9 笑顔を見せて
私達はバスを降り、ひすいちゃんのおばあちゃんの住む家に着いた。道案内システムを閉じると、一気に自分の動力残量が減っていくのが見えた。このシステムは、日本全国のどんな細道でも案内できる分、容量が大きかった。
「ハァ…」
呼吸をしなくても大丈夫な体なのに、思わず空気を抜く仕草をしてしまった。
「あー疲れた!お姉ちゃんも休みたいでしょ?早く入ろうよ」
「そうですね、入りましょうか。チャイムを_」
「「待ってたよ!2人とも上がりなさい!」」
「えっ…えぇ??」「わーい!久しぶりのおばあちゃんだー!」
バァン!と勢いよくドアが開き、ひすいちゃんのおばあちゃんが大声を出してきた。想定外の出来事に私は固まってしまった。ひすいちゃんの家族だから、このくらいが[普通]なんだろうな。おばあちゃんは70歳なのに、元気ハツラツ…という言葉が似合ってるなと思った。
「すみません、上がらせていただきます」
☆☆☆☆☆☆
「コンセントはこっちね、充電でもするの?その…エイチエム…?」
おばあちゃんはスマートフォンを見て言った。予め通知を送信しておいたから、私がアンドロイドだということは知っているようだった。
「詩織、でお願いします。そう呼んでください」
「確かにその方があなたらしい。しっくり来るね」
ああ、やっと充電できる。私は耳の上にあるヘッドギアにプラグを差し込み、充電を始めた。そんなに気にしてなかったけど、電気が身体中を流れていく感覚って…何だろう…どこかで?
<バチバチッ!ピシャーーーン>
「____〜〜ッ!!!!」
ショートする直前の記録が、いきなり私の頭の中をよぎった。あの時は何も感じられなかったけど、今はとても”怖い”出来事になった。視界が滲んでいく。駄目っ、ここで涙なんて流すものじゃない、落ち着いて!
私は急いでスリープモードに移行させようとした。
「ちょっと待って、お姉ちゃん。これ食べて元気出して!」
ひすいちゃんが、私に何かをフォークに刺して渡してきた。それはスフレパンケーキのかけらだった。えっ、食べる?私がそんな事出来るの?流石に高性能でも、アンドロイドが人間の食べ物を美味しく感じられる訳があるの?その機能があったことは知っていたけど、今試す時が来たんだ。
「あ、ありがとうございます。いただきます…」
それを口に含むと、何故かポロポロと涙が出てきてしまった。これって…この感情は…悲しみの涙じゃなくて…
「お、美味しすぎるっ!」
頭の中を刺激が駆け巡った。ふわふわと口の中で溶けていくケーキは、まるでクリームのようだった。
「そう?ありがとう。昔からよく作ってたからねぇ。でも、実はスマホでレシピを見ながら作ってたのさ」
あぁ、スマートフォンで。検索エンジンで調べればすぐにスフレパンケーキの作りか_あれ?私、何かに閃いたかもしれない。
「ええ!?初耳だよ」
「最初は誰も作れないだろう?スマホって便利だねぇ」
おばあちゃんは悪びれもなくサラッと言った。
私達が帰る時、彼女は少しだけお母さんについて話した。
「愛衣は昔からせっかちでね、スフレパンケーキを作ってる間もまだかな、まだかな〜って言ってたよ。だけど、食べてる時は落ち着いてた。…ひすい、それに詩織。また来な、いつでも待ってるから」
「うん!じゃあね!楽しかったよ」「ありがとうございました。今度は、体調を万全にして来ますね」
私は私なりの方法で、お母さんを。家族みんなを。笑顔にしてみせると決めた。
☆☆☆☆☆☆
新しいイラストのインスピレーションが湧かず、部屋の中で愛衣は頭を抱えていた。締め切りが近いというのに、下書きの紙を何枚も書いてはグシャグシャにしている。
(若い頃はこんな事、無かったのにな。天才とか言われてた私はどこ行ったんだか。あの人、今日も遅いのかしら…)
トントンと、仕事部屋をノックする音が聞こえた。どうせあのアンドロイドが居るのだろう。しばらくすると、男性の声が聞こえた。
「愛衣!出てきて!!俺だよ」
ドアの向こうに居たのは意外な人物であった。ひすいの父親かつ愛衣の夫の宗一だった。
「あ…あなた…!?おかえりなさい、驚いたわ。めったにこんな時間に帰ってこないじゃない」
宗一はニヤリと笑った。愛衣は開いた口が塞がらない。何やら、キッチンの方から匂いがする。
「社長権限で、今日は社員全員を定時で帰らせたんだ。それに…ちゃんと、家族[4]人で話した事がないだろう?だから、とりあえずリビングに行こう」
リビングの食卓には、いつもより豪華なメニューが並べられていた。ひすいはいつになく落ち着きがなかった。
「お母さん、今日が誕生日なんでしょ?まぁ、お姉ちゃんがほとんどやってくれたんだけど…コレ!一緒に頑張って作ったの」
愛衣は今日が自分の誕生日だった事をすっかり忘れていた。いつもお手伝いに頼り切りだったひすいが、最近家族になったばかりのアンドロイドと協力してスフレパンケーキを作ったというのだ。自分の母親が作ったスフレパンケーキとは違い、大きなパンのような見た目になっていたが、食欲をそそられた。
「少し、失敗してしまいました。失敗させた、というのが正しいのかもしれませんが」
と、詩織は言う。その言い方からすると、ひすい自身が率先して作ったようだ。
「分かった。食べるよ」
それはとても愛情がこもっていて、口にした瞬間愛衣の顔から笑みがこぼれた。まるで張り詰めていた心が綻んだようだ。
「ひすい、ありがとう。最高のプレゼントだわ。思い出の味がまた一つ増えちゃったわね。…詩織。今まで冷たく当たってごめんなさい。私、ほんっっとうに馬鹿だった!」
素直な感想と謝罪に、ひすいと詩織の二人は驚いた。
「全員で夜ご飯を食べるのは何ヶ月ぶりかな?詩織のご飯はいつも考えられてて美味しいけど、今日は格別だな」
「ありがとうございます。私も、味覚センサーが検出できない何かを感じます。これが愛情なのでしょうか」
「今のめっちゃロボっぽい!結構昔の映画っぽい!」
「ひすいちゃん、今の言葉を訂正してください。私はまずロボットではなく…」
詩織は家族で同じ食事を取ることの大切さを痛感した。毎日は無理かもしれないが、土日や祝日など、週に2度は家族全員で食事をする日を決めようと話し合った。