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 今から12年前、王国歴722年のその年の春、ルナミリア王国は隣国の聖フェルディナンド法国と対立、結果戦争が勃発した。

 当時の法国側の言い分は『かの王国は、賢人を使って何か良からぬ事をしようとしている、ゆえに、我が国はそれを阻止する為に進軍する』というものだった。


 勿論、そんな証拠も一切無ければ、槍玉に挙げられた当の賢人本人ですら寝耳に水であり、何もかも全て法国側の言い掛かりでしかなかった。


 この時、全く明言されなかった法国側の真意は、王国の豊かな土地だろうと思われる。


 樹海に囲まれた険しい山岳は魔素を多く含み、その山々から流れ落ちてくる清水は山からの栄養を多く含んでいた。

 えぐり取られたように広がる土地にはその清水の栄養が行き渡り、王国の土地はどこを開墾しても構わない程、様々な産業に適しているのだ。

 しかも海に面した部分の土地は、切り立った山々が天然の防波堤となり、正に理想的な港として機能していた。


 反して、隣国である法国の土地は荒地が多く、隣接する樹海の木の根やそこから出現する凶暴な魔物に阻まれ、開拓には向かない。

 主に他国からの輸入に頼りながらも、法国は国独特の法力という力を使う僧兵を教育し、それを各国へ派遣する事により法国の認めた宗教を各地に広め、各教会に集められる寄付金を糧に国を成り立たせていた。


 ちなみにこの法力と呼ばれる力は、明言されていない為周知されている訳では無いが、恐らく、体術を極めた際に会得出来る『気』と呼ばれる力の事だと思われる。


 当時よりも百年以上前にならば、法国と王国は何度か戦争をしていたが、その時はどちらかの国にどちらかの国が戦争になってもおかしくない行動を取った結果だった。


 事実、百年以上前の書物に遺されていた王国と法国の当時の戦争の原因は、海から王国へ渡って来た魔族が法国内で暴れ回り、王国側がこれを庇った事だ。


 法国では人間以外の種族に対して差別意識が根付いており、対して、王国側は貿易が盛んな国柄、様々な種族と交流していた。

 王国側では普通の人間と変わらぬ待遇なのにも関わらず、王国から隣国の法国へと一歩でも足を踏み入れれば、他種族は奴隷のような扱いを受ける。


 王国の記録では、その魔族が暴れたのは、愛する家族が法国の人間に捕えられ、更に奴隷として売られた挙げ句、助けに行ったその場で惨たらしく殺された事が原因であったという。

 そんな事をされれば、誰だって暴れるだろう。

 王国としては、弱きを助け強きをくじく、法国としては、国としての面子を守る為、それぞれがそれぞれに、一応の信念があった。


 だがしかし、今回の戦争はそんなものが何一つ無い。


 ゆえに、王国側としては訳が分からないとしか言いようがなかった。


 それでも王国側は、なんとか戦争にならないようにと、穏便に誤解を解く為に使者を送ったのだが、法国側はこれを拒否。

 誤魔化そうとしても無駄だ、大人しく殲滅されろ、と暗に宣言している文書と共に、使者であったはずの者の首が王国へ送られた。


 そんな中、王国内でとある病が流行り始めた。

 『枯木病』である。


 閉鎖された国ゆえに、広がるのは早かった。


 そして追い打ちをかけるように、法国軍は王国の領土に進軍。

 真っ先に矢面に立たされたのは、国の入口に位置し、賢人の一人が治めるシルヴェスト辺境伯領であった。


 それまで、賢人が国の戦争に参加しないのが、暗黙のルールのようなものであった。


 だが、今まで領土が見舞われてきた信念ある戦争とは全く違う、法国側の身勝手な言い分によって戦火に沈み行く自分の領土を見て、賢人である彼はこの時初めて徹底抗戦を決意。

 結果、立地的に王国軍よりも早く戦場に辿り着けた彼の大規模殲滅魔法により、法国軍は壊滅状態に陥るまで追い込まれた。


 王国軍が急いで救援にと駆け付けた頃には、戦場は既に焼け野原であったという。


 それまで賢人がとてつもない力を持っている事は知られていたが、人間から再誕した賢人はそれほど強くないと言われていた。

 他に確認されている賢人が獣人であったりエルフであったりしたのが原因と言えるだろう。


 結果として、この戦争を期に、全ての賢人に対する世界各国の認識は覆ったのである。


 この敗北により国力が削がれた法国は、病により疲弊していた王国へ停戦を打診。


 それは、『王国の流行り病は神の天罰であったにも関わらず、法国は気付かずに王国に進軍してしまった、大変遺憾に思っている』といったなんとも勝手な内容であったのだが、戦争が止まるのならこれ幸いとばかりに王国側はこれを受諾。


 翌年の秋、二国は停戦協定を結んだ。


 これが、12年前の事の起こりと、顛末である。


 これだけ見ても、法国がどれだけ手前勝手な国か、良く分かる事だろう。


 今回の王国側の落ち度としては、険しい山々に閉鎖された国だから、というのを言い訳に、法国との接触が少なく、友好な関係を築く事が出来ていなかった事と、もう一つ、王国側の気弱な態度が原因だと言えるだろう。


 過去、様々な事が原因で戦争になった国と仲良く出来るかと言われればキツいものがあるかもしれないが、それらがなんとか出来ていれば、法国から下に見られ、適当な理由で攻め込まれた挙げ句、国土を荒らされそうになったりするような事にはならなかった筈だ。


 王国側は法国に対し、賠償責任などを申し立てても良いだろうにも関わらず、そんな事よりも立て直す事を優先した結果、法国は未だに王国に対して対等とは言い難い態度を取り続けている。


 その原因は、あんまりあの国に関わりたくないという理由もあるだろう。


 しかし真実は、友人を犠牲にしてしまった国王自身が長らく馬鹿になっていたせいだった。

 ...が、つい先日、その友人の一人が還って来たと思っている王は、今後一体どうするつもりなのだろうか。


 神は、彼らに介入するつもりなどない。


 なにせ神にとってヒトとは、蟻に等しい存在だ。


 虫篭の中の蟻のコミュニティに、それ程まで気に掛ける人間など、幼い少年か、余程の蟻好きくらいなものだ。


 この世界の神はどちらかというとそのちょうど中間だろうか。


 幼いと言えば幼い、そして、人間が好きかと問われればまあ、興味深いよね、程度である。


 ある程度好きだから観察する。

 だから、たまたま興味を持った世界の『ロールプレイングゲーム』という存在の中でも気に入ったとある世界を作ってみようと、それに近くなるよう似た雰囲気の世界に手を加えた。

 強い個体も作ってみた。

 様々な種族も作ってみた。


 神にとって時間軸など存在しない。


 神にとってオーギュスト・ヴェルシュタインが死んだ時、高田陽子は女優として生きていたし、高田陽子を間違って死なせた時、オーギュスト・ヴェルシュタインは唯一の妻と結婚式を挙げていた。


 高田陽子の魂を、オーギュスト・ヴェルシュタインの肉体に突っ込んだのは、男子小学生が爆竹をカエルの尻に突っ込んだような、ただの残酷な興味だ。


 悠久を存在し続ける神にとって、それは暇潰し以外の何でもない。


 ただ、面白ければそれで良いのだ。


 神は笑う。


 観察していた、国を戦争に導くよう定めた存在と、ただの噛ませ役として定めていた存在の肉体を授肉されてしまった、哀れな女だった存在。


 見つめ合う彼らを観察し、ワクワクしながら。
























 ここがどこだかは分からないが、視線を巡らせばどこかの貴族が仲良く談笑している姿も見える、庭園の小路。

 帽子が飛ばない程度の緩やかな風が通り抜け、それが木々や草花を揺らして、サアッという爽やかな音を立てた。


 パーティに集まった雑多な人間達の匂いが押し流され、自然の香りが鼻を掠めて行く。


 だが、私の気分は爽やかとは程遠く、どちらかと言えば最悪だ。


 白い、一枚布で作った、ワンピースとも違う、なんか、あの、アレだ。

 海外のホラー映画とか、ドラマとかで出て来る神父さんとかその辺りが着てる服。アレ。

 アレを白い色を基調にした感じの服を着た、無駄に優しそうな笑顔を浮かべたおじいさん。


 オーギュストさんに毒を盛り、もしかしたら戦争が起きるように暗躍したかもしれない、この国の宰相。


 侯爵、っていうと、オーギュストさんの記憶では、公爵の次に偉い地位。

 公爵と侯爵って漢字にしないと違いが分からないからめちゃくちゃ紛らわしいよね廃止して欲しい。


 そんな事を考えながらも目の前のジジイを見る。


 記憶の中とは年齢が違うからか、皺が深くなったり増えていたりなど、いささか外見の違いがあるが、醸し出される雰囲気は全く変わっていない。

 昔は流していた前髪は、今日は全てオールバックにされている。

 後ろ髪は昔は存在しなかったのに、今は軽く流されていて、なんというか、ヤンキーとかにそんな髪型してるの居たよね。

 まあ、年齢のせいかボリュームはあんまり無いのだけど。


 見た目は本当に優しそうなおじいさんだ。

 笑顔で常に細められているらしいその目が、たまに薄く開く時以外は。


 私を見る、ふとした時に全く笑っていない目と目が合う。


 イラッとした。


 ただでさえ余裕無いのに、なんで今こんな所に居るんだよこのジジイ。


 「これは、宰相殿ではありませんか。昨日はご挨拶も出来ず申し訳ない」


 演技は、いつも通り。

 堂々と、冷静に、淡々と。


 ここで声を震わせたり、焦った様子を見せるのは良くない。

 中身に余裕なんて無くても、外身は余裕たっぷりじゃないとダメだ。


 弱味なんて、一欠片も見せてはならない。

 というか、見せたいとすら思わなかった。


 オーギュストさんの記憶力は、本当に凄い。

 この、なんとも言えない胡散臭さ、じりじりと感じる敵意、そして、まとわりつくような不快感。

 これら全て当時のまま、変わる事なんて1ミリも無かったようだ。

 むしろ、隠してこれなら、何もかも全てが表に出た時、物凄い事になるんじゃないだろうか。

 積もり積もっている可能性もある。


 「いえいえ、あの騒ぎの中で公爵様が会場に留まり続けるのは得策ではありませんでしたでしょうから、仕方ありませんよ」


 にこにこと笑いながら、物凄く穏やかな表情と声で、目の前のそいつはそう言った。


 なるほど、暗に逃げた事を責めて来たか。

 仕方ないとか言いつつ、目が全く笑ってない。


 でも今のオーギュストさん、ただでさえスペック向上しまくってんだから、例え一瞬だとしてもバレバレだ。


 ......つーか、対等なようで上から目線だなこいつ。

 なんでお前から仕方ないとか言われないといけないのか理解出来ない。

 それは私が言うべきであって、お前は立場的に何でもかんでも肯定しとかなきゃいけないんだよ本来は。


 貴族の上下関係舐めてんのか。


 アレだ、お客様は神様ってヤツ、あれが本来店側が言うべきであって客が言うのは間違い、ってのと同じ、同じ?いや、なんか違うけどとりあえずそんな感じだよ。


 差別とかそういうんじゃない。

 秩序を守る為の区別でも無い。

 プライドを守る為とかそういうのでも無い。


 むしろ、そんなものは不必要で、邪魔でしかない。


 オーギュストさんの知識では、貴族ってのは上位であればあるほど責任が重い。

 特に、オーギュストさんの血筋である王家に連なる家の者という見えない血統書は、例え他の家に嫁いだとしても付いて回る。


 公爵家とは、王家に何かあった時の、最悪の場合の時の為の、保険なのだ。

 本来は大公という地位もあったけど、これは王弟や王兄が臣下である貴族として降った時にだけ発生する。


 だが今代は、男子が今の王のみ、ただ一人しか産まれなかった為、王弟や王兄は存在せず、今の王が即位した頃には大公は前王の兄であるがゆえにかなりの高齢で、戦争が起こる少し前に亡くなられていたし、そのお子や御家族も、戦時中の病で亡くなった。

 つまり、今はもう存在しない家だ。


 だから今のヴェルシュタイン公爵家は、唯一のスペアなのだ。


 一番王家に遠く、そして、一番近い、スペアという存在。


 ゆえに、お家断絶なんて絶対にさせてはならないし、だからこそヴェルシュタイン家の血は重い。


 正統な血筋というのは、それだけで抑止力にもなるし、とてつもない影響力を持つ。

 つまり、それだけ他の貴族家よりも責任があり、比べ物にならない程に重い地位なのだ。


 そんな家の当主に毒を盛った挙げ句に、上から目線で話すとか、どう考えてもダメだろう。



 記憶から察する事が出来たオーギュストさんの地位は、国を動かしてしまうかもしれない責任を負う。

 そしてそれは義務だ。

 だからこその、王家に次ぐ程の地位。


 だからこそ、王家だけしか、公爵家に介入する事が出来ない。


 なにせ、唯一の身内なのだから。


 ......これは、誇りとか、プライドとか、意地とか、そんなものが傷付けられたとか、そんなナマっちょろいものじゃない。


 国の歴史や沢山の人の生き方、そういった根本的な部分が軽んじられている。

 それに対する苛立ちだ。


 頭おかしくなってたオーギュストさんは人の事言えないけど、完全な他人である私としては、それまで頑張ってたオーギュストさんや王様、王妃様の事も何となく記憶で知ってる訳で、腹立つ以外のなんでもなかった。


 ......公爵家を馬鹿にするってのは、王家を、そして、この国を馬鹿にしてる、って事になるんだよ。


 それをこいつは理解してるんだろうか。

 してねぇだろうなぁ。


 してたら普通は気付くもんなぁ。


 あぁ、馬鹿には難しいか。

 かわいそーにねー。


 なんでこんなんが国の重鎮やってんだよ、誰だ決めたの、あ、先代の王様か、見る目無ぇな。

 なんで今の王様このジジイを辞めさせなかったんだ、あ、マトモな人も派閥に取り込まれてたせいで国の運営が出来なくなるかもしれんからか。


 マジでタチ悪いなこのジジイ。


 「ふむ、そう言って頂けると有難い限りだ」


 一瞬の間につらつらと頭の中で並べ立てた思案と、悪態や罵詈雑言をおくびにも出さず、全く堪えた様子も無い演技を継続しながら、淡々と告げる。


 めちゃくちゃ腹立つけど、ここは全く動じずに上から目線を返すべきだろう。


 「病に倒れたと聞いておりましたが、随分とお元気になられたようで、本当にようございました」


 ホッと、安心した、とばかりの表情で穏やかな笑顔を顔面に貼り付けたジジイは、うんうんと頷きながらそんな返答をしやがった。


 うわなにこいつめっちゃ皮肉凄い。

 自分が毒盛っといて何言ってんの。

 良かったとか欠片も思ってないだろ絶対。

 いやもうホント何言ってんのこいつ。


 シバキ倒すぞ。


 考えながらも、表向きは全く動じず、むしろ薄く、笑みの表情を顔に作る。


 「心配を掛けたようですまないな、この通り、体重も元に戻ったくらいだ」


 皮肉に皮肉を返しながら、サラリと言ってやった。


 ざまみろ、お前が殺そうとしてたオーギュストさんは賢人という世にも尊い存在になりましたよー?

 むしろ有難いくらいだよねー?良かったねー?


 ねえねえ、今どんな気持ち?ねえ今どんな気持ち?


 ...これの元ネタ知らんけどまぁいいや。


 しかし、そりゃもう悔しいよねー?、完全に裏目に出ちゃったもんねー?


 内心で目の前のジジイをめちゃくちゃ馬鹿にしつつ、だけど頭の冷静な部分が嘆いた。


 お前が毒を盛らなきゃオーギュストさんは死ななかったんだよ。

 お陰様で私が賢人だよ。


 何してくれてんだよクソジジイ。



 「いえいえ、しかし懐かしいですね、まるであの頃に戻ったようです」


 私の言葉や態度に対して、にこにこと変わらぬ笑顔を見せながら、穏やかな声で懐かしむような態度を見せるソイツは、一瞬忌々しそうな感情を視線に乗せていた。


 えっ、なに?悔しい?悔しいの?

 ざまあみろ。


 ジジイのソレに、多少溜飲が下がった気がした。


 「12年前の事かね?」

 「ええ、そうです、私は随分と老いてしまいましたが...」


 「老いたのは私も同じだ。当時と比べれば同じだけ老いている」


 一瞬、内心でめちゃくちゃ馬鹿にしてやろうかとも思ったけど、完全なるブーメラン発言になりそうなので止めておく事にして、無難な会話を心がける。


 そんな会話の最中でも、スペックの高過ぎる頭が思考する事は止まらなかった。


 12年前の戦時中、大公家が病で断絶、ヴェルシュタイン公爵家もその病気で大打撃。

 更に最近になって当主まで毒殺しようとしていた。


 共通点は王家の血筋と高い地位。


 ついでに、この国の今の王様には妾というか、側室というか、そういった存在が居ないので、現時点で王族の人数はたった5人と少ない。

 国王として、次代の為の保険に、スペアという名の兄弟や腹違いの子供でも沢山必要なのにも関わらず、王妃様に長く子供が出来なかった時でさえ、側室の話は却下されていた記憶があった。


 もちろん、却下したのはこのジジイと、その派閥の人間だ。

 王と王妃の仲を裂くような存在など城に置けない、そう言って。


 そして、オーギュストさんの毒殺依頼者はこのジジイ。


 そう思い付いて、必然的に浮かんだ推測に、ゾッとした。


 「おやおや、公爵様はまだお若いでしょうに」

 「そうかね?」

 「そうですそうです」


 物凄く頑張って、変わらぬ演技を続けながら、ジジイを見る。


 ...もしかして、このジジイ、隣国と繋がってるんじゃないだろうな。

 まさかとは思ったけど、そう考えると色々と腑に落ちる。


 だけど、それが真実だとしたら、オーギュストさんがまだ学生とか、そんな頃からずっとっていう事にならないか?

 ずっとずっと前から、少しずつ侵蝕していくみたいに、こうなるように画策していたんじゃ?


 根拠は無いけど、そんな気がした。


 なら、このジジイをオーギュストさんがずっと警戒していたのも理解出来る。

 一体何が目的なのか、分かりたくもなかった。


 怯えながら、それでもなんとか対策を練らなくちゃと考えたその時、ふと、誰かがこちらに近寄って来る気配がして、意識が現実に戻った。


 内心ではやっぱりジジイが恐ろしくて怯えてしまっていたのだけど、そんなの表に出す訳にいかないから、必死に、着ぐるみをかぶるみたいに、態度と表情は変えずに、どこか軽い足音を立てながらやって来るその誰かへ向けて視線を送る。


 すると、それに気付いたジジイもそちらへ視線を向けて、朗らかに笑った。


 「おや、ジュリエッタさんではないですか、どうされました?」

 「お爺様をお見掛けしましたので、ご挨拶に参りましたの」


 そう言って姿を現したのは、18才とかそこらくらいの、優しそうな笑顔を浮かべる、とても綺麗な少女だった。


 王妃様の金髪よりも、薄桃色っぽい金髪の、サイドを編み込んだフワフワロング。

 銀色の装飾が目立つ、大粒の真珠があしらわれた髪飾り。

 形としては、なんだろう、カチューシャとチェーンで、こう、チェーンを菱形の格子状に交差させながら後頭部を覆うみたいに垂らし、接着してパールで飾ったみたいな、ちょっと説明の難しいめんどくさいデザインだ。


 ドレスはローズピンク色の、お姫様みたいなデザイン。

 若くて細い子しか似合わないやつだ。


 「ふむ、そうですか、あぁ、そうだヴェルシュタイン公爵様、紹介しましょう、孫娘のジュリエッタでございます」

 「お初にお目にかかりますヴェルシュタイン公爵様。

 ラグズ・デュー・ラインバッハの孫に当たります、ジュリエッタ・ラインバッハと申します。どうかお見知り置き下さいませ」


 ジジイに促され、鈴が鳴るような声、という表現がぴったりの、可愛らしい声でのご挨拶と、淑女の礼をする少女。


 ただし、さすがは孫。

 めちゃくちゃ上から目線である。


 人が話してる最中に登場しておいて、すみませんとか、失礼しますとか、そんな一言も無い。


 ジジイ譲りの胡散臭いニコニコ笑顔である。

 嫌な予感しかしない。


 とりあえずジジイの事は恐いから後で考えるとして、今はこの少女を分析するべきだろう。


 「ふむ、これはこれは、美しいお嬢さんだ。宰相殿もさぞ鼻が高い事だろう」


 「まあ...!、公爵様にそう言って頂けるなんて...」


 試しに煽ててみたら、恥ずかしそうに俯きながらも頬に手を当てて、困ったように、はにかむ少女。


 しかし、一瞬だけ合った視線に乗せられた感情は、何というか、仄暗かった。


 それは、年若い少女が持っていて良い感情じゃない。

 怨みとかそういうのじゃなくて、澱んだ欲とか、そういった普通とは明らかに掛け離れた、理解不能な何か。


 正直に言って、気持ちが悪かった。


 とても可愛らしい少女の皮を被ったケダモノが眼前に立っているような、そんな不快感だ。


 どうしよう、こいつもヤバそうだ。


 「公爵様、宜しければジュリエッタと一曲踊って頂けませんか?そろそろ良い年齢ですのに、孫娘と来たらまだ決まった相手が居ないのですよ」

 「もう!お爺様ったら、やめて下さいませ、わたくしみたいな小娘がお相手なんて、公爵様に迷惑ですわ」


 ふふふ、と笑いながらのジジイの言葉に、内心だけだけど鳥肌が立つ。


 しかもこの少女、なんで満更でもなさそうな態度取るんだ、やめろ。


 とりあえず嫌な予感しかしないので、無難な言葉で断わっておこうと思います仕方ないよね!


 「ふむ、私のような男が彼女のような美人と踊ってしまえば、彼女の今後の結婚に響いてしまうかもしれん。

 自慢ではないが、私の評判は地の底だからね。彼女の為に辞退させて頂こう」


 冷静な態度で淡々と言い放つ。


 そのせいで冷たく聞こえてるかもしれんが、それならそれで好都合だ。

 いくらイケオジでもこんな態度取られたら嫌でしょ、きっと。


 つーかこんな若い子と踊ったら、若い子を手篭めにしようとしてるみたいな誤解されるの確実じゃん、やだわ。


 「まあ...なんてお優しい...!でも、お気になさらなくて宜しいのですよ?わたくし、そんな事全く気に致しませんわ」


 うふふ、とか可憐に笑いながら小鳥みたいに首を傾げ、そう断言する少女は、とてもキラキラしていた。


 何でだよ、こっちが気にするわ。

 私の言葉をどう聞いたらそんな発言になるの。

 マジで何考えてんだこの娘っ子。

 アンタが気にしなくてもこちとらめちゃくちゃ評判悪いオジサマだぞ、世間体ちょう大事だっつーの、空気読め。


 いや、もしかしなくても空気読んでてこれなのか?

 なんせジジイの孫だもんな、絶対裏があるだろコレ。


 その可能性は、とても高い。


 現に今、少女は私の元へ、しずしず近寄って来ている。

 ジジイから紹介された以上、断られるなんて思ってもいないのか、私を使って会場までエスコートさせようと差し出される白く細い手に、嫌悪感しか感じなかった。


 これでこの少女の手を取ってしまえば、ジジイの思う壷だろう。

 しかし、だからといって強引に拒否してしまえば、それはそれで問題だ。



 ならば、どうするか。



 簡単だ。

 私は年長者なのだから、スマートに窘めれば良い。



 思い浮かべるのは、尊敬する、素敵なあのイケおじ俳優さん。

 時に優しく、ダンディーで、そして、色気も、迫力もある演技。



 差し出された手を掴まず、一歩前に出て、少女の左肩に私の左手を乗せる。

 そのまま、少女の耳元へ顔を寄せ、軽く囁いた。


 「駄目だよ?」


 「えっ...?」


 一瞬何を言われたのか、少女は理解出来なかったのだろう。

 戸惑ったように、そんな声を零した。


 そこに畳み掛けるように、低く、そして、艶と、威圧を声音に混ぜながら、囁く。


 「君のような美しいお嬢さんが、身を守る事を放棄しては駄目だ。

 男という生き物はいつまでも男であるがゆえに、獣なのだから」


 「...っ!」


 ビクリと身体を震わせ、顔を真っ赤にさせた少女は、この時だけ年相応に見えた。


 こうかは ばつぐんの ようだ!


 いや、元ネタ知らんけど。



 「それでは、失礼」



 私はそのまま少女とすれ違い、ジジイには簡単に挨拶をすませて、立ち去ったのだった。



 あー、めんどくさかった!!

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