性別
「おっ、覚えてろよっ!」
「すみません、私は無駄なことは覚えない主義でして」
足を引き摺り、意識の飛んだ男に肩を貸しながら去っていく背中にひらひらと手を振って見送ってあげる私は、何と優しいのでしょうね。その対価は少しの痣と財布を拝借するだけ。武器やその他の金目の物は取らずに置くこの優しさ。
長くなってきた髪を弄りながら、これが他の方に絡んでいたらと考えて……ぶるりとひとつ震え、あぁ怖いと心の中で漏らします。
土に埋まるのがいいのか、はたまた氷漬けにされるのがいいのか。瀕死と全快を繰り返すのは辛いでしょうし……ファンシーな縫いぐるみに国外まで殴り飛ばされる、なんて特殊な体験も遠慮したいですね。楽器で殴打された挙げ句にあること無いこと吹聴されて恥を晒すことはもっての他ですし……
とまぁそれはさておき、私はくるりと後ろを向いて未だに悪漢に絡まれたショックからか縮こまっていた少女へと近付き……おやおや?何故そんなに不審者を見る目をしているのですかね?
はて……この子の前では変なことはしてないはずなのですが……
「ふむ、お嬢さん?」
「はっ、はい……」
「さっきの怖い男の人たちは私が追い払いましたから、もう怖がらなくて大丈夫ですよ?」
「あっ……あり、がとう……ございます……」
余程怖かったのでしょうね、近付けば近付くほど、小刻みに震えているのがよく分かりますし。
ゆっくりと歩を進め、少女との距離を縮め、しゃがんで目線を合わせます。上からの目線は怖いらしいですしね。
「お嬢さん、お名前は?」
「えっ……」
「あぁ失礼致しました。知らない人に名前なんて怖いですよね、忘れてください」
一気に疑いの目が向いたので、名前は諦めましょう。しかしあれですね、私は見てくれはそんなに悪くなかった気が致しますが……まぁ仕方無いでしょう。
顎に手を当てて考えつつも、少女のことを観察してみましょうかね。真っ黒のお下げと同じく真っ黒の丸い目。綺麗な白いワンピースとサンダルを履いていますが……どこぞのお貴族様なのか、品のある育ちの良さそうな子ですね。
……ん?首から下げたネックレス……どこかで見覚えが……はて、どこででしたか……?
「あっ、あの……」
首元のネックレスに気を取られていたら、少女が不安気に……あぁ、それはそうですよね。見ず知らずの輩に首元に目線が行っていれば、どこを見ているんだと言うことになりますよね。いやはや、流石にゾーンが低すぎるからとはいえ、無粋なことをしてしまいました。
「あぁすみません、そのネックレスに見覚えがありまして」
「これ……ですか?」
ちょこんとネックレスを摘まんで持ち上げ、私に見やすいようにしてくれるとは何ともありがたいですね。これでネックレスに目線が行っていると理解して頂けますし。
それにしても、首元というのは本当に危険極まりないゾーンですね。
呼吸や嚥下の度にこくりと動く首元のラインを見ているのだとすれば、それは変態となること間違いなしでしょう。
服から見える緩いカーブを描く鎖骨に見とれていたとすれば、あぁなるほど、これは正しく変態となるでしょうね。
いやいやそうではなく、首元の更に下、服からちらりと覗くかもしれない胸元を覗いていたのなら、それは誰から見てもしっかりと育った変態です。
それが例えゾーンから外れていたとしても、相手が女性であるのならば気を付けねばならないことであるのは確かでした。これはここ最近で一番の失態ですね。しかと刻み込んでおきましょう。
さてと、ネックレスの話題でしたね。
「えぇ、そのネックレスです。どこかで見た覚えがありまして」
「これ……お姉ちゃんから貰ったの。大事にするんだよ、って」
「そうだったのですね。お嬢さんにとてもお似合いですよ」
「えへへ……ほんと?」
「えぇ。私は女性に嘘は吐きません。信じてください」
「えへへ……ありがと」
やはり子供というのは純心無垢で眩しいですね。こう、何というか……浄化されてしまいそうです。私にもこういう時期があったのでしょうね……
はぁ。この世に憚る変態しかり、強盗しかり、このような子供みたいな心を持ち続けるべきだと強く思いますね。どこかでその心を置いてきたのだとすれば、先程の暴漢のようになってしまうというのも納得してしまうというものです。
犯罪には手を染めてはならない。これを子供には徹底して教えて頂きたいものですね。お腹を痛めて生んだ子供が、どこかで性根がネジ曲がり、悪事の道に走っていくというものは耐えがたい苦悩になると思いますし。
そういえば、どこぞの宗教の教えにもありましたね。『親という者はすべからく、子が盗みを働いたのなら腕を落とし、子が人を貶すのなら口を縫い、子が人を殺したのなら首を晒して償うべし』と。何とも過激ではありますが、中々に的を射ていると思います。この教義は実際に殺せ、というものではなく、人様に迷惑をかける前に自分で躾なさいというもの。これは非常に大切なことでしょう。
ただ、この宗教を広めている人が何もしていない私のような一般人に殴りかかる、というのも考えものですね。殴った瞬間に治癒魔法を掛けるものですから、周りには気付かれずに暴力を振るい、下手に騒ぎ立てることすら許されませんし。あの方、相当に喧嘩慣れしてますよね、本当に。
「あっ、あの……どうかしましたか……?」
「え?あぁ失礼致しました。少し、昔のことを思い出してしまって」
ふぅっと溜め息が漏れてしまいました。ふむ、まだ自分の感情を完全に隠しきれないとは……まだまだですね、私も。
「えっと……おにい、さん?」
「はい、何でしょうか?」
ふと呼び掛けられて、それに応えると、何故かほっとしたような表情の少女。はて、どうしたのでしょうか。
「男性の方、だったんですね」
「あぁ、すみません。これは知り合いから譲って頂いた浴衣というものでして。女性のようでしたよね」
そういえばそうでした。私はコハルさんに頂いた黒地に花柄の絞り染めをした浴衣と、拝借したものを入れる紺の巾着袋、それにリオが作った草履という格好でしたね。あとはシェーナさんからの黒の爪に塗る液体を頂いていたので、それを手足に塗っていましたからね……私の長い紅の髪と合わさると、一見どちらの性別か分からなくなりそうです。そこまで背丈も高くなく、がっしりとはしておりませんし。
「あ、いえ、その……」
おや、他に理由がありそうですね。
「えっと、ずっと気になっていたのですが……」
「はい、何なりとお訊きくだ――」
「――ノノンノ」
ぞくり。凍てついた声と共に訪れる恐怖の感情。
「ク、クレアさ――」
「わたくしの可愛い院の子供に、ついに手を出そうとしたのですか」
疑問符の付かない、凡そ断定の口調。これは……弁明を聞いて頂けるか怪しいですね。
ちらりと後ろを見やれば、本日も上から下まで真っ黒の装いで、白の髪を後ろで束ねた鬼がいらっしゃって。普段は見えないんですがねぇ、瞳孔の開いた金色の目は。そして普段は見えるんですがねぇ、可愛らしい八重歯が。今日に限っては目はうっすらと開き、対照的に口は真一文字。
そんな彼女の首元に鎮座する、どこかで見たようなネックレス――
……あぁ、そういうことでしたか。
ちらりと少女の首元に再度目を向けると、同じ形のネックレス。なるほど、あの過激な教義を掲げるガルド教のモチーフでしたか。
とりあえず。
「おっと、そういえば今日は用事があったんでした。これにて失礼致します」
即座に撤退。どこぞの偉い人も言ってました。『死と向かい合った時、生き残るにはふたつにひとつ。甘んじて受け入れるか、格好悪くても逃げ出すか』であると。だから私は背を向けます。
そして耳に届いたのは少女の微かな声。
「……どうして、お面……?」
……あぁ、不審がられていたのは、お面をしていたからですか。
応えようとして少し振り向き、大きめの石を手にしたクレアさんを見て、真っ直ぐ前だけを見つめることにしました。
私のこれからに、幸あらんことを。




