素数とポケットティッシュ
「新井。痛いよ。」
「わりい。でも安藤にどうしても…俺…。」
突然だが、私は影が薄い。
二人は私の存在を都合良く無視しているわけではなく、完全に認識していないようである。
これはマズイ。
私は噂話は大好物だが、人の大事な話に首を突っ込むほど野暮ではない。
ここは私も空気を読んでササッと出て行きたい。
そうしたいのは山々なのだが
非情にも教室のドアは閉じられていて、私の存在感をもってしてもここからバレずに出て行くのは非常に難易度が高いと言わざるを得ない。
「俺なら安藤を泣かせたりしない。」
私が冷や汗をかいている間も話は進んでいるようである。
「私が泣くのは、好きだからだよ。」
もはや私にできる最大限の努力は背景と化し、息を潜め、この話を聞かないよう無心になって素数を数えるくらいである。
「泣くくらい悲しくなったり、目が合うだけで一日中幸せだったり。そう思うのは山田くんだけなの。」
「俺が割り込む隙間は1ミリもないの?」
「多分山田くんがいなかったら新井と付き合ってた。新井が告ってくれて嬉しかった。
花火の時も新井が居なかったら、私立ち直れなかった。
新井が好きだから、中途半端はダメだと思った。
新井の優しさに甘えてた。いつも安心しきって新井の幸せなんか私、考えてなかった。」
「本当にごめんなさい。」
「俺かっこわりぃな。
安藤のこと好きなのに。幸せになってほしいのに。」
「ゴメン。行って?多分山田待ってると思う。」
「新井…あの」
「これ以上なんか言ったらちゅーしちゃうよ?」
「…新井。ありがとう。」
「いてぇな。なんだこれ。」
ダメだ。涙が抑えきれん。
涙と鼻水で私の顔面は非常事態になっている。私は静かに、細心の注意を払いながらポケットをまさぐった。
鼻炎の私のポケットには常にセレブなティッシュが入っているのだ。
クラスで一番。いや学校で一番の人気者イケメンが夕陽さす教室で胸元を押さえながら一人つぶやいている。
こんなの少女漫画かドラマでしかないと思っていた。
「小林さん?」
ヒーローってのはすごい。
さっきまで背景だった影の薄い同級生の名前まで覚えているのだ。
床に這いつくばり、必死にセレブなティッシュで顔を拭う同級生の名前と顔が一致するのだ。
もう一度言おう。
ヒーローってのは本当にヒーローで、すごいのだ。