じいちゃんのハンカチ
両親が共働きで、私はずっとじいちゃんに可愛がってもらいながら育った。私もじいちゃんが大好きで、家にいる時も、買い物に行く時も、いつも一緒だった。ずっと一緒に居られると思っていた。
そんなじいちゃんが亡くなったのはちょうど三か月前のことだ。
肺炎だった。
あんなにずっと一緒に居たいと思っていたじいちゃんなのに、私はあまりお見舞いに行きたくなかった。病院のベッドの上でずっと咳き込み、日に日に弱っていくじいちゃんが可哀想で、辛くて見ていられなかったからだ。
ある日お見舞いに行くと、じいちゃんは震える手で私に白いハンカチを持たせてくれた。
「これをじいちゃんだと思って大切に持っていなさい。ユマちゃんがどんなに苦しい時でも、じいちゃんが見守っていてあげる。助けになってあげるからね」
私はじいちゃんの顔が見えなくなるくらい大粒の涙を流しながら、細い細いじいちゃんの手を、ギュッと握り返した。
それから数日経って、じいちゃんは死んだ。多分じいちゃんは、別れの時が近づいているのが分かって私にハンカチをくれたんだと思う。
当時小学5年生だった私にとって、じいちゃんとの別れは相当辛いものだった。何日も何日もじいちゃんを思い出すだけで涙が止まらず、気分は落ち込んだままで学校もしばらく休んでいた。
そんなある日の夕方、私が両親が帰るのを居間で待っていた時の事だった。その日は風が強く大雨が降っていて、居間の窓には斜めに雨粒が当たり続けていた。
轟々(ごうごう)と吹き付ける風音と、ゴロゴロと鳴る遠雷に心細さを感じながらも私はテレビの音量を上げてそれを紛らわせていた。
その時、耳をつんざく落雷の音が響いた。その轟音は私の身体を芯まで貫き、視界は真っ白に暗転した。その次の瞬間にはテレビと蛍光灯がブツリと切れて私は暗闇にひとり取り残された。落雷による停電が起きたのだ。
後に残ったのは暴力的な雨と風の音、そして雷の轟音だけだった。私は一気に全ての味方を失った気がした。今にも得体の知れないバケモノが襲って来そうで、恐怖に耐え切れず、必死に「じいちゃん、じいちゃん」と、何度も、何度も泣き叫んだ。
ふと、何かの布切れが私の手に当たった。
じいちゃんのハンカチだ。
何故か直感的に分かった私はそれを胸の前で握りしめた。
じいちゃんの顔を思い浮かべながら必死に「大丈夫だよ、大丈夫だよ」と心の中で呟いた。すると不思議なことに心が落ち着いてきた。
鼻に漂ってくる香り。ああ、懐かしい匂いだ。
買い物に行った時に私が「もう疲れて歩けない」とワガママを言ったのに、何も言わず負んぶしてくれたじいちゃん。
転んで擦りむいて泣いてたら、涙を拭いてくれたじいちゃん。
いつも夜、眠る前に絵本を読み聞かせてくれたじいちゃん。
優しいじいちゃんの記憶が全て蘇るようで、私の心にジンワリと暖かさが広がって行くのが分かった。
私のすぐ隣にじいちゃんが居て、「大丈夫だよ、大丈夫だよ」と言いながら私の背中をさすってくれているような気がしたのだ。
しばらくして蛍光灯が復旧した。
ああ。じいちゃん、守ってくれたんだね。ありがとう。
私は手に持っているじいちゃんのハンカチをしみじみと眺めた。
それはじいちゃんのハンカチではなかった。
ちょうどその時、私の父親が帰って来た。
そして私の持っている布切れを見て怪訝そうな顔をして言った。
「ユマ、なんで父さんのフンドシを握りしめてるんだい?」
この日を境に私の「じいちゃんシック」は終わりを告げ、かわりに反抗期が始まったのであった。
終わり