健康診断は面倒くさい<4>
「わざわざ昼休みにごめんね」
「構わないけど……何の用だい?」
昼休み、僕は802教室に和田を呼んでいた。和田は落ち着かないのか、目線を色々なところに向けている。
「……ここ、落ち着かないだろう?」
その言葉に和田はびくっと身体を震わせ、目をこれでもかというくらいに大きくして僕を凝視した。
「北村、おまえまさか……」
「ああ、知っている。申し訳ないが、証拠となるビデオ映像も撮らせてもらった」
その言葉を聞くと、和田は膝をついてうなだれた。その流れで、土下座の態勢になる。
「北村、お前この事を先生に言うつもりだろう。頼む、この通りだ! どうかそれだけは、それだけは勘弁してくれ!」
地面に額を擦り付ける和田。これじゃあ、まるで僕が悪人みたいだ。だが……ふむ、反省の色が見られるというのなら僕にも考えはある。
「まあ落ち着けって。僕は、教師に伝えようなんてこれぽっちも思っていない。誰にだって失敗はあるからな」
その言葉を受けて和田は頭をあげる。
「……本当か?」
「もちろんだ」
「……ありがとう、恩に着るよ」
怪訝な表情を見せながらも、和田は立ち上がって僕をまっすぐ見つめてくる。
「ただ一つ、聞きたいことがある」
「うん」
「事の真相だ。それによってはまだ動く必要があるからな」
「真相……。俺が隠した場所、って事ではなさそうだな」
「ああ、お前がやった大体の事件の真相だ」
和田は首をかしげる。しらばっくれているのか、はたまた僕の推理が間違っていたか。
どちらにせよ、次の僕の一言で全ては分かる。
一呼吸置いて、僕は言った。
「誰だ? 誰がお前を脅している?」
* * *
「そう、本当に残念だよ、成田香保さん」
僕が放課後呼び出したのは、来栖の友人である成田香保だった。
僕の目を暫くじっと見つめた後、覚悟を決めたのか、ふぅと一つ息を吐いてから成田は話し始めた。
「……意外よ、和田はあなたに助けを求めたのね」
「違う。僕が勝手に推理しただけだ。さすがに成田の名前は本人の口から聞いたけど」
成田は少し目を見開いて、へぇと漏らす。
「そんな、バレるような失敗はしてないはずだけどな。よかったら説明してくれる?」
その言葉を受けて、僕は来栖と裕也相手に話したことと同じことを話す。
「……ふぅん。そんなあやふやな考えでよく私まで辿り着いたわね」
「あぁ、偶然にも助けられたしな」
それっきり、成田は黙り込んでしまう。
放課後、空き教室で男女二人の密会。シチュエーションだけ見ると青春であるが、内容はドロドロだ。そんな事を考えていると、コツコツと廊下を珍しく誰かが歩く音がする。
実はこの802教室、誰も使う予定がないことは確認済みなのだが使用許可は貰っていない。ふとした拍子に誰かがここに入ってもおかしくはないのだ。そのため、何となく声を潜めながら成田を急かす。
「なにか疑問でもあるのか?」
うーんと少し考え、成田は言う。
「その話を聞く限り、共犯者の存在は和田から直接聞いたみたいね」
「いや、共犯者がいるんじゃないかとはもともと思ってたよ。この話にはおかしいところがあったからな」
意外だったようで目を細める。
「へぇ。教えてもらいたいわね」
「僕の推理において、更衣室に置いてあったビデオカメラは和田の仕業といったけど、そんな簡単に見つかるなんておかしいんだ。彼の行動は終始慎重だったことを考えると首を捻らざるを得ない」
腕を組んだまま微動だにしない成田に向けて話を続ける。
「まだある。そのビデオカメラの件だが、放課後にはあって朝練の時には無かったと来栖は言った。それはおかしいんだ。だって和田は授業中に(・・・・)撮影器具を仕掛けるんだからな」
「でもそれっておかしくない? その共犯者は一度敢えて和田を窮地に立たせ、そして救ったってことよね。そんな行動に何一つメリットなんて……」
「あるんだよ、これが。和田に貸しを作れるじゃないか。お前は恐らく、たまたま更衣室で隠しカメラを見つけ、それが盗撮用の機械だと見抜いたんだろう。それで咄嗟に、脅しに使えると考えたんだろうな」
そして、来栖を筆頭とする周りの女子に『誰か女子が持ってた』とかばった。この咄嗟の機転が無ければ、和田は今頃この学校に居なかったかもしれない。
「……さすが、お見通しって訳ね。それにしてもびっくりしたわ。逆に私が更衣室に隠しカメラを設置して後でデータを見てみたら、同じクラスの和田が写っているんだもの」
栗色の長い髪を掻き上げて、成田は続ける。
「それにしても脅しなんて、言葉が悪くないかしら? ただ注意しただけかもしれないじゃないの」
不満そうに口を尖らせる。来栖とは違った、可愛さというよりも妖艶さのようなもの僕をドキッとさせた。
「実際脅しをしただろう? この間健康診断の時に盗撮がばれたのに、一週間もたたずにまた盗撮を始めるなんておかしい。前も言ったが和田は慎重派のはずなんだ。証拠を掴むまで早くても一か月かかると思っていたよ。それでも和田が行動したってことはつまり、誰かに強要されたとしか思えないんだ」
一昨日、共犯者については裕也と二人で議論を交わし合った。そこで出た結論が和田は脅されている、というものであった。
成田は観念したとばかりに両手を上げる。
「あなたにそんな才能があったなんてね。完敗も完敗よ。予め全部真相を知ってたようにしか思えないわ。……それで、何が望み? こうして隠れてこそこそしてるってことは何か後ろめたい話でもあるんでしょう?」
今までの話の流れでうすうすと感じてはいたが、頭の回転が早いな。おかげで話がスムーズに進む。
「……ただ、あまりにも過ぎる要望なら、こちらにも考えがあるわ」
「和田を撮ったデータか?」
「ええ。あなたもそれは、公開してほしくないでしょ」
彼女は自信満々にそう僕に告げるが、あいにく対策はしてきているのだ。
「残念だが、公開してもらっても僕は構わないぜ。和田は、自分のやったことがバレたことで学校を追われても仕方ないって言ってるからな。……それよりお前は大丈夫か?」
ポケットからスマートフォンを取り出してブラブラと揺らす。
「それは……?」
「そういえば、今日和田と会ったんじゃなかったか?」
今回ばかりは彼女にとっても相当予想外だったらしい。チッと舌打ちをすると睨みつけてくる。
「あれは罠だったのね」
実は、和田の口から成田の名前が出てきた後、成田との接触をお願いした。そこでの話を録音すればそれが切り札になると考えたからだ。
「健康診断の件について詳しくまだ話していなかったらしいな。タイミング的にラッキーだったよ」
「……はぁ、そこまで根回ししてるとはね。それで、何が欲しいの? お金、それとも身体?」
「待て待て待て、そんなにひどい男に見えるかなぁ!?」
一応、この学校では好青年という事で通しているはずだが。
「ただ、和田に対する脅迫を止めてもらうだけで結構だよ」
「……私への貸しにするつもり?」
だから、どうしてそう悪い風に考えるのか。
「まあ、そうだな……。そんなに疑うなら生徒会への貸しってことにしとくかな。部費とかを融通してくれよ」
この学校の生徒会は、そこそこ権力がある。何かあった時に後ろ盾として生徒会があれば、困ることは無いだろう。
「いくら生徒会役員とはいってもまだまだ下っ端よ」
「それでも、生徒会役員の一人であることには変わりないよね」
それに、もし将来生徒会会長にでもなった時には存分にその権力を使わせてもらう。……あれ? 僕って結構ゲスかもしれない。
「……分かったわ。これで交渉成立。それじゃあ、何か用があったら言ってね、歓迎はしないけど」
「一気に愛想悪くなったなあ」
その言葉には耳も貸さず、彼女は階段へと向かう。
「ああ、最後に一つ良いか?」
成田が足を止めたのを是の許可と受け取り、続ける。
「結局、なんのために和田を脅迫してたんだ?」
僕に振り返る。彼女の口は、なぜか寂しげに微笑んでいた。
「ただの小遣い稼ぎよ」
* * *
「よう」
「なんだ裕也か、驚かせるなよ」
成田と交渉したその足で、僕は部室に戻った。
「それで、どうだった?」
「大体あってたよ。共犯者……というか和田を脅迫してたのは成田だった」
「そりゃ、来栖さんに聞かせなくて正解だったな」
「ああ。最初に和田をかばった人物は女子のはずだったから来栖には席を外してもらったが、それが功を奏した」
まさか来栖と親しい成田とまでは思っていなかったが。
「それで、動機はなんだって?」
「小遣い稼ぎだってさ」
「金……。どういうことだ?」
「どうせ、撮影したものをネット上で売ったりでもしていたんだろう」
和田が犯行を始めてから二週間か三週間。データは結構多かったのではないだろうか。
「それで、交渉は上手くいったのか? ……まあ、その顔を見る限り聞くまでも無いか」
「……そんな変な顔してるか?」
「ああ、にやけてるぞ」
手で口元を押してみるが、当然のごとく分からない。
「まあ、上手くいったよ。今後和田に強要することは無いだろうし、和田も反省しただろう」
先生や警察には伝えない。一端の学生が二人の高校生の将来を潰すなんてことはできない。それは僕には、あまりに重すぎることだった。事件は解決、和田も成田ももう盗撮はしないと口でだが約束してくれた。これで十分なのだ。ただ、再び行ったときは、さすがに何らかの行動を起こすつもりだが。
それにしても、成田の最後のさびしげな表情は気になる。もしかしたら何か事情があって非合法に金を稼いでいたのかもしれない。ま、犯罪は犯罪だけれど。
「そういえば、このスマホ貸してくれてありがとう。もう使わないから返すよ」
僕はガラケーであるためアプリのダウンロードは出来なかったので、裕也にスマホを借りていたのだ。部にあるティッシュで丁寧に液晶を吹き、手渡す。
「気にするな。それで、このデータはどうする?」
「何かの拍子で誰かに見られると困る。ビデオも録音も消しておいてくれ」
「了解」
裕也がスマホを操作するのを尻目に、自分用にと日本茶を作り始める。お湯を沸かして、茶葉を一杯入れてっと。
「……それで、来栖さんにはなんて説明するんだ?」
痛いところをつくなぁ。
「あんまり嘘をつきたくはないんだが。かといって成田の事を伝えるのも違う気がするしなぁ」
「じゃあ、和田がやっぱり犯人でした、と伝えるに留めるってことか。でも、先生に伝えないことに関してはどうする?」
そうか。僕たちは元々『生徒会に借りを作る』という点で同じ意識を持っていたから議論もスムーズに進んだが、来栖にはそうもいかない。彼女自身女子という事もあって、我々よりも怒りのボルテージは高いかもしれないのだ。
「失念してた……。そうだな、和田も反省してるから許してやってくれ、と泣き落としでもするか?」
適当に案を出してみる。
「……紘一、その案、意外といいかもしれないぞ。『この通りです、許してください!』『……分かった、そこまでいうなら今回は許すよ。でも、次は無いよ! 多くの女子が傷ついたことを胸に刻んでよね!』『はい! 肝に銘じます!』みたいになりそうじゃないか?」
「一つ言おう。お前の裏声、気持ち悪いな」
無理して来栖のアテレコしなくてもよかったろうに。
「まあ確かに、僕の案でなんとかなりそうだな」
「よし、そうと決まれば早速和田を呼ぶぞ」
さすがにちょっと急ぎすぎじゃないか? そんなことを思って眉を顰めていると、それに気付いたのか裕也は言葉を付け足した。
「来栖さん、そろそろ来るからな」
「は!? 聞いてないぞ!」
「放課後言ってたろ、『部のミーティングがあるから遅れるけど必ず行くから事の顛末を教えてね』って」
「だから裏声きもちわ……じゃなくて、本当にそんなこと言ってたか?」
「その時紘一考え事してたから、適当に返事しちゃったんじゃないか?」
確かに、放課後は成田との対決の事ばかりを考えていたが……。言われてみれば、話しかけられた気がしないでもない。
「ということで紘一、さっさと和田を呼んでくれ。時間は少ないぞ」
「ああ、分かった」
急いで和田に連絡をして事情を伝える。
「……ということだ。だからお前は、とにかく土下座して誠意を見せてくれ。頼んだぞ。……よし、間に合ったか」
携帯を耳から外し、ふぅと一息吐く。
そういえば、急須に茶葉とお湯を淹れたままほっといていたんだった。急いで湯呑に二人分注ぐ。
「ほら、お茶入ったぞ」
「お、ありがとう紘一……って、なんかすごい濃くないか?」
「気にすんな」
そんな事をしている間に、廊下を誰かが歩いてくる音が聞こえてきた。
「……どっちだ?」
「この音の響きは革靴だな。確か和田は運動靴だから……」
二人して顔を見合わせる。
そして一斉に、なんとなく身だしなみを整え始める。これから一世一代の茶番を始めるのだ。少し緊張してきた。
裕也が、喉を潤すために日本茶を思い切りあおる。そしてそのタイミングでドアノブが回った。
「にがっ!」
「お待たせ、早速教えてよ! ……って、彼どうしたの?」
勢いよくドアを開けたものの、裕也の苦みを堪えている顔を見て戸惑う来栖美月。その光景になんだかおかしくなってしまって少し吹き出す。
「まあ二人とも落ち着けって。……これから、高校生探偵北村紘一の推理劇が始まるんだからな」
「……なんかダセえ」