ジャケット騒動
「ねえ、リクちゃん、この絵を画いたのは誰かしら?」
私は鉛筆だけでリクを描いた絵を見てそう問いかけたのはこの春先の事でした。
「えっ、これ?翔介に決まってるじゃない。上手でしょう」
私は、またしてもあの彼の事で驚いてしまいました。加羅翔介君、リクが敬慕して止まない同級生の男の子の事です。
「翔介君が、絵がうまいのは知っていたけど、これほどとは・・・」
私は、国立の芸大の出で絵の良し悪しは子供の時からよくわかります。
娘の部屋に飾られた絵は訓練されただけでなく、天性の物を感じさせずにはいられないもので、私が、学生時代に欲して欲してとうとう手に入らなかった才能によって描き出されたものだったんです。
(これは凄すぎる・・・)
また母としての焦りが出てきました。
(リクは彼に相応しい女性になれるのだろうか)
私は、翔介君とリクの関係がこのままだと破綻してしまうと常々思っています。
理由は簡単です。
リクのスキル不足から、翔介君がいつかは才能豊かで美しくもある女性に目を向けてしまうかもしれないからです。
それは音楽の分野かもしれないし、絵の分野かもしれないし、それ以外であっても翔介君を魅了してやまない何らかの才能を持った女性であるはずです。
私は知っています。
翔介君が私を見る目は、あれは大人の女性に憧れている目だという事を。
その目がただ単に大人への憧れから、より具体性を持って誰かに向けられた時、そこに果たしてリクがいるだろうか・・・
彼はリクの事をそれはとても慈しみ大事にしてくれるけど、それは私たち夫婦同様に保護者の目であって女性としては見ていないのがよくわかります。
(なんとかしないと)
こんな思いが焦りの原因でした。
「リクのやつ翔介君にべったりだが、大丈夫なのかい」
夫の心配は年頃の娘を持つものとして当然だと思います。増してやリクは人より成長早く、誰よりも少女の美を輝かしている存在ですから・・・
東京にいる時は、芸能事務所からよく声がかかりましたが私も夫も、「芸能界なんて」との思いがあり相手にしませんでした。
そんな娘なら、普通の同級生の男の子に対して親として距離を取る必要性を感じますが、
「心配ないわよ、あなた、だって翔介君ですもの」
この台詞で充分な説明になっていましたし、夫も、
「それもそうだな」
すぐに納得しました。
というのも、そんな事を一番気にして配慮しているのは翔介君自身だったからです。
リクの部屋で過ごすときも初めての時からドアは開け放たれていましたし、泊まって行く時もそうです。
リクは翔介君に甘えていつもその胸の中で眠るようですけど、彼はそれを拒みはするけど根負けして許すも、ドアを開け放ってでしか応じなかったのです。
私たち夫婦もそんなリクの行為を許すのも精神安定に考慮しての事ですが、翔介君も同じなんだと思います。
リクの部屋には翔介君との写真が何枚も飾られています。そして彼の描いたリクの絵も飾られています。
それらもリクならではの精神安定の手段のようですし、翔介君が描く自分の姿を大事にファイリングもしています。中にはその出来に満足できなかったのか、くちゃくちゃにしてあるものまできれいにしわを伸ばして保存していました。
私は夏休みになってその絵たちを改めて見てみました。
「あら、どうしたのかしら、最近画風が変わってきわね」
それまでは、リクの表情を描くのに苦心のあとがよく見てとれたのに、最近になればなるほど力が抜けて線引きが少なくなり、それであって微妙な表情までしっかり捉えているのです。
要するにリクを描く事に慣れ、その微妙な表情までをしぐさを描くことだけで表現してしまっているのです。
この画法が究極に至ると、ピカソの晩年の作風みたいになります。
描き線が少なく抽象画のようになりはするけど描く対象をしっかり捉えたものにです。
(やはり翔介君は天才なんだ)
私は改めて思うのと、天才が成長する過程を、娘を描く作品で身近に見られる事に幸を覚えました。
そして今朝の作品です。
翔介君が東京から帰ってきて描いたそれは、これまでとは違ってリクがリクでなくなっていました。
モデルはリクなんですが、描かれているのは未来のリクだったんです。
「これってリクちゃんの将来の姿なのかしら」
それはファッショナブルな衣装を身にまとった、大人のリクの姿で服のデザインに柄にまでこだわりを示したものです。
鉛筆だけなのに彩鮮やかにまで見えます。
「そうだよ。10年後の私の姿だって。本当に翔介、上手いよね」
リクは無邪気に嬉しそうにそう応えましたが、
「リクちゃん、教えておいてあげるわね。これは上手いの粋を出たものよ、天才の描く絵なの、意味わかる?」
私はこの絵についての見解を娘に語っていました。
「天才の描く絵?プロの技ということ?」
「プロはプロでも本物のプロになり得る可能性を秘めた人が描いた絵なのよ」
「そうなんだ。だったらピアノと同じなんだね」
「ピアノと同じ?」
「そうだよ。だって翔介のピアノの演奏だって軽くプロの領域だって音楽の先生が言ってたもん」
(えっ、そうなの。そういえば私は、ちゃんと彼の演奏を聴いていない?)
「そうなのね、本当に凄いわね。リクちゃんも負けてちゃだめね」
「うん、でも京都でね翔介は私にまた新しいものを教えてくれるんだって、それが楽しみなの」
8月になれば昨年に続いてリクは美里さんの実家に行く予定になっています。
昨年は、姿勢が見違えるように良くなって帰ってきた事から今年も楽しみな私と夫でした。
「えっ、新しい物・・・ピアノにお茶に・・・また何かを翔介君は教えてくれるの」
「そうだよ、それも二つあるんだって、私、楽しみなんだ」
「そう、よかったわね」
最近では翔介君が何か目的があってリクに様々な事を伝えんとしているのではないかと私は思うようになっていました。
(あの子はリクに何を望んでいるのかしら?)
それが何であるかはわかりませんが、私は翔介君にリクを託してもいいと思うのはその人柄でした。
「翔介は絶対に怒らないよ、いつもミスしても優しく教えてくれるよ」
娘の言葉は正確ではありません。
リクの女性としての嗜み不足には厳しい言葉が飛んでくるし、間違った思い込みには、
「一方の考えを聞いただけで物事を判断したらダメだ。物事には人皆それぞれの考えがあるんだから、それらを聞いたうえで初めて自分の考えを述べるべきなんだ」
などと徹底して厳しい言葉で修正を入れてきます。
でも、リクは、そんな厳しい翔介君を愛情あればこそだと理解しているようです。
私は、リクが翔介君にこの先、見捨てられないように、祈るばかりではなく協力もしています。
身だしなみについてや、
「男の人を束縛するようなことをしたり言ったりしたらすぐに嫌われるから、どんなに翔介君の周りに女の子が集まってきても機嫌を悪くしてはダメよ。リクは翔介君の特別なのを思い出すのよ」
男心についてなどじっくり教えています。
彼が描いた10年後のリクの姿に近づけるために・・・
◆
「おい、これは誰が描いたんだ!」
俺はミオの初めてのアルバムのレコーディングが済み、落とし作業を確認するのと健司に託物があってスタジオにやってくると、完パケの仕様書の中にミオの横顔がラフに鉛筆だけで描かれている絵を見つけて誰ともなく周りのスタッフ達に問いかけた。
「えっ、それ鳴門さんが持ってきたんじゃないんですか」
ヴィクセンレコードのサウンドディレクター、「機敏に動けるデブです」と自称する北川が逆に俺に問いかけてきた。
「いや、違うぞ、俺じゃないぞ」
「そうなんスか?てっきりアルバムのジャケット用かと思っていましたよ」
(ジャケットだって?確かにこれいいかも・・・)
そんな事を思ってしまった。というのもミオファーストのジャケ写真はアイドル路線が露骨なミオらしからぬ近景スタジオ物を用意していたのだが、
「センス悪、これ却下!」
とミオからは罵られるし、
「クズじゃないですか」
翔からも言われたのだ。
(これなら文句は出ない!)
見れば見るほど線引きの少ないミオの横顔は、その闊達で自然な振る舞いが可愛らしいその特徴を網羅した極上作品に仕上がっている。
(これはマジでいい!!)
インスピレーションもそう訴え、俺はすぐさまこの絵の正体を突き止めるために健司に電話した。
「ああ、その絵な、いいじゃないか真司のお手柄だぞ。今、ヴィクセンの稟議にかけさせてもらっているけど、評判がいいことから採用されるんじゃないか」
いきなりそう返ってきた事に驚いた。
「ちょっと待ってくれ、この絵は俺が持ち込んだもんじゃないぞ、今、初めて見るもんだ」
「なんだって、電話で、そちらで用意すると言っていたじゃないか」
「ああ、それを持って来たとこだったんだが、」
「だったら誰があれを描いたというんだ?うちのジャケ担当の美術部専門スタッフ達の話だとかなりの高レベルの描き手のものらしいぞ」
「そうなのか、だったらミオ自身が持ち込んだものかもしれん早速確認してみるわ」
「ああ、すまんが頼むよ、俺はてっきり真司が用意した物かと思って、」
「稟議を通したんだな」
「ああ、まだ確定ではないけど、たぶん採用されるぞ、あの絵」
「わかった、すぐに知らせるよ」
俺は改めてその絵を見たが、本当にいい作品だと思った。
ミオへの電話はいつもマネージャーを務めるミオママが出るのが相場だ。
「えっ学校ですか?夏休みじゃないんですか」
「ミオは出席日数が足りないのよ、だから補修を受けているんです」
「あ~そういえばそんなことを言ってましたね」
「それで、その絵のことは存じませんわよ」
という事であとはミオ本人情報待ちとなったが、なかなか電話はかかってこず、夕方になってやっと連絡があった。
「鳴門さん、ごめんね授業が長引いちゃって・・・あの絵のことでしょう、ママに聞いたわ」
「ああ、そうなんだが」
「あの絵をジャケットにしたいの、どうかな?」
「ああ、それは問題ないが、それよりあれは誰が描いたんだ?」
「あの絵は・・・私の友達なの」
「えっ!ミオの友達だって」
「そうよ、凄く絵がうまい人なの」
「まさか中学生なのか?ウソだろう、かなりのハイレベルだとヴィクセンの美術部では言っているそうだぞ」
「・・・年上の友達なの」
「何歳だ」
「え~知らないよ」
「友達なんだろう、おまえもしかして俺にウソをつくつもりか、それなら無理だぞ、おまえにはウソは無理だからな」
「・・・」
「ミオさんや、あの絵を描いたのは誰だ?白状しないと、ジャケットはおまえが嫌がっていた当初のやつを採用するからな」
「え~嫌だよ、あれは却下だって」
「だったら、」
「翔だよ、翔が描いたんだよ」
「なんだって翔がか・・・」
「私があんなジャケ嫌だって言ったら、翔も同じように思っていたようで、」
「そこであの絵なのか?」
「そうよ」
「どこで、いつ」
「翔が東京に来た時よ、ホテルの部屋でよ」
「おまえ、翔の部屋に行ったのか?」
「だって同じホテルだったじゃない、それで訪ねて行ったら、翔が部屋で絵を描いていたのよ、それがあまりに上手だったんで、私を描いてと頼んだら・・・凄いのよサッサッのサーですぐにできたんだから」
俺はなんだか納得してしまった。
「そうか、翔ならありえるかもな」
「・・・約束守れなかったよ・・・」
「そうか翔には黙っていろと言われたのか」
「うん」
「こちらで対応するよ、翔にこんな才能まであったとはな、本当に驚きだよな」
「うん」
翌日、健司からあの絵が正式に美坂ミオファーストのジャケットに決まった事が知らされた。
作者名は、翔の要請で『シンイチ・ミゴ』で発表される事になった。
「僕は絶対に表には出ませよ」
ここでも正体を隠す気のようだ。




