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(※もし続刊が出来てここまで書籍になると決まったら、ここの展開は変えますし、こうなるとは限りません。この後しばらくオジサマがオジサマを放棄します。ご了承ください。なおカクヨムさまの方では違う展開です。気になる方はどうぞ)
うん、待って待って。
なにがどうなってそうなったのか、さっぱりわからない。
え、なに?紅茶?紅茶がぬるかったから?
それがそこまで執事さんを追い詰めたの?
仕事熱心過ぎない?
どゆこと?
いや待て、一回落ち着こうか、私。
それよりも考えられるのは、私の演技力不足でヤバい顔見せちゃった事に対して、執事さんの中で何らかの化学反応的な何かが起きた、とかそういうのの方だ。
だとしても突然、殴れ!は無い気がするんだけど、執事さんの中で一体何がどうなったらそんな超反応が起きるのかわからない。
ていうかむしろちょっと問い詰めたい。
だいぶ怪しいからやらんけど。
絶対やらんけど。
だってオーギュストさんのイメージ壊れるもん。無理そんなの。絶対やだ。
「.........どうした?」
思わずそう聞いちゃったけど、仕方ないと思う。
すると執事さんは、物凄く思い詰めた顔で私をガン見しつつ、話し始めてくれた。
「わたくしは、貴方様に、取り返しのつかない事をしてしまいました」
......うん、うん?どれ?
え?執事さんなんかやったっけ?
あれ?やっぱりぬるい紅茶しか無くない?
え?どゆこと?
ホントになんも浮かばないんですけどどういう事なんですか。
内心の私との温度差が半端ないけど、それはもう仕方ないので諦めようと思います。
訳分からん事態に混乱して混乱する私をよそに、執事さんは真剣な様子のままで言葉を続ける。
「あなたは、旦那様であって、旦那様ではない。
だというのにわたくしは、あなたを全て、否定するような事を言ってしまいました」
あぁー、そっちかあー!なるほどー!
脳内の私も納得である。
あーね!そうかー、そう来たかぁー。
つまり、私があんな顔したのは自分が原因だと思っちゃったのね、執事さん。
なるほどなぁー、なるほどねぇー。
......いや、だとしても飛躍しすぎじゃないのそれ。
原因は結局の所、私の演技の甘さだよね?
私が気を抜かなければ起きなかった事態だよね?
執事さん悪くなくない?
「お願いです、どうか、このわたくしめを殴って下さい...!」
うん、ちょっと待とうか。
私が執事さんを殴るとどうなるか、少し考えてみて欲しい。
中身が私とはいえ、外身はオーギュストさんのスーパー賢人ボディ。
少し力の加減を間違えるだけでその辺に隕石が落ちたみたいなクレーターが出来る気しかしないパワフルなワガママボディである。
いや、死ぬやん。
そんなんで殴ったら大惨事通り過ぎてスプラッタ確定やん。
想像もしたくないけど、高い所からスイカ落としたみたいになるやん絶対。
え、やだ。
やだよそんなん。殺人事件じゃん。
執事さん自殺したいの?
だとしてもやめて欲しい。
やるならひっそり私の知らないどこか遠い所でやってよ私を巻き込まないでマジで。
お願いですじゃねぇよ、何をお願いしてんだよ。ふざけんなよマジで。
そんな事を一気に考えた私は現在、少し変な汗をかいていた。
対して執事さんはというと、本気の、心からの懇願、というかなんかそんな感じである。
執事さんの身長はオーギュストさんよりも5cmくらい低いからか、物凄く若干だけど、上目遣いである。
誰が得するのこれ。
え?どうしたらいいの?
なんかやんなきゃだめ?え?マジで?
何したらいいの?
......いや、うん、ごめんホントに分からんなにこれどうしたらいいの。
私個人は頭が悪いから、オーギュストさんの知識を使ってとにかく必死に考えているんだけども、なんも浮かばない。
何かしなきゃいけない事は分かる。
だがしかし、何をすべきかが分からない。
いつまでもこうやって固まってる訳にもいかない事も分かる。
分かるんだけど、どうしよう。
「お願いです、どうか...!!」
めちゃくちゃ真剣にお願いされてしまって、混乱した脳が、ひとつの答えを導き出した。
こうなったらもう、それしか無い。
私はそっと執事さんへと手を伸ばし───────
そっと、優しく、彼の頭を撫でた。
「......!?」
目を見開いて驚き、呼吸を忘れたかのようにはくはくと息を乱す執事さんの頭を、ゆっくりと撫でる。
「な、...そんな、何故ですか、わたしは...」
私もなんでこんな事してんのかよく分からないけど、小さい頃のオーギュストさんの記憶で、会ったばかりの執事さんの頭を撫でているオーギュストさんの様子がフラッシュバックしたので、こうしたら少しは落ち着くんじゃないかと思っての行動である。
だけど、なんかちょっと効果は薄そうだ。
困惑したような、焦った執事さんの目が私を見詰めていた。
身長差はそんなに無いけど、オーギュストさんの方が少しだけ高いから、彼の頭を撫でる事に対してそこまでの無理は無い。
それでも、執事さんの意識は私の言動に向いている事は理解出来たので、そっと撫で続けながら、言葉を続けた。
「アルフレード、お前はよくやってくれている。
常に私の事を考え、私の為に動いてくれている」
「...いえ、それは、当たり前の事です」
そう告げる執事さんの声は何かに耐えているような、どこか苦しそうなものだった。
それは、知らなかったとはいえ他人を身内だと思い込んでいた事に対する苦痛なのか、それとも、私の気持ちを想像しての苦痛なのか、分からないけれど。
執事さんの頭を撫でる手を止めずに、私はすっと息を吸い込んだ。
「そうだな、だが、私はそれに救われていた」
「......え?」
予想外だったらしい執事さんの目が、何度も瞬きを繰り返した。
そんな執事さんをじっと見詰めて、私はまた口を開く。
「絶望的な状況の中、お前だけが私を導いてくれていた」
それは、心からの感謝だ。
執事さんが居なければ、私はきっと、今ここには居ない。
こんな風に考える事も出来ていなかったし、生活だって出来なかっただろう。
「あなたは、旦那様とは別人、なのでしょう?」
「そうだ、全く違う、他人だ」
きっぱりと言い放つと、執事さんは泣きそうに顔を歪めた。
「ならば、何故憤らないのですか...!」
「それをして、なんになる?」
逆に問いかければ、深意に気付いたらしい執事さんの目線が微かに逸らされる。
一から十を知るタイプの執事さんだから、すぐに分かってくれるのは本当に凄いと思う。
改めて考えるけど、なんの意味も見いだせそうにない。
だって、何も変わらないじゃないか。
怒って、泣いて、苛立って、現状が変わるならもう既にやってる。
理解した上で、私は今を生きている。
「私は確かに別人だ。
だがしかし、オーギュスト・ヴェルシュタインに成り代わるつもりも、乗っ取り、人生を奪うつもりも無かった」
「なら、どうして」
呟くような執事さんの問い掛けに答える為に、私はもう一度息を吸う。
そしてそれを吐き出すように、言葉を口にした。
「知ってしまったからだ」
「...何を、ですか」
「オーギュスト・ヴェルシュタインの、境遇と、悲しみを」
頭の中で、オーギュストさんの悲しい慟哭が反響する。
───────何故だ
どうして、神様、お願いです
どうか───────
胸の奥が締め付けられるような、苦しい程の嘆き。
「世界を恨み、全てを憎み、そうやって狂ってしまう程に愛したその心を」
知らないままでいたなら、こんな風にオーギュストさんとして生きようとなんてしなかった。
私はわたしとして、好きに生きた筈だ。
外に出て、全くの他人として生きようとした筈だ。
だけど、わたしは知ってしまった。
オーギュスト・ヴェルシュタインという、愚かで、悲しくて、綺麗な心の持ち主を。
だからわたしは、こうなる道を選んだ。
執事さんを傷付けて、悲しませて、苦しませる道を。
知らないままでいて欲しかったけど、聡い執事さんが気付かない訳が無い。
だからこれはきっと、必然。
「...ひとつ、良いでしょうか」
「なんだ」
「あなたは、一体、誰ですか」
その問い掛けは、二回目だった。
だけど、前回の時よりも冷静で、真剣で、そして、落ち着いた様子の執事さん、......いや、アルフレードさんに、
わたしも、覚悟を決めた。
これで、わたしは本当に死ぬかもしれない。
告発されて、国を上げて処刑されるかもしれない。
だけど、それはアルフレードさんも同じ。
わたしがもし悪い奴なら、ここで嘘を吐いて、何も無かった事にして、彼を殺してしまうだろう。
それほどのリスクがあると理解しながら、彼は覚悟を決めて、わたしに問い掛けてくれている。
なら、わたしもそれに応えないと、相応の覚悟を返さないと、不公平だ。
ぐっと拳を握り締めて、息を吸う。
「......私の名は、......いえ、わたしは高田陽子」
息を吐き出すみたいに告げた言葉は、少しだけ掠れていた。
「おい!どういう事だよ!」
「知るかよ!俺だって聞きてぇ!」
争い合うような声が、薄暗い教会の中に響き渡る。
太陽光を通すことで神秘的な色合いで辺りを照らすステンドグラスが、カタカタと微かに揺れてしまうほどの声量で口論をしているのは、若い男達だった。
「お前らやめろ!仲間割れしてる場合か!」
「ンな事言ったって、これはさすがに変だろ!」
ばんっ、という大きな音と共にテーブルを叩いた茶髪の男と、それを宥めようとする、くすんだ金髪の男。
その拍子に木製のコップが、カラカラという音を立てながら入っていた水を零しつつ、テーブルの上を転がった。
そんな中、何かを堪えるように顔を顰めた茶髪の男は、大きく口を開けて怒鳴る。
「なんで何も起きねぇんだよ!!」
彼が憤りのまま、ばんっ、ともう一度机を叩いた事で、机の上にあったコップが完全に床へと転がり落ちた。
カランカランという、どこか間の抜けた音が聞こえたが、それを気に止める者など居なかった。
彼の怒りがもっともだから、である。
教会に立て篭ってから、既に一晩が経過している。
にも関わらず、何も、本当に何も起きていない。
領主が出てきて彼らを諭したり、領主子飼いの兵が出てくる事すらもなく、ただ無為に時間が過ぎていくだけ。
彼等は訓練された兵という訳でもなく、ただの市民。
小さな教会に男ばかりが数十人で同じ空間に立て篭っているという現状は、彼等にとって酷く苦痛だったようだ。
「だからって、暴れるんじゃねぇよ!」
「けどよぉ!!」
「こうなったら、領主館に直接乗り込むしか...!!」
「ダメだ!領主の野郎に隙を見せる事になるだろうが!」
くすんだ金髪の男の冷静な言葉に腹が立ったのか、茶髪の男は彼の胸倉を掴む。
ガタン、という音を立てて、金髪の男が座っていた椅子が倒れた。
「じゃあどうしろってんだよ!このままここに居てもなんも起きねぇんじゃ意味ねぇだろうが!」
「おれ、ばあちゃんが心配になって来たから一旦家に帰りてぇよ」
「俺だって、畑の様子見に行かんと」
「仕掛けた網、破れてねぇかな...」
教会の中は、まさに混沌とした状況と化していた。
そこへ姿を見せたのは、この教会の神父だ。
言い争う男達はそれに気付ける余裕も無く、喧喧囂囂と言葉をぶつけ合う。
「だからそれが一番悪ィ手なんだよ!!」
「うるせぇ!なら他の方法出せよ!!」
「皆さん!落ち着いて下さい!」
「てめぇがこんだけうるさくしてりゃ浮かぶもんも浮かばねぇだろうが!ちったあ静かにしやがれ!」
「お前が考えてる間にまた日が暮れちまわぁ!!大体─────」
言い争う男達の横を、木製のテーブルが宙を舞い、背後の壁に叩き付けられ、盛大な音が辺りに響き渡った。
予想外すぎるそれに、硬直する男達をよそに、神父はパタパタと埃を払うように手を叩きながら静かになった彼等を満足気に見詰める。
「みなさん、どうか落ち着いて下さい。
あなた達は少し前の話し合いで、領主が動くのを待つと決めていたではありませんか」
「あ、あぁ、そうだな、確かにそうだ」
「......いや、だが、このままずっとここにいる訳にも行くめぇよ」
「俺も仕事があるしなぁ」
「ばあちゃん飯食えてっかな...」
思い思いに言葉を発しながら、困ったように眉根を寄せる彼等に、当の神父も心の中で同意をする。
確かに、ここまで長引くなどとは一切思っていなかった。
愚かな領主なら、すぐに兵を差し向けてくると高を括っていたのは神父も同じ。
兵達に市民が攻撃されたとなれば、王都の教会本部へ連絡し、教会の上層部へ通じて宰相へと連絡が行く。
そうなれば領主としての技量無しとされ、領を治めるものとして相応しくないと、芋づる式に領主をその地位から引きずり下ろせる算段だったのだ。
そしてこの領地は、貴族には任せられないという宰相からの直々な“お願い”によって、神父のものになる筈だった。
少しずつ領民を洗脳していたのは、都合のいい使い捨ての駒を作る為。
だがしかし、ここに来てこんな誤算が発生するなど、一体誰が予測出来るだろうか。
一向に動かない領主に、苛立ちしか感じない。
少しでも鬱憤を晴らさせる為と、領主を誘き寄せる餌として彼等に教会へ立て篭るよう進言したのは神父である。
今考えれば、それが間違いだったとしか言いようがなかった。
だがこうなってしまえば、こちらもこれ以上動く事は難しい。
何も無かった事にして、解散!と出来れば良かったのだが、事はそう単純に行かない。
既に彼等は領主に声明を送ってしまっている。
にも関わらず解散となれば、街を騒がせたとして逆に処断される可能性が高い。
故にそれは悪手としか思えなかった。
ならば、どうするか。
「...協力者にお願いしましょう」
神父の声が、教会に響き渡る。
「協力者?」
「はい、その方にご協力頂いて、領主が動くように諭して頂きましょう」
神父からの思わぬ打開策に顔を綻ばせる愚かな男達は、思い思いに喜びをそのまま声音に乗せた。
「なるほど、それなら領主を懲らしめてやれるかもしれねぇ」
「そうだ!一泡吹かせてやろうぜ!」
「でも、誰に協力して貰うんだ?」
ふと浮かんだ疑問に、神父は普段と変わらぬ、見るものを安心させるような表情と声音で、口を開く。
「この街の代官、アーネスト・シェルブールさまです」
「待てよ神父さま、そいつは領主と一緒に街を巣食う悪だろう」
「だからこそ、ですよ」
静かに、穏やかな表情で、神父は普段通りに告げる。
愚かな男達は動揺しつつも、それでも信頼している神父の言葉を待った。
そして神父は、にっこりと笑いながら口を開く。
「彼は己の保身の為ならきっと領主を売ります。
そこを利用しましょう。
彼は全てが終わった後に、処断すればいいのです」
神父のその堂々たる言は、愚かな男達にとって僥倖にしか思えなかった。
普段通りの優しい神父なら、こんな策略めいた案を出す事など無い筈だというのに、極限のストレスを溜めた彼等にはそんな事に気付ける余裕などない。
神父の本性が見えた事にも気付かない。
何故なら彼等は、神父の教育により“神父さまは間違わない”という絶対的な思い込みがあるからだ。
愚かな男達は知らない。
代官であるアーネスト・シェルブールが、領主であるオーギュスト・ヴェルシュタイン公爵の乳兄弟である事を。
彼等は知らない。
アーネストが乳兄弟の中で一番狡猾である事を。
そして彼等は己から火に飛び込んで行く。
それが己が身を焼き尽くすとも知らずに。





