#9 自分のために、想いのために
声を聞いた。
守ってあげてほしい、と。
それは祈りだった。
よく知っている声とは、どこか違う。
でも、親しみがあって、近しい声だった。
俺は。
祈りを聞いていた。
私はもう、隣にいられないから。
代わりに、守ってあげてほしい。
……フルル。
※ ※ ※
真っ白の空間にいた。
どこまでも、白。
……いや、無。
無、だ……これは。
二本の足で立っているはずの地面が、なかった。
ないのに、立っている。
「ここ……あ、え?」
今、声が出た。
どうして、なんで。
そういえば、足がある?
手のひらもあった。
覚えのある手のひら。
前世の俺の手のひら。
高校の制服を着てた。
顔は、髪は……鏡がないからわからない。
でも、手で触れた感じ、知ってる感覚だ。
俺はぬいぐるみだった……はず。
まさか、死んだのか……?
そんなはずはない。
魔力回路が破壊されなければ死ぬことのない俺が……破壊されたのか?
いつ?
記憶にない。
「……だれ?」
声を聞いた。
よく知ってる声。
「……ティア」
少し離れた場所に、ティアが座り込んでいた。
彼女は驚いた顔をして、俺を見ていた。
声をかけないといけない。
でも、なんて?
怖かった。
また傷つけてしまうんじゃないか。
そうやって傷つけてしまうことで、自分が傷つくのが怖かった。
ティアは俺にとって、ガラスの破片だった。
下手に触れれば、切れてしまう。
血が滴る。
でも、こうしているわけにはいかなかった。
ティアを助けるために、ここまで来たんだから。
「来ないでッ!」
悲鳴だった。
一歩を踏み出した俺を、ティアは怯えた目で見ていた。
「……来ないで」
弱々しい声。
反らされる横顔……青白くて、生気に欠けていた。
憔悴仕切っていた。
手を伸ばした……落とした。
口を開いた……閉じた。
肩をあげた……落ちた。
何も、できなかった。
俺は何のために、ここに来たんだ。
助けるため?
そのはずだったのに。
俺は何のために、ここにいるんだ。
「……ここにいたら、ダメなんだ」
「……やだ」
「どうして!」
ティアは俯いていた。
そうしていれば、すべてを耐えていけるとでも思っているかのように。
でも、耐えられなかったから、こんな場所に引きこもってしまったんじゃないのか。
……あぁ、そうだ。
そもそも、ここはどこなんだ?
俺は、どこにいるんだ?
どこに、閉じ込められているんだ?
「……いらない子、だから」
聞き逃しそうになった。
弱々しく、頼りなく、儚い声。
だというのに、人の心を締め付けるのには十分な声。
「……だから、いいの」
「よくない。よくないよ。ティアをいらない子だなんて誰も……」
「思ってる!」
今度は激しい声だった。
憎悪に歪んだ瞳を、涙に濡らして、俺を睨み据えていた。
「私は何もできない! 何もできなかった! お母さんのことも……フルルのことも……何もできない!」
悲痛。
「私が守るって、助けるって決めたのに、また何もできなかった! また守られたんだよ!」
……何を言って……あ。
「コスティの魔術から守った時のこと……」
「そうだよ! 今度こそ手放したりしないって! ……約束したのに……こんな私をフルルは守ってくれて……」
叫び疲れたのか、ティアは黙り込んでしまった。
きっと、それだけではないのだろうけど。
俺は何も知らなかった。
ティアのことを、何も知らない。
母を助け出すとか、そんな話をしていたのも覚えてる。
でも、そこにどういう経緯があるのかも知らない。
助ける、守るって言ってるけど、そこにどれだけの思いがあるのかを知らない。
知らないこと、ばかり。
こんな時に、ネルの声を、怒りを思い出す。
『あんた、ティアの人形なんでしょ! なんで、こんなところにいるのよ! 支えてあげなさいよ!』
その通りだったんだ。
あの生意気な小娘の方がわかってたんだ。
……俺のしてきたことは、間違ってたんだ。
言い訳して、欺瞞で飾って、逃避して、自分の行動を正当化していただけじゃないか。
そうじゃなかったんだ。
ティアが拒んだって、俺はずっと、そばにいるべきだったんだ。
それがぬいぐるみの、務め、だったんだ。
「……ティア」
俺はもう、手遅れなんだろうか。
ぬいぐるみとして、失格なのだろうか。
隣にはいられないのだろうか。
もう、ティアの微笑みを、見ることもないのだろうか。
気づけば走り出していた。
「……ティア!」
叫んでいた。
「いやっ!」
ティアは悲鳴をあげる。
手を伸ばす。
唐突に現れた壁が、邪魔する。
乗り越えようとしても。
脇を抜けようとしても。
壁が現れては、ティアから遠ざけようとする。
ティアを守ろうとする。
「ここにいたらダメなんだ!」
ここにいれば傷つくこともないかもしれない。
でも。
ティアが拒んだって、泣いたって、関係ない。
だって。
わがままだって分かっていても。
俺は。
「好きなんだ!」
ティアのことを何も知らなくても。
あの微笑みを向けられた時、嬉しかったんだ。
この笑顔、守りたいと思ったんだ。
これが好きって気持ちかは、今はわからない。
保護欲に過ぎないのかもしれない。
それでも……嘘でも、真実でも、なんだっていい。
どうだっていい!
「大好きなんだ!」
どんな言葉をかければいいかなんて、わからない。
滅茶苦茶だってことは、わかってる。
だからと、この手を伸ばすことをやめてしまったら。
終わってしまう。
「愛してるんだ!」
※ ※ ※
唐突に、壁は消えた。
伸ばした手は……。
※ ※ ※
「フルル!」
名前を呼ばれて、ハッと目が覚めた。
コスティの顔が目の前にあった。
「……やっと、目が覚めたか」
ここは……?
目線を動かしていると、コスティが教えてくれた。
「学生寮の外だ。お前の力が借りたい」
なんのことだろう。
ぼんやりと周囲を見ると、自分の周りには数人の倒れたローブ姿の生徒がいた。
その中に、ティアがいて、一瞬で目が覚めた。
「アルテミシアさんは無事だ。お前たちはあいつから吐き出されたんだ」
コスティの指差す先に、化け物がいた。
学生寮を飲み込むのではないかという、巨体。
かろうじて人型を保っているが……なんだ、あれ。
「暴走した魔人形の成れの果てだ。今は衛兵が動きを制限しているが、この場の魔力を奴が全て吸収してる。我々では満足に力を出せん」
そう言われれば、あの怪物は、不可視の何かに争うような仕草を見せていた。
それと……俺にはわかるが、確かに、周囲の魔力があの化け物に吸い取られていた。
これでは魔術師であるコスティも満足に力は使えない。
……あいつ、暴走したのか。
俺が存在意義を奪ったから。
もう、暴れるしかないんだ。
「フルル」
俺は耳を縦に振った。
体はぬいぐるみに戻っていたし、損傷は治っていない。
唯一、コスティが補充してくれたのか、魔力には満ちていた。
ただし、体の欠損箇所から魔力が漏れているのがわかる。
長時間の稼働は期待できない。
それでも、俺はあれを止めないといけない。
「君の黒魔人形としての力で、あれを破壊してほしい」
俺はあれを、止めないといけない。
ティアが作った魔人形だ。
これ以上、ティアから奪うわけにはいかない。
※ ※ ※
しかし、近寄るには骨がいりそうだった。
なんせ、近いほどに魔力を吸い取られるからだ。
何の魔術かはわからないが、暴走した魔人形の動きを制限している衛兵たちも、可能な限り、距離を取ろうとしていた。
「戦士ギルドに要請は出したが、それまで抑えられるか微妙なところだ」
コスティはそう言った。
このままだと、あの魔人形によって魔力を吸い上げられてしまう。
そうなれば……近くで横たえられているティアも危ない。
さっさと遠くに運搬しろ、と言いたいところだが、魔力枯渇に陥ったものはすぐには動かせない様子だった。
「君はあの魔人形に接触し、食うんだ。君の食事は魔力を奪い取ることができる」
本気で言ってるのかと疑った。
近寄ることもそうだが、どっちが先に吸い取られるかも分からない。
俺が奴の魔力を抜き取っている間に、俺の方が抜き取られるかもしれない。
そうでなくても、破損した体で魔力が漏れているのだ。
「やってくれるな」
頷くしかなかった……が、考えていた。
どうすれば、あの魔人形を救い出せるのか、と。
方法は思いつかない……が、魔力を吸い取るうちに、あれも大人しくなるかもしれない。
全部抜き取ろうとすれば、壊してしまう。
あれに近寄る方法は一つだった。
ベアが最後の力を振り絞って、あの魔人形に俺の体を投げるという、ストレートすぎるものだった。
チャンスは今、あの魔人形が動きを止めている間だ。
「やるクマよ」
ベアも魔力を吸い取られているからだろう。
少し気だるげな様子だったが、まだ元気は余っている様子だった。
「口は閉じめてるクマ」
ベアが振りかぶる。
俺は耳をなるべく体にくっつけて、形を球体に近づける。
ググッと、ベアが腕を引いた。
ぶん、と空気を裂く音を聞いた。
同時に体が宙を飛んでいた。
狙いは正確。
さすがは、しょっちゅう、人の体を投げてるだけはある。
見事に魔人形の首のあたりに取り付くことができた。
すぐに口を開いて、がぶりと噛み付いた。
その時だった。
「ギャアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
魔人形が悲鳴をあげた。
耳をつんざいて、鼓膜を破るんじゃないかという叫びだった。
幸い、俺に鼓膜はない。
しかし、巨体から発される声だ。
ビリビリくる振動には耐える必要があった。
しっかりと、耳で首にしがみつき、魔力を抜き取る。
「っ!」
いきなり、重力が強くなった。
いや、そうじゃない。
これは……魔力が一気に削り取られていた。
ふらついた意識を回復させようとして、口を離して、頭を叩き付けようとした、その瞬間だった。
魔人形が暴れ出した。
拘束が解除されていた。
どうして。
ここからじゃ何もわからない。
ただ、暴れる魔人形相手にしがみつくのは難しかった。
宙に放り出されていた。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」
空中で。
巨大な手のひらに、ブッ飛ばされていた。




