健康診断は面倒くさい<3>
「はい、お茶出来たよ」
「ありがとう」
翌日、午後3時30分。読書交流部の部室には僕、祐也、来栖の三人の影があった。
昨日二人に向かって、謎が解けた、と言ったはいいのだが、何分パッとひらめいた考えである。自分の中で上手く推論を整理できていなかったので、こうして今日改めて集まってもらうことにしたのだ。
来栖が三人分の日本茶を淹れ終えて自分の席に着いたのを確認すると、僕はコホンと空咳を一回した。
「さて、今日お集まりいただいたのは他でもない! 先日渋谷高校で発生した……」
「前口上はいいから、さっさと話してくれ」
冷たい一言を放ち、ズズッとお茶を啜る祐也。ちなみに茶葉とティーポットは、自分用に昨日100均で買ってきたものだったりする。
「……分かった、始めよう」
「なんでテンション下がってるんだよ」
祐也のことを無視し、ホワイトボードに『5W1H』と書く。
「まず、事件を5W1Hで整理しよう……」
祐也は嫌そうな顔で頭をかき、来栖は欠伸をして眠たげにしている。……もしかして興味ない?
「……と思ったが結論から言おう。教室は、盗撮によって封鎖された」
「はぁ!?」
祐也はすっとんきょうな声をあげて椅子から腰を浮かしかける。一方来栖は、きょとんとしたまま微動だにしない。ちょっと過程を省きすぎたか。
「ということで一から説明していこう。聞く気になったかね、諸君」
ふふんと鼻をならしながら探偵然として語りかける。
「……分かった。『5W1H』のところから話してくれ」
渋々といった表情を隠しもしないで祐也が言う。
「よしきた。それじゃ、最初は【when】だ。これは、健康診断の日つまり三日前」
こくりと二人が頷くのを確認して次に進む。
「次は【where】。これは、女子の心電図検査が行われた教室だ」
「正確に言えば、8階の802教室だね」
知らなかった。後で確認のため直接見に行ってみるのもいいかもしれない。
「残りの【who】【what】【why】。これは全部分かっていない」
そして、僕が今から解説することでもある。
「こう改めて聞くと、情報はほとんどないな。どっから盗撮なんてワードを思いついたのさ」
「職員室さ。間中先生の机の上に、手書きで『盗撮はいけません』というポスターが置いてあってね」
こう考えると、この考えを思いついたのは全くの偶然だった。
「……でもそれって、関係あるの?」
来栖が茶飲みを両手で包みながら質問する。
「よくよく考えるとおかしいんだ。僕たち高校生、もっと言えば女子高生は盗撮する側じゃなくて盗撮される側だろ(・・・・・・・・)」
あっ、と来栖が声を上げる。
「いやでも、たまたまって可能性も……」
「僕も最初はそう思ったんだけど、あのポスターは手書きなんだ。交番にでも頼めば近いうちにちゃんとしたポスターも届くんじゃないかな。なぜそれを待てなかったのか……」
「……一刻も早くポスターを掲示したかったか、はたまたそういう所に頼みたくない事情があったか、ってことか」
そういうことだ。そして今回の場合では、そのどちらも当てはまるかもしれない。
「……でも盗撮って、どういうことだ?」
「来栖のいった事を思い出してくれ。検査は上半身裸になるんだ。802教室にこっそりカメラかビデオを仕掛けておけば……」
来栖が手を挙げたので、無言で言葉を促す。
「じゃあなんで警察沙汰になってないの?」
「警察に報告すれば間違いなく世間体は悪くなる。校内で起きた盗撮事件だから誰にもばれなければ隠し通せるから、じゃないかな」
「そんな……」
この学校は私立高校。都立や市立などよりも余程、世間様の目が大事なのだ。
「それに、犯人が見つかっていないとすれば、捜してから通報してもいいと思ったのかもな」
と、裕也が付け足す。
職員室では教師が集まって『警察』に関して話し合っていたが、それは通報するか否かを相談していたのだろう。
「でもここまで全て、あくまで状況証拠だけをもとにした紘一の推測だろう?」
「まあね。ただ、この推論だと辻褄があうんだ。なぜ教室が使用不可になったのか? まだカメラないしビデオが残っている可能性があったから。先生が教室の前で目を光らせていた理由は? 犯人は現場に戻ってくる可能性があったから、っていう風にね」
「でもさでもさ、盗撮なら見つかった時に騒ぎになるんじゃないかな?」
来栖が上半身を前に乗り出し、人差し指を口に当てながら言う。
「教師が見つけたか、見つけた人が周りに言いふらさなかったか。どちらにせよ可能性は大いにあるさ」
うーんと唸りながら、来栖と裕也は考え込む。
「確かに、紘一の推論なら翌日から教室は使えるようになっていてもおかしくない。それに、教師からしてみれば外部の人間どころか生徒にも隠すような大事だ。……筋とおってるなぁ」
来栖の方を向く。視線に気づいたのか頭を上げて、曖昧に笑みを浮かべながらどこか興奮した様子で話し始める。
「うん! 確かにおかしなところは何もないと思うよ! ……でも、もしこの通りだとしたら犯人って捕まってないのかなぁ」
来栖と裕也が僕を見つめる。
「捕まってない、とは思うけど。根拠があるかと言われれば微妙だよ。この学校で退学者や停学者が出たという噂を聞かないだとか、ポスターは犯人へ遠まわしに出頭を勧告してるものなんじゃないのかとか、そんな程度だからね。ただ……」
「ただ?」
これは言うべきか言うまいか。一瞬迷ったがここまで説明したからには言ってしまうことにする。
「犯人に目星はついている」
「えっ!?」
来栖が声をあげて驚く。一方裕也は疑いのまなざしでこちらを見ている。
「本当か?」
「これまた証拠はないけどね。思い出してくれ、健康診断当日、どう考えても挙動不審なやつがいただろう」
裕也は眉根を寄せながら記憶を掘り起こしていたが、10秒も経たないうちに僕の言う人物を思い出したようだ。ふ、と口から息を漏らして答えた。
「和田か」
「その通りだ」
これまた来栖がえっ、と声を上げて驚く。
「裕也の感覚を信じるとすれば、和田は何かに恐怖していた。そして話しの流れから考えるに、教室が使えなくなった事が恐怖の要因だったんじゃないかな」
「教室が使えないというのはつまり何らかのトラブルが発生したという事。カメラないしビデオを仕掛けた側から見れば、いてもたってもいられなくなった、ってところか」
「でも、まだ和田くんって決まった訳じゃないよね?」
まだもなにも、全く根拠はない。が、
「一つ証明できるかもしれない方法がある」
「ほう」
「そもそも、和田は今回が初犯だとは考えにくい。自分の目に入らないところで長時間撮影器具を放置するなんて、余りにリスキーだからね」
「待てよ、そういえばどっかで女子更衣室にビデオが置いてあったとかいう事を聞いたな」
「あ、それね。放課後部活着に着替えるために更衣室に行ったんだけど、ビデオカメラが置いてあったんだよね。でも、誰か女子が持ってたものだったはずって香保ちゃんに言われたけどなぁ」
香保ちゃん……あぁ、成田香保の事か。
「そして朝練の時には消えていた、だったかな。確かに僕は、この件も和田の犯行と睨んでいる。そしてこれが、和田の犯行を証明する鍵だ」
「鍵、ねぇ」
「ああ。……いつ、和田は撮影器具を配置していたと思う?」
「放課後……か?」
「いや。部活で使うから人の目につきやすい。それに、放課後は誰がどう動くか予想がつかないからな」
「じゃあ朝早く……も同じ理由でないか。じゃあいつだ?」
「考えてみてくれ。人が少なく、大抵の行動が読め、一番安全な時間帯だ」
あっ、と来栖が声をあげる。
「授業中だ!」
「正解。授業中、腹が痛いと偽って(・・・)教室を抜け出し、教師の目をかいくぐりながら更衣室に向かったんだ……と思う」
僕が30分くらい悩んだところを来栖は数秒で解決。その事実に少しショックを受けたが、なんでもないかのように話を続ける。
「つまり、授業中にあいつが腹を壊したといって教室を抜け出した時がチャンスだ。その時和田を追って、もし僕の言うとおりになっていれば事件は無事解決だね」
幸運にも和田とは同じクラスであるため、追跡するのは楽だ。
「なるほどな。じゃあ紘一は……」
「あぁ。明日から早速動くことにするよ。……最後に、何か質問は?」
来栖と裕也は揃って首を振る。
「うん、じゃあこれで北村探偵の推理劇は終了だ。何か成果が挙がったらまた連絡するよ」
二人が席を立つ。
「じゃあ北村くん、気を付けてね」
「なにか手伝えることがあれば言ってくれ」
そういって来栖と裕也が退出しようとする。
「ああ裕也、ちょっとこの棚の立てつけが悪いみたいなんだ。手伝ってくれないか?」
「ん? まあ構わないが」
「私は力仕事は難しいから、先に失礼するねー」
「うん。それじゃ、また」
バタン、とドアが閉まる。
「……それで、何の用だ紘一?」
「うん? 棚の立てつけが悪いって言ったろ?」
「どうせウソだろ」
おっと、ばれていたか。
「敵わないなぁ」
「何か話したりない事でもあるのか? それも、来栖さんには伝えられないような」
「ピンポーン。……その前に、まずは座ろうよ。ずっと立ち話するのも疲れたしね。それに……」
「それに?」
その時の僕の顔は、少しいたずらっぽかったんじゃないかと思う。何しろ、今二人に向かって話している途中に閃いた考えなのだ。控えめに言っても、かなり興奮していたのだ。
「……少し、この話は長くなりそうだ」
「格好つけるな」
* * *
「先生、腹痛いんでトイレ行ってもいいですか?」
翌々日、二時限目の日本史。健康診断での事件でひよったのか大人しかった和田が、ついに動いた。お前またかよ、というクラスメイトが野次を飛ばす中、来栖と裕也が同時に僕を振り返る。
和田が教室を出ていくのを確認して、僕も頭を掻きながら手を上げる。
「先生すいません、僕もいいですか?」
教師は呆れ顔になりながらも、了承をする。野次を受けながらドアに手をかける。ちょっとタイミングが早かったかもしれない。和田に気づかれないようにゆっくりとドアを開け、首だけ出して左右を見渡す。……いないな。
気を取り直して廊下に出て、まずはこの階の男子トイレに向かう。うん、小の方には誰もいないし個室は全部空いてるな。
トイレから出て、足音に注意しながら移動を開始する。更衣室は確か地下一階だったか。ここは四階なので大分距離がある。慎重に行動しすぎて和田を見失ってしまってはおもしろくないので、少し早歩きにする。
教師に見つかることも無く無事に地下一階に降りたところで、ようやく和田を捉えた。しかも、ちょうど女子更衣室に入っていくところだ。ダウンロードしておいた無音ビデオカメラのアプリを利用して、撮影を開始する。
……待てよ、このまま行くと鉢合わせるよな? 慌てて、女子更衣室の隣にある男子更衣室へ身を隠す。
ガララ、とスライド式のドアが開くとともに、廊下をこそこそと動くかげが出てくる。それが離れたのを確認してから男子更衣室を出て、問題の女子更衣室へと向かう。
「さてさて……」
この学校の更衣室には、扉が無い棚がいくつも並んでいる。念のため電気を点けずに周りを見渡すと、奥にダンボールの箱があるのがうっすらと見えた。
「これか……?」
近づいてダンボールを掴み持ち上げると、手に重みを感じる。中身を見てみようとするもガムテープで厳重に閉じられていたため、ポケットに忍ばせておいた小型のハサミを取り出して開封していく。
「んー? これで開けられたはずなんだが」
ダンボールに手を突っ込むと、中からダンボールの材質ではない固い感触が帰ってきた。それを掴み、無理やり引っこ抜く。
「ビンゴ!」
さすがに暗闇の中でも間違えない。それは紛うことなき小型のビデオカメラだった。どうやらガムテープで最適な位置に固定していたらしく、そのせいで引っこ抜くとき力が必要だったようだ。
これで事件は解決。後は本人と直接決着をつけるだけ。
ビデオカメラ片手に僕は、教室へ戻る道を歩き始めた。
* * *
「わざわざごめんね、呼び出してしまって」
その日の放課後、早速僕はその本人を呼び出していた。
「何の用?」
「……和田の件、と言えば分かるかな」
一瞬顔を強張らせるが、何もなかったかのように飄々と振る舞う。
「和田? ああ、生徒会の和田くんね。彼が、どうかしたの?」
「うーん、正直残念なんだよ。あなたが元凶とはね」