三章
三章
海賊というのは昔は二種類が存在していた。
一つは海を縄張りとする者であり、現在、海賊といえば彼らのことを指す。
もう一つは、空を縄張りとする者だ。飛行船で空を駆け、世界中に出没する。――今は彼らは空賊と呼ばれることが多い。
というのも、古くは魔法使いたちは地上の海のことを地海、空のことを天海と呼び習わしていたからだ。天使たちが降りてくる空のことを、海に見立てて。
今でも空を天海と呼ぶ者はいるにはいるが、そういう者はたいてい老人であるか魔法使いであるかのどちらかだ。
ちなみにベリンダは老人ではないし、魔法使いでもないが――。
ベリンダ率いる海賊クロネコは、海、空両方を束ねる海賊団だ。
「おぉー」
ミレーナが感嘆の声を上げる。
――クロネコの、格納庫。
牢から逃げてきてベリンダの元へ戻ってきたレオンは、この一週間のこと、ラドミールとのいざこざ、クラウスから「ミレーナを連れて王都へ行け」言われたことなどを一気に話した。
話を聞いたベリンダはレオンに船を貸してやると言い、格納庫へ連れてきたのだった。
今、レオンたちの目の前には巨大な飛行船がどっしりと据え置かれていて、ミレーナはこの巨大な船を見て声を上げたのだった。
「残念だけど、この船は貸せないわぁ」
ミレーナの様子を見てベリンダは言った。
「この船は私の商売用の船なの。私も結構有名になったからね、この船もいろんなところに見知られちゃってるのよね。うかつに乗ると処刑台に登る羽目になるわよ?」
恐ろしいことを言う。
しかし、どうせこの船はたった二人で動かせるような船ではないのだ。これを借りようという気はさらさらなかった。
ベリンダはきょろきょろと辺りを見回す。
「ああ、これだわ」
壁際のごちゃっとした荷物の中から目的の物を見つけだしてそう言った。
かかっている布の覆いを取ると、奇妙な形の乗り物が現れた。馬の胴体に一対の羽が生えたような、なんとも不思議なもの。ただし地上で動かしやすいように、車輪が備え付けてある。
この中身は空洞だ。
先端に取り付けられた石がその空洞に魔力を放出して宙に浮く仕組みだ。石は専門の魔法使いが作るが、操作の手順さえ間違わなければ魔力のない者でも船を扱うことができるように設計されている。
基本的に、この船と、今ミレーナが感嘆した巨大な船の仕組みはだいたい同じだ。どちらの船も石の魔力を動力にして浮いている。
ただし、馬に羽が生えた形の小さいほうは、その背の部分に跨って操るのに対して、ベリンダが「商売用」と言っているほうの船は二重底になっているので、普通の海に浮かぶ船と同じく中に乗り込んで操ることになるが。
覆いを取り払った船をぽんぽんと叩き、ベリンダは言った。
「あんたたちが乗るのはこれよ」
「おぉー。大幅なグレードダウン……」
ミレーナはがっかりしてしまったらしい。
くすくすと笑いながらベリンダはミレーナに耳打ちをした。
ひそひそ。
「ふんふん」
ひそひそひそ。
「おおっ」
ひっそりそそそ。
「おおおーっ?」
……なにやら興奮した様子でベリンダの話を聞くミレーナ。
どういう説得をしたのかは分からないが――どうせろくでもないことしか教えていないのだろうが――、ともかくミレーナは納得したようだった。
「レオンレオン早く行こう」
ミレーナが服の袖を引っ張ってくる。
しょうがねえな、とレオンが頭を掻きながら荷物を船の後部にくくりつけてしっかりと固定していると、ベリンダも準備を手伝ってくれた。
「……嬉しそうだな、団長」
レオンがベリンダをじとーっと横目に見ながら言う。
「ふふん。別に?」
ベリンダは笑みを隠すようにレオンから顔を背けると、また、うふふふふと笑みを漏らした。
まったく隠せていないようだが。
レオンは軽くなった荷物にため息をつく。
――例の羽は、ベリンダによって没収されてしまったのだった。
ベリンダいわく「自分じゃ捌けもしないくせにこんな物騒なものを隠し持ってるんじゃないわよ」だ。レオンは反論したかったが、実際にこの羽のせいで一週間牢屋に閉じ込められ、おまけに厄介な魔法使いに目を付けられてしまったのだから、なんとも言い返せなかった。
こうやってベリンダが気前良く船を貸しているのも、今なにやらにやにやと笑みを浮かべているのも、立て続けに天使の羽を手に入れたからだった。
……いわくありげな羽だが、ベリンダならばうまく売り捌けるのだろう。
「気をつけなさいよ、レオンちゃん」
ふと、ベリンダが真顔になって言う。
「魔法使いってのは本当に執念深い奴らなんだから。……昔、私を追っかけ回してた連中の中にも、ラドミールって名前の魔法使いがいたけど、相当しつこい奴だったのよ。きっとミレーナちゃんを狙ってるそのラドミールも、厄介な相手に違いないわ」
「おまけにナルシストで?」
「そうそう」
まあ、私のほうのラドミールは神官なんてお行儀のいいもんではなかったけどね、とベリンダは軽く言い添えた。
王都――中央教会。
その神官。
ラドミールに先回りされていなければいいな、とレオンは思う。
クラウスは牢屋では転送陣を使ってレオンを逃がそうとしていたようだったし、ミレーナからは「おとーさん」と呼ばれるほど懐かれているし、レオンとしては信じてやりたいところだが――。
……なぜか、王都に行けばまたラドミールとばったり鉢合わせになるような気がしてならないのだ。
レオンの勘はよく当たるのだが、この勘だけは当たってほしくないと思った。
「まあまあ、そう不安そうな顔しないでちょうだいな」
ベリンダがレオンの背中を叩く。
「私も副ちゃんと合流して、色々と片付けが済んだら、王都へ商売しに行く予定なんだからぁ。心配しないでも助けてあげるわよ」
「この船に乗って?」
ミレーナがベリンダの「商売用」の船を指差す。
頷く。
「そうそう。その船に乗って」
「おー頼もしいであります」
はしゃぐミレーナ。
検問やらなんやらが色々と厳しくなって逆に動きづらくなるのでは。――とは口には出さなかった。
――準備を終える。
格納庫の天井の一部を開けてもらって船が出られるようにした。
「ミレーナ」
レオンが船に跨って呼ぶとミレーナはすぐに駆けてきて、レオンのうしろに座り――。
……ぎゅっと抱きついてきた。
「団長……ミレーナに何を教えたんだ?」
「こう、背中にね? ああやってこうやって、ぎゅっと?」
ベリンダが両腕を組んで胸を押し付けるような身振りをする。
「破廉恥です!」
びしっと指差してレオンは叫んだ。
「あら嬉しいくせに」
「嬉しいくせにー」
ベリンダとミレーナがにやにやしながらそう言った。
この二人を一緒にしておくと危険だ、とレオンは思った。
「何はともあれ、あんたたちの旅の幸運を祈っているわ。まあうまくやんなさい」
ふっとベリンダは笑みを浮かべてそう言う。
滅多に見ることのないベリンダのその表情にレオンは一瞬面食らったが、すぐに笑みを返し、はい、と返事をして、船の魔法石を起動させた。
ふわっと船が宙に浮かぶ。
「行って参りますよー」
ミレーナが片手をぶんぶんと振ってそう言った。
ベリンダも苦笑しつつ手を振る。
――レオンとミレーナを乗せた船が、空へと舞い上がった。
***
魔法使いに捕らえられるまで、自分がどういう存在なのか意識したことはなかった。
そして次に目を覚ましたときには、彼は自分が元の自分とは違う姿形が与えられていることに気が付いた。
「これは誰?」
目の前の何者かが自分を指差して言う。
「さあ、名前はまだ決めていないからな。――名付けてやるといい」
もう一人が言った。
どちらも彼よりもずっと小さい。
そのうちの片方――横に立っている人物よりもさらに小さいほうに、首元をふわりと抱き締められた。
「――レオン」
その人物は言う。
「レオンという名前にする」
彼――レオンはその人物を見下ろした。
どこか懐かしい感じ。
その傍らに寄り添っている人物からは感じられない、不思議な力。
遠い昔に、この力を持つ者たちと暮らしていたことをレオンは覚えている。
滅びてしまった者。
天使。
レオンは目を細めて笑みを浮かべた。
こうやってこの人物に出会えたのだから、魔法使いに捕らえられたのも僥倖かもしれない、とレオンは思った。
これから先、この忌々しい牢屋に閉じ込められ続けることになるだろうが、それでもこの人物の傍にいられるのなら満足だと――。
「――思うわけないだろ!」
起きて真っ先に思って口に出してしまったのが、そんなことだった。
「れー……、レオン、人の眠りを妨げるのは悪いことですぅ……」
レオンの横で丸くなっているミレーナが、平和そうな顔で眠りつつむにゃむにゃと寝言を呟く。
再び牢屋である。
二週間ほどかけて王都に来たのはいいものの、何故だか、レオンたちは検問に引っかかり、牢屋に放り込まれてしまっていた。
(……夢に突っ込みを入れてしまうとは)
しかし、確かに牢屋にはうんざりしているところだった。
王都に来てからすでに一ヶ月が過ぎている。
寝食その他はきちんと面倒を見てくれているので、そういった意味では不自由は感じないのだが……いかんせん、囚われの身である。――気が滅入る。
(騎士様のときといい、中央教会の魔法使いは何かおれに恨みでもあんのか?)
レオンはそう思った。
――今回ここに囚われた原因は、どうやらレオン本人にあるらしく、門のところで兵から矛先を向けられたのは、人目を引くような真っ白い髪に紫の瞳を持っている、際立った容姿のミレーナ――ではなく、特にそれほど変わったところがあるわけでもない、ごく一般の行商人である、レオンのほうだった。
なんでも、使い魔を不当に隠して街へ入ろうとしたので見咎めた、とのことらしい。
怪しい魔法使いだ、と。
(なんでおれが使い魔なんて隠し入れなきゃならないんだよ)
そもそもレオンは魔法使いではないのだ。一応、魔法は使うが、誰でも覚えられるような基本的な魔法しか使わないのだから魔法使いとは呼べない。ましてや使い魔など、持っているはずがない。
王都の住民は総じて知識その他もろもろ生活の水準が高いというから、今までなんとなく遠慮して王都には足を運ばなかったのだが――まさかこんな扱いを受けるとは。
レオンは、王都を覆っているといわれてる結界が壊れているのではないかと疑った。
――王都の結界は魔物を防ぐ。
魔物。
天使が魔法を使うと精霊が生まれ、人が魔法を使うと魔物が生まれると言われる。都市には人が集まるゆえに多くの魔物が発生するが、それらは人に馴化して使い魔となる。
しかし、王都では魔物も使い魔も生まれない。
結界が魔物の侵入だけではなく、発生も防いでいるからだ。
この結界を維持しているのが中央教会の大神官であり、魔法使いの中でもかなりの魔力を持つ者しかなれないらしく、滅多なことでは結界に不具合が出ることなどないはずなのだが。
「大神官、ねえ」
レオンはぼんやりと呟く。
聞くところによると、現在その座についているのはかなり若い人物らしい。ベリンダも王都に何度も来ているから、その姿を何度か見たことがあるらしいが――容姿は、うら若い美青年だと言っていた。
クラウスは大神官に会えと言った。
しかし実際は、会うどころか牢屋に閉じ込められてしまっている。
一応、この場所は中央教会のすぐそばに建てられた建物の一室ではあるが……、大神官と会うはあまりにも障害が多い。
レオンとミレーナを捕らえた兵士は、教会からの調べを受けてきちんとした許可証を発行してもらえば解放するとは言っていた。
それが一ヶ月前のこと。
――ふと。
ぱちっとミレーナが目を覚まして、むくりと起き上がって辺りを見回した。
そして言う。
「レオン」
「なんだ?」
「今すぐここから出よう」
「……なんだって?」
真剣なまなざしで言うミレーナに、どういうことかとレオンは訝しげな表情で問いかけた。
そして。
――レオンも気が付いた。
複数人の足音と、がやがやとなにやらもめているような話し声が、こちらに近づいてきている。
「そんな、あなた様のお手を煩わせるほどのことでは――」
「いいえ。それはわたしが自分の目で見て判断しますよ。……まったく、あなた方は過保護すぎるのです。聞けばわたしにこのことを報告するのをためらって、捕らえておいた少年と少女を一ヶ月も放置していたそうではないですか」
「……きちんと世話はしていましたよ」
「もう、そういう問題ではありませんっ」
「いや分かってはいますけど――」
一同は会話を続けながらレオンとミレーナの入れられている牢へとやって来る。
皆、魔法使いであるらしい。
――法衣。
中央教会の神官。
その中でも先頭の一人だけが、どうも特別な地位にいる人物であるらしく、付き従っている者たちよりも――そしてこの間会ったラドミールよりも、複雑な紋様が縫い込まれた法衣を着ている。
どうやらミレーナはその人物のことを警戒しているらしいが――。
レオンはむしろ、その人物からミレーナと同じ力を感じ取っていた。
天使の羽から感じるのと同じ力を。
(……いや、だから警戒してるのか)
レオンは思う。
ミレーナは魔法使いたちに天使化計画の実験台にされていたから。
その人物はレオンとミレーナの入れられている牢屋の前に立って、こちらににっこりと笑いかけてきた。
「ああ、お二人とも起きていらっしゃったのですね。長らくお待たせしてしまって申し訳ありません。何か不自由なことはありませんでしたか?」
「――あんたは?」
レオンが尋ねると、うしろの魔法使いたちがぎょっとした様子でレオンに言ってきた。
「き……君、大神官様になんて口の利き方をっ」
「失礼ですよっ!」
レオンは「……は?」とぽかん口を開けて呟く。
(大神官だって?)
耳を疑った。
まさか、こんなところに大神官などという偉い人物が来るはずはない。――そう思っていたのに。
「この者たちの言うことは気にしないでください。わたしは、そんなに畏まった話し方をするなと皆にいつも言っているのですが、誰も聞いてくれないのです。ひどいと思いません?」
「聞くわけがないだろう。あんたって、一応、めちゃくちゃ偉いんだろ? 敬われて当然だ」
「でもあなたは頓着していないようですが」
「それは――」
詰まる。
まさか天使化計画の実験を行っているラドミールたちのような魔法使いとの関わりを警戒しているからだとは言えない。
なにしろラドミールは中央教会の神官であり、その仲間だというクラウスも中央教会に関わりがあるのだ。しかもこの大神官からは天使の羽の力も感じる。警戒したくなるのも当然だ。
レオンは――。
しばらく考えてから、あえて少し挑発してみることにした。
「……それは、最近失礼な神官に会ったからだよ。たしか中央教会から来たとか言ってた気がするけど」
その言葉に大神官のうしろの魔法使いたちは気を悪くしたようで、眉をひそめ、今にもつかみかかって来んばかりの勢いで身を乗り出してきたが、大神官はそれをたしなめて止めた。
特に表情は変わらなかった。
「本当にすみません。それは災難でしたね」
大神官はそう言ってにっこりと笑う。
ミレーナはレオンのうしろに隠れてひしっとしがみつき、疑り深い表情をしてそろりと大神官をうかがい見ている。
そんな様子に気が付いたのか。
ふと、大神官はミレーナに目を向け、見つめた。
じとーっと目を細めてあごに手を当て、何を思い出そうとしているかのように、ただひたすらに見つめる。
そして。
みるみるうちに表情を変えた。
真剣な表情でレオンとミレーナを見比べる。
それからうしろを振り返って取り巻きの者たちに言う。
「しばらくあなた方は席を外しておいていただけませんか?」
もちろん魔法使いたちはその言葉に猛反論した。
「な、何をおっしゃるんですか! こんな、牢屋に入れられるような小市民相手と話すことなど徒労ですよっ。あなた様がこのような者たちと一緒にいる必要などありませんよ、すぐにお帰りください!」
随分と失礼な言いざまだ。
レオンは少しむっとしたが、しかしこの大神官が帰ってくれるのには賛成だった。
どうも大神官の様子が気になった。
もしこの大神官から話を聞いたならば――。
――レオンは、なにか、知りたくない真実を思い知らされてしまうような、そんな予感がした。
「……仕方ない人たちですね。そういうことでしたら強制的に退出させるしかありませんね」
大神官は言う。
ごおっと空気が唸った。
ぽんぽんぽんっと転送陣が次々と魔法使いたちの周りに現れ、一同が言葉を発する間もなくどこかへと送られてしまった。
ふうっと大神官がさっぱりとした表情で息をつく。
「これでよし。邪魔者はいなくなりましたね」
その笑顔が逆に恐ろしい。
レオンは尋ねる。
「……あんたいったい何者なんだ?」
「もちろん、ここ、王都中央教会の大神官ですよ。大神官たるもの転送陣の一つくらい一人で組むことができなければ教会の名に泥を塗ることになりますからね。……まあ、わたしの場合はまた特別な理由があるのですけどね」
大神官はレオンたちの牢の錠にすっと手を伸ばし、呪文すら唱えずにがしゃんと鍵を外した。
ミレーナがぎゅっとレオンの服のそでをつかむ。
緊迫。
しかし、大神官は二人のそんな表情ををまったく気にしていない様子だ。
おもむろに牢を開けた大神官は――。
「お帰りなさいませミレーナ様。あなたのことをお待ちしておりました」
――ミレーナの前にうやうやしくひざまずき、そう言った。
「みっ……」
思いがけない言葉にレオンは言葉を失った。
(……ミレーナ様、だって?)
大神官ともあろう者がミレーナのことを様付けで呼ぶとはいったいどういうことか。
いや、それよりも、この大神官は何故ミレーナの名を知っているのか。
この大神官は相当若いようだが、ミレーナは物心付く前から魔法使いたちの施設に閉じ込められていたのだから、面識があるとは思えない。
それに。
お帰りなさいませ、という言葉も気になる。
……レオンがミレーナの様子をうががってみると、ミレーナのほうもわけが分からないといった様子でレオンの顔を見上げてきていた。
レオンはミレーナの代わりに訊いた。
「どういうことなんだ。あんたはミレーナの何を知っているんだ?」
「何とは……そうですね、私に分かることはミレーナ様がレナ様のお嬢様だということくらいですよ? お顔がそっくりであられますのでね」
「レナ?」
聞き覚えがある名だった。
ミレーナがレオンの耳元でぽそりと呟いた。
思い出した。
――ミレーナ・レナ。
たしかラドミールも口にしていた気がする。
「レナ様はわたしなどよりずっと強い力を持っていて、本当ならば誰よりも大神官の座に就いていなければならないはずのお方だったのですが……。十数年前に、王都から去ってしまわれたのです」
大神官は言う。
「そしてしばらくしてからレナ様から言霊にて連絡があり、ミレーナ様のご誕生を知ったわけです。いずれミレーナ様はこちらに来ることになるだろうから、そのときはミレーナ様の身を守るように、と」
「ちょっと待て。それでどうしてあんたはミレーナのことをすぐに見分けることができたんだ? 顔を合わせたことはないんだろう? いくらミレーナがそのレナって言う奴に顔が似てるからといっても、十年以上も会ってないんだろ?」
「ああ、それは簡単です」
レオンの言葉に。
にっこりと。
大神官は笑って言った。
「レナ様のお嬢様であるミレーナ様はわたしと同じく天使の末裔でありますから、容易く見分けがつきましたよ。これほどまでに強大な天使の力を持っているのはミレーナ様くらいでしょうから」
――天使の力。
天使の末裔?
レオンは大神官の話に驚いた。
しかし、それが本当ならば、大神官から天使の羽の力――いや、天使の力を感じるのは納得がいく。そして、レオンがミレーナに最初に会ったとき、天使が降りてきたと勘違いしたのも。
大神官が二人の顔を覗き込んで言う。
「信じていただけませんか?」
うーんとミレーナが唸る。
まだ疑わしい顔。
ミレーナは呟く。
「だって、わたしには天使の羽は移植できない……」
「移植……?」
大神官が首を傾げる。
レオンは言った。
「ミレーナは魔法使いどもに天使化計画の実験体として扱われてたんだよ。……最近おれが会った失礼な神官っていうのもそれだ。中央教会の神官にそんな好き勝手やらせておくなんて、いったいどういうことだ?」
「天使化計画っ? そんな馬鹿な真似をわたしたちの仲間がやっていたと……」
狼狽した様子で大神官が言う。
「おかしいですね……そんなことが起こらないように、わたしたちのところではきちんと神官たちを監視する者を置いていて、教会を通じて各地の情報も入ってくるようになっているのですが……」
考え込む。
しばらく大神官はぶつぶつと呟いていた。
ミレーナはそんな大神官を警戒して見守っている。
――大神官は、また素早く魔方陣を組んで魔法を発動させた。
「ラドミール!」
大神官は魔方陣に向かって言った。
――言霊の魔法だ。
その名前にレオンとミレーナはびくりと肩を上げた。
「ラドミール……」
ミレーナがぽそりと呟いて大神官をますます疑り深い目で見上げ、レオンのほうも眉をひそめるが、大神官はそんな二人の様子には気付いていないらしく、構わずに呼びかけを続けている。
おそらく大神官の言う監視する者というのがラドミールのことなのだろう。
天使の羽の騒ぎでレオンが牢に閉じ込められていたときに王都からやって来るのに一週間もかかったのも、監視者の権限を使って受けた報告についての情報を改竄していたからに違いない。
ここで下手にミレーナの名前を出されれば、また厄介なことになる。
クラウスのせいで捕まったときもそうだったが、普通ならば、レオンは脱獄をしてさらに面倒な事態を引き起こすようなことはしない。
王都の中央教会の牢であるここでは、なおさらだ。
だからレオンは一ヶ月もこうやっておとなしくしていたのだし、ミレーナにも下手に兵や神官たちを警戒させるような魔法は使われたくなかったのだ。
――しかし。
ここにラドミールが絡んでくるとなれば話は別である。今よりも状況が悪くなることは目に見えているのだから。
ひそひそとレオンはミレーナに耳打ちをする。
「ミレーナ、転送陣を使っておれとミレーナの二人を外へ転送させたりすることはできるんだよな?」
「できる」
「じゃあ、逃げよう」
ミレーナが、待っていましたとばかりに目を輝かせて頷く。
「了解であります」
一瞬ののちに、空気が揺れた。
転送陣。
「えっ?」
大神官が困惑気味にレオンたちのほうを振り向く。
「お待ちくださいミレーナ様、いったいどこへ……!」
慌てた様子で手を伸ばしてきた。
カッとミレーナが睨むと、ばちばちっと火花が散った。
倒れこむ。
「あ」
ミレーナが一言、声を上げた。
なんだ、と思う間もなく。
意識を失った大神官の、不自然に切られてしまった魔法が魔力の暴走を引き起こし、辺りを吹き飛ばした。
***
転送陣で別の空間へと送られたレオンは必死にあがいていた。
――身体の軋みに悲鳴を上げる。
作り出された転送陣が運べる容量よりもレオンの身体のほうが大きいため、みしみしと空間に圧迫されているのだ。
この姿では押し身体が潰されてしまう。
どうにかして形を変えなければ。
レオンはもがいた。
……オォオオッ、と、吼える。
魔力が溢れ出す。
周囲に流れて霧となった魔力に包まれたレオンは、身体を丸めて心に新しい姿を思い浮かべた。
小さく、小さく。
レオンに名前を付けた、あの紫の瞳の少女と同じくらいに。
形が変わっていく。
――いつか。
自分があの少女を守れるくらいになったら。
きっと、いつも少女のそばにいて、守っていこう。
レオンはそう思った。
目を閉じる。
じわりじわりと身体を構成している物質が解けていき、自分の形が失われていくのが分かる。
新しい姿。
急激な形の変化に、レオンは意識を失いかける。
痛い。
しかし今度は獣じみた声は出なかった。
「い……」
言葉。
たどたどしい、つたない言葉で、レオンはその名を呼ぶ。
「――レ……、ナ」
ふっと身体が軽くなる。
頭の中が真っ白になって、瞬く間に何もかもが分からなくなった。
そして。
レオンはそのまま、意識を失った。
――目を覚ます。
「なんだ、今の夢は……?」
むくりと起き上がったレオンは、その疑問を口にした。
ぐるぐると視界が回っている。
意識が少し朦朧としていた。
「痛てて……」
レオンは頭を押さえる。
血が出ているようだった。辺りを見回してみれば瓦礫の山に囲まれているし、どうも、今いるところは王都の街中ではなさそうだった。
――状況を把握しなければ、とレオンは思う。
たしかミレーナが大神官の魔法を遮ってしまったせいで、牢屋で大爆発が起こったはずだった。
ミレーナはいない。
代わりに大神官が横に倒れている。
その周りをいくつかの魔方陣が取り巻いてくるくると回転しているのは、誰かが大神官に言霊を送ってきているからだ。
おそらくは大神官の様子を心配した神官たちからの言霊だろうから、話せば今の状況もある程度は分かるはずなのだが――。
大神官は反応しない。
「なあ。おい、あんた……大丈夫か? 生きてるか?」
レオンは大神官の肩を揺さぶって話しかけた。
うーん、と唸り声。
どうやら無事ではあるらしい。
見たところ、外傷はない。気を失っていただけのようだ。
「こら、起きろ。起きろってば! 言霊が来てるぞ? 誰からだ。なんて言ってきてるんだ?」
「うう……、さ、魚はもうたくさん……」
寝言。
こんな状況にも関わらず、のんきに平和な――うなされているが――夢を見ているらしい。
ぷちり。
「だぁああああっ」
レオンは地面に伸びている大神官の身体をがばっとひっくり返し、叩き起こした。
大神官は
「痛っ、痛たたたたっ! な、も、もう、なんなんですか! ひとがせっかく良い夢を見ているときに……」
「うなされてたじゃねーか!」
レオンは思わず突っ込んだ。
「――て、違うっ、そうじゃない。いいからとにかく言霊に出ろっ。相手は誰だ? 内容は?」
「え? ああ……ちょっと待ってくださいね」
指で印を作る。
大神官を取り巻いていた魔方陣が大きく展開した。
その瞬間。
びくっと大神官が身を引き、両手で耳を塞いだ。
……言霊の魔法ならば耳を塞いでも意味はないのだが。
「わー、もうっ! 待ってくださいよ!」
大神官はそう言いつつ魔法を展開した。
言霊の魔法は一方通行の魔法なのだ。受けるのと送るのにはそれぞれ別の魔方陣が展開されるので、普通は受け手と送り手は別々に立てて維持するのだが……この大神官はそれを一人でやってのけているらしい。
しばらく何かを話す。
レオンは聞き耳を立てて話の中身を探る。
……どうも不穏な内容。
「は? ミレーナ様を捕縛? どういうことですか? え……反逆罪っ? 私は無事ですよ! 今すぐその命令を取り消させ……ええっ? 陛下直々の命令だから、取り消せないと?」
大神官はあれこれと粘ったようだが、やがて意気消沈したように肩を落としてレオンのほうを向き、首を振って言った。
「すいません、説得できませんでした……」
「――何があったんだ? ミレーナが捕縛されたって?」
頷く。
「はい……。実は――」
大神官は詳しく説明した。
――ミレーナの転送の魔法は、大神官の魔法の暴発によって対象と標準がずれてしまったらしい。
その場に取り残されてしまったミレーナと、レオンとともにどこかよくわからない場所に飛ばされてしまった大神官。……と、暴発に巻き込まれて吹っ飛んだ牢屋の残骸がいくつか。
神官たちは、大神官が消えたのはミレーナのせいだと思ったらしい。
それで、改めてミレーナを捕らえた、と。
教会の所有する牢屋は壊れてしまっているので、ミレーナは王都騎士団のところへ連れて行かれたという。
最悪なことに、その王都騎士団から、この件が王の耳へと伝えられたらしい。
王は、大神官への狼藉ならびに王都を騒乱させたことを理由として、ミレーナを特別牢へと投獄させた。
――塔の上にある特別牢は、魔法も使えない、許可のない出入りも不可能な、かなりの重罪人が入れられる牢だ。
クラウスのせいでレオンが入れられてしまった牢屋も魔法が通じない牢であったはずだが、あのときはミレーナがむりやり結界を突き破ってきた。――しかし、大神官の様子を見るに、今度ばかりはそうも行かないらしい。
牢の中では魔法がまったく使えないというのだ。
魔法の使えないければミレーナは無力だ。
「どうにか塔に忍び込めるような通路はないのか? どうやって助け出せばいい?」
大神官は力なく首を振る。
「塔に、誰にも気付かれないように入り込めるような道はありません。陛下の勅令とあってはさすがのわたしも手は出せませんし……。まずは陛下の説得にかからなくてはならないだろうと――」
「本当に誰も入れないのか? ミレーナから事情を聞くようなことはないのか」
「ああ。たしかに、すさまじい爆発を引き起こしたので、教会のほうから調査する者が行くでしょうね」
「――ラドミール?」
「え? ああ、はい。少し変わった人物ですが、能力は高いですよ。天使化計画に関しては調べ切れなかったようですが……」
レオンは深く深く、ため息をついた。
「そいつだよ……ミレーナの天使化計画に関わってた奴ってのは……」
「ええっ!」
心底驚いた顔。
「あのラドミールが? いや、……人違いではないのですか? 中央教会の神官の名を騙る者は多いですから、まったくの別人だという疑いも――」
「自分大好きの陶酔ナルシストだろ?」
「……ああ、それは間違いなく本人ですね」
きっぱり。
即答だった。
「って、それはかなりまずいではないですかっ!」
大神官は焦りの混じった声を上げる。
「そうだよ、だからどうにかミレーナを助ける方法を考えろ。あの馬鹿神官がミレーナのところにたどり着く前に、だ」
レオンの言葉に大神官は重い表情で頷いて、考え込んだ。
そして。
「……心当たりがあります」
言う。
「わたしに協力してくれて、こんな状況をどうにかしてくれそうな人を一人、知っています」
レオンは大神官を見上げた。
「当てになるのか?」
「はい」
頷いた。
「こちらから言霊を送れば、すぐに来てくれるはずです。――彼女も、わたしやミレーナ様と同じように転送陣を一人で組める方ですから」
「そうなのか」
ミレーナやこの大神官の他にも、天使の末裔がいるのだろう。
レオンはそう思った。
ふと大神官がレオンの顔をまじまじと見てきた。
大神官は言う。
「それで、あなた……ええっと――」
「レオンだ」
「ああ、レオンさん。あなたが王都に入ったときに兵に捕らえられた理由を、お話ししたいと思います。――王都に結界が張ってあることはご存知ですよね? あの結界が魔物を防いでいることも?」
レオンは訝しげな表情で頷く。
沈黙。
しばらく待ったが、大神官はなかなか話さない。
「……なんだ?」
「はい。実は――」
言った。
「あなたは魔物なんです」
――魔物。
その言葉を聞いて、レオンはしばし呆然と立ちすくんでしまっていたので、言葉が出るまでにかなりの時間がかかった。
「ま……、魔物っ?」
レオンは尋ねる。
「おれが?」
「はい」
頷いた。
「それも、大変珍しい、人型の魔物です。わたしも、そんなものが存在するなんて初めて知りました」
耳を疑う。
普通、人型の魔物というのは存在しえない。
魔物というのは、生き物に人の放った魔法に由来する魔力が蓄積することで生まれるものだから。……人に人の魔力が蓄積されても、魔物になることはないのだ。
――それなのに。
頭の中で、レオンは大神官の言葉が正しいことを理解していた。
大神官は言う。
「あなたからは人為的な魔力の痕跡が見られます。失礼ですが、魔法使いの研究の実験台にされたような記憶は?」
「……あるよ。残念ながらな」
そうですか、と大神官は暗い表情で頷いた。
おそらく魔法使いたちは人と魔物の合成獣を作ったのだろうと大神官は言った。――それがレオンの正体だと。
魔物は普通の動物から生まれてくるが、身体的なつくりは動物とは根本的に異なり、死ぬと魔力の塊である核が取り出せる。また、魔力が尽きると勝手に死んでしまい、死体は抜け殻となって腐らずに残る。
合成魔獣はこの魔力の核を他の生き物に移植することで作られるのだ。
レオンの場合は移植先が人であったというだけで。
――大神官の話を聞きながら、レオンはぼんやりと先ほど見た夢のことを考えていた。
夢の中で、レオンは誰かの名を呼んでいた。
(レナ?)
不明瞭な言葉だったが、レオンにはそう聞こえた。
天使の末裔でミレーナの母親だというレナ。
魔物の寿命は気の遠くなるほど長いと言われるし、夢の中に出てきた少女もミレーナと同じように紫色の瞳をしていたそうだから、施設でレオンの世話をしていたのはレナ本人だったのだろうと思った。
――だからおれはミレーナが好きなのか。
ふっと一瞬そう思い、ぼっと顔が赤くなった。
「あの……どうかなさいましたか?」
「な、なんでもねえよ!」
訝しげに尋ねて来た大神官に、レオンは慌てて首を振って答えた。
大神官はレオンのそんな様子に少し首を傾げたが、深くは聞いてこなかった。
頷いて言う。
「……そうですか。それではわたしは行きますね。わたしの、頼れる知り合いというのはあまり他人には知られたくないような方なので。どうやらここは思ったよりも街から離れていないようなので、よろしければ転送陣でお送りしますよ」
レオンはしばらく考える。
――街はどんな様子だろうか。
王の勅令が出るほどなのだ。
もし兵がレオンの顔を覚えていて、街中を探し回っているならば、またうっかり捕まってしまう可能性もある。
大神官はこの状況をどうにかできると言っているが、一応、レオンもミレーナを助けるために行動しようと思っている。こんなところでうかうかと捕まっているわけにはいかないのだ。
しかし、この場所から辺りを見回してみても、街は見えない。歩いて戻ればかなりの時間がかかりそうだ。
どうすべきか。
レオンは考え込み――。
「ああ、頼む」
頷いた。
兵がレオンを探しているにしても、要は見つからなければいいだけのことだ。それよりも、もしミレーナに何かあったときに王都にいられないのでは話にならないではないかとレオンは思う。
とにかく動かなくては。
「分かりました。ではこれをお受け取りください」
大神官も頷いてそう言い、やおら自分が身に着けていた耳飾りを外してレオンに渡してきた。
羽の付いた飾り。
「これは?」
「聖具をあしらったお守りです。聖具は天使の羽の力を移されたものですから、人の魔力を覆い隠す働きもするんですよ。これを身に着けていれば、結界があなたに反応することもないはず」
「そうか」
レオンは耳飾りを受け取って懐に入れておいた。
では、と大神官は言って、ヴンッと魔方陣を展開させた。
これで王都に戻れる。
大神官は言う。
「幸運を祈ります。これからもどうかミレーナ様をお守りください」
「――言われなくても、守ってやるさ」
レオンはきっぱりとそう言った。
その言葉に大神官は少し驚いたような――眩しいものを見るような目で見てきたが、レオンは素知らぬ顔で転送されるのを待った。
空気に呑み込まれる感覚。
転送。
――王都へ。