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6

 






 あれから、食堂へ戻った私は、とりあえず一人分だけ料理を取り分けて、後から来た私兵団員達に残りを託した。


 勿論取り分けた分は美味しく頂きましたが、うん、胸焼け起こすかと思った。

 女優として食事制限に気を使っていた私としては、言語道断な肉料理の数々でした。


 いや、美味しかったよ?

 だけど絶対コレステロール値高いよアレ。

 中年男性に食べさせちゃダメなメニューだよ。病気になるよ。早死にするよ。ダメだよ。


 そんな私ですが、これから、今まで意図的に気にしないようにしていたものと、向き合わなきゃいけない事態に陥っております。



 人の気配に視線を向ければ、穏やかに笑う執事さんが。


 「旦那様、浴室の準備が整いましてございます、ご案内致しますので、此方へ」



 そうです。お風呂です。



 うええええん!!



 思わず泣きたくなってしまったが、そんな事出来る訳も無く。


 なんかもう注射を心底嫌がる子供みたいな気分で、ただし表には全く出さず、執事さんに続くように歩き出した。




 そして、到着してしまったお風呂なんですが、何この羞恥プレイ。




 「旦那様、どうかされましたか?」


 「いや、気にするな」



 全裸の私は、何故か執事さんに身体を洗われていました。



 ...偉い人って、自分で身体洗わない、っていうか、洗っちゃダメなんだね、知りたくなかった。

 なんか知らんけどこれも執事さんの仕事らしいよ。


 ...執事ってこんな事までするんだね。

 やっぱり知りたくなかった。


 どうしよう。泣きたい。

 いくらなんでも、これは無いと思うんだ。


 よし、...こういう時は他の事を考えるに限るよね、うん。


 そういえばこの世界、石鹸は普通にあるらしい。

 今も私の身体洗うのに使われているんだけど、あんまりいい匂いじゃないのが難点だ。

 仕方ないよね、現代日本じゃないんだし。

 あの世界は美容に関しても物凄く特化していたと思う。

 私はそんなんがどうやって出来てるのか知らんからこの世界の美容界の改善とかなんも出来んけどな!


 まあ、そういう事が出来たら財政難とかすぐに解消出来るのかもしれない。

 だけど、どっかから職人を、テイクアウト...じゃない、なんだっけ、まあ良いや。

 とにかく引っ張って来て、適当に作らせるっていうのが、私に出来る事なんだよなあ。

 意味あんのかなソレ。


 あ、そういえばもうひとつ。


 オーギュストさんの身体、痩せた勲章の肉割れの痕とか、体重増加によって伸びていた筈の皮とか、綺麗サッパリ無いみたいなんだけど、これってオーギュストさんが人間じゃ無くなったからなのかな?


 なんかもう、彫刻も真っ青なくらいのいい感じの筋肉なんだけど。

 ......なんか表現おかしいな、なんで彫刻青くした、私。

 まあ良いや。


 しかし凄いねコレ。

 バランスの取れた肉体って言うのかな、脱いだら凄いだろうとは思ってたけど、なんかもう見事としか言いようが無い。


 ...股間?

 知らない。


 だって見たくないし。


 全裸だから否が応でも視界には入ってくるけど、意識の外に追いやれば、アラ不思議、スルー出来るのよね。


 嘘です。無理です。


 だがひとつだけ言えるとしたら、ゾウさんとかそんな生易しいモンじゃない。


 それ以上は黙秘させてください。

 考えたくないです。


 うん、私は一体誰に言ってるんだろうね。

 ...こういうのを自問自答って言うのかな。


 「......旦那様のお世話をするのも、随分と久し振りのように感じます」


 「む、...そうか」


 ふと、呟かれた執事さんの言葉に、反射のようにそれだけを答える。


 「最近は、わたくしではなく、メイドの仕事となっていたようですから...、いえ、申し訳ありません」



 セクハラじゃねぇか。



 え?あの絵のブタみたいなのがメイドさんに身体洗わせてたの?


 現代なら犯罪に出来るよ?

 訴えられたら負けるよ?

 ふざけんなよオーギュストさんの馬鹿。

 何してんのマジで。



 「......彼女達にも、随分と迷惑を掛けてしまったようだ」


 「旦那様......」


 「明日の朝に、半数が消えていても不思議は無いな」


 だってセクハラだし。


 仕方ないと思うよブタにそんなんさせられたりしてたら。


 「...たとえそうであっても、わたくしが貴方様をお支え致します」


 「そうか」


 なんかシリアスな雰囲気になっちゃってるけど、私の頭の中は執事さんに身体を洗われてる事と、股間を気にしないようにする事だけでいっぱいいっぱいだった。



 それから暫くして、地獄のお風呂からようやく解放された私だったのだが、身体を布で拭く事さえさせてもらえない現実に打ちひしがれていた。


 執事さんに身体を隅々まで洗われて、更に隅々まで拭かれるって、何コレ。


 よく顔に出さないように耐えたよね私、めっちゃ頑張った。

 めっっっちゃ頑張った!


 ...いやぁ、貴族って、凄いね。

 庶民には考えられないよ、こんなの。


 自室の机の椅子に腰掛けながら、ぼんやりと絶望する私。

 あ、ちなみに着替えさせられた結果、今の服は仕立ての良いシャツとズボンだけです。


 物心付く前ならともかく、こんな歳になってまで、なんて、こんなんが毎日続くのかと思うと、慣れるまで絶望しかない。

 てゆか、慣れる事が出来るだろうか。


 だって、完全に羞恥プレイじゃないかあんなの。


 今、絶対、死んだ目してるんだろうな。なんて考えていたら、ふと、ノックの音が部屋に響いた。


 「誰だ」


 「アルフレードにございます、針子のシェリエを連れて参りました」


 「...入れ」


 「...は」


 そして、執事さんが扉を開け、一人の女性を伴って入って来た


 その女性は、金髪で青い瞳の、とても綺麗な人だった、......のだが、何故か目が死んでる。

 ...なんでそんな目をしてるんだろう、と考えた次の瞬間、その女性と目が合った。


 「っ...!」


 驚いたように息を吸い込んだその女性の目が、みるみるうちに輝いていく。


 え、なに?


 「あらまあ...!なんてこと...!」


 口に手を当てながら、どこか嬉しそうにそう言った女性は、何故かそのままパタパタと私に近寄って来た。


 ちょ、何?なんなのいきなり。


 「...君のような淑女が、そのように無闇に男に近寄るものではないよ」


 そう言って、その女性から距離を取る。


 ダメだよ、お風呂上がりの男性に近寄るなんて。

 男は皆、狼なんだよ!

 私全く違うけど。


 私にソッチのほうの趣味はありません。


 すると女性は、今気付きましたとばかりに慌てて淑女の礼をしながら口を開く。


 「あら!これは申し訳ありません。余りにも創作意欲の湧く素敵なお姿でしたので、つい」


 「ふむ、それは光栄」


 なるほど、余りのイケオジぶりに職人魂を刺激された訳ですか。

 それなら仕方ないと思うけど、でももう少し気を付けた方が良いと思うな、私じゃなかったら絶対に据え膳なんとやらで、ごちそうさまされてるよ。

 私が認めるくらいの美人なんだから、自衛はしっかりして欲しいね、全く。


 そんな私の思考など露知らず、彼女は私の忠告をものともせず、またしても近寄って来たかと思えば、嬉々として私の周囲をくるくると回り始めた。


 「旦那様ならどんなお衣装でもお似合いになられそうで、腕がなりますわ!

 やっぱり御髪やお目の色に合わせて青色かしら、でも、黒、いや、指し色として金を入れても、あぁ!どうしましょう!」


 テンション高く、キャアキャアとはしゃぎながら捲し立てる彼女に、つい若干引いてしまったが、仕方ないと思う。

 でも、まあ、それは表には出さない。


 だって出したら威厳無くなるもん。


 「そうかね、どうやら私は、君のお眼鏡に適ったようだ」


 「そんな、とんでもない!むしろ国に数多いる針子の中から、あの時わたくしをお選び下さった事、今は感謝しか感じません!」


 それはつまり、前はめっちゃ嫌だと思ってた、って事か。


 しかし、部屋に入って来た時とは大違いな、物凄いはしゃぎようである。

 もしかして、これが本来の彼女なんだろうか。

 とりあえず落ち着け、とか言いたくなるが、ぐっと堪える。


 この様子だと、あのブタみたいなオーギュストさんの服を作らなきゃいけないのが嫌だから、あんな死んだ目になってたっぽい。


 「...良いのかね?君は私を嫌っているのだろう?」


 一応、確認の為に聞いてみる事にした。


 「そんなもの、創作意欲を刺激して頂いた事で吹き飛びましたわ!誠心誠意、務めさせて頂きます!」


 あ、そうですか。


 「そうかね、では、任せるとしよう。だが今はもう遅い。今日は顔見せ、なのだろう、アルフレード」

 「はい、勿論に御座います」


 なんか物凄く自信満々に肯定されたよ。

 執事さんの信頼が怖いね。


 うん、よし、考えない考えない。


 「では、後日で構わない。また来たまえ」

 「はい!ではまた、お召し物のデザインが出来上がりましたら御前に上がらせて頂きますわね」


 嬉しそうに笑う彼女はとても綺麗でした。

 中身は少し残念なような気がするけど、気のせいという事にしておこう。


 「あぁ、楽しみにしているよ」


 と言ってから、ふと思い付いた。


 「だがそれとは別に頼みがあるのだが、構わないかね?」


 「あら、なんでございましょう」


 不思議そうに小首を傾げる彼女に、若干の苦笑を混じえて告げる。


 「体型が変わってしまって、着られなくなった服が多く、困っているのだよ」

 「という事は、お直しすれば宜しいのです?」


 「いや、買い取って貰えないかと思ってね」


 何せこの家、これから財政難に陥る予定ですから。

 少しでも足しに出来そうならしておきたい。


 「買い取り、ですか?...うーん」

 「何か問題でもあるのかね?」

 「大変申し上げにくいのですが、旦那様のお衣装は旦那様専用でしたので...」


 困ったように渋る彼女に率直に尋ねれば、返って来たのはそんな言葉だった。


 なるほど、そっちを気にしてたのか。


 「あぁ、あの大きさだろう、分解してしまえば、生地として充分使えると思うのだが、どうかね?」


 「生地として、ですか?」


 「それはそうだろう?アレを着こなせる者が居たとしても、私の着古しなど誰か買うと言うのだね。

 生地は最高級なんだろう?ならば衣装としてではなく、生地として買い取って貰いたいのだが、どうかね?」


 「まあ!そういう事でしたらなんの問題もありませんわ!是非とも買い取らせて下さいませ!」


 怪訝そうにしていた彼女に、一通り此方の意思を説明したら、嬉しそうに同意して頂けた。


 よし、これでオッケー。

 あ、ついでに、あれもどうにかならないかな。


 「そうか。それは有り難い。それと、もうひとつ、構わないかね?」

 「構いませんわ、なんなりと仰って下さいませ」


 今度はなんだろうと若干身構える彼女を視界から外し、執事さんを見る。


 「...アルフレード」

 「は、なんでございましょう」


 呼び掛ければ、即座に近寄って跪く執事さん。


 なんでそんな態度なの、引くわー。


 いかんいかん、気にしたら負けだ。


 「昔の衣装は、今、私が着ている物以外にもあるだろう?」


 そうです、どうやら今、私が着てるのって昔の服らしいよ。


 「はい、幾つか御座いますが...何か?」


 何処か怪訝そうに私を見て来る執事さんに、とりあえず畳み掛けるように告げた。


 「12年前の衣装だが、まだ着られる。そうだな?」

 「仰る通りですが、もう今では時代遅れとなっているかと...」


 「そう、それだ」


 『はい?』


 うむ、と頷いて肯定したら、訳がわからない、と言いたいのがありありと分かるような表情で二人が声を揃えた。


 「そこを、彼女に何とかして貰いたいのだよ」


 「どういった事でしょうか?」


 さっきの表情が嘘のように柔和な笑顔に戻った執事さんが、確認の為に、という雰囲気で私に尋ねてくる。


 うん、まあ、主語無いもんね。

 指示は的確にしないと、何がどうなるか分からない。

 という訳で、なるべく分り易く、尚かつ簡単に説明する。


 「一旦全て分解し、新たな衣装として造り直すのだよ。勿論、デザインを今風に変えてね」


 早い話、勿体無いからリメイクしてくれって話だ。

 いくら私だって、衣装一着幾らかなんて全く想像付かないけど、高いって事だけは分かる。

 金持ちの服は全部無駄に高くて良い物ばかり、っていうのはどの世界でも共通だろう。


 なら、古いからって新しいのばっかり買ったり、捨てたりするのは勿体無い。

 そういう事です。

 女優なのに庶民臭いのは、売れてなかったからに決まってんでしょ。

 庶民ナメんな。


 「まあ!なんて革新的なんでしょう!懐かしさと、今の流行りを同居させるんですね!?」


 なんか良く分からないけど勝手に盛り上がる彼女を、とりあえず放置する事にした。

 面倒くさいからそういう事にしとこう。


 「まあ、そういう事だ。アルフレード」

 「は、畏まりました。後はわたくしにお任せを」


 「うむ。頼んだよ。」


 結果、やっぱり丸投げしました。

 仕方ないよね。


 そして、執事さんに連れられて、針子さんはこの部屋から出て行った。


 二人を見送り、無駄に大きなベッドの縁に腰掛ける。



 .........さて、これでようやく後は寝るだけ、という状況となった訳だ。


 一瞬、また書類をやろうかなとか考えたけど、いい加減後回しにして来た諸々を少しでも消化しておきたい。

 色々後回しにし過ぎて大量にある気がするけど、それも自分でやった事なので後悔は無い。

 とにかく、ひとつでも多く消化しようと思う。


 例えば、今のオーギュストさんは何が出来るのか。


 本に有った通り、知識量とか色々増えてるんだろうとは思うんだけど、私は結局オーギュストさんじゃない訳で、元がどのくらいだったかとか、全く分からない。


 なら、少しでも把握しておかないと、どうしたって戸惑うと思うのだ。


 体力とか魔力とかそういうのは今が夜だから明日に回そうと思う。

 なので、今はその他だ。


 無駄に広いベッドに転がりながら、頭の中、記憶を探ってみる。


 ふと、私の脳裏を、とても綺麗な人の姿が過ぎった。


 サラサラのストレートな長い金の髪、薄緑色の瞳、大きくて垂れ目がちな目を嬉しそうに細める、少女。

 薄い水色のドレスが良く似合う、とても綺麗な人。


 そして、その彼女の声も、記憶の中に有ったらしい。


 『あのね、ヴェルシュタインさま、ワタクシ、赤い色が好きですの。でも、何故か似合わないのよ。いつも薄桃とか、薄青ばかり。もう飽き飽きだわ』


 鈴を転がすような、なんて表現がピッタリな、綺麗な、可愛らしい声だった。


 『それなら、君には赤い花を贈ろう』

 『本当!?でも、ワタクシに似合うかしら』


 『大丈夫、君は美しいから、どんな花でも似合う』


 彼女の仕草、瞬きの回数、言葉の一言一句まで、オーギュストさんは記憶していた。

 まるで、録画した映像のような鮮やかさで。


 そして、その時のオーギュストさんの気持ちも。


 ───...なんて、可愛らしい人だろう。


 そんな、ホワッとした、優しい感情。


 この記憶は、二人の出会い。

 親の友人の娘というので顔を合わせただけだったけど、お互い一目惚れだった。


 思わず、歯を噛み締めてしまった。


 「...............」


 なるほど、それでこの屋敷には赤い色が多いのか。

 ドギツくたって、赤ならなんでも良かったんだろう。


 ジュリアさんの好きな色だから。



 ふと、パタパタという、何かがシーツに落ちたような音がした。


 一瞬、なんだろう、と考えたけど、それはすぐに分かった。


 私は、泣いていたのだ。


 止めどなく溢れる涙に、ぼんやりと、オーギュストさんは本当にジュリアさんが好きだったんだな、と思う。


 頭の中に再生されていく記憶は、とても幸せで、そして、同時にとても残酷だ。


 出会って、好きになって、結婚して、子供が産まれて、その子供が段々大きくなって、そして。


 『何故!何故だ!何故ジュリアが!』

 『オーギュストさま、なかないで、わたくし、とてもしあわせでしたのよ』


 『いやだ、ジュリア、逝かないでくれ、お願いだ、神様、誰でも良い、ジュリアを助けてくれ、いやだ、ジュリア!』


 オーギュストさんの悲痛な声と、痩せ細り、まるで老婆のようになってしまったにも関らず、幸せそうに笑うジュリアさんの姿。


 『ほんとうに、あなたにであえて、よかったわ』


 『いやだ、私を独りにしないでくれ、置いて逝かないでくれ、ジュリア、ジュリア?っ...ジュリア!!』


 そのすぐ後に反響したのは、獣みたいな悲しい慟哭。


 それから後の記憶は本当に曖昧で、訳の分からないボヤけた思考だけしか認識出来なかった。


 所々ある記憶は、ただ喚き散らしていたり、訳の分からない思考で誰かを殴ったり、

 国にとって都合が悪くなるような事を考えて、実行しようとして、失敗したり。


 失敗するのは、オーギュストさんのツメが甘いっていう訳じゃなくて、ジュリアさんを思い出して記憶がボヤけるから、っていうのが理由のようだ。


 オーギュストさんは、そんなにたくさんの悪い事が出来ていた訳じゃないらしい。

 国からの印象はきっと、取るに足らない小悪党、大体そのくらいだったかもしれない。

 血筋的にも取り潰すような事が出来なくて、どうせ小物だからとそのまま放置されていたんじゃないだろうか。


 だけど、噂に尾ヒレや背ビレが付いて、領民からは最低の領主だと恨まれているらしい、というのが微妙に記憶にある。

 それを聞いたオーギュストさんは、それを歓迎している様子だった。


 ...本当に悲しい人だと思う。


 ...しかしなるほど、それであの計算出来ていない中途半端な書類になる訳か。


 頭の中を探れば、治めていた領地の風土や人々がどんな生活をしているのかという記憶もあった。

 今後は執務する時にお世話になりそうな記憶だ。

 12年前のだから今はあんまり役に立たないかもしれないけど、無いよりはマシな筈。


 魂は私だけど、でも、体はオーギュストさんの物だから、頭の中には記憶がちゃんと残っていたらしい。

 ...めっちゃありがたいけど、なんだかオーギュストさんの心を覗き見してるみたいで申し訳なくなってくる。

 ...プライベートはあんまり検索しない方が私の心の平穏の為かな。


 あ、でも、貴族の一般常識とかは調べさせて貰おう。

 これから生きるのにどうしても必要だし。


 執事さんとか息子さんの部分の記憶はどうしようかな。

 ......一応プライベートだし、その辺は置いとこう。


 涙は、まだ止まっていない。

 ポロポロと零れ落ちていく涙を頬の感触で感じながら、歯を噛み締めていた口を無理矢理開けて、ふう、とひとつ息を吐いた。


 泣くというのは、ストレスを発散させる行為だ、というのをどこかで聞いた気がするけど、女優としてはこれも全て演技の糧。

 悲しい、苦しい、悔しい、楽しい、嬉しい、とにかく全部、何も考えず引き出す事が出来るのが俳優というものだと思っている。


 だけど、人としても、一人の女としても、どうしてオーギュストさんばかりこんな目に遭っているんだ、と憤ってしまう。


 だって、可哀想過ぎるじゃない。


 記憶を手繰れば手繰る程、幸せだった頃の記憶でさえ悲しくなって来る。


 頭の中に反響するのは、様々な声だった。


 『とうさま!どうして!?ねぇ!ぼくはもう、いらない子なの!?』


 『オーギュスト様!見て、今ミカエリスが笑ったわ、なんて可愛らしいんでしょう、まるで天使ね』


 『貴方はもう、私の父などでは無い』


 『あいしているわ、オーギュストさま』



 ...彼は何も悪くない。


 何もかも全部、戦争が悪いのだ。


 苛立ちと歯痒さに、また歯を噛み締めそうになった所で、ふと気付く。


 あれ、でも、なんで?

 例え戦争であっても他国の薬くらい、貴族なら手に入れられるんじゃないの?


 偉い人がそんな事も出来ない状況って、なんだ?


 それを考えた時にふと、頭の中で、か細い声が響いた。


 『だめよ、オーギュストさま、わたくしいがいにも、くるしんでいるひとは、たくさんいるの』


 ......なるほど、あの当時、その病気が流行ってたのか。

 戦争中に、ただでさえ手に入りにくい薬を、貴族で、めっちゃ偉いからってだけで取り寄せたら、民衆から反発されるだけじゃなく、そこら中の人達から反感を買う恐れがあったんだ。


 だから、オーギュストさんは何も出来なかった。


 『オーギュスト、すまない、今は、今だけは堪えてくれ...!』


 男の人のそんな声が記憶の中で反響した。


 『分かっている、分かっているのだ、だが、このままではジュリアは...!』


 この声の主が誰だか、私は知るべきなんだろうか。

 でも、まあ、いいや。

 だって、これはオーギュストさんのプライベートだ。


 私は、見ちゃいけない。


 涙は、いつの間にか止まっていた。



 つーか、この世界の貴族の中で、この家ってどの辺の位置にいるんだ?


 とりあえず、その辺の記憶を漁ってみる事にする。



 ......うん?


 ...............えーと。



 大公

 公爵←イマココ!

 侯爵

 上級伯爵

 下級伯爵

 子爵

 男爵



 うん?



 えーと、大公は、国王に準ずるくらいめっちゃ偉い人で、前は居たけど、結構前の戦争で死んだから今は居ない。

 次に偉いのは公爵で、国王の一族に連なる者。

 その後に侯爵、上級伯爵、下級伯爵、子爵、男爵という順番で偉さの度合が低くなっていってる。



 うん、うん?


 あれ、私、めっちゃ偉い人?



 いやいやいやいや!やだよ!面倒くさいよ!ただでさえ貴族ってだけで面倒くさいのに、その上、王様の次に偉いとかなんなの!?

 無理だよそんなん!どうしろってのさ!


 まあ良いや、とにかくオーギュストさんは、地位的にも血筋的にもめっちゃ偉い人という事は理解した。


 なら、色んな人にこの地位、狙われてたんじゃないか?

 ...誰かに陥れられた、とか、有り得なくも無い。


 華やかな芸能界でもあんだけドロドロしてたんだから、この世界の貴族がドロドロしててもおかしくないよね。


 もし、可能性としてだけど、全部、今までの何もかも、誰かに仕組まれた事だと考えたら、犯人は?


 また、頭の中で声が響いた。


 『戦争なんて、この平和な国にそんなもの、必要ないだろう』

 『そうは言いましてもヴェルシュタイン公爵、かの隣国は攻める用意を整えているんです』

 『その情報は、一体何処からのものなんだね?私の元にはそんな情報は一切来ていない。証拠を提示したまえ』


 『証拠、ですか。民の声では証拠になりませんか』

 『何を当たり前の事を、何者かに扇動されていないと言い切れるのかね、宰相閣下』

 『いえ...』


 オーギュストさんの声と、さっき聞こえた声とは別の、宰相と呼ばれた男性の声。


 ...なんか、オーギュストさんの声が冷た過ぎるからか、一番の黒幕みたいな、そんな感じの悪役みたいに聞こえる。

 しかも、宰相さんが物凄く優しそうな声だから、国の為を思って立ち上がろうとしてる宰相さんを、証拠も無いからと突っぱねてる黒幕みたいにしか思えない。


 だけど、私には分かる。


 この声は、偽りだ。


 多分この宰相さん、滅茶苦茶腹黒い。


 記憶の中の宰相さんの姿は、初老の、優しそうなオジサン。

 今はきっと凄く優しそうなおじいちゃんになってるだろう。


 表情も、声も、雰囲気も、何もかも本当に優しそう。


 だけど、目が笑ってない。


 全く笑ってない。

 むしろその他が優しい分、恐怖さえ起きる。

 めっちゃ怖い。


 ラグズ・デュー・ラインバッハ侯爵。


 うん、黒幕、絶対この宰相だ。



 .........いや、うん、でもなあ。

 間違ってたら困るよね。

 なんも関係無かったら意味ないもん。


 その時の記憶っていうのは、その時の印象で記憶される訳だから、オーギュストさんが宰相さんの事滅茶苦茶嫌いなだけ、という可能性もある。


 今、判断するのは早すぎかもしれない。

 とりあえず、もし調べられそうなら誰かに調べて貰えばいいか。


 ...さて、オーギュストさんの記憶から色々と必要な情報はゲット出来た。

 記憶力は確かに、物凄い事になっているらしい。


 人間は脳の80%使用してない、というのをどこかで聞いた。

 そして、記憶は引出しに全て入っていて、それが消える事は脳細胞が破壊されない限り有りえない。

 つまり、今までのオーギュストさんの人生は全て頭に入ってる事になる。

 人間じゃなくなったから、その全て自由自在に引き出せる、って感じなんだろう。


 ついでに、思考能力とかも本来の私なんぞとは比べ物にならないくらい、上がってる気がする。


 完璧超人って訳ですね!


 そんな事をのんきに考えたけど、私は、『私』の事を考える事は放置していた。


 いや、違う、放棄だ。


 『私』が死んだ後、家族はどうしたのか、あの後どうなったのか

 これからどうなるのか、このまま記憶に引き摺られてオーギュストさんになって、いつか『私』が消えてしまわないか、

 そういう諸々は、何もかもすべて、考える事すらせずに。



 ごろりと、ベッドの上で寝返りをうつ。


 なんか...頭、使い過ぎて疲れた。

 いい加減寝よう。


 そう考えた次の瞬間、私の意識は闇に沈んで行ったのだった。





 

シリアスより、シリアルが好きです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 第6項読んだんですが、おじ様が執事に体を洗ってもらうという記述に、椅子から転がり落ちる気がしました。 空想小説でも、時代背景や習慣伝統、武器ファッション、作者の皆さん結構調べられて書かれて…
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