第九話 潤の過去~後編~
潤は一人、部屋で右腕を見て考えていた。
板で剣と腕を固定するとかどうだろうか。
いや、それじゃ自分の思うように剣も振れない。
剣術を大旦那様の前で披露するまではあと3時間か。
どうする・・・。
必死に考えるが3時間でどうにか出来ることじゃない。
そんなことは幼い潤にも分かっていた。
コンコン。
部屋のドアを規則正しく叩く音が聞こえた。
このノックの仕方はバレルだ。
「はい、どうぞ」
静かにドアが開く。
そこには心配そうなバレルが立っていた。
「潤・・・何か策は思いつきましたか?」
「・・・・・いえ。でも、大丈夫です!」
潤は一瞬沈んだ顔をしたが、すぐにバレルに心配させないように笑顔をつくる。
しかし、そんな潤の額には焦りと痛さで汗が光っていた。
バレルはそんな潤の姿を見て、自分のことのように辛く思う。
「潤、私はあなたに謝らないといけません・・・・」
「え?」
「いえ、何でもないです。・・・・ちょっと一緒に来てください」
「え・・・・・師匠?」
バレルは無言のまま、潤を自分の部屋へ連れて行く。
「これから起こることはすべて私が勝手にやったことです。あなたは何が起こっても気にしないように・・・・そしてくれぐれも理性を失ってはいけませんよ」
バレルの顔がいつも以上に真剣だということに潤は戸惑っていた。
こんなこと言うなんて何があるんだろう。
「いいですね?」
「は・・・はい」
潤はとりあえずバレルの気迫でつい返事をしてしまった。
「では、私についてきてください」
バレルは腕を大きな円を書くように回す。
すると、その円が黒くなりバレルは中に入っていった。
潤はその光景に戸惑ったがバレルを信じ、円の中に入った。
黒い円の中に入ると、光りが差し込んだ。
眩しさに目を瞑っていると、光りが次第に弱まる。
潤がゆっくり目を開けると、目の前には木や草がたくさん生えていた。明らかに屋敷の中ではない。どこかの森の中のようだ。
「え?ここは・・・・」
「潤、さぁ行きましょう」
バレルが慣れたように森の中を進んでいく。
潤は離れないように必死にバレルについていく。
ここはどこなのか。何をしようとしているのか・・・いろいろ聞きたいことはたくさんあったが今のバレルには何だか聞けなかった。
しばらく山道を歩いていると一つの村に着いた。
村の門番らしき人とバレルが話をしている。
潤はその光景を少し離れたところで見ていた。
なんだか潤を指して話をしているようだ。
しばらくして話がついたのか、バレルが潤に向かって手招きをする。
「さ、行きますよ」
村に入っていくバレルのあとについて行くと、村の一番奥にある一軒の家に入った。
その中には巫女の様な服装をした女性がいた。
「×××××」
「×××××」
潤は目を丸くして2人の会話を聞くがなにを喋っているのか分からなかった。
聞いたことのない言葉なのだ。
えーっと・・・・
ここは山奥だからきっとそういう部族の言葉なんだろうか?
なんでバレルが喋れるのかは謎だけど。
「潤、右手を出して」
「は・・・はい」
潤は右手を左手で持ち上げて恐る恐る女性に出す。
女性は潤の右腕に手をかざした。
「××××××××」
何やら呪文を唱えているようだ。
「バレル・・・・」
不安そうな表情でバレルを見る。
しかし、バレルは「大丈夫ですよ」とニッコリ笑った。
潤はバレルからゆっくりと自分の腕に視線を戻すと自分の腕と女性が緑色に光っていた。
その光景にも驚いたが、自分の腕から痛みが引いていることにもっと驚いた。
光りが消え、女性は潤に向かってニッコリと微笑んだ。
潤は右腕を恐る恐る動かしてみる。
すると、怪我をする前の状態に戻っていた。
「師匠!治りました!信じられません」
「この方は治癒専門者なのです。人の死以外は治せると有名な巫女様なんですよ」
「そうなんですか!すごい!本当にありがとうございます」
言葉は分からないが、とにかく気持ちを込めて潤は満面の笑みで女性にお礼を言う。
思いが通じたのか女性はニッコリと微笑んだ。
「では、帰りましょうか」
「はい!」
バレルと潤は村を出て、再びバレルの黒い円で屋敷のバレルの部屋へと帰ってきた。
「本当にありがとうございます!師匠」
「いえ、巻き込んでしまったのは私の責任です。気にしなくて結構ですよ」
バレルのニッコリと笑っている顔にはどこか寂しさが隠れているような気がした。
「師匠・・・・あのっ」
潤が気になっている事を聞こうとすると、バレルの部屋にノックも無しに男が入ってきた。
「バレル、幾蔵様がお呼びだ。至急来い」
「はっ・・・・」
バレルは一礼すると、その男は部屋を出る前に酷く冷たい目で潤をチラリと見て出て行った。
黒髪で髪を一つに縛って長身な男性。バレルと同じ燕尾服を着ていた。
感情なんて入っていないような、人形のような・・・・潤が初めて見る執事だった。
「せ・・・・師匠・・・今の人は?」
「・・・・・幾蔵様直属の執事、シンです」
バレルが呼ばれたことに潤は何だか嫌な予感しかしなかった。
「では、少し行ってきますね。さっきあったことは内緒ですよ。もちろん、美衣奈様にもです」
バレルは人差し指を口に当てて内緒のポーズをする。
潤は、コクリと頷いた。
「では、潤は午後に向けて準備をしっかりしておくように。きっと潤なら幾蔵様に認められますよ。では、また後で会いましょう」
そう言って潤の頭を優しく撫で、バレルは笑顔で部屋を出て行った。
シンを見てから嫌な予感が消えないまま、潤は自分の部屋に戻った。
午後になり、潤の部屋に先ほどのシンが呼びに来た。
「時間だ。庭へ来い」
それだけを言い残し、シンは去っていく。
潤は木刀を握り締めて庭へと向かった。
庭に着くと、屋敷中の人が集まっていた。
しかし、その中にはバレルの姿は見当たらなかった。
潤は不思議に思っていると、車椅子に乗った幾蔵がシンと一緒に近づいて来た。
「よく来た。逃げ出すかと思ったが、覚悟は一人前のようだな」
「・・・・・はい」
潤は警戒して幾蔵から距離をとった。
せっかくバレルのおかげで腕が治ったのにまた怪我をさせられたら困る。
さすがにこんなみんなのいる前ではしないと思うが、警戒して損は無い。
「ん?右腕は・・・・動くのか?」
木刀を右腕で持っているのを見て、幾蔵は眉間にしわを寄せた。
「は・・・・・はい。まだ痛みはありますが、これくらい支障にはなりません」
潤がそう言うと、明らかに幾蔵の顔が不機嫌になった。
「ちっ!あのガイアス族め。余計な事をしおって・・・・シン」
ガイアス族?
潤は聞いたことのない言葉に首を傾げる。
幾蔵はシンを呼び、何やら耳打ちをする。
そして、シンは一礼しどこかへ行ってしまった。
「あの・・・・」
潤が声をかけると、幾蔵の顔がさっきまでの不機嫌な顔が嘘のように笑顔になる。
「すまんすまん。では、こちらに武器がある。好きなものを選べ。その木刀はこちらで預かろう」
幾蔵はそう言って、手を出す。
潤は大事な木刀だったので一瞬躊躇ったが、ソッと幾蔵の手に木刀を乗せた。
「ではこちらへ」
いつの間にか幾蔵の後ろにはシンが戻ってきていた。
案内されたところにはいろいろな武器が置いてあった。
剣、槍、斧、弓、杖・・・・見たことのない武器が並んでいた。
しかし、剣・槍・斧・弓の矢はすべて真剣だった。
「え・・・・あの、全部真剣なのですか?」
「当たり前だ。これは美衣奈の婿になる為の決闘だからな」
「け、決闘?!」
ただ潤の剣術の腕を見たいだけだと言っていたはずが、いつのまにか決闘になっていた。
潤はもう一度周囲を見渡した。美衣奈が不安そうにこっちを見ている。そして相変わらずバレルの姿は見当たらない。こういう時に一番頼りたいバレルがいないのはとても不安だった。
しかし、いないものは仕方ない。潤はとりあえず笑顔を崩さないように気をつけながら武器を選ぶ。
とにかく、真剣を使っても相手に怪我をさせないようにしたらいいんだ。
そう自分に言い聞かせながら、自分の身長に丁度いい剣を選んだ。
「ふむ。それでいいのだな?・・・・では、お前の対戦相手を紹介しよう」
幾蔵はシンに視線で合図する。
シンはまたスッと屋敷へ消えていった。
「勝負はどちらかが降参するか、死ぬまでだ」
「え・・・」
死ぬまで?
まさか、こんな屋敷の中で殺し合いをさせるつもりなのか?屋敷中の人たちが見てるのに?美衣奈も見てるのに・・・?
幾蔵の言葉にゾクリと寒気が走る。
冗談で言っているような感じではない。当然といった感じだ。
「お待たせしました」
シンが戻ってきた。
「おぉ、では決闘を始めようか」
そう言って、潤の対戦相手に来たのはバレルだった。
「え・・・・師匠?」
「・・・・・」
潤の言葉に何も反応を示さない。まるで意識がないみたいだ。
「こいつに対戦相手を務めろと言ったのだがそれだけは出来ないと、わしに盾突いてきおった。生意気な感情はわしに仕える使用人にはいらん。それに、このガイアス族はお前の腕を治すという余計なことまでしてくれたようだしな。追い出された自分の故郷に頭を下げて・・・まったく」
「なっ・・・・」
そういえば、村の門番と話している姿はとても必死だった。何度も頭を下げて・・・。
どうして村を追われたのか分からないが、凄い勇気がいることだったと思う。
ギュッと自分の拳を握る潤。
潤はもう一度バレルを見るが、今までずっと笑顔を崩さなかった顔は今は無表情だ。
あの優しい笑顔、『執事は感情に流されてはいけないのです』といいながら実は涙もろいところ、潤と美衣奈が剣術で遊んでいると怒鳴りにくる姿・・・・。
いままでの色々なバレルの姿が潤の頭の中に思い出される。
しかし今のバレルの表情は、潤の頭の中のどの思い出にも無い顔で幾蔵の横で人形のように立っているバレルの姿を見て怒りが込み上げてきた。
「ここまでして・・・・大旦那様は何がしたいのですか?」
怒りでブルブルと剣を握る腕が揺れる。
その様子を見て、幾蔵は愉快に笑う。
「はははっ!お前は大層この男に懐いていたようだからな。やっとそのヘラヘラした顔を崩せたわ」
屋敷中の人がバレルの変貌ぶり、幾蔵の言動に驚いているが、ヒソヒソと話をするだけで止めるものは誰もいない。いや、止めれないのだ。幾蔵はこれでもこの屋敷の主、雇い主なのだ。
普段は絶対泣き顔を見せない美衣奈だが大好きなバレルの今の姿を見て声を殺して涙を流している。大声で泣き叫ぼうものならいくら孫でも容赦しないだろう。
「くっそぉ・・・・」
潤は剣を握り締めた。
幾蔵は人形のようになったバレルに剣を渡す。
「さぁ、わしを楽しませてくれ!」
その言葉を合図に、バレルは潤に向かってものすごいスピードで襲い掛かってくる。
「くっ!」
カキンと剣がぶつかる音が鳴り響く。
なんとか剣でバレルの攻撃を受けるが、凄い力だ。
潤は剣術の練習のときにバレルと剣を交えたことはあったが、その時はかなり手加減してくれていたのだと改めて思う。
ジリジリと押されバレルの剣が潤の首の方に近づいてくる。
このままだと本当に殺される。
潤は力を振り絞りバレルを押し返し、距離をとろうと思った。
しかし、距離をとろうとしてもバレルはまたすぐに襲い掛かってきて距離がとれない。
くそっ。どうしたら・・・・。
誰が見てもバレルと潤の実力の差は見て明らかだ。第二級と第3段だ。そうそう縮めれる階級の差ではない。
ましてや身長差、体重差もある。
潤に不利な条件ばかりだ。
幾蔵はニヤニヤ楽しそうに潤とバレルの決闘を見ている。
バレルが大きく剣を振りかざし潤に向かって振り下ろす。
相変わらずバレルの表情は無表情だ。
潤はなんとかバレルの攻撃を剣で受けたがその衝撃で剣は弾かれて地面へと落ちた。
「・・・・くっ!」
カランと潤の剣が地面に落ちると、バレルは再び潤に向かって大きく剣を振りおろした。
何の躊躇いも無い。
もう駄目だ!
そう思った瞬間。
美衣奈が潤を庇うように立っていた。
「え?!美衣奈?!」
「バレル・・・・お願い、目を覚まして!」
美衣奈がバレルの足元に抱きつく。
しかし、バレルの剣はスピードを落とさない。
このままだと美衣奈も斬られてしまう。
美衣奈を助けないとっ!
しかし、このままだと間に合わない!
くそっ!剣術を一生懸命習ったのに誰一人守れない!
やめてくれ!・・・・・やめろ!
「やめ・・・ろぉ!!!」
潤の心の叫びに共鳴するかのように潤の身体は赤い光りを放ち、バレルの身体を吹き飛ばした。
「え・・・・?」
美衣奈は何が起こったのか理解していないみたいだった。目の前にいたはずのバレルが遠くに倒れている。
潤はゆっくりと落ちた剣を手に取る。
「関係ない人まで巻き込むなんて・・・・絶対に許さない!」
潤は赤い光りを纏いながら怒りを露わにした表情で、バレル・・・・ではなく幾蔵に物凄いスピードで切りかかった。
「っ・・・!」
カキンと金属のぶつかる音が響く。
「ちっ・・・・」
シンが幾蔵の前に立ち、潤の剣を防いでいた。
「幾蔵様に切りかかるなど、無礼だぞ」
「人の感情を封印するやつを斬って何が悪い!」
「ははっ!やっと本性を見せたか!みな、見よ!これが潤の本当の姿、グルカ族の姿よ!」
「グルカ族・・・・?」
潤は、ハッと周りを見る。
みんながジッと自分の姿を見ている。
その中には、潤の母親の姿もあった。
「かあ・・・さん」
「潤・・・」
その時、潤はガクッと膝をついて崩れ落ちた。
ポタポタと赤い液体が潤の身体から流れる。
「がはっ!」
潤は口から血を吐き出した。
潤の身体にはバレルの剣が背中に突き刺さっていた。
「いやぁ!!!潤!!!」
母親の悲鳴が響く。
「潤!大丈夫?!」
美衣奈が慌てて潤に近づいて来ようとする。
「っっ・・・来るなっ!」
潤の大きな声にビクっと驚き美衣奈はその場に止まる。
まだバレルは潤の後ろにいる。
いつ美衣奈に襲い掛かっても不思議ではない。
潤は自分でバレルの剣から身体を抜き、距離をとる。
しかし、不思議と刺されたところはもう痛くなくなっていた。
「さすがグルカ族の血を引いているだけはあるな。自己治癒力がかなり早い」
幾蔵はフンと鼻を鳴らして軽蔑した目で潤を見る。
「やれ」
潤はバレルが再び攻撃を仕掛けてくるのかと剣を構える。
「ぐあぁっ・・・」
しかし、バレルは苦しそうな顔をして頭をかかえうめき声をあげた。
バレルが地面に倒れると、シンが剣を持って近くに立っていた。
「・・・・え?」
潤は頭の中が真っ白になる。
地面には大量の血が広がる。
「師匠!!!!」
その時、潤の中の何かが弾けた。
俺と、瑠衣は潤の話をご飯を食べるのを忘れて聞いていた。
潤は大きく息を吸い、そしてゆっくり息を吐いた。
「俺は、その師匠が斬られた後の記憶が無いんだ。気がついたら、シンと大旦那様が血を流していた」
「え・・・?」
「俺の手にある剣には血が付いていた・・・・だから多分俺が斬ったんだと思う」
「・・・・・」
俺も瑠衣も何も言えなかった。
「何とか死人は出なかったんだが、俺はその事をきっかけに屋敷を出ようとした。理由がなんであれご主人様を斬ったんだ・・・・いていいはずがない」
「でも、それを私が止めたのよ」
「美衣奈!」
「もう大丈夫なの?」
「食べるもの食べないと、治るものも治らないのよ!」
ガンっとBコースが乗ったトレイをテーブルに置いて潤の前の席に座った。
「随分懐かしい昔話してるのね」
「あ・・・あぁ」
「悪いのはお爺様、バレルも潤も誰も悪くないってみんな分かってたのよ。この怪我をきっかけにお父様とお母様がお爺様を病院にそのまま入院させた。元々肺が悪くて無理言って自宅療養してたから。シンはそのままお爺様の介護で病院よ。昔からみんな我慢してたのよ。お爺様のわがままと行き過ぎた行動にはっ!」
美衣奈はその時の気持ちを思い出したのか、顔が真っ赤になるくらい怒っていた。
「ちょっと!美衣奈ちゃん、ここ学校だよ」
ハッと美衣奈は気がついたように周りを見る。
他の生徒たちの視線は美衣奈に向いていた。
「・・・・コホン!だから潤は気にしなくていいの。自分ばっかり責めて・・・それ以来全然感情を表に出さなくなったんだから」
寂しそうに美衣奈は潤を見る。
「・・・また記憶をなくして暴走するかもしれないから」
潤は視線を落とす。
「そんなの大丈夫だ。今は俺たちがいるだろ?」
「え?」
「もし、潤が暴走しそうになったら俺たちが止める!そうだろ?」
俺の言葉に、美衣奈も瑠衣も同意してくれた。
「ありがとう」
俺はやっと潤の笑顔を見た気がした。
「そーいえばさ、ガイアス族とかグルカ族とかってなんなの?」
「どっちも裏世界の住民の民族。俺、実はグルカ族とのハーフなんだ」
「え!?」
まさか、裏世界の人とのハーフだなんて!
なんかすげぇ。
「まぁ、感情の高ぶりで赤いオーラを見に纏った時以外はいたって普通の日本人なんだけど」
「へぇ~、でも記憶を無くさずにその力を自分でコントロール出来たらすっごい武器になるよね~」
「え・・・?」
「・・・・瑠衣」
「え?・・・あ、僕まずいこと言った?」
瑠衣は焦ったように俺、潤、美衣奈という風に順番に顔を見る。
「いや、それだ!その考えがあった!」
「や・・・・でも、どうやってコントロールしたらいいのか分からないし・・」
「潤なら練習したら出来るわよ、きっと!明日、武良久先生に相談してみましょうよ!」
俺たち4人は、笑顔で食事の続きを始めた。
きっと、いい対策が見つかる。
そう期待して。