東京滞在記 Ⅱ
「おい、後町、おまえどういうつもりだ。有望株の筆頭を蹴ってまでどうして美坂ミオなんてガキをおまえがやるんだ。どこからかにねじ込まれたのか」
僕は北川聡、ヴィクセンレコード所属のサウンドディレクターなんだけど、朝からの定例営業会議が終わった後にエレベーターに向かう道すがら、一緒にいた後町先輩がうちの営業二部長、石塔さんからいきなりの大声で背後からそう声をかけられた現場に居合わせたんだ。
「ねじ込まれた?まさか、私があの子の歌唱力に惚れただけですよ」
「惚れただって?おまえらしくない。美坂ミオ程度に歌が上手い奴なんて掃いて捨てるほどいるんだろう。それに比べて松永ミクルは、歌唱力にやや難があるにせよ事務所もでかいしあの美貌からの存在感は他を圧倒しているじゃないか。人気だって若手で一番だ。ここはプロデュースにパンチ力のあるおまえが担当して彼女を一気にスターダムに押し上げてくれないか」
部長は、先輩に追いつくと肩を組む親しさを示したけど、それを迷惑そうに払ってしまう先輩に僕はドキドキしたよ。だって、この石塔部長に逆らうなんて、社内では(ありえない)なんて思わせるほどの実力伴う威圧感を流している人だからね。
「石塔さん、すみませんが私は美坂ミオの担当をすることをさっきの会議で了承されました。ミクルちゃんの担当は別の、それこそ石塔さんがやったらいいじゃないですか」
後町さんは、僕の肩を叩き先に行ってボタンを押すようにエレベーターの方を見つめた。
「バカヤローそれができたらそうしてるさ。先方の三宅社長がおまえを是非にと言ってるんだ」
「だったら断ってくださいよ。私は忙しんですから」
「断るだって、ミヤケエージェンシーは大手中の大手プロダクションだぞ、」
「それじゃこれで失礼します」
「おい、後町、待てよ」
救いのエレベーターに飛び乗る後町さん。
「先輩、いいんですか、石塔部長の機嫌を損ねたらやりにくくなりませんか」
僕は先輩を気遣いそう声をかけた。というのも後輩の僕から見ても後町さんの独壇場は少しやりすぎに見えたからだ。
「やりにくい?なぁ北川、俺の仕事の邪魔をしてこの会社になにかメリットがあるのか?俺を買ってくれているのはあの石塔さんだけじゃないぞ」
「それはそうですけど、後町さん贔屓の専務にしろ社長にしろ、現場にまで目は届きませんからね。現に先輩のグループから有望なやつらをどんどん他所にまわしているのは石塔さんですよ。北盛だって持っていかれちゃいましたし」
「大丈夫だ、おまえがいれば。もし、おまえまでも持っていかれるようなことがあれば社長に直談判するだけだ。それでもダメなときは、ここを辞めるだけだよ」
寂しく微笑む後町さん。
「わかりましたよ、その時は僕も付いていきますから。それで先輩、さっきの石塔さんの話じゃないですが、どうして美坂ミオをそこまで推すんです?目黒のうちのスタジオまであの新人に使わせているじゃないですか」
「北川、百聞は一見にしかずだ。今から彼女のレコーディングの様子を見に行こう。今日はスペシャルゲストが来るからな」
「スペシャルゲスト?」
「ああ、見てからのお楽しみだ」
後町さんはそう言うといつまでも上機嫌に笑っていました。
僕が目黒スタジオで目にしたのは、小学生でした。それもめっぽう口の悪いガキです。
「クズですね。これってメインストリーム・カルチャーのままじゃないですか」
後町先輩のプロデュースしたテレビドラマ『またたたびはネコの毒』美坂ミオの唄う主題歌の完成曲を聴くなり、すぐにそんな感想を口にする子供に、僕は、
「何をガキのくせに偉そうに!」
声を大にして言ってやりました。
突然、我社が誇る目黒第一スタジオにやってきての悪態に僕だけでなく何人かが立ち上がっています。
「まぁ待て、これは予定通りなんだ」
後町先輩は僕の裾を引いて笑っています。
その理由もわかりました。
彼こそが先輩が言っていたスペシャルゲストだったんです。
少年の正体は、美坂ミオのアルバム全般における作詞・作曲の担当者でした。
そしてこの後も続いたドラマスタッフ達とスポンサー担当者を前にしての罵詈雑言の全てが、実は打ち合わせ通りだと先輩は言うのです。
「こうでもしないと頭の固い連中にはわからんからな」
少年は、論より証拠と言わんばかりに、ケチをつけた曲を自身がその場でアレンジを加えて新たな物を作り上げてしまい、皆に披露しました。
♪~
「こりゃぁ~驚いた」
衝撃でした!
さっきの曲が見違えるほど斬新なものに変わり、誰もがその新しいアレンジの方が優れていると思ったはずです。
そして、その少年は自分の力を見せつけるように、美坂ミオを誘いその場で新たに感動的な曲を息もピッタリで瞬く間に仕上げていく様も見せつけてきます。
(こいつマジ天才じゃん!!)
なんて思ってしまいました。
ありふれてよく使われる敬称でしたが、それ以外に頭に浮かんできませんでした。
後町先輩も、
「これだけの音楽人が集まっているのに、誰一人としてあの少年に反論できないだろう。私が美坂ミオを推す理由は彼、園田翔が、彼女を一推しにしたからなんだ。なんでも彼女は完全無敵の歌姫になるんだそうだ。あの中学生少女がな」
「そうなんですか、でもうちの方針は、あのルックスからしてアイドル路線なんでしょう」
「それもこのファーストアルバムで方向転換するらしい」
「それもあの小学生の口からですか?」
「そうだ、おまえも見ただろう、翔は何もかも超越できるほどの先見性を持った天才というよりは超能力者なんだよ。そしてこの業界にピアソラ級の革命を起こす子だぞ」
後町先輩ここでも上機嫌に笑い出しました。最近よくこの笑いをするのはあの少年のせいかもしれません。
「へぇ~ピアソラ級ですか、そりゃ大変だ」
「おい、北川おまえバカにしたな翔のことを、まぁあの小学生が本物か偽物かなんてすぐにわかるさぁ、楽しみにしとけよ」
後町先輩はあの翔とかい言うガキに完全に心酔しきっていました。
◆
よく訓練されたガキがプロ顔負けの演奏を聞かせてくれる事はままある。テレビ番組で天才キッズの特集なんかで凄腕を披露してゲスト達を唸らせる類のやつだ。
ゲスト達(視聴者)は、見た目のパフォーマンスに圧倒されて、拍手喝采の大喜びをして見せる。
あれには裏がある。天才キッズ達の凄さを強調する為に番組制作プロデューサーが求めるのは、派手なテクニカルな演奏だ。
ギターなら早引き。キーボードならアドリブぽく見える計算されたシンセソロ。ドラムなら手数が多いツインバス。ベースならギター顔負けのメロディアスなチョッパー奏法。
だが、残念ながら、彼らの大半はプロでは通用しない。ゲスト達に、「凄い」ともてはやされた派手なパフォーマンスばかりを追求してしまい、肝心な才能ともいうべき奏でるリズムや音へのこだわりを”これでどうだ”と問いかけるようなアピールをしてこないのだ。
プロに必要なのは、どんな要請にもすぐその場で応えられる幅広い感性と正確なリズム感、そして最後にそれらを表現できる演奏力だ。
不正確なリズムしか刻めないくせに派手な奏法に走るバカはコピー専門の素人枠で充分というわけだ。
その証拠に、ガキ凄腕奏者を集めてもコピーならいざ知らず、オリジナリティー豊かな楽曲は、まず生まれない。
加羅翔介は、その類ではなかった。
この俺に名指しで送って来たデモを最初に聴いた時の衝撃は、寒気だった。
初めて『こわれもの』を聴いた時の衝撃に似ていた。いやキングクリムゾンのファーストか・・・
俺は、このデモをすぐに最も信頼おける耳の持ち主、音楽事務所ケラウズランブラの社長、鳴門真司に聴かせた。
ギターリストとして優れた腕を持ちながら、それ以上に優れた感性と耳を持った男、鳴門は私の聴かせたデモを一分も聴いていなかった。
「こいつを俺に委ねてくれ」
そう言うと、この男、送られてきたデモから楽譜まで何から何まで全部かっさらって行ってしまった。
その鳴門がわざわざ会社に朝から訪ねて来たのは、広島であのデモの送り主に会ってきた翌日だ。
「健司、俺は凄い奴に会ってきたんだ。すまんが美坂ミオのアルバムの内容を全部差し替えることにしたよ、ミオを彼に委ねることにしたんだ」
事情を聞けば、あのデモの送り主は小学生で凄腕ミュージシャンでありながら様々なアイデアを持った人物だと言う。
俺は、「またか」なんて口にしてしまった。
天才キッズの凄腕ミュージシャンを思ったのだが、鳴門真司ともあろうものが、(そんなものに騙されたりはしない)とも同時に思った。
俺は、広島での鳴門とのセッション録音を耳にしてまた寒気を覚えた。
加羅翔介は、派手なパフォーマンスの代わりに豊富なアイデアを持ち、テクニカルな演奏の代わりに、豊かな表現力を持っていた。
しっかりしたリズム感に支えられた多彩な演奏には、派手さはないが堅実ですぐにプロ級それもA級と判断できた。
そして何よりも彼の引き出しの多さだ。
彼が奏で奏で出す曲はどれもこれも斬新なものばかり。この音マニアの私でさえも聴いた事のないものばかりで送られてきたデモを聴いたとき以上の感動というよりは衝撃を感じた。
この衝撃に釣られる形で俺は真司の要請に応じて、美坂ミオと一緒に広島行を決めたんだ。
結果、美坂ミオのプロデューサーをこの私から買ってでる事にしたんだ。このクソ忙しいこの私がだ。
私、この後町健司を名指しで指名してくれる多くのアーティストを差し置いて中学生のアイドル路線まっしぐらの少しばかり可愛い少女をプロデュースする事にしたのだ。
理由は、あの小学生加羅翔介が、
「美坂ミオさんのアルバム曲全部書き下ろします」
なんて言うし、
「美坂ミオは絶対的な歌姫になる」
と強気に言ってのけたからだ。
理由も明確にしやがった。
「だって僕は、知っているんです」
と、きやがったのだ。
笑うしかなかったが、あの作曲能力と子供とは思えない作詞力のセンスを目の当たりして私は、逆らう言葉を持っていなかった。
◆
僕の5作目となる映画作品、『音曲の神様』はユーモアに富んだ時代劇なんだ。だって大河ドラマでしか例をみない鎌倉時代の設定だからね。
最初、この話が舞い込んできて原作を読み始めると、
(ふざけた内容だ)
そう思ってしまったよ。だって女神がストリッパー設定なんだぜ。
京都の車折神社の巫女として降臨した女神は、雨野ウズメと名乗り人前でもすぐに脱ぎたがる変態女神で、どんな楽器でも演奏できるんだ。
(こいつは魔法使いか)
読み進めていくと魔法使いだったよ(笑)
だが、この変態女神が語る音楽の才能論には、私は思わず唸ってしまい納得してしまった。
『持って生まれた資質で音曲の奏は決まるものと世間では言うが、生を受けた後にも資質を養う方法はある』
この女神は天才生前説を否定して、主人公の笙奏者北畠親房に生後でも才能を育む方法を教えていくのだが、その過程にいちいち納得してしまったのだ。
最初は女神に反発する親房だったが、時代が激動期に推移していくのに合わせて彼自身も成長して人間性や考え方も変わっていくと奏で出す音色も変わってくるのだ。
女神は語る。
『色を得ることこそが資質を磨くということじゃ』
物語の終盤には“色”とはいったいなんであるかが語られ、その“色”を得る方法にまで具体的に踏み込んだその内容に私も親房同様に喜びを感じてしまった。
そしてラストでの、女神の問い、
『音曲者にはもって生まれた才能が必要だというが、如何に』
親房は少年時代とは違う内容を女神に答えたんだ。
『私も長年そう思っておりました。もって生まれた才能に勝るものはないと。しかしそれが違うこともこの長い年月で学びましてございます。色を得ることに長けてまいりますと新たな音を得るばかりか、自ずと奏法にも生きてくることを知りましてございます。微妙な指の動きや、息の加減、これらすべて奏者各々の技でございますが、閃くとでも申せばよいのでしょうか直感力が冴え、技も音も才能だけの者に負けないものが手に入りましてございます』
これは“色”なるものをこの作品を読んで理解できるようになると、
(理に叶っている)
と思えてしまい、
(全ての音楽家に見て欲しい)
そんなキャッチフレーズまで思い付き、メガフォンを取る事を決めたのだ。
合せて半分ジョークみたいな設定に風格をもたせる事も決めた。
(主人公の北畠少年に気品をもたせ、変態女神との対極感をうまく演出できれば勝機ありだ)
京都ロケをする予定ながら当時の街並みの再現など大金のかかる作品となった。
先の四作品がどれもこれも興行収入がよかった事もありスポンサーも早い段階で見つかり、この僕にこんな大作の話が舞い込んできたのだ。
音楽ジャンルで言うなら雅楽を扱う事になる作品だが、試しに色々聴いてみたが、どれもこれも面白くないんだ。
好きか嫌いかと問われれば好みではあったが、つまらないのだ。こんなもの劇中に流したら観客は即爆睡だよ。
「ここは慎重にサウンドを選ばないとならない」
これは、ブレーンを前に会議で最初に語った台詞だ。
「保津さん、これ間違うと大事ですよ」
助監の賢三はそう言うし、
「ここは、多少ギャラは跳ね上がりますが万里生友一に依頼するしかなさそうですね」
配給会社のプロデューサー後藤さんまで、お気軽に世界的な名前を出してサウンド重視を喚起してきたよ。
こんな状況が三年前だ。
万里生友一、雅楽に限らずより日本人らしい音と旋律を奏でさせたら右に出るものはいないという人気バンドのキーボード奏者だ。
今はニューヨークに本拠地を置きハリウッド映画でも活躍している。
彼に直接会う機会を設けてもらい、相談したところ快くこの話を受けてくれたが、なんと三年後にしかスケジュールが確保できないとの事だ。
「三年待つしかないでしょう。その間に諸々のことを処理して、撮影を先に始めましょう」
後藤さんの意見でそういう事になったが、僕はサウンド重視型の映像家だ。最初にイメージとなる音が欲しかったのが正直なところだったが、しかたがなく音なしで映像を作ったんだ。
そして三年たった今年の春先に、約束通り万里さんは、小説『音曲の神様』を読んでかつ、イメージ映像に合わせた作品を完成させて仰々しい機材を持ち込んでお披露目にやってきてくれた。
(いよいよだな)
誰もが楽しみにしていた瞬間だった。
♪~
(・・・)
「いいじゃないですか」
後藤さんはそう言って拍手したけど、僕はその演奏を称え拍手はしたけど、
(全然違うじゃないか)
との思いが強く、彼の脇に立って、
「もっと鎌倉的な、ーーー いや鎌倉的と言うのは武家ではなく、この物語は宮廷ものであって、--- なんというかもっとインパクトある音が欲しいんだが・・・」
いろいろと修正を求めたが、いくら言っても想いは伝わらず終始無難な音がただ流れた時間だけとなってしまった。
賢三も、
「これが限界なんですかね、ここは万里生友一の音に合わせた映像作りに切り替えましょうかね、それが本来の遠藤流なんですからね」
なんとこれまでの三年間の時間と費用を無駄にしようとの提案をしてきたのだ。
あれほど話し合い、イメージ映像まで先に作ったのにあまりにイメージと違う音に幻滅してしまった僕は、完全にやる気をなくしてしまったんだ。
時間的な余裕もない事から、万里生友一に音楽監督を任せる方向で話を進めていくのは後藤さんだったけど、僕自身はモチベーションを削がれ回復できそうにもなかったんだ。
(降板しようかな・・・)
そんな思いまでも出てきて出演女優の一人として現場入りしている妻に相談すると、
「あなたが面白く感じないのなら観客はもっとつまらなくなるはずよ」
そう言って降板に賛成してくれ、それに伴う経済的な負担も覚悟してくれた。
(感謝だ!)
だけど、その経済的損失額があまりに巨額であるがために決断できないまま春からは、本格的な撮影が開始される事になってしまった。
僕の弱気に後藤さんが、
「万里生さんには、保津さんの言い分をしっかり伝えたら、作り直してくれるそうですよ、期待しましょうよ」
励ましてくれたお陰で、やっと重い腰が上げられたのだ。
なのに、僕は再び意気消沈してしまう事になる。僕だけじゃない撮影スタッフもだ。
待ちに待ったサウンドトラックの要となるメインテーマ曲が、万里生さんから届いたのだ。
♩〜
我々がこの作品にかける意気込みを少しも汲んでもらっていないのが一聴瞭然の駄作だった。
彼の作とわかる、音と曲で、
「クソじゃないか!」
僕は怒りを爆発させてしまった。同調するスタッフたちからは、
「こうなったらコンペをしましょう」
と、思いもしない案が出されたんだ。
(コンペか・・・)
妻の頷きもあり僕は即断したよ。
「予算は、万里生さんに無駄金を使ってしまったことからもうない。ここは金をかけずにチャンスを欲しがっている新進気鋭から優れた曲を集めるぞ」
この決定に後藤さんでさえ反対してこなかったのは救いだったけど、万里生友一の心象を悪くする覚悟は必要だった。
時間があまりなかったにもかかわらず応募者は意外に多かったのには驚いたよ。でもさぁ、どれもこれもクズ同然で、万里生友一作品を凌駕するほどのものはなかったんだよね。
(あ~マジで降板しようかな・・・)
こんな時に頼りになるのは妻で彼女はここでナイスなフォローをしてくれていたんだ。いつの間にか、いくつかの知り合いの音楽事務所に声をかけていてくれたんだよ。
そして僕は、この上ない作品と“天才”とも言うべき小学生に出会う事になるんだ。
園田翔11歳は、我々のいかなる想いに対しても、我々の思う以上の答えを速やかに奏で出してくれる凄い作曲家であり表現者だったんだ。
(まるで物語中の女神のようだ)
見た目も少年と言うよりは少女ぽかった事もありそんな幻想にとらわれてしまったのは何も僕だけじゃなく、
「女神様の降臨だ」「あれこそ音曲神だ」「神々しいじゃないか」
そんな声が、彼が奏でるイメージ曲が流れる現場から溢れんばかりに出てきたんだよ。
妻だって、
「あなた凄い、凄い音だわ」
メイクが壊れるのも構わず感涙を隠しはしなかったんだ。
そして、僕がイメージしていた音よりも優れた音の制作者は、僕が脇に立って自分の想いをダイレクトに伝えてみると、万里生友一とは違い動じる事なく彼が肩に担いで持ち込んだキーボードで次から次へと新たな曲を生み出してくれるんだ。
「すげぇ~こりゃ本物だわ」
“天才”という言葉を憚ってそんな言い方で感心するばかりで、これまでにない高揚感が現場を包んだのは、彼が持ち込んできたメインテーマ曲が彼の演奏で披露されてからだ。
♪~
僕はこの曲を聴いて、原作の中での女神の言葉を思い出してしまったよ。
『色こそが音曲の魅力の源泉なのじゃ。音色と申すのは正に色を得た奏者がはじめて奏でだすことができるもの。色を得ることで天性の才能に変わるものを得ることが出来ると知れ』
新たに提示されたメインテーマ曲は、その音色の美しさが突出した優れすぎた曲だった。
「これで決まりだな」
賢三も後藤さんも私の最終決定に異存はないようで、妻は笑顔で頷いている。
「あれが本物の音楽の神様かもしれないわね」
妻のどこか台詞じみた発言に皆は頷いていた。
◆
たった二泊三日の東京ツアーの終わりは23時過ぎの広島駅だった。
ハルカ先生の迎えで俺は自宅に戻ると24時過ぎだったのに母さんも父さんも起きて待っていてくれたしノッコに至っては飛びついてきて顔中をベロベロにされた。ペロペロじゃないぞ、ベロベロだ。
俺の顔を見て安心したのか父さんはすぐに寝てしまい、母さんとは風呂上りの報告のビール会を開きたいと思ったら、我が部屋のベッドはリクに占領されていた。
「さっきまで起きて待っていたんだけど・・・」
睡魔には勝てなかったらしい。
「母さん見てよ、リクの姿」
俺は呆れて同意を求めた。
いつものウッディーTシャツにパンツ姿なんだが、なんとも悩ましい姿で、色気付く男子には絶対に目の毒だった。
「あら本当に、でも可愛いいわね、寝顔」
「うん、寝顔も可愛いし、悩ましき姿も可愛いけど、そろそろ母さんから注意してよ。泊まるのはいいけど別の部屋でとかさぁ、せめて別の寝床とか・・・」
「そんなことを言ったらリクちゃん泣くわよ」
「なんで泣くんだよ、青少年の教育上よろしくないという話だろう」
「約束は小学生の間は一緒にってことだったじゃない。それとも翔ちゃんがリクちゃんの姿に我慢がもうできないお年頃なのかなぁ〜」
「呆れた母さんだ。男女七歳にして席を同じゅうせずって言葉知らないの。僕たちはもう11歳なんだよ11歳。リクは生理だってあるんだからね」
ここで寝返りうつリクに配慮して俺とノッコは母さんの部屋に移動してビア会を始めた。
母さんは乾杯すると一口ゴクッといってすぐに風呂上がりの俺の髪を乾かしお手入れを始めてくれた。
「あ~あ、たった二泊でもお手入れしないと痛むのよね」
なんて事を言い出すしまつ。
俺は、「どこのお姫様なんだ」と、つこんでやりたかったが、そんな事を言えば機嫌が悪くなる母さんだ。やめておく事にした。
そして俺も、疲れは新幹線の中でヨダレこぼしての爆睡で取れているはずの小学生バージョンを期待していたが甘かった。
ビールをいつもの量を飲み終えると睡魔がやってきて、リクの首に右腕を回して横に滑り込んだのだ。リクは俺の気配だけで目覚めもせずに腕枕の微妙な修正をクリックリッとして胸に潜り込んできた。
(可愛い)
反対側ではノッコが、ガサッと覆いかぶさり俺の胸に顔を載せて安眠につく。
(可愛い)
クーラーが程よく効いた部屋でリクとノッコの頭を撫でながら寝る幸を感じた。
(ふぅ~さすがに疲れたな)
そんな事を思ったのが最後で俺はもう熟睡モードに突入したんだが、目覚めると即リクと目があい驚いてしまう。どうやら先に起きて俺の寝顔を観察中といったところだろう。
「おはようリク。ただいまだ」
なんとも嬉しそうな顔をしながら、ご挨拶のキスをチュとしてくれるリクだった。
まだ、そんな儀式的な事に胸をときめかす年頃だ。
俺は、リクを押し倒してウッディーTシャツに顔を埋めグリグリして胸の柔らかい感触と匂いに浸った。
(あー幸せだ)
続いてノッコにも両足つかんで仰向けにして同じ事をした。
(あー幸せだ)
朝の目覚めの儀式が済むと、着替えて歯磨き顔洗い散歩とルーティン開始だ。
朝食時には、寛美姉から初めて抱きつかれた記憶が刻まれた。
部屋にポスター貼り写真集を買うほどファンぶり発揮の真壁隼人のサイン色紙、それも『寛美さんへ』ときたもんだ。喜ばないはずがない。
証明写真も見せる。真壁隼斗と遠藤保津に挟まれた俺の写真だ。
「偶然見かけたんで、近くのコンビで色紙を買って追いかけた」
なんて、昨夜の母さんへの報告に続いてのウソをつき、心を痛めた。
博子姉には抱きつかれはしないが、そこそこの土産、アイドルグループ『雷電』の東京限定グッズの数々で喜ばれた。
そして俺は、昨夜、東京駅で偶然見つけて閉店間際の店で買った価値ありそうな上等プリンの詰め合わせを持ってスズの家にサプライズ訪問を企てていた。
スズは、なによりもプリンが大好きだ。
給食でプリンが出たら喜ぶし、俺のをやると喜ぶより、(なんでこんな美味しいものをくれるんだ?)不思議そうな顔をする。
「スズが倍喜ぶ顔が見たいからだよ」
そんな台詞も喜ぶスズだった。
その他は、ゆうパック便の到着待ちの東京バナナで許してもらうつもりだ。
ごめんミゴッチにオキョン+カレン。
スズの顔を夏休みが始まってから一週間、一度も見ていないのは俺が辛かったのだ。
リクとは、爺ちゃんちにも一緒に行くし、ずっと離れる事はないがスズは夏休みともなるとなかなか会えないのがたまらず 俺は、夕方になって涼しくなったのを見計らって、なるべくアスファルトを避けつつノッコを連れてスズ宅に向った。
(これまでのケースでいけば、スズママは期待できるぞ)
俺を突き動かしたのは、そんなもんだった。
▲ 心内会議 ▼
(だってさぁ、スズのやつ言ってたよな、ママ綺麗だって)
《ああ言ってたぞ。誰にも負けないって》
(スズからは、オーバートークは考えられない)
《考えられない。考えられない》
(うちの母さんのお手入れあってずいぶん垢抜けたスズは可愛く化けたよなぁ~髪も切られてたし)
《化けたぞ。化けたぞ》
(そして改めて知った。おチビちゃんだが、めっぽう可愛いことを)
《可愛いぞ。可愛いぞ》
(まるで、お人形さんだよな)
《お人形。お人形》
(あいつのママ期待大なあ。もしかして愛莉ママを静香様を抜いてランキング一位か)
《期待大だ!さぁ行こう!すぐ行こう!とっとと行こう!》
(おい、焦るなオレよ。せっかくスズのとこに行くんだ。ノッコも連れていってやらないとなぁ・・・)
《ああそうだな、この日中の暑さ・・・ノッコにはきついなぁ》
(だろう。ノッコもスズに会いたがってるし、ここは夕方まで待ちましょうぜ旦那)
《ウヘッヘへッそうじゃなぁ加羅屋さんよ、おまえさんも好きじゃのぉ~》
▽
という事で、俺はこの日は朝から自身の課題を片付けるのに時間を割いた。
最近、一番時間を割くのは人物デッサンでリクが犠牲になる。
ERIERIを見て応募しようと決めた、
『JAPAN 新人デザイナーファッション大賞』
に向けて木村佐和子ファイルから未来の超一流デザイナー作品をパクルにしても、それを表現できる実力は別途必要なわけで、俺はその腕を磨く事に力を注いでいたのだ。
それなのに・・・ハルカ先生の課題も難易度はあがるばかりだというのに・・・遊んでいる暇はないのに・・・本当に忙しいのに・・・
スズの喜ぶ顔見たさには勝てなかったのだ。




