015話 軽いお仕事
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日本には元来、伝統と言う名の固有の戦闘スタイルというものがある。侍は剣術、力士は相撲、忍者は忍術、活人不殺の古武術・柔術、殺人必殺の古武術・柔術と様々…その中でも“魔法剣術”と言えば圭太の実家である寺門家。“魔法柔術”と言われれば雪菜の実家である薊磧家が有名だからだろう。武と魔法を融合させそれを己の血肉と成し得た表の成功者達。
しかし表舞台に上がらないだけで、その筋の界隈では有名な名家というものは何処にでも存在する。それが今回、騒動の黒幕として名前が挙がった軍少将である蔵元 尚十郎だ。この男の実家は甲賀の流れを組む忍者の家系、そして隠密を生業にしてきた忍術使いだった。もちろん素粒子力学が世に広まるまでの蔵元家が、漫画やアニメの様な火を吹いたり、分身したり出来たわけではない。
どちらかというと気配を薄くする、相手の癖や仕草から心理掌握をする、驚異的な身体能力がある…など現実的な諜報一族と言えた。しかし素粒子力学が世に広まった時、この家はどこよりも早くプライドなどは軽くドブに捨て、魔法という技術と元来伝わる隠密術や暗殺術に取り込み、煌びやかな功績を打ち立てて、見事、真の名家の仲間入りを果たしたのだ。
「蔵元少将。」
「む、山本か。どうした、お前がここに来るとは。」
高級そうな執務椅子に深く腰掛け、その巨躯を預ける老齢の軍人…蔵元 尚十郎。もう直ぐ還暦を迎えるというのにも関わらず、漲る様な雰囲気で実年齢よりも若く見えてしまう。
「はい、例の脱走事案に関して依頼を出した会社より報告が上がってきましたので。」
山本と言われた三十代後半と思しき軍服の男は、そう言いながら蔵元へ詳細が綴られた書類を手渡す。
「…保護対象の消失だと?山本、これはどういう事だ…俺は言った筈だ、“存在を隠せ”とな。」
「それは…」
“存在を隠せ”とは言うまでもなく隠語。その本当の意味は、“秘密裏にあの少女の力を手に入れろ”。軍の研究成果としてではなく、蔵元家の利益として、脱走を左枝少尉がするように仕向け、表面上はイムホテプを派遣して体面を取り繕う。そして水面下で密約を交わしたジョセフに少女を攫わせ、その力を蔵元家のものにする手筈だった。
足が付くのを避けるため、ジョセフに連絡が取れるのは約二日後、それはでは真偽の確かめようがない。その為どちらにせよ、一時的に書類に書かれている情報が正しいとした前提で、対策を練らなければならない。
「…戦闘時の魔法の余波により脱走兵と被験体の両名が死亡。さらにその後、ジョセフによる建物の爆破により死体回収は不可。事実証拠として死体の一部を提出する…一部か、建物からは見つけられんのか?」
「はっ、女性のもと思われる耳が二つ。成人女性と少女で、DNAは一致いたしました。建物は高層ビルが全壊した為捜索にもかなりの時間を要するかと…」
「耳か…状況的に徴収しやすい柔らかい部分を選んだ…ちっ、民間に任せたのが間違いだったか。」
「如何いたしますか?」
「…仕方あるまい。被験体が死んでも、こちらにはその基となる研究データと素体がある。もう一度生成に当たらせろ。それと家から回収部隊を秘密裏に回す、上手く使え。」
蔵元は苛立ちを抑えながらも山本にそう指示を飛ばし、もう用はないとばかりに手を払い退室を促した。山本はそれに頷くと敬礼し退室、静かになった部屋に蔵元の舌打ちが静かに響いた。
「ちっ…使えんやつだ。女子供の一人や二人、満足に処理できんとは。それに存外、あのジョセフとかいう男も使えんときた。」
今回密約を結んだ国際指名手配犯であるジョセフ。軍将校が犯罪者と取引をしたとなれば、大きな不祥事だが、結果バレなければなんの問題もない…というのが蔵元の考え方で…問題とは、バレるから問題なのであるという考えを素で行く男だ。
それよりも気になる点が書類に記載されていた事を蔵元は思い出す。
「流れ弾で死亡…流れ弾か。」
流れ弾という単語がどうも思考の網に引っかかる。魔法戦において中距離以上の魔法を使う場合、制御が甘かったり、軌道が逸れるということは十分あり得る。だがそれは年若い魔法師に多く、制御も戦術も甘いからこそ起こるもの。
だが今回、脱走事案に関して依頼した民間企業の主要メンバーが記載された書類のページを見て、疑惑は勢いを増す。
「土方だと?あの【修羅】か?だとしたらますますあり得ないぞ。」
土方の前職は魔法警察官であり、その実力故に【修羅】という通り名が蔵元の耳にまで届いていた。魔法警察官にしておくのは惜しいと考えた陸軍上層部が、土方に熱烈なラブコールを送っており、その中には蔵元の率いる部隊からも推薦状を出した記憶があった。
故に、おかしい。
「…【修羅】が流れ弾?あり得ん、奴は接近戦闘を得意としている。屋内戦となれば尚更流れ弾が起きるような魔法を使うはずがない…虚偽報告か?だとしても奴にそれをやるメリットがないはず……誰だ?」
湧き出る疑問と疑惑。誰もいない執務室にて考えに耽る蔵元だが、流石は少将と言うべきか。自分の敷いたテリトリーに突如出現した異物。今迄の思考をバッサリと斬り捨て、座ったまま、重く呟く。
「…耄碌していると思いきや意外に反応が良かったな…貴方が蔵元 尚十郎で間違い無いかな?」
前半は自分の気持ちを吐露し、後半は対外的な態度で語りかけた侵入者。蔵元とて未だに現役バリバリの軍人、しかも隠密や暗殺を得意とする魔法師だ。表情にこそ出さないが、内心では小さく驚いた。
「(私の索敵を掻い潜りここまで来るか…)今日は来客の予定は無いはずだがな。」
「客ではないのでその通りです。私は純粋な貴方の敵ですから。」
「……。」
いけしゃあしゃあと口に脂の乗った侵入者は淡々と喋る。侵入者は蔵元から死角に当たる位置取りをしているため顔は確認出来ないが、声からしてかなり若いと踏んでいた。
「敵性魔法師の侵入を易々と許すとは、部下たちの訓練行程を見直す必要があるな。」
「いえいえ、気配りや気配の断ち方は中々のものでしたよ?」
蔵元は侵入者の話に付き合うフリをして、ゆっくりと気取られない様に細心の注意を払い魔法を構築して行く。魔法は、最速で行使しようとするほど“素粒子の波”が荒くなる。魔法は基本的に相手よりも早く構築することが最も重要とされているが、そうすると魔法の定義や構成、変数の調整が粗くなり、術者の周りに“素粒子光波”という波状紋が大きく現れる。この波状紋は魔法師ならば誰でも知覚できる為、それだけで気取られる可能性が高くなる。
しかし丁寧にゆっくりと、時間を掛けて凡ゆる粗を取り除き構築した魔法術式には、殆ど波状紋は現れないし、それだけ相手に兆候が気取られにくい。万全を期し、確実に仕留める…
「そうか。おっと、そろそろ私は行かねばならんのでな…お前だけ逝ってくれ!」
言葉の一拍。その間に蔵元は椅子から侵入者の背後へ一瞬で回り込み、手に持ったナイフに魔法を付与、それを振り下ろした。時間にしておよそ1秒と掛かっていない。侵入者の延髄を断ち切ろうと振り下ろされる刃…それには魔法で生成された即効性の毒がたっぷりと塗り込まれており、掠っても死に至るほどの猛毒だ。ナイフがもうすぐその命を刈り取ろうとした時、ぐるんと首だけが後ろへ向き、無感情な瞳を持つ侵入者と目があった。
「…それは悪手だ。」
「ぐもっ!?」
侵入者は振り向きざまに蔵元の持つナイフを逸らし、手で顔面を鷲掴みにする。万力の如き握力、ギリギリと食い込む指に苦悶の表情を浮かべる蔵元だが、口が塞がれている為叫ぶこともできない。
「毒なんか塗らなくたって、刃が急所に刺されば人なんてそんだけで死ぬんだ。なら本当に魔法を使っとくべきだった場面はなんだと思う?」
「ぐむっ!ぐむむ!むっ!?」
「俺の後ろに回り込む時だよ…【乗返し】」
「ぐむ!ぐぐっむ……」
人間なんてその程度、と言わんばかりの侵入者…定春はそれだけ言うと蔵元の顔面をトマトの様に握り潰した。ゴキグシャ!とあまり聞きたくない様な不快な音と共に蔵元の巨躯から力が抜ける。時よりピクピクと痙攣を起こし手足が動くが、頭部だったであろう場所にはミンチ状の何かがあるに過ぎない。誰がどう見ても死んでいる。
「えーと、パソコンはっと…あれか。」
反応の消えた蔵元の死体を無造作に放り投げた定春は、着ていたムーバルスーツが真っ赤に染まるほどの返り血を浴び、それを機にする様子もなくお目当てのパソコンを操作していた。
「(研究資料に、研究費私物化の証拠、それに…出るわ出るわ反吐がでる実験画像。帰ったら土方さんに相談して、大々的に掃除をする必要があるかもな…)」
それらのデータを全て記録端末へと転送し、もう一度部屋をぐるりと見渡した。他に有力な情報はないか一通り見ると、ふと一つのファイルに目が止まった。それには今回の事案とは関係ない、定春が個人的に関係のある事が記載されており、ついでとばかりにそのファイルも拝借する。
「…まさかアンタも関係者だったのか。早く言えば直ぐに殺さなかったのに。」
定春は蔵元だったものへとゆっくりと目をやる。最早顔面が限界を留めていない程にひしゃげたモノ。そんなモノを見る定春の表情は…
「ゆっくりと最上級の激痛と苦悶の末に、殺してくれと懇願するまで痛めつけたのに…」
無表情の内に激情の炎が燃えたぎり、その瞳孔は開ききっている。普段を知る学校の同級生が見れば卒倒レベルのトラウマを植え付けかねない程だ。しかしそれ程定春に時間があるわけでもない。急ぎ元来たルートを引き返し、基地から脱出する必要がある。
定春は急ぎ長廊下をひた走る。兵士の死体と臓物が撒き散らかされた、地獄絵図と化した廊下をただ一人。