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ジーニアス・シルヴェスト辺境伯
彼は齢69の頃、盗賊に襲われた娘婿を庇って凶刃に斃れた。
元々が魔術士であった為に、近接攻撃には弱かったのが原因だった。
だが、なかなか出来なかった娘の腹にようやく宿った命、その孫の顔を見るまでは、という一心でか、理由は定かではないが彼は賢人として再誕した。
以降、彼は五百年に渡り、己の一族と共にある。
気付けば国から辺境伯としての地位を叙爵され、ある土地の守護を任されるようになっていた。
月の女神、ルナミリアを主神とする一族が建国したルナミリア王国は、二つの土地だけを残し、四方を険しい山に囲まれた土地に建国されている。
遥か上空より見れば、まるで広大なクレーターの中に国があるような形になっている事が分かるだろう。
何故こんな閉鎖された形になったのかは古文書でも大戦より以前の歴史の為か消失しており、真偽は定かではないが、一説では賢人同士の決闘の余波で出来たのではないか、というものが最有力視されている。
その上、国を囲む山の向こうは魔物が歩き回る樹海であり、道は無いに等しい。
唯一樹海を安全に通行する手段は、樹海のどこかに隠れ住むエルフに協力を要請するしかないのだが、人間嫌いのエルフ達がそんな事をする訳もなく。
それ以外の手段で、陸路で安全に国へと至るには、国の玄関口にあるシルヴェスト領、つまりジーニアスの統治する渓谷を経由しなければならない。
そんな場所柄のせいでか、隣国との戦争の際には何度も戦火に見舞われていたが、賢人であるジーニアスを慕ってか、民が他領へ避難する事はあれど、戻って来ない事が無いほど、統治能力は高かった。
そんな彼は、今、己の寝室のベッドに、俯せでダイブしていた。
「......何百年か振りに死ぬかと思った」
大の字に四肢を投げ出した状態で、ぴくりとも動かぬままに呟かれたそんな言葉は、途轍もなく重々しかったが、しかし安堵に満ちていた。
賢人であるジーニアスがここまで疲弊してしまった原因は、先程まで面会していた人物に有る。
オーギュスト・ヴェルシュタイン公爵
ルナミリア王国で唯一、海に面しているヴェルシュタイン領は、シルヴェスト領が陸路での重要拠点ならば、海路での重要拠点となっている土地である。
海の向こうにあると言われる魔族の王国、魔国ネロ・ジークス、彼の国が攻め入って来た場合、真っ先に戦火に沈むだろう
その土地を治める人物である。
「まさか、あれ程までとは思わんかったわい...」
彼は微動だにしないまま、はぁ、と息を吐いた。
前々日くらいから、新たな賢人が同国で再誕した事は感覚で分かっていた。
そして、近い内に己にコンタクトを取って来るだろう事も、容易に予測出来ていた。
だが、実際に対面してみたら、神にも等しいんじゃないかと錯覚する程、何もかもすべて、桁外れの男だった。
魔力、覇気、洞察力、そして、美貌。
妻を亡くし、暗愚となっていたなど全く考えられない程であった。
特に魔力など、魔術士であった己と比べものにもならない程、途方もない量を有している。
普段は隠しているからか、周りの人間には何の影響も無いようだが、ストッパーを外してしまえば、街が一つ魔力当りで機能しなくなるだろう。
そこまで考えて、ジーニアスは身震いした。
当の本人は魔力の隠蔽なんて高等技術を己がオートで行なっている事も知らないし、むしろ魔力何それ美味しいの?ってくらいファンタジーに対する知識が皆無なのだが、それをジーニアスは知る由も無い。
故に彼は考える。
...あの御仁を敵に回すべきではない、と。
そんな事をしてしまえば、この国はいとも容易く滅ぶだろう。
それでも敵対意志が無い事を示す為には、一族の当主にしか見せた事の無い、己の素を、何もかもすべて曝け出すしかなかった。
取り繕ったような賢人らしい態度など、あの公爵は直ぐ様見抜き、己を疑うだろう。
つまり、対面時の余裕のある態度や言動は全て、年の功による見栄と意地だけで形成されていたのだ。
「恐ろしい男じゃ」
ぽつりと呟いたものの、そこでふと、ジーニアスは公爵の目を思い出した。
『...いや、今でも失う事は怖いと思っているよ。
故に、いつか同じ事を繰り返してしまわないか、とても不安だ』
静かにそう語る公爵は美しく、そして、悲しい目をしていた。
あれは正しく、絶望というものがなんなのかを知っている目であった。
妻を亡くした事は、公爵にとって大きな傷となったのだろう。
幸いと言うべきか、公爵の方はジーニアスの方が立場が上だと考えてくれていたのか、敵対する意志は全く無いように見えた。
ジーニアスが公爵に出来る事は、この先に続いて行く長い時の中で、彼が道を踏み外さぬように、先人として導いてやるだけだ。
「...悪い男では、無い、か...」
それだけが唯一の救いである。
もし、あの外見通りの、冷徹で残酷で、性格の悪い男であったら。
そう考えるだけで世界が終わってしまう気がした。
本来、賢人という存在がどういうモノか、賢人である当人も不明である。
だが、心根の悪い人物が賢人となった例は未だかつて存在しない。
故に、公爵が悪い人物である筈が無い事は分かっていた。
「しっかし、近年稀に見る悪人面じゃったわい...」
理解していても、怖かったのだ。
公爵の、外見が。
でも、そんなのを知られるのはシャクだから、あの態度は崩さないようにしよう、とジーニアスは思う。
だがそこでふと、絶望してしまいそうな事実に気付いてしまった。
「前例が無いだけだったらどうしよう...」
もし、そうだったなら。
とにかく媚びを売って庇護下に入り、自分の一族だけでも助けてもらおう。
彼はそんな決意をしながら、くすん、と鼻を鳴らしたのだった。
「...一体何だったのでしょうか」
「様子見と、見極め、だろうな」
後片付けをしていた執事さんがぽつりと呟いた言葉に淡々と答えながら、羽ペンを羊皮紙の上に走らせる。
「見極め、ですか」
手を止めず、布巾でテーブルを拭きながら私の言葉を復唱する執事さんの姿を視線の端に捉えつつ、ペンを持っていない左の手で書類を手に取った。
「敵となるか、味方となるか、自分はどの位置が良いか、そんな所を見極めたかったのだろう」
あ、この書類また計算間違ってるわ。
うわ、こっちに至っては計算途中じゃないか。
何してんだマジで、オーギュストさん仕事しろよ。
黙々と書類の書き直しをし、時折インク壷にペン先を浸しながら、確認していく。
おじいちゃんの言う通り、誰かを雇ったり、手伝って貰ったりするべきなんだろうけど、そうも行かないのが現状である。
何せ、信頼出来るのは執事さんしか居ないのだ。
だけど執事さんはこの屋敷を纏めているし、私のスケジュール管理だって体調管理だって他にも仕事が盛り沢山。
そんな彼に、オーギュストさんがサボった分を手伝って欲しい、なんて言える訳がなかった。
「なるほど、賢人とは名ばかり、という訳では無いのですね」
「だろうな」
納得したような返答の執事さんに、鷹揚に頷きながらペンを走らせた。
その時ふと、片付けを済ませたらしい執事さんが書類を手に近寄って来るのが視界の端に見えた。
「旦那様、お仕事を増やしてしまって申し訳ないのですが、昨日売った調度品と、お召し物の生地が意外に高く買い取って貰えましたので、その書類を此方に」
おお、その書類でしたか。
一体何かと思ったよ。
「ふむ、そうか。では今期の収入の書類と共に保管を」
「畏まりました」
いつになるか分からんけど、年末までには今年の分を纏めなきゃならんから、その時に計算しなきゃなぁ。
記憶では、毎年新年にその年の収支報告書とかそんな感じのヤツを国に提出してるっぽいのである。
...それまでに、再計算を終わらせなきゃならない。
そうじゃないと今年の計算が出来ないのだ。
斬首とかヤダもん。頑張るしかない。
...あれ、ちょっと待て。
今って、いつだ?
待って待って待って。
凄い今更気付いたどうしよう。
ていうか今まで良く疑問に思わなかったな、私一体どうした。
そうか、混乱してたんだな。
仕方ない仕方ない。
スケジュールの管理その他もろもろ、全部執事さんに任せてた弊害だね。
だから余計に気付かなかったんだろう。
よし、...そういう事にしとこう!
そういう事にしといて下さいお願いします。
いやいや、それよりも、問題はこれからどうするかだよ。
知らないままで居るなんて駄目だ、予測が立てられない。
なんの予測かって、社交界シーズンとか、季節感とか、大体そんなんだ。
なんせ私は賢人。
暑さや寒さが分からない。
全部適温です有難う御座いました。
笑えない。
服装は執事さんがカバーしてくれるとしても、人と関わらなきゃいけない時に、季節感丸無視した話題とか話してしまうかもしれないのだ。
そんな事をしてしまえば、季節さえも分からない、なんて思われてしまっても可笑しくない。
ナメられる→あ、コイツ雑魚じゃね?→よし、蹴落とそう!
そんな流れにならないという保証は無い。
あかん。それは駄目だ。
よし、まずはとりあえず、今がいつなのかを知る事から始めよう。
それだけでリスクが減るんだから確認しておかない手は無い。
.........どうやって?
えっと、あれ、どうしよう。
一番早いのは執事さんに聞く事なんだけど、今更過ぎて聞けなくない?
だって起きてから三日経ってるよ?
あかん、これ駄目だ。
次に良い手は、さっきの書類にもしかしたら日付入ってるかもだからそれを見せて貰う事なんだけど、ついさっき纏めておけ、って言った手前、持って来いとか不自然過ぎる。
これも駄目だ。
あれ、どうしよう。
ヤバイ、マジどうしよう。
こうなったら、こんな時は、持ち前の機転の良さを発揮するしかない。
頑張れ私......!
えーと、えーと、えーと。
うん、よし!こうしよう。
「アルフレード」
「は、なんでございましょう?」
「そういえば、本日中に署名が必要な書類などは無いのか?」
「ふむ、少々お待ち下さい。調べて参ります」
「頼んだ」
執事さんが私の言葉に恭しく一礼した後、この場から離れて部屋の隅の書類の山の方へと歩いて行ったのを見計らい、席を立つ。
よし!今の内にさっきの書類を、...............どこ行った?
もしかして執事さん、一緒に持ってった?
その辺の書類を漁ってみるけど、全く見付けられなかった。
うわー、マジか。
えー...、どうしよう。
次はもう、執事さんが持って来るかもしれない書類に期日が書いてある事を祈るだけだ。
仕方なく席に戻りながら、また書類の見直しする為にと羽ペンを構えた。
「旦那様、お待たせ致しました」
「早かったな」
途端に執事さんが帰って来たんだけど、ホントに仕事早いな執事さん。
「旦那様の御為ですので」
恭しく一礼しながらの執事さんの言葉には、当然だ、とでも言いそうな表情が垣間見えた気がした。
うん、気にしない。
「...それで、どうだった?」
「本日中ではありませんが、取り急ぎ署名の必要な物をお持ち致しました」
「そうか」
幾つかの書類を受け取りながらも鷹揚に応えるけど、内心は絶望である。
はい、詰んだー!!
結局今日っていつなんだよ...!
内心だけで泣きそうになっていると、署名欄に日付を書かなきゃいけない事に気付いて余計に泣きそうになった。
ていうか、これなんの書類だ?
...ノルド・ロードリエス伯に対する融資?
いや、融資とか、そんな余裕あるのか計算終わってないから分からんよ。
え?何これ、融資しなきゃダメなの?
赤字になるかもしれないのに?
ていうかコレ、何の得があるの?
え?別に何にも得とか無くない?
記憶を探ってみたら、なんか国一番の腐った貴族、という情報が出て来た。
うん、要らんね。
捨てよう。
「...アルフレード」
「は、何か?」
若干不思議そうな雰囲気を醸し出す執事さんに書類を差し出しながら、キッパリと言い放つ。
「この書類は捨てておけ」
「......宜しいのですか?」
「あぁ、必要無い」
「畏まりました。」
恭しく礼をする執事さんを視界の端に捉えながら、小さく息を吐いた。
全く、あんなしょうもない融資するとか、オーギュストさんにも困ったモノだ。
腐った貴族に融資したって、国が傾く訳でも無いし、なんなら自分が巻き込まれる可能性だってあるのに。
まあ、それが狙いだったんだろうけどさ。
後の事とか考えて欲しいよ全く。
いや、オーギュストさんがそんなん知る訳無いのは分かってるけどさ。
...あ、捨てたら融資しないって事だから、後で色々言ってくるかな、この伯爵。
面倒くさいな、どんな顔か全く記憶に無いけど。
まあ、検索したら出てくるんだろうけど、全く興味無いし、スルー対象って事で。
うん、なんて内心だけで納得しながら、次の書類に視線を落とした。
何だこれ、えーと、あぁ、この国の建国記念日に王家主催のパーティがあるのか。
これは参加しなきゃなんだろうなぁ。
だって公爵家当主だし。
欠席なんてしたら、国にとって都合の悪い事考えてますよ、後ろめたいですよ、って言ってるようなモノだ。
ついでに知り合いっぽい人達に挨拶出来たら後が楽だけど、そう上手く事が運ぶ訳が無いので諦め半分にしておこう。
あ、これも日付書かなきゃなんだ。
......だから、今っていつだよ...!
今が分からんから建国記念日がどのくらい先なのかも分からんよ!
準備とかは執事さんに丸投げするけど、気付いたら当日でした、的な事になるよ絶対に。
うん、もう良いや、執事さんに聞こう。
知らぬは一生の恥、知るは一時の恥ってやつだ。
あれ、順番逆だっけ?まあ、どっちでも良いよ。
「アルフレード、今日は、いつだ」
「本日は王国歴734年7月5日に御座います」
なんか普通に答えられた。
普通に、答えられた。
...えっ、今までの私の葛藤なんだったの。
なんか、うん、えっと、..................まあ、良いや。
なんとも言えない脱力感に苛まれながら、さらさらとペン先を走らせてオーギュストさんのフルネームを署名した後、机の引き出しから小さい箱を取り出した。
記憶の通りなら、この中には公爵家の印が入っている筈だ。
婚約指輪が入ってそうな濃い赤色のベルベット製っぽい箱を開けると、白金色の印鑑があった。
印は、月と薔薇がモチーフになっている。
なんで薔薇かというと、この家の初代、つまり廃嫡された王族であるひいひいおじいちゃんが、薔薇が好きだったらしいから、なんてほっこりする理由だったりする。
だけど、月のモチーフを使って良いのは王族に連なる一族だけなので、なんかもう、地味に怖い。
だってこれがあれば、大体の事が出来てしまう。
悪用されれば、そりゃもうどエライ事になるのだ。
...何が起きるのか全く想像付かないのは、多分、私が現代人だからだと思う。
それでも漠然とした恐怖を感じるんだから相当なヤバさなんだろう。
オーギュストさんがコレを使って国を傾けるような事をしなかったのは、何故だろう。
...残っていた良心、なんだろうか。
もしそうなら、尚更コレ盗まれないようにしなきゃなあ。
そんな風に思いながら、インク壷の隣に置いてあった小さな木箱を手に取った。
何も考えずに流れで取っちゃったけど、多分朱肉的なヤツだと思う。
パカリ、と開ければ案の定、印鑑を押し付けたら色が付くよ!というのが何となく分かる気がした。
いや、なんかの布が入っているだけなんどけどね。
開けた瞬間、湿気がモワッと立ち昇った気がしたからこの布はインクによって湿っているのだろう。
青いけど。
えっ、朱肉って赤いんじゃなかったっけ、なんで青いんだろう。
考えた途端に答えが湧いた。
・ヴェルシュタイン公爵家は王家に認められた由緒正しい家なので、昔から他家と違う事を義務付けられており、故に王家の紫色の印に近い青を印色として使用するよう定められている。
.........ですってよ。
貴族面倒臭いな、もう。
そんな特別感出されてもプレッシャーでしかないわ、こんちくしょう。
頭の中でそんな風に文句を垂れながら、朱肉(青肉?)に印鑑を押し付け、署名の横辺りにポンと押した。
あ、綺麗。
だけど、なんていうか、中学生が好きそうなデザインな気が、...いや、うん、考えなかった事にしよう。
思考を放棄して、次の書類を見る。
...領地からの、今年度の収穫祭許可申請?
え?別にやれば良いんじゃね?オッケーオッケー。
収穫祭って事は10月とかその辺にやるのかな?
今が7月だから、まあ、下準備とかも考えるとその位が妥当か。
人間楽しい事無かったらすぐに嫌になるからね。
こういう娯楽は必要でしょ。
「そういえば旦那様、昼食後にシェリエとの面会の予定をお入れしても宜しいでしょうか?」
「任せる」
捺印しながら、執事さんの問いにも応えると、執事さんが恭しく礼をしたような気配がした。
「畏まりました」
後で面会ってのは予定だったもんね。
そう考えながら、次の書類を手に取った。
さて、コレは...、今季の税の引き上げ?
...うん、これも捨てとこう。
だって、ねえ。
今までの収支を見る限り過剰に貰ってたっぽいもん。
運良く豊作続きでそんなにキツく無いみたいだったけど、今年がどうかは分からないし。
つかこの行方不明なお金マジでどこに行ってるんだろう。
まあ気にはなるけど今はとにかく、全てを計算し直してからだ。
「アルフレード、これも捨てておけ」
「はっ、畏まりました」
そんなこんなで書類仕事を頑張っていたら、またしても良いタイミングで執事さんに促され、ご飯を食べに食堂へと向かった。
ちなみに今日の昼食は、甘辛いタレが掛かったチキンソテーと、添え物にポテトサラダと、レタスみたいな野菜。
チキンソテーを良い大きさに切ってポテトサラダを乗せ、レタスっぽいので巻いて食べたらめっちゃ美味しかったです。
絶対に美味しいと思って添え付けのパンと一緒に食べました。
案の定美味しかったです。
サンドイッチにしても良いと思うんだ、これ。
どこにも出掛けないけどな!
ナイフとフォークで食事なんて未知の世界だったけど、流石はオーギュストさんの身体。
めっちゃ器用に使えるよ!凄いよね!
スープはチキンソテーに合わせてかコンソメっぽかったです。
なんか料理長腕上がってない?
それから執務室へ戻れば、既にスタンバイ状態で先日会った美人さんがいらっしゃってました。
「お待たせ致しました!」
どこか興奮した様子でキラキラとした視線を私へ向けている。
「随分、多くないか」
片手に束が3つ、もう片手にはなんかの袋。
そんな風に両手が塞がった状態にも関わらず、全く重さを感じていないようなテンションの高さで、楽しそうな様子の美人さんである。
「ペンが乗ってつい、沢山デザインしてしまいましたわ。
どんなお召し物もお似合いになられそうで、もう楽しくて...!」
よっぽど楽しかったのか何なのか、頬を染めながら、うっとりと見詰められてちょっとどうしようかと思った。
いや、何も思わんけどさ。
どっちかって言ったら、引いた。
なんでそんなテンションなのこの人。怖い。
「そうか、...その袋はなんだね?」
「此方は、特にお似合いになりそうなデザインの物の試作品にございます!」
まるで、仔犬のようなはしゃぎ具合で書類の束と袋を差し出して来る彼女に、やっぱり引いた。
「......仕事が早いな」
「楽しくってつい!」
つい受け取ってしまったそれらを執事さんに手渡しながら呟くと、うふふふ、と楽しそうに笑いながら、彼女は断言するようにそう言った。
あれ、服ってそんな早く出来るっけ?
え?、イチからだよね?型紙?だっけ?そんなん無いよね?
あれ?まだ3日も経ってないよね?
「きちんと寝ているかね?」
「...あら、そういえば。すっかり忘れてましたわ!」
口元に手を当てながら、驚いた様子ではんなりと、そしてサラッと爆弾発言をかまされたんだけど、うん。
いや、ダメだろ。
「寝たまえ」
「いいえ!採寸するまでは!」
キリッとした表情で、キッパリと言い放つ彼女は、決意に満ち満ちている。
.........えええええ。
いや、うん、...まあ、良いや、仕方ない。
だってこれが彼女の仕事だもんね。
「......仕方がないな、終わればすぐにでも仮眠するように」
「勿論ですわっ!さあ旦那様!上着を脱いで下さいませ!あぁ、お手伝い致しますわ。それから、出来れば下のシャツも脱いで下さいませ」
なんか興奮した様子の彼女に促されるがままに手伝って貰いながら服を脱ぎ、上半身裸になる。
「.........これで良いか?」
「下のお召し物も脱いで下さいませ!」
「む、此方も脱ぐのか」
「勿論ですわ!」
そうか、ズボンも作るのか。
採寸って大変だなあ、と、この時は思ってました。
彼女の手が、下着に掛かっている事に気付くまでは。
「......待て、下着にも手が掛かっているが?」
「大丈夫ですわ!」
ごめん、ちょっとなにいってるかわからない。
「だが、それでは全裸となるだろう」
「服など有っては旦那様の詳しい採寸ができませんもの!」
「なんだと?」
待て待て待て、真剣に何言ってるのこの人。
「大丈夫ですわ!さあ!」
いや、さあ!じゃないよ何言ってるのマジで。
「何一つとして大丈夫ではない、アルフレード、彼女を止めろ」
「まあ!勿体振らないでワタクシにその素晴らしい裸体をお見せ下さいませ!」
執事さんに助けを求めた途端に、ズボンを下げようとする手に更に力を入れる彼女に、なんかもう困惑しかしない。
そしてその時、気付きたくない事に気付いてしまった。
この人目がイッてる...!
普通なら振り払えば良いんだろうけど、オーギュストさんのスペックでそんなんしたら、多分この人壁に叩きつけられて死ぬ。
今は頑張ってズボンごと引っ張る事で脱げるのを防いでるけど、この細腕の何処からこんな力出てんの?ってくらいめっちゃ引っ張られてるから、このままじゃズボンごと下着も破けるのも時間の問題だ。
そしたら、結局全裸になる訳で。
詰んだ!
ちょっと待って一体どうしたのこの人!?
彼女がいくら私と同じオジサマスキーだとしても、いくらなんでも変だ。
どうしちゃったの彼女!
「シェリエ、いい加減になさい。旦那様が困っていらっしゃいます。その手を旦那様の下のお召し物から離しなさい」
「嫌ですわ!折角の旦那様の裸体を拝める機会ですのに!!合法的に旦那様を丸裸に出来るんですのよ!こんな機会二度とありませんわ!」
焦って彼女を私から引き剥がそうとする執事さんと、真剣に、そして物凄い剣幕で捲し立てながら、私のズボンを下着ごと下げようとする彼女。
いやはや、ドン引きである。
っていうかやめて!引っ張らんといて!ズボンと下着から聞いた事ないミチミチミチミチって音してる!
「...そんな機会など無くて良い。アルフレード」
「はっ」
私の呼びかけで、執事さんの手刀が彼女の首元に落ちた。
「まさかシェリエがこのような事をするとは...、どうやら重なった徹夜のせいで、軽く人格が崩壊していたようですね。申し訳ございません」
執事さんがそう言って、申し訳無さそうに頭を下げる。
「...アルフレード、お前が謝罪する必要は無い」
ちなみにその彼女だが、昏倒させた後は客室に放り込んで貰った。
正気に戻るまで寝てて下さい。
「勿体無いお言葉にございます。シェリエには後で採寸結果を書面にて渡しておくように致します」
「世話を掛けるな」
そんな事を言いながら、彼女が持って来たデザインを見て行く。
あ、ちなみに採寸は、後で執事さんにやって貰う事にしました。
沢山あるから見るだけでも結構大変かもしれないけど、今度パーティ出なきゃだから早目に一着だけでも仕立てないとなんだよね。
「旦那様、それはシェリエから言って貰わなければならないお言葉にございます」
「そうか、...そうだな」
「シェリエには平身低頭謝罪させます」
別に私そんな気にしてないんだけど、まあ、仕方ないんだろうな。
いや、怖かったけど、完徹3日って考えたら、そりゃ頭おかしくなるよねっていう。
あ、これカッコいい。
ていうかどれもオーギュストさん似合いそうだな、迷うわコレ。
同時にそんな事を考えながら、小さく息を吸った。
「......起きれば全てを忘れているかもしれん。酒の席と同等と言えよう。気にするな」
「旦那様...」
納得出来ないのか、何か言いたげな執事さんの様子にちょっとフォローするべきかと判断した私は、続けるように口を開く。
「...それに、覚えていれば勝手に謝罪に来るだろう」
普通の人なら、あんな事しといて謝罪に来ない訳無いと思うんだ。
あ、この服、確かにオーギュストさんに似合いそう。
いい仕事するなあ。きっと腕は確かなんだろう。
袋の中に有った上着を広げながら見ていると、不意に執事さんが、何処か懐かしそうに呟いた。
「...女性にお優しいのは何年経ってもお変わりありませんな」
うーん、それに関しては、プライベートなので見てない部分の記憶に入ってそうだな。
とりあえず、忘れた振りしとくか。
「ふむ、そうかね?」
「ええ、昔からです。勘違いした女性が愛人にしろと押し掛けた事もございました」
「.........そうだったか」
「はい」
オーギュストさんたら、過去とはいえ罪な事しとるわ。
勘違いさせるような事をするなんて、男としては最低だ。
女の敵だよ、女の敵。
だが、そんな話を聞いたからだろうか、それともそれが伏線となっていたのだろうか。
真偽は分からないが、その日の夜。
予想外過ぎる出来事が起きた。
「旦那様...っ、あの、えっと、お、お慕いしております...!どうか、っどうか私と、一晩だけ...っ!」
顔を真っ赤にし、その目を潤ませながら、そして、可愛らしくどもったりもしながら、懇願するように私を見詰める一人の少女。
金の髪で青い瞳の、眼鏡を掛けた、何処か地味そうな外見のメイドである。
そんなうら若き乙女が、ベッドで寝てた私の上に乗っかっていた。
うん、えっと、うん。
.........はい?
色っぽい事になる訳が無いので、ご安心下さい。(「・ω・)「