お祈り
窓から光が射し込み始め、目が覚めました。ガルド様は夜の間は下々の者に目を掛けるとされており、日が昇ってからは漸くお眠りになる時刻。わたくしはベッドから抜け出し、ガルド様の像の元へと向かい、両膝を着いて頭を下げながら朝の祈りを済ませます。今日という日を与えて頂いたことへの感謝と、どうかゆっくりと御休み下さいますように、と。
まだ早朝も早朝。院の子供たちは当然未だに夢の中。ひとまず子供たちの朝御飯を作るため、ぺたぺたと足を鳴らしながらキッチンへ。
このキッチンはコハルが大部分を作ってくれていて、少し高価な冷蔵庫やコンロ、水道を誂えてくれまして、家計的にも健康面的にも大助かり。物が腐ることもなく、熱で消毒が可能で、いつでも綺麗な水が出てくるというこれ以上ない設備。
わたくしは勉学を教えることや、怪我を治療をすることは出来ますが……その他は全くと言っていい程に出来ません。ですから、わたくしはガルド教のシスターとして働きつつ、地域の勉学の場を設け、時には診療所としてもこの教会を開くことで何とか孤児院の経営を続けてることが出来ています。とはいっても、やはり金銭面的には厳しいものですが。
そんなことを思いながらキッチン裏の勝手口を開けると、そこにいたのはわたくしよりも大きな兎のヌイグルミ。右目のボタンが外れていて、代わりに縦に縫い目がありますから……この方は多分、セイジュウロウさんですかね。
セイジュウロウさんはバスケットを抱えながら明るみ始めた空を眺めていました。もう少し休みたかったでしょうが、配達をしてくれて申し訳無いです。
「セイジュウロウさん……ですか?」
「……」
呼び掛けるとこちらを振り向き、ひとつだけ縦に頷きました。そして抱えていたバスケットをこちらへと差し出してくれて。
「ありがとうございます。ルーちゃんやリオから伝言はありますか?」
「……」
ゆっくりと首を振るセイジュウロウさん。
「今日もありがとうございました。どうか御二人にも宜しく御伝えください」
「……」
それからひとつだけお辞儀をすると、そのままクルリと身を翻して立ち去っていくセイジュウロウさん。今でこそ、この国にも馴染んでいますが……当初は大変でしたね。ハウクス共和国の七不思議のひとつに、『夜中から未明にかけて蠢く呪われた縫いぐるみ』という物がありましたね。実際に出会ってしまった方が気絶してよく運ばれてきたものです。
実際には、わたくしの教会へと野菜を配達してくれていただけなのですが。食費は随分と掛かりますから、とても助かります。今日は……キュウリとピーマン、ナスににニンジンですか。とても色艶がいいですね。
バスケットから目線を外し、立ち去るセイジュウロウさんに目を向け――
……カラスを追いかけ回す縫いぐるみが目に入りました。はぁ……あの方はどうして鳥を見ると追いかけるのでしょうか。両手を上げて高速スキップしながら追い掛けてますね。早起きして散歩をしている御老人たちは微笑ましく見てますし。これも当初からは想像もつきません。あの頃であれば、あの御老人は叫んで卒倒、わたくしの教会へと担ぎ込まれてから敬虔なガルド教徒となっていたでしょう。
と、その時でした。わたくしがとある気配に気付いたのは。足下の石を拾い上げ、微笑ましく見ていた御老人たちのうち、ベンチに座る杖を持ったお爺さんを見据えて――
「――ふっ!」
全力で投げました。それはもう渾身の力で。
放物線ではなく直線を描いた石ころは、お爺さんのすぐ隣を通り抜け、座っていたベンチを砕き、後ろにあった木の幹にめり込んで止まっておりました。
そして、お爺さんもベンチは跡形もなくなっているのにも関わらず、相変わらず座った姿勢を維持していて。空気椅子なんて、普通のお爺さんでは無理、ですよね。
周りのご老人の方たちは騒然としていましたが、笑顔を浮かべながら空気椅子をする謎の老人を見て、あぁ、と納得をしていた様子。
それもそうでしょうね。このような事をするのは、数日に1回の頻度で、その正体は決まって奴なのですから。
「エルルム。数日見ない間に随分と歳を取りましたね」
「ふぉっふぉっふ――」
「死にたいのですか?」
「いやはや、ご勘弁を願いたいですね」
髭を撫でながらしらばっくれようとしたエルルムを見て、わたくしがひょいっともうひとつ石を拾い上げると、すくっと立ち上がり、どのような作りなのかは分かりませんが顔をべりっと剥がしていつものエルルムが現れました。暗い紅の長髪と眼、男性とも女性ともとれる中性的な顔……ここまで整っていると腹が立ちますね。
というか、皮膚を剥がすようにしてましたが……痛くはないのでしょうか?いえ、どうせだったら激痛に襲われてのたうち回ってほしいのですが。
「おっと、何やら悪寒が」
「相も変わらず鋭いですね。わたくしが顔を剥が……剥がそうとしていることに気付きましたか」
「おやおや、何やら大変なことを口走りましたね。言い直せてませんよ、クレアさん?」
「安心なさい、わざとです」
「いやはや、これはやられましたな」
ぺしっと額を打つエルルム。いつの間にかわたくしの左手が握り込まれ、持っていた石ころが砂と化していました。久し振りですね、こんなに苛つくのは。……いえ、エルルム相手だといつもこうでしたか。昔から、何も変わりないですね。
「それはそうと、どうして朝からあんなところで変装をしていたんですか?」
「日課です」
「ど迷惑な日課なので辞めていただけませんか」
「巡回も兼ねておりますし……」
「その熱意だけで生きていて欲しいものです」
実際、エルルムが巡回を行っているお陰で、この国の治安が良くなっていることは確かなので強く言いづらいものです。スリ師が盗んだものを盗み返し、盗まれた方にソッと戻す手癖の悪さったら……感謝されこそすれですが、一瞬で行うが故にエルルムの善行を知らない人も多く。……わたくしはエルルムの善行には眼を瞑りますが。
それに、素直には認めがたいものですしね。エルルムのお陰で治安が良くなっている。確かにそうでしょう。犯罪の検挙率、未然に防ぐ割合、騎士団や自警団の連携であったり戦闘技術の高さは周辺諸国を凌駕するもの。それが全て――
「いたぞ、ノノンノだ!」
「くそっ、今日は老人に化けていたのか!」
「畜生、どうしてあの牢屋から逃げられるんだよ!」
「あいつを捕まえれば臨時報償金……!」
血走った眼で駆けてくる鎧姿の騎士団と自警団の団員たち。鎧を着ているというのに身軽な人たちで、この国の精鋭部隊。そんな人たちがどのように育てられたのかと言えば――
「……エルルム、今度は何をしたのですか?」
「はて……悪徳貴族の金目の物を盗んで寄付したことでしょうか?それとも路地裏でスリ師にお話をしたことでしょうかね……あぁ、大通りでスライディングしながら下着チェックなんかもしましたか」
「本当に害獣ですね」
この前科持ちとの鬼ごっこ……いや、鼬ごっこで日々鍛えられているという……あぁ、嘆かわしいです。
それこそ、この国以外であれば、近衛や幹部くらいの上役に就けるというのに……こんな変態ただひとりを捕まえるために訓練をした結果、とてつもない能力を持つようになったとは。
「では、次の日課が始まりますので、失礼致します」
嬉々として去っていったエルルムと、それを追い掛ける団員たち。七不思議にも数えられる、どうしても投獄出来ない変態。
最近では受け入れられすぎて、住民たちは捕まるか捕まらないか、何日で脱獄するかの賭け事をしているとかしていないとか。
わたくしは堪えきれなかった溜め息を吐いて、教会へと足を向けました。本日早々に二回目となってしまいますが、早くガルド様への祈りを済ませるとしましょう。あの変態が、一刻も早く牢屋にぶちこまれて出られなくなりますように、と。




