25
ルートヴィッヒ・シェヴァ・ルナミリアは、第一王子である。
ルナミリア王国の王族として生まれ育ち、今年ようやく12歳となった。
銀糸のような髪は陽の光を受けるとキラキラと輝き、その琥珀色をした瞳は光の加減で黄金にも見える。
この特殊な瞳の色は、初代国王が月の女神ルナミリアより賜ったと伝わる神眼“デーフェクトゥス・オクルス”を発現させる事の出来る者であるという証であり、王家の血筋でも稀にしか生まれない。
ゆえに彼は巷で聡明と名高いもののまだまだ幼く、いずれ即位する黄金の瞳の次期国王としてこれからを期待されていた。
王族で金の瞳という事は、特別な意味を持っていたのである。
だが彼は、その幼さゆえ傲慢であった。
しかし、それには理由がある。
世界屈指の美しい景観を持つルナミリア王国。
現在その国を統治している国王は、民から“不遇の王”と呼ばれていた。
王位を継承し、即位し王妃を娶ってからこれまで、まず子宝に恵まれず、更に戦乱に巻き込まれ、その間に友人を病で失った。
学生時代に王に見初められ、望まれて王妃となった彼女は、爵位の低い貴族の娘であった為、元より王家の者としての立場が弱かった。
更に、長く子に恵まれなかった事で、王妃は子が産めないのではないか等と国中から噂され、結果更に立場が弱くなってしまった王妃の影響力は無いと言っても差し障りが無い程であった。
それだけならまだしも、王は臣下にも恵まれなかった。
その筆頭として挙げられるのがオーギュスト・ヴェルシュタイン公爵である。
領地では圧政、振る舞いは傍若無人、醜く肥え太った家畜のような男。
王は、かの公爵に弱味でも握られているのか、公爵を罰する事も出来ず、野放し。
むしろ陛下は、公爵の尻拭いを必死にこなしているらしい。
ゆえに、いつ国が傾いてもおかしくないというのに、まだ国が存続しているのだ。
一般論として、それが国中の認識であった。
能力は高いのに、人材に恵まれず、不幸が重なった王。
だからこそ、その息子として黄金の瞳の王子がこの世にようやく生を受けた時、戦時中とはいえ国中が歓喜した。
だが、期待を一心に受けた王子は、人材に恵まれない王の戦時中の采配や戦後処理による多忙と、下がり切った影響力を回復する為に地盤を固める事に必死な王妃の奔走により、余り両親と会う事も出来ず、寂しい幼少時代を送った。
そんな彼に救いの手を差し伸べ、後見人として名乗りを上げたのは、ルナミリア王国唯一の良心、ラグズ・デュー・ラインバッハ侯爵である。
彼は黄金の瞳の王子の為に優秀な教育係を探しに奔走し、本人も家庭教師として王子と共にあった。
これが、一般的に民衆が認識している王家の現状である。
だが、その全ての結果が、今の王子であった。
次代の王として知識だけは詰め込まれ、一般常識と人格形成が後回しにされた王子は、傀儡として、とても都合の良い王になる事だろう。
全てが自分の都合の良いように事が進み、誰も自分を否定しない、夢のような日々。
それが王子の世界である。
教育係を変えるべきだ、侯爵に家庭教師などさせるべきではない、王妃は常日頃訴えていたが、影響力の無い王妃の言葉など誰も聞く耳を持たなかった。
そんな王妃の言葉は王子に届かず、侯爵の手で歪んだ形で伝えられた。
──......王妃様より、私が貴方様の家庭教師に相応しくないと言われてしまいました。
普段は第二王子殿下に付きっきりですのに......──
──......母上は一体何をお考えなのだ!僕から侯爵殿を取り上げるというのか!......──
王子が、王妃の深意に気付く筈も無く、彼は断固拒否の姿勢を示した。
体の弱い第二王子が生まれた事で、第一王子が生まれた頃よりも王妃の影響力は落ちていたゆえに、王子自身が了承しない限り、それが実現する事など無かった。
一番の被害者は王妃である。
やっと産まれた愛しい我が子は、自分で育てようとしたのにも関わらず、自分の影響力の弱さで他者に取り上げられ、他人の手で育てられている。
しかも、忙しいという取って付けたような理由で会う事すらもままならない。
親子ゆえに、お互いが切に会いたいと願っている事など、誰も知らない。
そして、それを阻んでいるのがラインバッハ侯爵だという事も。
王妃は、体が弱いせいでいつ死ぬともしれない第二王子を育てる事だけしか許されなかった。
そんな事を知る訳も無い王子は、自分は両親に愛されていないのだと思い込んでいた。
だから、自分が都合の良い傀儡として甘やかされて育てられているなど気付く筈もなく、ただ愚かで賢く、そして傲慢に育ったのだ。
その点を考えれば、王子も被害者と言えるのかもしれない。
ルートヴィッヒ・シェヴァ・ルナミリアは、第一王子である。
ゆえに、自分に逆らう存在など何処にも存在しなかったのだ。
クリスティア・ローライスト伯爵令嬢という存在に出会うまでは。
彼女は初対面から王子に口答えし、謝罪もなく去っていった。
予想外過ぎて反応すら出来なかった王子は、いずれ立場に気付いた令嬢が自分から必死に謝罪に来ると高を括っていた。
しかし、更に予想外は続く。
全く音沙汰が無かったのである。
本来の歴史の流れでは、王子はこのままなんの変化もなく育ってしまう。
だが、それもここまでだった。
次に令嬢と出会ったのは、本来の歴史の流れとは違う、建国記念パーティの会場であった。
少女を見付けた王子は、大声で言い放つ。
「ようやく来たのか!クリスティア・ローライスト!」
そんな呼び掛けに、少女の肩が跳ねた。
どこか慌てて振り向く少女に、王子は内心で嘲笑う。
しかしそれも次の瞬間瓦解した。
「まあ、殿下...、大変お久し振りにございます。
わたくしなどの名前を覚えて下さり、光栄にございます」
国の王子を前に、何故か冷めた、サラっとした対応である。
それでも少女が、きちんとした礼節を持って、丁寧な振る舞いをしている事にも王子は気付かなかった。
ゆえに、王子は更なる苛立ちを募らせるだけ。
「御託はいい!お前、私に言うべき事があるんじゃないか!?」
いくら王子でも、こういった場で女性に怒鳴るという行為が推奨されている訳が無い事など、常識や人格形成を後回しにされた王子は知る訳が無かった。
そんな王子にも、少女は冷静な判断で怒鳴り返す事もせず、淑女らしく答えた。
「......えっと、まずは本日、無事建国記念日を迎えました事、真におめでとうございます。
臣下として、この国の益々の繁栄を...」
「違う!、いや、違わないが、そうじゃない。
先日の件だ!」
強調するように少女を指差しながら被せ気味に怒鳴る王子の様子は、どこか必死だ。
そんな王子に、少女は変わらず冷めた視線を向ける。
「...先日?、あの時の事でしたら、わたくし、謝罪致しませんわ、むしろ、謝罪して頂きたいくらいです」
「なっ...!?」
キッパリと告げられた少女の言い分は、王子にとって考えられない返答であった。
反論する言葉が全く出て来ない王子に対して、少女は凛とした態度で言葉を口にする。
「ですが、もし、謝罪する必要があるとすれば、一つだけです」
王子には訳が分からなかった。
だが、分からないなりに、謝罪されるという事には気付いた王子は、どこか尊大な態度で口の端を上げる。
「...なんだ、言ってみろ」
王子は、自分が自信たっぷりのドヤ顔を周りに披露している事にも気付かず、上から目線で先を促した。
そんな王子に、少女が地味にイラッとしていた事になどやっぱり全く気付いていないのは、もはや王子クオリティといった所だろうか。
だが、それでも、と少女は王子へ向けて頭を下げる。
「あの日、殿下を必要以上に悪く言ってしまった事の謝罪を。
あれはわたくしの八つ当たりでした。大変申し訳ありません」
少女の謝罪に気を良くした王子は、少女を嘲笑った。
やはりこの国の王子に逆らうなど愚かな事をするから、頭など下げねばならんのだ。
そう考えて、ふん、と鼻で笑う。
そして、王子は尊大に宣った。
「うむ、その謝罪受け入れよう。
だが何故私に謝罪させたいなどと戯言を言う」
いくらあの日の謝罪されたとはいえ、本日の発言までは謝罪されていない。
耳聡い王子は、いや、心の狭い王子は、たった一回の謝罪でそれら全てを無しにする事など矜持が許さなかった。
不意に、少女が優雅に、そして、たおやかに口を開く。
「......殿下、無礼を承知で申し上げます」
「なんだ、私は寛大だからな、聞いてやらん事も無い」
この尊大かつ上から目線の、とてつもなく偉そうな態度は、もはや王子クオリティとしか言いようがなかった。
そんな王子に、少女はまたしてもイラッとしていたのだが、それも貴族の子女らしい毅然とした所作で隠しながら、説明を始める。
「例えば、殿下の尊敬する方が居たとします、その方をわたくしに貶されたら、憤ったり、怒りを覚えたりしませんか?」
「何を当たり前な事を、怒るに決まってるだろう」
「つまり、そういう事ですわ。
あの時、わたくしは殿下に憤ったのです」
キッパリと断言された少女の言葉は、王子には理解出来なかった。
それでも王子は頭の中で、あの日の会話を反芻させ、前後の会話からあの時少女が憤った自分の言動を推測し、考える。
尊敬?
あの、豚のような男を?
この少女が?
余りにも言動が理解出来なかった王子は、嘲笑混じりの半笑いを少女へ向けた。
「......待て、まさかお前、あの公爵を尊敬していた、のか?」
「尊敬している、の間違いですわ!それに、おじさまの事をろくに知りもしないのに勝手な思い込みで蔑まないでくださいませ!」
自分を睨み付け、口元を隠すように扇を開く少女が声を荒らげる。
あぁ、そうか、この少女は頭が悪いのだ。
だから、あのような男に騙されるのだ。
愚かな方は自分だという事にも気付かない王子は、少女をただ嘲笑った。
「あんな輩の何を知れと言うのだ?
醜く、下卑た、豚のような貴族、それ以外何がある」
そう言った次の瞬間、少女の表情から一切の感情が消えた。
「それ以上仰るのでしたら、その高貴なお口を捻り上げさせて頂きます」
「っ!?」
まるで人形のような表情と瞳で、王子を見据える少女。
研ぎ澄まされた刃を見せられたような本能的な恐怖が王子を襲った。
予想外で、理解不能。
それでも王子は、王子であるがゆえに一瞬狼狽えるだけに留める事が出来た。
だが、少女と目を合わせる事が出来ずに逸らしてしまう。
そんな王子は、少女から光の無い目でじっと見つめ続けられているのを肌で感じていた。
「謝罪して下さいませ」
淡々と、しかし重ねて強調するように告げる少女に、王子はただ恐怖を感じた。
何だこの女、さっきまでと全く違うじゃないか。
怖い、今まで僕にこんな態度を取る者なんて誰も居なかったのに!
訳も分からないまま、それでも王子は王族としての矜恃の為、なんとか恐怖を押し込め、必死に口を開いた。
「っお前、何を言っているのか、理解しているのか!」
「当たり前です」
キッパリとそう言い切った少女に、王子は泣きそうになった。
もうやだこの女めっちゃ怖い、誰か助けて。
つい弱気になってしまったその時、その場に新たな人物が現れた。
カツリカツリと、硬質な靴音が辺りに響くと、いつの間にか出来ていた人垣が割れ、壮年の男が姿を見せる。
「一体何の騒ぎだね?、淑女が声を荒げるものではないよ、クリスティア」
「おじさまっ!?」
その言葉に少女が慌てた様子で振り返る。
だが、王子の記憶に、その男の存在は全く無かった。
しかし、全く見覚えが無いにも関わらず、どこかで見たような既視感。
「......誰だ?」
思わず、そう呟いてしまっていた。
そんな王子の呟きに、その男は一切の澱みの無い、素晴らしい騎士の礼をした。
「これは王子殿下、以前の生誕パーティ以来、ご無沙汰しております、ヴェルシュタイン公爵家当主、オーギュストでございます」
「誰だ貴様!!」
名乗られた名前と、記憶の中の外見の一切が一致しなかった王子は、大声で問い返した。
王子の頭の中は、混乱しかない。
壮年の男は体勢を元へ戻すと、顎に手を当て、どこか考えるような素振りを見せた後、何でもない事のように言葉を返した。
「ふむ、ひと月ほど患っている間に随分と痩せてしまいましたからな、無理もありますまい」
「痩せただと!?そんな生ぬるいものじゃないだろう!!別人ではないか!!」
痩せただけで、こんなにも変わってしまう筈が無い。
あの豚のような男が、こんな、父上にも劣らない美丈夫になる訳が無い。
あの、まるで農民らが食肉の為にだけ育てたような豚と変わらぬ大量の脂肪は、一体どこへ消えたというのか。
面影など、青みがかった銀髪と、アイスブルーの瞳と、性格が悪そうな目付きだけしか残ってないじゃないか!
常識の欠けた王子は、そんな考えの元、不躾に男を指差しながら断言する。
そんな王子に対して、男の方は堂々と口を開いた。
「別人とは、おかしな事を仰る。
殿下がお産まれになる前はこのような体躯だったのですよ?」
「なっ、そんな、僕の産まれる前の事など知る訳がないだろう!!」
事実かどうかが全く分からない話を持ち出して来るなんて、なんて卑怯な男だろう。
訳の分からない事を言って誤魔化そうとしたって、僕はあの女のように馬鹿じゃない、そんな言葉で騙されないぞ...!
そんな風に思い定める王子を尻目に、男は顎に手を当てたまま、緩く、首を傾げた。
「ふむ、おかしいですね。殿下が知らない訳が無いのですが」
「なんだと!?」
冷静な男の言葉は、王子の神経を逆撫でした。
それでは僕が馬鹿だと言っているのと同じようなものじゃないか!
男を睨み付け、荒々しく問う王子に対して、当の男は身長差ゆえに王子を見下ろしながら、サラリと告げた。
「謁見の間へ向かう回廊に、若かりし頃の国王陛下夫妻と、私と亡き妻が共に居る肖像画が飾られております」
「......へっ?」
その返答は余りにも予想外であった。
王子は思わず呆然と男を見ながら、そんな間抜けな声を発する事しか出来なかった。
そんな王子を放置して、自分には関係無いとばかりに男は言葉を続ける。
「ご存知ありませんか?では、後日にでも陛下にお聞きすれば良い。
きっと、殿下の知り得ない学生時代の話も聞かせて下さる事でしょう」
「え」
王子の口からぽつりと、そんな声が零れた。
自分から会いに行けば父に会えるなど、考えた事も無かった。
侍従や侯爵殿に相談しても忙しくて無理だろうと、余り邪魔をしてはいけないと諌められてばかりで、自分の部屋から抜け出す事は有っても、そのまま父や母に会いに行く事が出来るかもしれない、という事には気付いていなかったのだ。
この時、許可なく会いに行ってはいけない、という王子の中の、ラインバッハ侯爵に植え付けられた歪んだ常識が、覆された。
呆然とする王子を前に、不意に男が一礼する。
「では殿下、私はこれにて御前失礼致します。
さてクリスティア、行くとしよう」
「えっ、あっ、えっ?」
礼の後、さり気無い所作で少女をエスコートしようとする男に、少女は戸惑った様子を見せた。
王子は、様々な事が起こり過ぎた弊害か、常識を覆された混乱と戸惑いと、それをこの、自分を馬鹿にした男にされたという苛立ちとで、完全なパニックに陥っていた。
それでも、王族としての矜持が許さなかったのか、無理矢理に声を上げる。
「ま、待てっ!」
王子の呼び掛けに、男はピタリと足を止め、静かに、そして堂々とした態度で振り返り、王子を見た
「何かございましたか?」
丁寧に、そして優雅さを含んだ所作で聞き返す男に、王子は訳が分からないまま、しかし何も考えずに思った事を口にした。
「貴様、何を企んでいる...!?」
王子の脳内では、自分の信頼する侯爵が、誰だかも知らない男性と話していた声だけの会話が蘇っていた。
──......いえ、ただ、少し不安になってしまったのです。
もしや、あれ全て、己の地位を確立する為だけにやったのではないかと.........──
──......まさか、やはりあれは公爵本人ではないと...!?......──
──......姿形は確かに公爵でしたが、本物かどうかはで、私には判断出来ません。
しかし、あの光、あのくらいならその辺りの魔術師にも出来るように思います......──
──......それはつまり、あの公爵は、偽りの賢人、と?......──
──......いえ、断言は出来ません。
ですが、その可能性の存在に、つい不安になってしまったのです......──
記憶力の良さには自信が有った王子は、会話の一語一句を思い出し、そしてその結果、パニックだった頭は一気に冷静になった。
そうだ、この男は、一体何をどうやったのかは全く不明だが、公爵本人では無いのだ。
他人であり、偽者で、皆を騙している最低な嘘つきだ。
実は王子のその考えが真実に一番近いのだが、これは一体何の皮肉だろう。
だかしかし、一応本人の肉体であり、記憶もあるので、完全なる別人とは言い難いのが微妙な所である。
そんな王子を前に、男は変わらぬ態度で問い掛けた。
「......何が仰りたいのですか?、殿下」
「姪を己の傀儡にするなど、何も企んでいないなんて言えんぞ!あまつさえ、賢人を名乗ったそうじゃないか!」
信頼を通り越して、心酔に近い感情を己の姪に位置する少女に抱かせるなど、悪い事を考えていなければする訳が無い。
どうせ、傀儡として育てた姪を王子である自分にあてがい、王となった時口出ししやすいようになどと浅はかで愚かな事を考えているのだろう。
その考えがほぼ完全なブーメランになって自分の信頼する侯爵殿へ向かっている事など知りもせず、そう思い込んだ王子は自信を取り戻した。
王子を見据える男は小さく息を吸い、それからハッキリと言葉を発する。
「私を疑うのは構いませんが、クリスティアを貶めるような事を仰らないで頂きたい」
「えっ?」
そう言った男の表情はまるで人形のように表情が無く、一瞬何を言われたのか理解出来なかった王子は、何度か瞬きを繰り返し、それから首を傾げた。
しかし男は王子を無視し、淡々と続ける。
「殿下の仰りようでは、我が姪であるクリスティアが愚か者のように言われていると同義。
彼女は傀儡などになる程、愚かではありません」
王子にとっては無礼としか感じなかった男の言葉に、ついカッとなった王子は、思考する事を放棄するように激昂した。
「っお前の言う事など信用出来るか!」
「ならば、彼女を婚約者候補から外すよう、此方からも進言致しましょう」
「なんだと...!?」
すぐさま返ってきた男からの言葉は、またしても王子には予想外以外の何でもなく、驚愕に目を見開いて、それ以降の言葉を続ける事が出来なかった。
「私にとっては可愛い姪だ。生涯を共にするかもしれない相手から疎まれ続けるなど、可哀相です」
続けるように告げられたそんな男の言葉を頭に入れ、それがようやく理解出来た時、王子は苛立ちしか感じる事が出来なかった。
「お前がそれを言うか...!」
偽者で、嘘つきで、卑怯者の癖に、何もかも自分の思い通りになるとでも思っているのか
なんて奴だ、なんて、最低な奴なんだ!!
そんな王子を前に、男は何処か呆れたように、ふう、と息を吐いた。
「......先程も申し上げましたが、私を疑うのは構いません、私の信用など地に落ちておりますからな」
「何が言いたい...!」
王子は、男の言い分を促すように、まるで射殺すような視線を向けながら告げる。
「......殿下」
ふと、底冷えするような低い声と共に呼び掛けられ、男と目が合う。
すると、王子は生まれて初めて、自分の血の気が下がって行く音を聞いた。
「っ...!?」
それは、さざ波のような、なんとも言えない音だった。
心臓はうるさいくらいに音を立てているのに、寒くて仕方がない。
何か言おうとしても、出てこない。
目を逸らそうと考えたけど、逸らしてしまえばきっと自分は殺される。
本能的に、王子が一歩後退った。
「あまり私を侮らないで頂きたい」
全てを凍てつかせ、隙を見せれば生命を奪っていくかのような、青い瞳が怖くて、恐ろしくて仕方がなかった。
怖い、怖い!怖い!!
なんで、どうして僕がこんな目に!
余りの恐怖に涙さえも出ない、声も、息も、何もかもがあの青い瞳に止められてしまった。
だが、その感覚は不意に消えた。
「おじさまっ!」
そう言って、少女が男の服の裾を引いたからだ。
まるで、何事も無かったかのように、男は穏やかな表情で少女を見る。
「どうかしたかね、クリスティア」
「子供の喧嘩に、大人が口を出さないで下さいませ!」
キッパリとした口調で、諌めるような言葉を男へと掛ける少女に、王子は別の意味で肝が冷えた。
目の前で一応の知り合いが殺されてしまう気がしたのだ。
それは周りの野次馬達も同様で、辺り一帯から息を飲んだような密やかなさざめきが起きる。
しかし、皆の予想通りとはならなかった。
「クリスティア、君の言いたい事は理解出来るが、此処は公共の場、騒ぎにする事は得策では無いのだよ?」
男は穏やかに、そして優しく少女を諌めたのだ。
一番始めに騒ぎを起こしたのは誰かと言われれば、それは王子であったのだが、賢明な少女は謝罪の言葉を口にする。
「それはっ、...大変、申し訳なく思います...」
自分は少女に助けられた。
それを理解は出来ても、認めたくなかった。
自分が謝る事で全てが解決するなど王子の頭には微塵も無かったゆえの結果なのだが、王子にとってそんな事は知る訳も無い。
そんな王子はスルーされ、男は少女へ優しい言葉を掛けた。
「君を責めるつもりは無い、まだ子供なのだから間違えるのは当たり前だ。
だが、この場が喧嘩に向かない事は理解出来たかね?」
「はい、淑女にあるまじき行いでした...」
「では、何をすべきか、分かるね?」
それはまるで、父親が小さな子供を優しく注意するような、微笑ましさのある光景であった。
その様子に、周りの野次馬達もホッとした雰囲気になる。
男の言葉をきちんと理解した少女が、嬉しそうに、そして、何処か誇らしげな表情を見せた。
「勿論ですわ!
皆様、お騒がせ致しまして申し訳ございませんでした。わたくしはこれにて失礼致しますので、どうか皆様、パーティを楽しんでくださいませ」
くるりとスカート翻しながら、野次馬達へと向き直り、優雅に、そして可愛らしく呼びかける少女は、可憐で、会場の誰よりも美しく見えた。
それはまるで、小さな白百合のような美しさだった。
吊り橋効果、というやつなのかもしれない。
だかしかし、王子にそんなものは知識に無い為知る訳も無く、その笑顔を作ったのがあの男だという事が気に入らなくて仕方が無かった。
「殿下?」
「...っ!」
男の呼び掛けに意識が現実へ浮上した王子は、そういえばこういう時は自分も何か言わないといけないのではなかったかと思い至り、必死に言葉を考える。
だが、上手く言葉を纏められず、悔しい気持ちが去来した。
無意識に、ギリッと歯軋りの音を響かせてしまうが気付く者は少ないだろう。
そして、改めて王子らしい毅然とした態度で辺りを見回した。
「っ皆、騒がせて、すまなかった」
たったそれだけしか答えられず、王子は王族として、悔しくて仕方が無かった。
王子の言葉でようやく解散して行く野次馬を目の端に捉えながらも、王子は少女から目を離す事が出来なかった。
そんな中、男は少女を伴いつつ礼をし、改めて王子へ声を掛ける。
「では殿下、失礼致します」
「ごきげんよう、殿下」
男の後に続くようにそう言って、可憐に去って行こうとする少女を見て、それから苦々しい思いを抱えながら、2人へ視線を向けつつ、王子は答える。
「......あぁ、パーティを楽しむと良い」
その王子の言葉は、まるで虚空へ消えていくかのような感覚がした。
何とかして、少女をあの悪魔のような男から助け出さねばならない。
そして、そんな王子の頭には、一つのとある仮説が成り立ってしまった。
公爵として成り代わる事の出来る技量、そして、あの、とてつもない恐怖感。
あの男はきっと、魔族なのだ、と。
とりあえず一言言うなら、この王子かなりの馬鹿だ。