熊の胆
「ボールドさん、こんにちは」
足音で振り返った彼にそう声をかける。こちらを確認したボールドさんはひと声掛けようとして、ソフィアさんを見て止まる。
「あー、お前さんナンパが上手いタイプには見えなかったがな。そっちの別嬪さんはどちら様で?」
「えっと、なぜか森の探索に付いてきてくれたソフィアさんです。中級冒険者ですよ」
ナンパ云々は完全に無視して話を紡ぐ。俺の会話技能ではこの手の軽口には対応出来ない。
「どちらかというとナンパしたのは私ね」
「そういや、何度か見た顔だな。あのおっさんはどうしたんだ?」
「二日酔いでダウンしてるわ。彼は朝不安げに掲示板の前をうろうろしているのを捕まえたの」
「ほぅ、なかなかいいセンスだな。こいつは育つぞ」
2人とも俺より身長が高いので当たり前だが、文字通り頭の上で会話が成り立っている。
大変に盛り上がっているが、だんだんと会話の内容が俺の批評になってきている。旗色が悪くなる前にさっさと仕事の話を振ったほうが良さそうだ。
「あの、今日は森へ行ってきたんですよ。そこで熊とやり合いまして」
ソフィアさんとの会話を切り上げてこちらに向き直るボールドさん。さすが仕事人はメリハリがある。
ソフィアさんは一歩引いて成り行きを見守ってくれるようだ。
「ほう、ここで話すっつーことは仕留めてきたんだな?」
「はい、血は抜けてますが他はそのままです」
「内臓もか?」
ボールドさんの眉が難しげに寄る。
熊の内臓は持ち込んではいけなかったのだろうか?
魔物の内臓は価値の無いものが殆どなのは聞いていたので、抜いて棄てるのが最良の対処だと分かるが、熊の内臓は価値が分からなかったのでそのまま持って帰ってきたのだ。
「そのままですけど……マズかったですか?」
「いいや、でかした。熊の腑には1つ価値の高いものがあってな」
「もしかして熊の胆ですか?」
こちらの世界ではどうか分からなかったが、前世では熊の胆のうは古くから消化器系の薬として珍重されてきた部位だ。
幸いなことに、生まれてこのかた病気知らずだったので薬の世話になったこともなく、薬の知識といえば一般的な胃薬程度の知識しか持ち合わせていない。
「おお、よく知っているな。熊胆には薬効があってな、良い値が付くんだ」
「やっぱりそうなんですね、形も部位の場所も分かりませんが」
「どれ、ちょうど手も空いているし、実物を確認しながら教えてやろうか。熊を出してくれ」
そう言うと前回ホーンボアを並べた場所を示されたので、言われた通りに仕留めた熊を出していく。大きな熊の遺体が袋から出ると、元から立ち込めていた血の匂いが濃くなった気がした。
「近場の森の平均よりは少しでかいな。どの辺にいた?」
「はっきりとは分かりませんが、居たのは小川の上流で獣の気配が濃くなった辺りから少し進んだところですね」
「ま、そのくらいなら例年並みか」
「自分で言っててなんなんですが、今ので通じました?」
「何となくはな、お前さんが言いたいのは気配というより痕跡の事だろう?」
「ああ、たぶんそうです」
あの気配の変わり方を言葉で表現するのは難しかったが、要は獣の痕跡が増え出す辺りは例年通りらしい。
俺の説明では通じるとは思えなかったがボールドさんは他の冒険者の情報も加味して判断したようだ。
「それで熊胆の場所だったな、よく見とけよ」
「よろしくお願いします」
言うが早いかボールドさんは、熊の腹に切れ目を入れたかと思うと、ナイフの背に付いた鉤のようになっている部分で腹を一気に開いた。そのまま内臓を掻き分けていく。
その手際はさすがプロといった様相で、動作を確認できたのは肝臓と胃の間にある胆のうが剥き出しになってからだった。
「これが熊胆だ。どうだ、分かったか?」
「すいません、あまり。これからも熊はまるごと納めたほうが良さそうです」
「そうか、まぁそのうち出来るようになるさ」
ボールドさんはフォローしてくれたが、解体を修めるのはまだまだ先になりそうだ。




