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くすくす、くすくすと笑い声が響く。
今回のその場所は、何も無い所にキラキラとした光の浮かぶ、まるで夜空のような美しい空間だった。
『気付いたねぇ』
声の主は、にこにこと楽しそうに笑って何かのリズムを取る時のようにゆっくりと体を揺らす。
『でも、気付いてない』
右、左、とゆらゆら、まるで少しテンポの遅いメトロノームのように揺れながら、くすくすと笑う。
『僕には気付いたのに、そっちには気付かないんだ?』
それは馬鹿にするようなものではなく、コメディ映画を見た人がつい笑ってしまったような、そんな純粋な笑い声だった。
『仕方ないなぁ、もう少し分かりやすくしてあげなきゃ』
そう言った彼は、またくすくすと笑った。
「ねー旦那サマー、コイツどーする? 殺っちゃう?」
「なんだ貴様! 離せっ!」
抵抗しようと頑張る神父の腕を片手だけで捻りあげながら、飄々と、いつもの軽い感じでサラッと殺人を提言する隠密さん。正直怖いのでやめて欲しい。
いきなり来といて何言い出すんですかあなた。止めてよホントに。
いや、隠密さんが来なかったら何が起きてたのか分からんからありがたいっちゃありがたいんだけどそんな軽く私の責任で殺人しようとしないで欲しい。やめてください。
「駄目だ、法に則り裁かねばならん」
「うええ面倒くさー」
めんどくさいとか言わないの。
私だって正直めんどくさいんだからな。
だってなんでこんなクズの事を考えないとダメなのか分からんもん。
そんでもって視線を動かせば、自然と視界に入ってくるのはやっぱりこの人だった。
「遅くなりまして、申し訳ございません」
冷静な声で謝罪する、狐みたいな顔の細い男性。
うん、あなたは何故ここにいるのかな弟さんよ。
隠密さんの話だと裏切って神父側についたんじゃなかったっけか。
いや、鵜呑みにしてた訳じゃないけど事前情報がアレだとしてもなんでここに隠密さんと二人でいるのか意味分からないからね。
何がどうしてこうなってんの。
なお、なんかどっかで見た事ある気がするあの少年はというと、先程声を掛けられていたおばあちゃんの腕の中でしくしくと泣いていたりする。
クソ神父を凄く信頼してたみたいだし、仕方ないね。
彼も被害者なんだろうと思うよ、なんかいちいち腹立つ奴だったけど、それも全部クソ神父のせいだしな。
「説明はあるのだろうな?」
「勿論です、必ず後程ご説明させて頂きます」
「そうか、では後程聞くとしよう、……アーネストはどうした?」
「兄さんには街の方を任せております」
「そうか」
お兄さんが街の方に居るって事は、街でもなんかあったのかな?
この辺も後で説明聞くしかなさそうである。
「さて神父様、洗いざらい吐いて貰いますよ、覚悟してくださいね」
「くそっ、くそっ、何故だ! 裏切ったのか!?」
細い目でニッコリと笑った弟さんに、笑いかけられた神父はというと物凄く狼狽えていた。
「裏切るも何も、私は常にオーギュスト・ヴェルシュタイン様の為に生きておりますので」
「騙したなぁっ!?」
あぁー、そうね、オーギュストさんの記憶でもそういう人だもんね、弟さんって。
それが全ての理由のような気もするけど、まあそれでも一応本人からの説明を待つ事にしよう。
「引っかかる方が愚かなのでは? 神父様はいつもそう仰っていたではありませんか」
「なっ!?」
様子を見るにどうやら心当たりがあるらしい神父なのだが、マジでクソだなぁ、凄いなぁ。
「それと、防犯面はもう少し気を使った方が宜しいかと思いますよ?」
「それはっ!? 何故それがここに、返せっ!!」
ぴらり、と弟さんが取り出した紙を見た神父が今まで以上に焦った顔をした。
余程大事な書類なのか、完全に血の気が下がったような顔色である。
今はとりあえず置いといて、後で確認させて貰うことにしようと思います。
ていうか防犯面って事は、もしかしてあの紙の為にこの教会に入り込んでたのかな弟さん。知らんけど。
「残念ですがこれは貴重な証拠ですから、そういう訳にはいかないのです、申し訳ございません」
「くそっ、くそっ、くそっ、くそおおおおお!!!」
荒ぶる神父がなかなかに無様というか、なんというか、無駄に尊敬してた人達から見ると相当アレだったようで、辺りの人達からは、なんか冷め切った眼差ししか向けられていなかった。
こういうのを自業自得っていうんだよねざまぁみろばーか。
あ、やべ、語尾に本音が出ちゃった。てへぺろ。
そんな事を考えながらも顔は無表情である。やったぜ。
「それではシンザさん、どうぞよろしくお願いします」
「言われなくてもやるに決まってんでしょ、はいオッサン大人しくしろ鬱陶しいから」
「がはっ」
抵抗虚しく神父は隠密さんの手刀により、またしても床とイチャイチャする事になったのだった。ご愁傷様です。
教会から出た所で、見覚えのあるワイルドダンディが葉巻を咥えて立っていた。
どうやら事が済むまで外で待っていてくれたらしい。
「お、坊っちゃん、制圧ご苦労さん」
「アーネストか、出迎えご苦労」
ていうか、煙管とか葉巻とか煙草とか、なんていうかもうヤクザなのかマフィアなのかどっちかにしてくれないかな。
いや、この人別にどっちでもないんだけど、イメージがあっちこっちするんだよね。
知らんがな、って話なんだけどね。色々バリエーションあって凄いね。一瞬イメージがごっちゃになるんだけどね。
なんで私は似たような事を何度も思ってるんだろうか。
「いンや、こりゃァただのついでだからなァ」
「ふむ、貴様は何をしていたのだ?」
「教会の奴らに武器が渡らねェように、武器屋とか防具屋の説得して回ってたンだよ、杞憂で済んじまったがなァ」
めっちゃ有り難い事じゃないですかやだー!
そんなのもう感謝しかないわ。
煙管とか葉巻とか煙草とか好きに吸っていいよ、そのくらいの権利あるもん。
なんでもいいよ、女の人のおっぱいでも良……くないわ、イメージがアカン事になる。それはちょっとアカンです。
ダメだ私、落ち着け。変なテンションになってる、これはよくない。よし。
「ンで、パウル、お兄ちゃんに何の説明もなく家出した理由を聞かせてもらおうか?」
待って説明無かったの!?
駄目だよそりゃさすがにお兄ちゃん怒っちゃうよ!
内心ではそんなツッコミを入れてしまいながら、それでも外面的には冷静沈着、無表情で無感情に視線を弟さんへ向ける。
すると、キョトンとした、なんというか、不思議そうな顔をした弟さんの姿があった。
「…………家出?」
「ン? 自覚無しか? 家出以外のなンでもねェだろありゃァ」
「待って下さい、僕が、家出?」
ん?
「僕は、たとえオーギュスト様が賢人になった事で今までと違う人のようになったとしても、それでもオーギュスト様の為になるように行動しただけです」
なんだろう、なんか、違和感?
それは魚の小骨が刺さった時みたいな、なんか微妙な、それでいて若干不快な違和感だった。
何かが違うのは分かるんだけど、それが何かは分からなくて、なんとも言えない不愉快な気持ちになる。
そのせいか、つい眉間に皺が寄った。
執事さんなら気付けてしまうくらいには微かだけど、お陰で己の演技力の未熟さを自覚した。
オーギュストさんの演技力をプラスしてもこれってことだから、多分きっと、普通の人なら疑問をそのまま口にしてしまうくらいには気になる事だと思う。
「それが坊っちゃんの為になると?」
「僕は常にそれだけしか考えてません」
「お前なァ……、昔からそうだが、もっと臨機応変にだな」
そんな会話をやいのやいのしているせいか、彼等にそれが気付かれる事は無かったのが、唯一の救いだろうか。
もうちょい気を付けんとアカンね。
「旦那様、おかえりなさいませ、お怪我などはございませんか」
「問題ない、姉妹はどうした?」
教会から少し距離を開けて街の人と話したりしつつ待機していた執事さんが、私の姿を見付けた途端に颯爽と現れた。
なんか、あの、距離近くないですかね。気のせいかな。
「あの二人なら、窓の外から見ていた教会内部での事の顛末を、町中に広げると言って走っていきました」
「……そうか」
見とったんかいあの姉妹。
いや、まあ、気になるのは分かるけどさ、危ないからそういうのは止めようねって話さなかったっけかあの二人には。
言っても聞きそうにないけどさ、特に妹。
なんせ近年稀に見る自由人だもんあの子。
「放っておいても広がるとは言ったのですが、早い方が良いと聞かなくて」
「仕方ないな、私達は屋敷に帰ると精霊に言伝を頼むとしよう」
「かしこまりました」
恭しいいつもの丁寧な礼をした執事さんの旋毛を眺めつつ、屋敷へと帰る為に足を踏み出したのだった。
その後、目を覚ました少年少女達の証言で、彼等を拉致監禁したのは、神父、ロドリゴ・カルストスによる犯行だと明らかになった。
名前見た時、略したらロリカスだなと思ったので今後神父は蔑みを込めてロリカスと呼ぶ事にする。
幼児性愛趣味なオッサンにロリカスでは少し正しくないけど、名前で呼ぶのも神父呼びするのも嫌なので。
長いものでは10年監禁されていた少女は、むしろよく生きていたと思えるくらいにはガリガリに衰弱し、PTSD、確かストレスによるパニック障害だっただろうか、そういうのを患ってしまっていて、見ていて泣けてくるくらいに悲惨な様子だった。
というか、彼等の半数はそういう心の病を患ってしまっていたので、ロリカスはマジでカスなんだと街の人々にマイナスな印象を与えまくっていた。
ロリカスはその後の調べでも自分の正当性しか口に出さずなんか鬱陶しい感じになっていたので、隠密さんにお任せする事にしました。
多分もう少ししたら素直になってくれると思う。
ロリカスなんで遠慮しなくていいって言ってあるから、きっと良い感じにフルボッコにしてくれると思う。
ちなみに、弟さんが取ってきた書類ですが、ロリカスの履歴書と、この街の神父になる為の任命書、それから、なんか怪しいお手紙の計三枚でした。
ロリカスは隣国の出身者で、この国の宰相の紹介で神父になり、隣国から情報提供感謝されているという事が明らかになったので、マジでカスだなと思いました。
あと宰相、またてめぇか。
そんで隣国、またおめぇらか。
なお、弟さんの家出理由ですが、私の予想そのままだったので割愛しておく事にします。
それよりも問題は、あの不愉快な違和感が、屋敷に帰ってからも付き纏った事だ。
「おーい坊っちゃん、この書類なンだが」
「旦那様、紅茶をお持ち致しました」
皆の態度が、おかしいのである。
何がっていうとよく分からないけど、何かがおかしいのだ。
どこかで感じた感覚、既視感、何だかよく分からないそんな何かに気付いて、そのよく分からないものを知る為に思考をぐるぐると巡らせる。
ふと、頭の中を誰かの言葉が過ぎった。
『でも兄さん』
『勘違いすんなよパウル、俺ァまだこの嬢ちゃんの事を信用出来てる訳じゃねェ』
それは、弟さんが何か言おうとした時の、アーネストさんの言葉だ。
『わたし』を嬢ちゃんと呼ぶ、アーネストさんの。
ぱちりと、瞬きをする。
そして、気付いてしまったそれに血の気が下がった。
私、信頼出来る人達だけの時も坊っちゃんって呼ばれてる?
これは、本来は無いはずの事が起きている証拠だった。
「旦那様、如何なさいましたか?」
そう言って不思議そうにこちらを見る執事さんを見て、とあるシーンが思い出された。
『いやはや元気で宜しい事です、お小さい頃のローザ様を思い出しますね、旦那様』
『……ローザはもう少しお淑やかではなかったか?』
『活発さでは同じくらいだったかと』
『なるほど』
それは教会へ行く前に姉妹達を見ながら執事さんとした会話だ。
この時は違和感なんて感じていなかった。
だけど今考えると、おかしい。
なんで執事さんは、『わたし』にオーギュストさんの妹さんの話をしてるの?
極めつけは弟さんの言葉だ。
『僕は、たとえオーギュスト様が賢人になった事で今までと違う人のようになったとしても、それでもオーギュスト様の為になるように行動しただけです』
さも当然のように告げられたそのセリフは、本来なら出る訳が無いものだ。
『わたし』はまだ、彼に受け入れられていなかったのだから。
その記憶は私の直感を裏付けていた。
これは、彼等の態度が、『わたし』の事を打ち明ける前に戻っているという事。
彼等から無意味に寄せられる全幅の信頼は、感じていたからこそどんなものか理解していた。
これは一体、いつからだ?
いつから彼等は、忘れさせられている?
心臓が、痛いくらいに早鐘を打っていた。
執事さんは教会へ行く道中で既にそうだったとして、残りの人は一体いつからだったのか、考えはしたものの、既にそうなっている現状この思案に意味は無いだろう。
それよりも問題は、今後何が起きるのか、犯人は誰か、だ。
頭が凄いスピードで演算するように、様々な仮説を立てていく。
だが、一番正しいと思えた説は一つだった。
こんな事が可能な存在は、この世界を作ったという『神』しかいない。
つまり、全ての原因は神で間違いは無いだろう。
理由などはどうでもいいが、現実として、彼等は『わたし』を忘れさせられている。
そしてそれから察するにこの神は、表舞台に『わたし』が出て来る事を望んでいない。
それゆえの『今』なのだ。
彼等の態度と、弟さんの言葉から察する限り、彼等は『わたし』が居るという事実を“賢人となったから人が変わった”に変換されてしまっている。
つまり、彼等に『わたし』という存在は無かったことにされてしまった。
神とは、全能の存在。
もしもまた『わたし』が表舞台に立とうとした時、こんなにも人間を人間とも思っていないような神が一体何をするのか想像したくもない。
確実に、今以上の何かをして来るだろう。
気付いてしまったそれに、苛立ちが募る。
つまり彼等は、人質だ。
私に関わる全ての人々は、私を神に従わせる為の人質なのだ。
世界が理不尽な事は知っていた。
こんなにも優しい筈がないと理解もしていた。
だけど、いくらなんでもこれは酷過ぎないか?
私は、『わたし』は。
彼等の中に存在する事さえ許されないのか。
神よ。
てめぇ絶対許さねぇからなどんな手を使ってでも全力で殴ってやる!!!





