなのよ。私は救われた思いだった。
だけどね、油断はできないんだ。
東京で私に親切にしてくれたあの上級生のせいで周りから冷たくされた経験があるからだよ。
あの上級生は、私がイジメられても助けてはくれなかったし、私の事で冷やかされるようになると近寄ってもこなくなったんだ。
それにいつもは親切で仲良くしてくれ子でも、集団になると急に冷たくなるのを私は知っちゃったんだ。
でも、「翔介と呼べよ」と言ってくれた男の子は違っていたの。
私のスカートが意地悪でめくられると私は自然にその相手の男の子の頬を叩いてしまったの。
もちろんこんなこと初めてだったけど、ニューヨークなら許される事じゃないし、私は後悔なんかしていない。
でもね、でも翔介には本当に悪い事をしたと思っているの。
翔介は、私を庇って代わりにイジワル男子から殴られてしまったの。
でもね、本当に嬉しかったんだ。
初めて会ったばかりの翔介が、私と握手したばかりにすぐ友達になってくれて、庇ってくれたんだよ。
涙が出ちゃった・・・
それからは、
「おまえら付き合ってんの」「このブチデカ女が好きなんじゃろう」「いつもラブじゃん」
どんなに冷やかされても翔介は、いつも一緒にいてくれたし、いつも笑って平気な顔をしてくれていたの。
しつこい人には、「だから何?」って大人みたいな声で言って追っ払ってもくれたの。
それに翔介には仲良しの友達が三人もいて、私をイジメル人を、
「われがチビすぎるんよ。ひがむなよ、このどチビ」
とか言ってイジメ返してくれたの。
いつも守らている感じがとても嬉しくて、私は翔介の事を夢中でパパとママに話したんだ。
「とっても親切で私をいつも守ってくれるの」
なんてね。
もちろん私を暴力から自分を盾にして庇ってくれた事も話したんだ。
「よかったなリク、その翔介君にはパパとママからもちゃんとお礼を言わないとな」
以前なら私の顔色ばかりを気にしていたパパとママが笑ってくれたのも、とても嬉しかったんだ。
それを言うと、
「リクこそよく笑うようになったじゃないか、パパは安心したよ。本当に広島に来てよかった」
なんて言って泣きだすんだよ。
「本当にリクちゃんはニューヨークの頃みたいに笑うようになったのね」
ママまでも涙をこぼし、弟のトオルも、
「お姉ちゃんよかったね」
なんて喜んでくれたの。
私は、喜ぶ家族を見て神様にお願いしたの。
(翔介がいつまでも仲良くしてくれますように)
てね。