09_業魔
「祈り、か……」
差し向かいのアメリアは、慈愛の塊のような笑顔でそこに座っている。だが、俺はまだ釈然としなかった。祈ってプライムが治るなら、不眠不休で死ぬまで祈り続けたっていい。だが、いくら願っても何の変化もないから、こうして話をしに来ている。
「本当に、祈りでプライムは治るのか……?」
アメリアの目をじっと見る。アメリアは目を逸らさなかった。
「ええ。女神を信じ、祈る気持ちがあれば必ずプライムさんは救われます。スコウプさんが日々の暮らしの中で祈りを体現していけば、いつか必ずお二人は再会できますよ」
言い切った。そりゃまあ言い切るか。そう信じさせること自体が、教会の役目みたいなものだからな。
祈らなくても祈ったことになる、と言われてしまえば、祈らなければ治らないのか、という問いは無効になる。言葉のあやで絡めとられた気もしたが、要するに、プライムの回復を信じ続けろということだろう。そんなこと、言われなくても信じている。
「……俺の信心が足らないせいってわけでもないなら、プライムはいつ帰ってくるんだ。そもそもあいつ、今どうなっちまってるんだよ……」
ついに、俺の口から本音がこぼれ出た。
アメリアは一呼吸置いて、胸の中まで見据えるような強い視線を俺に注いだ。
「彼女の魂はまだ、女神の御許にはありません。ですから、くれぐれも、スコウプさんご自身が先に女神の御許に旅立つようなことがありませんように」
ぞく、と背筋に冷たいものが走った。まるで見透かされているようだ。昨日までの、自暴自棄になっていた俺を。
いつの間にか、アメリアの表情からは笑顔が消えている。真剣な目で、アメリアは続けた。
「プライムさんは、ご自身の身体の中に魂を囚われた状態。これは少なくとも、女神の御意思ではありません。何者の仕業かは分かりませんが、女神の定めた定命の祝福から遠ざけられているようです。このままでは、ややもすれば永遠に、プライムさんの魂は女神の許に向かうことはないでしょう」
下手な罵倒や説教よりも、キツいダメージが来た。たとえ俺が死んでも、プライムとあの世で一緒になることはできない、そういうことなのか。永遠にこのままかもしれないプライムと、刻一刻と時間を重ねて着実に死に近づいていく俺。まさか、そんな、そんなひどいことって。つまり。
「プライムは、死ぬことすらできなくなっちまってるのか……?」
試すわけにもいきませんからはっきりとは言えませんが、とアメリアは首を振る。
「少なくとも、窒息や絞首で命を落とすことはないでしょう。まだ長く経過をみたわけではありませんが、恐らく、経年による恩寵を受けられていない状態にあります」
経年による恩寵、つまり成長や老化のことか。
「それって、もしかして、不老不死ってやつか……?」
一瞬、不安になった。不老不死と言えば、誰もが憧れる究極の命の形態だ。もしプライムがそうだと言えるなら、そこから再び老いて死にゆく命へと引き戻すことが本当にプライムのためなのか。
「そう言えば聞こえはいいですね。眠ったまま、息つくことすらできない状態で永遠にありつづけることが、生きていると言えるかどうかは難しいところではありますが」
言われてやおら気づく。確かにそうだ。いくらなんでもこんな理不尽な状態を、プライムが喜んでいるとはとても思えない。死なないからといって、生きていない状態にいることが楽しいはずがなかった。
「慎重に見極める必要がありますが」
アメリアは一旦言葉を切り、少し押し黙ってから言った。
「私見では、業魔の仕業を視野に入れるべき、とは思っています」
「業魔……」
意味くらいは知っているが、神話以外の現実で、実際に語られるのを聞くのは初めてかもしれない。一個人の罪や弱さを越えて、女神の作ったこの世の理をおびやかす存在、だったか。要するに、女神が自力では排除できなかった相手というわけだ。神話を聞いている分には、単に女神に盾突く敵、とだけ覚えておけばいい。刺青の悪龍イーレヴォンも、確か業魔に認定されているはずだった。
「じゃあ、プライムは病気じゃなくて、業魔にこんな目に遭わされてる、ってことか……?」
アメリアは、困ったように苦笑してみせた。理解不足を嗤われているのかと思ったが違った。少しだけ身を乗り出して、小声で話しはじめる。
「本当は、教会がこんなことを言ってしまったら大問題なのですが……」
いたずらを持ちかける子どものように、アメリアの瞳が光った。
「業魔とされるものは、恐らく大半が、自然災害や病などではないかと私は考えています。大規模な疫病と思われる描写も、数多くあるのです」
例えば、とアメリアが語り出したのは、司祭メリウィードの神話だった。
79個の目を持つ業魔、悪鬼フルーギェスが地から這い現れ畑に立つと、大陸中の穀物は黒く立ち枯れた。人々は大いに飢え苦しみ、街には枯れ枝のような死体の山が積みあがる。司祭メリウィードが薬草園で祈りをささげると、女神は彼女に一本の赤く輝く薬草を与えた。メリウィードはその薬草で聖水を作り、フルーギェスと対峙する。だが、悪鬼の動きは素早く、メリウィードの投げる聖水は当たらない。フルーギェスが哀れな司祭を一飲みにしようとする直前、メリウィードは自分の身体に聖水を振りまいた。メリウィードを飲み込んだフルーギェスは三日三晩のたうち回ったのち、砂になって消えた。その痕が、カラマッツァの大砂漠だという。一般的には、自己犠牲の尊さや、非力な者の活躍を描いた神話として知られている話だ。
「この神話は、穀物の疫病を薬剤で鎮めた事例、と読むことができると私は思っています」
たぶん、聖職者として言ってはいけない言葉なのだろう。まるで秘密を打ち明けるような重々しさで、アメリアはそっと言った。
敬虔な信徒ではあるものの、アメリアの発想は恐らく、産まれた直後に洗礼を受けた利教徒とは違うのだろう。どこか客観的というか、信仰の外の視点を一つ持っているような気がする。
言われてみれば確かに、自己犠牲で悪鬼を倒す話なら、穀物が出てくる必要はないはずだ。人々を食らう悪鬼のほうが、司祭が飲み込まれる結末とのつながりもいい。
「医師ならば薬草で疫病を治癒した、とする事例を、私たちは業魔を鎮めた、と見るということです」
要するに、表現の違い、ということか。
「むしろ私は、薬草を研究し病を撲滅せんと奮闘する現代の医師の姿に祈りを感じるのです。その結果として薬が生まれるのなら、それは女神の恩寵ですから」
さっき言っていた話にも通じる。努力は祈り、結果は恩寵。日々を感謝して暮らす聖職者らしい考え方だ。でもやっぱり俺は、その考え方を好きにはなれない。自分の意思で努力して勝ち得た結果を、女神にかっ攫われているような気がする。
無意識にしかめっ面でもしていたのだろうか。
「むしろスコウプさんには、教会の薬草園の方が重要かもしれませんね」
畳み掛けるように、アメリアは言った。
「教会の多くは、畑の他に薬草園を持ちます。今ほど医療が進んでいなかった時代、人々の病を祓うのは教会の役目でした。今でも、門外不出で医師の手に渡っていない薬草は、たくさんあるのです」
「……つまり、教会の薬草なら、プライムの病気を治せるかもしれないってことか?」
アメリアは肯定も否定もしなかった。
「こちらの聖堂でも数多くの薬草を育てていますが、種が失われたものも含めて、全ての薬草が揃っているのはオルセンキアのラテラ大聖堂だけです。薬草の研究をしている司祭も数多く在籍していますし」
実は、私もプライムさんの祈祷に使う香炉や聖水には、毎回少しだけ配合の違う薬草を使ってみてはいるのですが……と、アメリアは言葉を濁した。
オルセンキアか。身動きできないプライムを連れて行くにはかなり遠い。今回みたいに気合と根性で走ってたどり着ける場所ではない。
アメリアはなぜか申し訳なさそうな顔をした。実際に業魔と認定されるには、教会側で諸々面倒な手続きだの会議だのが必要なのだと説明する。どうやらかなり厳格な指針があるらしい。そりゃまあ、慎重にもなるだろう。教会が気に入らないものを何でも簡単に業魔に認定してしまえたら、高僧の悪事は全て業魔のせいにできるし、皇帝を業魔に仕立ててクーデターを起こすこともできてしまう。だが逆に言えば、プライムを背負って苦労の果てにオルセンキアにたどり着いても、門前払いの可能性もあるわけだ。
けれど、門前払いなら結局、今と大して状況は変わらない。俺が少しばかり疲れるか否か、という違いでしかない。むしろ気になるのは、受け入れられた場合のほうだ。
「……仮に認定されたとして、俺たちの何が変わる?」
「劇的なことはないかもしれません。ですが、認定までの審査過程で教会が総力をあげて原因を追究することになるでしょう」
もしかしたら、その過程で治療法が見つかるかもしれませんし、とアメリアは言った。なるほど。確かに、多くの薬草を抱える利教の総本山が本気で調べてくれるまたとないチャンスと言えそうだ。
「今のところ、多くの命を奪う災厄、とまでは言えませんから、業魔と言い切ることはできません。ですが、今後多くの人々が同様の症状ともなれば災厄になり得ますし、何か別の災厄の予兆という可能性もあります。私は、事態が拡がる前に教会としてできる手を打ちたい、と考えています」
プライムを救うためというより、病人を増やさないため、ってわけか。正直、俺にとってそれは二の次だ。
「念のため聞くが、プライムの病気が業魔の仕業と認定されたとして、プライム自身の身の安全が脅かされることはないか?」
業魔ごと浄化するとかなんとか言って、火にくべられでもしたらたまらない。
「それはご安心ください。たとえ業魔に魅入られようとも、無辜の人々を教会が傷つけることはありません。神話の、刃魔ビスドールの話にもありますが、魅入られたルルロイの……」
また神話か。あまり覚えていないが、確か魔剣に魅入られた男の話だ。時の英雄が斬り捨てようとしたのを、司祭が止めて教会で預かり、長い時間をかけて浄化したとかしないとか、そんな話だったか。司祭を何人も犠牲にして、それでも祈りを諦めなかった、その例を引き合いに出すなら確かに、あまり無茶をやられる心配はないかもしれない。
「……どうすれば審査に入れる? ただ連れて行くだけでいいのか?」
「推薦状でしたら私が書けます。ですが、主教としてこの聖堂を預かる身、オルセンキアまで同行はできません。もし審査を望まれるなら、ご自身でプライムさんをラテラ大聖堂まで運んでいただくことになります」
無理にとは言いませんし、途中で気が変わってしまっても構いません、とアメリアは言った。
世界については実際どうでもいいが、プライムを救うのにそれしか方法がないなら、当然そうするつもりだ。俺にできることがあるなら、どこへでも行ってやる。なんだってしてやる。
思わぬ方向から、希望の光が差した。敬虔な利教徒なら、まさに女神のお導き、と頭を垂れるところかもしれない。だが、俺はそうする気にはなれなかった。これが業魔の仕業だというなら、打ち払えない女神の弱さを俺は憎む。そうでないというなら、その運命をお膳立てした女神を絶対に許しはしない。もしこれが女神の意思だというなら、俺が女神を打ち滅ぼし、運命を変えてやる。たとえ、俺自身が業魔と呼ばれることになろうとも。
推薦状の用意を頼んで、俺は大聖堂を出た。赤い夕焼けが、滴るように赤く西の空を覆っていた。




