紙袋
「いらないの?」
土砂降りの雨の日のこと。
突如目の前に現れた彼は、私にそう尋ねたのだった。
人生最悪の日というのは、きっとこんな日のことをいうのだろう。
それは偶然だった。
友人の誕生日。幼稚園から一緒で、小学校、そして中学生になった今でも一緒にいる友人だった。残念なことにクラスは別々になってしまったけれど、そんなことは問題ではなく、私たちはずっと仲の良い友人なのだろうと思っていた。
「……ってかさ。あいつ、うざくない?」
なかなかタイミングが合わず、やっとプレゼントを渡そうと足を運んだ教室では、彼女とそのクラスメートが喋っていて……。
「確か幼稚園から一緒なんだっけ?そんなに長い間一緒にいて面倒くさくないの?」
「ええ?まあ、どっちかっていうと……面倒くさい、かな?」
紛れもない、私の悪口だった。
逃げるように学校を出て帰路につく。土砂降りの雨の中、傘も差さずにひたすら歩いて行く。渡すはずだった花柄の紙袋は、いつの間にかぐしゃぐしゃになっていた。
両親はそれが彼女へのプレゼントだと知っているから、持って帰ればいろいろと聞かれるだろう。ただ、さっきのことを両親に話そうとは思わなかった。むしろ、誰とも口をききたくなかったし、さっさと暖かい布団の中で眠ってしまいたかった。
帰り道の河川敷。両親に根掘り葉掘り聞かれたくないという思いと、何より一秒でもそのことについて考えたくないという思いから、私はその花柄を捨てようと決心した。川のほうへと向き直り、大きく振りかぶる。
「いらないの?」
突如目の前に現れた少年が、私にそう尋ねた。
「ひぇ?!」
何の前触れもなく姿を現した少年に、当然のことだが私は驚き、勢い余って尻餅をついてしまった。そんな私の様子を気にする風もなく、
「それ、いらないの?」
少年は、またしても私に尋ねた。
「なによ突然!?」
さっきまでのこともあって、随分と刺々しい言い方だったと思うが、少年は変わらず無表情だった。
「捨てようとしてたんでしょ」
「そうよ!」
「じゃあ、いらないんだね?」
「だったらなに?」
「……いらないのなら、僕に頂戴?」
新手の物乞いかとも思ったけれど、それにしては、彼の着ている服はかなり綺麗だったし、なんならその辺の服よりもいい値段がするような代物だった。
「ねえ、それ僕に頂戴」
「……。」
このころになると、流石の私も落ち着きを取り戻していた。そして、どうせいらないものだからと、
「いいわよ」
彼に紙袋を手渡した。
「ありがとう」
心底嬉しそうに彼は笑い、
「でも、こっちはいらない」
と、紙袋からプレゼント(になるはずだった)ぬいぐるみを取り出すと、私に返した。
「え?こっちじゃなくて、紙袋が欲しかったの?」
困惑気味の私にもかかわらず、
「うん」
彼はあっさりと、頷いた。
「なんで?」
「なんでって、綺麗だから」
「あ、そう……でも、ついでだから、こっちもあげるわよ」
いまだ困惑気味の私が、再び人形を差し出すと、しかし彼はゆっくりと首を振った。
「それは違うよ」
「なにが違うの?」
「違うよ。とにかく、違うんだ」
「だからなにが?」
「違うんだよ」
何度聞いても違う、の一点張りで、先に折れたのは私だった。
「分かった。これはいらないのね」
「うん。それじゃあ、僕もう帰るね。綺麗な花柄をありがとう」
「う、うん。どういたしまし……て?」
気が付くと、そこに少年の姿はなかった。
しかし、花柄の紙袋はしっかりと彼が持っていったようで、もうどこにもなかった。
手元に残されたのは、ぬいぐるみがひとつとマリーゴールドの花が一輪。このあたりに咲いているのは見たことがなかった。もしかすると、あの少年がお礼にとくれたのかもしれない。と、ふと思い出す。あの紙袋に描かれていた花柄。あれはこの花だった……ような気がする。
マリーゴールドは鞄にしまい、手に持ったぬいぐるみを見る。
ひとつため息を吐くと、私は元来た道を引き返す。
いつの間にか、雨はすっかり上がっていた。