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先月より遅くなったすみません(´・ω・`)

 








 公爵が立ち去ったのを、顔を赤く染めたまま呆然と見送ってしまった少女は、ふとその事実を認識して、唇を戦慄(わなな)かせながら声音だけ忌々しげに呟いた。


 「なんですの、あの男...っ!」


 怒りか羞恥か、耳までも赤く染めながら、しかし、表情はいつも浮かべる優しげな微笑のままに、ギリギリと歯を噛み締める。


 少女にとって男という生き物は、自分の美貌や言動で思い通りに操れるものだった。

 だが蓋を開けてみれば、良いようにされたのは少女の方である。


 耳に残る、低く艶のある声で、ともすれば怯えてしまうような内容の言葉達。

 思い出すだけで腰にゾクリした違和感を感じるという異常な事態に、少女の苛立ちはただただ募った。


 「ふむ、やはりジュリエッタでは少々弱いかもしれませんね」

 「...どういう事ですの、お爺様」


 祖父の言葉に、少女は表情を変えないまま、しかし珍しく剣呑な声で言葉を返す。

 そんな少女に、祖父は穏やかな笑顔のまま、一つ頷いた。


 「あの男は、亡くした妻を忘れられていないのでしょう」


 祖父の言葉が理解出来ず、少女は一瞬動きを止めてしまう。

 それでも何とか意味を飲み込んで、何を言われたのか把握する。


 「亡くした、妻...?」


 祖父の言葉を反芻したその言葉は、理解した瞬間に少女のその身に巣食う苛立ちを倍増させた。


 あの男は、この、わたくしより、死んだ女の方が良いと?


 もはや既に存在しない女に、このわたくしが、負けた?


 キツく握り締められた細く小さな少女の拳は、余程強い力が込められているのか、血の気が引いて真白くなり、ふるふると小刻みに震えていた。


 「そう、...そうなの」


 小さく呟きながら俯いた少女は、誰にも見られない位の角度で、その美しい微笑を憎々しげに歪める。

 ぎち、という歯軋りの音が小さく響き、美しかった少女の顔は、まるで悪鬼のような醜さに変わった。


 「どうしました、ジュリエッタ」


 孫娘の豹変をどこか愉快そうに眺めながら、普段と変わらぬ優しげな声音と表情で祖父が問い掛ける。

 少女は、祖父の様子などどうでもいいのか、それとも気付いていないのか、地の底を這うような、酷く憎しみの篭った声で呟いた。


 「...こんな屈辱初めてですわ、絶対に許せません」

 「ほう、そうですか」


 祖父のそんな言葉に応えるかのように、少女が普段よりも楽しそうな表情でパッと顔を上げる。


 「わたくし、決めましたわ!お爺様」

 「何をですか?」


 どこか興味深そうに探るような視線を孫娘へと向ける祖父の問いに、少女は、ふわりと、普段よりも優しげな微笑を浮かべながら、まるで歌うように告げた。


 「あの男を、死んだ妻なんてどうでもよくなるくらいに絶望させ、辛酸を舐めさせ、もう嫌だと懇願しても止まない責め苦を負わせ、徹底的に潰して、壊して差し上げるのです!」


 うふふ、と無邪気に笑う少女の姿はまるで絵画の天使のようで、しかし、その瞳は昏く澱んでいる。


 「......なるほど」


 そんな孫娘の姿に、祖父は納得したように一つ頷くだけだった。

 祖父にとっては、結果として喜ばしい事であった為だろう。


 「ああいう男は、家族や身内が弱点ですわよね、お爺様」

 「そうだね」


 かつて祖父が公爵に対して行ったのと同じ手法を、孫娘も思い付いたのだろう。

 そう察した祖父はどこか微笑ましげな笑みで、ああでもない、こうでもない、と思案する少女を見つめながら、思う。


 あれは確かに効果覿面(こうかてきめん)だった。

 あの時の公爵の憔悴といったら、筆舌に尽くし難い程で、本当に、本当に。



 「...滑稽、だったねぇ...」



 目の前の孫娘にも聞こえない程に小さく呟き、そして、にぃやり、と、どこか歪つな表情を浮かべる老爺の瞳は、孫娘のそれよりも醜く、昏く、おぞましい。


 そんな祖父に気付いていないのか、それともどうでもいいのか、全く気にした様子も見せず、孫娘は楽しそうにはしゃいだ。


 「妻が死んでいて、今はもう無理なら、やはり息子ですわね!」

 「ほう、どうする気だい?」


 「まずはお爺様、わたくしに紹介して頂けませんこと?」


 話はそれからですわ。


 祖父に頼めば間違いないと信じ切っているのか、少女はうっそりと笑いながらそう言って、可憐に首を傾けた。


 少女の心の内が、憎しみなのか、恋情なのか、少女さえも理解しないまま。











 「うわぁ、ホントにタチ悪いな、あのヘドロ達」


 俺が、そう誰にとも無く呟いたのは、この場に誰かが居たとしても、声も、姿も、気配すらも悟られないと理解していたからだ。

 もし、気付かれたとしても、それは自分よりも格上の存在である、目の前で優雅に紅茶を飲んでいる“真紅”か、己の主であるヴェルシュタイン公爵くらいなものだろう。


 奴らの姿は見えるが、声は聞こえない位置、俺はそのテラス席で貴族の男に扮しながら、紅茶を嗜んでいた。

 目の前では貴族の少女に扮した“真紅”が、鼻を鳴らしている。


 「フン、ホントにその表現がピッタリね、あんな気持ち悪い存在がどうして生きてるのかしら」


 影と影を通して音を届ける闇の魔法。

 奴らの傍に植わっている木々の影と、俺の持っている紅茶のカップの影を通して聞いた、奴らが話していた内容に対して、“真紅”は鬱陶しそうな表情を浮かべながら溜息を吐き、呆れたようにそう呟いていた。


 豊満な胸を強調するような胸元の開いたドレスを着ている筈の彼女が、どう見ても清楚な貴族の少女にしか見えないというのが本当に不思議だ。

 眼鏡(まどうぐ)の効果とはいえ、全く理解出来ない。


 よっぽど良い物なんだろうな、とか思いながら、とりあえずで非難された先の擁護をしておく事にする。


 「アレは例外でしょ、殺したら国が乱れるっていうか」

 「それはウチの主様が無能だったせいよ」

 「あ、それ言っちゃうんだ」


 しかし、そんな俺に対し、当の真紅はキッパリと不敬な台詞を堂々と言い放ってしまった。

 暗に、野放しにしてた主、つまり、国王が原因だと言ってしまっている。


 「それはそうよ、最初の頃はともかく、この間まで歴代最高の無能さだったんだから」

 「え、そこまでなの?」


 「そうよ、頭領も呆れてたわ」


 「そうなんだ...」


 ...まあ、確かにあんなヘドロを放置してた時点で大分ダメな王だとは思ってたけど、部下からもそんな事思われてるとか相当だ。

 真紅という存在達にとって、簡単に処分する事が出来る筈なのに、それを放置しなければならないというのは、腹立たしい事なんだろうから、仕方ないのかもしれない。


 「でも、もう殺っちゃって良いんじゃないかしら? なにせヴェル様が再誕なされたのだもの、いい加減あんなヘドロからすげ替えるべきよ」

 「同感!絶対良い国になるよね」


 ウチの旦那サマなら、きっとあの物凄い魔力と知識と美しさで、それはそれは素晴らしい宰相になってくれる事だろう。


 「しっかしホントに此処の国民は見る目無いわ、ヘドロなんかロクな事してないのに」

 「ホントにな。アイツらがやった事なんて、横領に暗殺に密売に、あとは、なんだっけ?」

 「間諜と癒着と脱税じゃなかったかしら?」


 「そんなんを“聖人”とか“聖女”とか」

 「噂しか信じないからダメなのよ此処の国民は」

 「それな」


 つーか元雇い主とはいえ、こんな沢山の人があちこちに居るような場所で密談するとか、奴らは阿呆か何かだっただろうか。


 まあ、どうせあのヘドロ達には、例え誰かに聞かれたとしても、それを見たり聞いたりした誰かの言葉など、誰も信じないという自惚れがあるんだろう。

 だからこそ、見えない所で色んな事を、他人を操ったりしながら、暗躍しているのだ。

 あいつらは、ヘドロと呼んで差し障りが無い程度には腐っている。


 ジジイの方は旦那サマを殺そうとしてた事も含めて言わずもがな。

 孫娘の方は、加虐趣味の末期。

 裏では、スラム等の孤児や、没落貴族を救う振りして手元に置き、完全に信頼させた所で酷く裏切り、絶望させ、その表情を楽しんでからゆっくりと殺している。

 例えヤツらから逃げ出す事が出来たとしても、誰も信じないし、味方も居ない。


 外面の良過ぎる奴はこれだから面倒なんだ。


 それに引き換えウチの旦那サマなんて、此処に来た時点で俺達の存在に気付いてこっち見てたし、あのクソガキ女をめちゃくちゃカッコ良くあしらってたし、最の高以外の何でもない。


 今はまだ様子見してるみたいだけど、いつか旦那サマは、ヤツらをボッコボコのギッタギタのゲログチャにするんだろう。

 俺としても最近まで好き勝手に使われてたので、その際には是非とも混ぜてもらいたい。

 生来から、基本的にあんまり感情が無いとはいえ、結局の所、不愉快でしか無かったのだから。


 「ヤダ、何ニヤニヤしてんのよ、気持ち悪い」

 「大丈夫、“真紅”(アンタ)ほどじゃないよ」

 「ちょっと、ワタシを罵って良いのはヴェル様だけなの。アナタじゃ感じないんだから止めてちょうだい、気分悪いわ」


 うわ、なんか言い始めたこの気持ち悪いの。


 「アンタこそ、俺の旦那サマなんだからそういう事すんの止めてよね」


 あ、俺のとか言っちゃった。

 でも旦那サマは俺の主なんだからあながち間違ってないよね、...って何考えてんだ自分気持ち悪い。


 ホントに旦那サマの事になると感情がポンコツになるな、俺。

 全然大丈夫じゃないよねコレ。


 「なんですって...!?誰がアナタのヴェル様よ!!ワタシのヴェル様なんだから!!」


 ガタッと席を立って声を荒らげる彼女の言葉は、全く持って聞き逃す事が出来ない程のものだった。

 ちょこっとばかり頭に来た俺は、苛立ちのままに大人げなく反論する。


 「いやいやいやどういう頭してんの?つーか全力で拒否されてんだから諦めたら?」

 「アナタ馬鹿ねえ...、ヴェル様は照れてるだけなの!」

 「いや照れてるなら気配とか顔色に出るよね?」

 「そこがヴェル様の凄い所なのよ!?、分かってないわね!」

 「どっちがだよ!?」


 反論に訳の分からない反論を返され、余計に苛立ちしか募らない。


 あー!何なのこいつ!


 「あん!ダメだわ、あの冷たい眼差し、低い声、甘美な刺激、思い出すだけで濡れちゃう!」

 「聞けよテメェ!気持ち悪ィな!!」

 「だから、アナタに罵倒されても嬉しくも何とも無いって言ってるでしょ!?殺すわよ...!」

 「したくてしてるんじゃねーよこの売女が...!」


 頬を染めながら自分の体を抱き締め、くねくねと身を捩らせる気持ち悪い女に、嫌悪感と苛立ちでつい酷い言葉が口から出た。


 その時、不意にその女は、何とも色っぽく溜息を吐き、そして。


 「...んもう、ワタシったら、こんなのにまで愛されてしまうなんて、罪な女...」

 「...............は?」


 訳の分からない言葉を吐き出した。


 「でも、ワタシはもうヴェル様のモノなの、いくら愛を囁かれても応えられないわ、ゴメンナサイね」


 「.......................................は?」


 悲しげに長い睫毛を伏せながら、訳の分からない謝罪の言葉を述べる女の、余りにも意味不明な言動に思考が停止する。


 「良いの!分かってるわ、ヒトのモノほど眩しく見えるって、男のサガよね」


 自分は何もかも理解している、そう言いたげな女の態度に、俺の頭の中で何かがキレた。


 「.........はあああ?、なんでこの俺が、テメェなんぞに愛とか囁いた事になってんだよ自意識過剰にも程があんだろふざけんな気持ち悪ィんだよテメェ...!」


 低く唸るように、殺意と敵意を声音と態度に乗せながら、女を睨むと、そいつは一瞬、ビクッとその身を竦ませ、俯いてしまった。

 予想外の反応に、もしや恐がらせてしまったのかと、少し考える。


 よく見なくても、彼女は女性だ。


 いくら歴戦の暗殺者とはいえ、怒鳴られれば怯えてしまうという女性らしい感覚は残っていたのかもしれない。


 そんな考えの元、一応謝罪するべきだろうかと口を開こうとして。


 「...っ、今の、ちょっとヨかったわよ...」


 顔を上げた女が、頬を染めながらそんな返答をしやがった事に、なんとも言えない腹立たしさしか残らなかった。


 前言撤回だ。

 そんなモン無かった。

 ひと欠片も無かった。


 「俺はなんッにも良くねェわ、頼むから死ねよ!」

 「んふふ、ヴェル様程じゃないけど、まあまあの罵声かしら。美しさって、ホント罪ね」

 「ぐぉおお、なにこいつ前向き過ぎて逆にタチ悪ィ......!」


 頭を抱えながら、テーブルに自分の頭を打ち付けてしまいたい衝動と戦う俺。


 マジでなんなのコイツもうやだ。


 「子鼠の相手も予想外に名残惜しいけど、そろそろ時間だわ。それじゃあ、ヴェル様にヨロシクね」

 「誰がヨロシクするもんかよクソ女」


 「やだ、嫉妬?意外とカワイイのね」

 「死ねよ」


 雑に答えながら、とっとと行ってくれと切に願う。


 何が嫉妬だ、つーかどれに対してだよ。

 むしろ煩わしさしかねーわ。


 そう考えていたんだけど。


 「アナタのその目、わりと好きよ」

 「は?」


 唐突な言葉を投げ掛けると共に、おもむろに顔を近付けられて、その妖艶な笑みと整った顔に、ドキリと心臓が跳ねた。


 本当に突然の事に、訳が分からなくて全く動けなくなるほど体が硬直してしまった。


 ...俺の目は、灰銀だ。

 普通の人間がおおよそ持つ事が出来ない、この金属のような色彩は、色んな奴から“不気味”だの“気味が悪い”と言われ続けて来た。


 それを、好きだなんて、初めて言われたから。


 そしてソイツは、妖艶に微笑みながら、口を開く。


 「その、ゴミクズ見るみたいな目、ワタシ好み」

 「マジで死んでくれないかなコイツ」


 台無しだよ。


 「んふふふふ、じゃあね~」


 思わず脱力してしまった俺なんて全く気にした様子も無く、ソイツはそんな風に楽しげに笑いながら、俺の前から去って行った。


 ............嵐とか、そんなん通り越して竜巻みたいな奴だと思う。

 あの時の旦那サマの気持ちが痛いほど分かる。


 なにあいつ、なんなの、マジで。

 ホントに意味分かんない。


 なんであんなんにドキッとしたの自分。

 やだ、死にたい。


 アレかな、魔族の血かな。

 マジ厄介だなコレ。



 「シンザ、そこで何をしている?」


 耳通りの良い、低くて艶やかな落ち着いた声が俺を呼んだ事で、それが一体誰なのか瞬時に理解した俺は、ほぼ反射的に俯いていた顔を上げた。


 「っ!」


 そのまま、辺りに自分達以外の誰かが居ないかどうか、気配を確認する。

 この会話を誰かに聞かれてしまっては、自分の主である偉大な旦那サマに御迷惑が掛かってしまうかもしれないと思ってしまったからだ。


 今の所、誰もいない。


 居るのは、俺に呼び掛けた張本人、我が主君であり、旦那サマ、オーギュスト・ヴェルシュタイン公爵その人だけ。


 だが、俺がここで奴らの会話を聞いていた事は、旦那サマもご存知の事の筈。

 にも関わらず、わざわざ俺の前に来てくれたという事は、旦那サマは周りに誰もいないと分かっていらっしゃった事に他ならない。

 つまり俺は、焦り過ぎて空回りしてしまったらしい。


 ホントに何やってんだろ自分。


 自分で自分に呆れてしまう。


 「...どうした」


 再度の呼び掛けに、俺は改めて我が主君である旦那サマを視界に入れ、そして、


 崩れ落ちるようにテーブルへ突っ伏した。


 ごん、という鈍い音が響く。


 「......シンザ?」


 訝しげな旦那サマの声音に慌てて顔を上げると、冷静な中に困惑しているような雰囲気で、俺を眺める旦那サマが、俺の間近へと歩いて来ていた。


 え、ちょ、待って、待って待って、心の準備出来てない!

 ヤバい、どうしよう、旦那サマが目の前に!


 「いや、あの、ごめんなさい、何日かぶりに間近で旦那サマを見たモンだから、なんか、衝撃受けちゃって...!」


 どうしよう、なんか旦那サマ、めっちゃ良い匂いする!

 何コレ、よく分かんないけど凄い!


 頭の中では、そんな訳の分からない事を考えていたりしてもう大混乱だ。

 なんだか旦那サマを直視出来なくなった俺は、両手で顔を覆い、視界を隠す事で少しでも落ち着こうと試みる。


 だがその時、空気が一気に冷たくなった気がした。


 「...そんな事はどうでもいい」

 「アッ、ハイ。」


 苛立ちが滲み出たような旦那サマの言葉に、慌てて両手を下ろして背筋を伸ばしてから、勢い良く席を立った。

 背後で椅子がガタガタと音を立てたけど、そんなモン気にしてる余裕は無い。


 そのまま姿勢と態度を取り繕った俺は、改めて簡単に説明する為に口を開いた。


 「...えっとですね、俺なんかがやって、おこがましいかとは思ったんですが、この通り、潜入して情報を集めてました」

 「...そうか」


 俺のやってた事なんて分かり切っているだろうに、旦那サマは何事も無かったかのように頷く。


 「それでですね、一応さっき旦那サマが向こう行った後の奴らの会話を聞いてたりもするんですが...」


 言葉を濁すようにそんな確認をしようとして、気付いた。


 ...何言ってんだ自分、馬鹿か。

 旦那サマがココに居る時点で俺の情報を確認しに来たに決まってんじゃん。

 だってあの時、俺達に気付いてこっち見てたんだから。


 マジでなんなの自分、どんだけポンコツになれば気が済むの。

 俺をこんなにさせるの旦那サマだけだよ、って何か変な言い方考えちゃった何コレやだ。


 「...情報は少しでも多い方が良いが、この場では不適切だ。帰還後、書面に纏めたまえ」


 「あ、はい、分かりました...」


 淡々とした旦那サマの返答に、なんだか少しだけいたたまれなくなって、つい、歯切れの悪い感じの返答をしてしまった。


 そして、そんな俺に気付かない旦那サマでは無い訳で、旦那サマはどこか怪訝そうな面持ちで俺を眺める。


 「...どうかしたかね」


 そんな静かな問いに、言葉はポロっと零れ落ちた。


 「いえ、俺の情報って必要なのかな、と」


 だって旦那サマだから、俺くらいの事、きっと簡単に出来てしまう筈だ。

 そう考えたら、俺みたいな奴なんて、旦那サマには不必要なんじゃないか、なんて。


 そんな事を考えてしまったのだ。


 この感情が何なのか、全く分からないままで。


 「何を言っている?」

 「へ?」


 どこか不愉快そうに聞き返して来た旦那サマに、つい、間抜けな声が出た。

 だけど、当の旦那サマは冷静に、淡々と、まるでそれが当たり前みたいに告げる。


 「情報は多い方が良いに決まっているだろう」

 「や、でもですね、旦那サマが既に知ってる内容だったら意味無いじゃないですか」


 ついしてしまった反論に、旦那サマはまたしても、怪訝そうな雰囲気を醸し出しながら緩く首を傾けた。


 「貴様は馬鹿か」


 断言された!?


 「同じ情報など殆ど存在しない。見る者が違えば、違う観点からの情報となる」


 風の精霊の悪戯か、辺りを一陣の風が通り抜けて、冷静な分析を口にする旦那サマのサーコートの裾が、フワリと持ち上がる。


 「例え内容が同じだとしても、それだけで整合性の増す有益な情報だ」


 氷みたいな透明度すら感じてしまう青い瞳から目を逸らせなくて、反論する気さえ起きない。


 「どんな些細な情報でも、そこから全く異なる新たな情報が見える事もあるだろう」


 旦那サマの言葉にただ耳を傾けながら、その青い瞳に見据えられ、一歩も動けなくなった。


 「あまり己を卑下するな、私が必要としている事実があるのだから、それ以外の理由など要らんだろう」


 静かに断言されたそんな言葉は、するりと胸の中にまで染み渡って、フワフワとした不可解なモノに変化した。


 暖かくて、嬉しい、そんな何かに。


 これが一体何なのかは、感情について初心者な俺には理解出来ない。

 だけど、そんなの生まれて今まで感じた事が無かったから、なんだか物凄く混乱してしまった。


 必要とされている、たったそれだけでこんなにも感情が掻き乱されてしまう。


 泣きたいような、それでいて満たされるような。

 ...もしかして、これが感動、ってやつなんだろうか。


 感じた事の無い感覚に動揺が隠せなくて何も言えなくなってしまった。


 そんな俺を見兼ねてか、旦那サマが不意に、その口元を緩めた。


 「まぁいい...私にはまだ挨拶回りが残っている。帰った時、直ぐに読めるようにしておきたまえ」

 「っはい!かしこまりました!」


 「...ではな」


 たったそれだけを告げて踵を返す旦那サマは、そのまま颯爽と去って行く。

 その後ろ姿に、ただ、思った。


 やっべえ...旦那サマめっちゃカッコイイ...!!


 掌を、胸を抑えるように心臓の上へなんて当てなくても分かるくらい、心臓が撥ねていた。

 まるで耳元で心臓が音を立ててるみたいだった。


 あの変態の時とは比べ物にもならないくらい。


 うん、あれ、魔族の本能によるただの気の迷いだったわ。


 

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― 新着の感想 ―
[良い点]  リアルなら、加虐趣味と被虐趣味のマッチングが上手くいったらと思うんです。奇跡的な出会いだと思いますし。  物語なら物語で、百合SMの吸血鬼と聖女の支配と被支配で属性てんこ盛り一丁!って感…
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