夢
愛しいから
失いたくないから
一応ということで千歳は一週間病院で安静にすることになった。すぐどこかに行ってしまうこともあり、彼女は軟禁状態にされてしまった。もちろん、彼女はすごく不機嫌だ。それを宥めるように勇也は毎日病院に通いいろんな話をする。気をつかっていることが嫌なのか、最初は仏頂面だったが千歳は次第に笑顔になってゆく。
個室なので他の人がいっさいいない。二人っきりの空間は学校よりも少し魅力があった。あの屋上を思い出すねと笑って言った彼女に勇也も笑って頷いた。
十二月の終わり。外は見るからに冷たそうな色をしていた。だが、二人だけの会話は何よりも暖かくて、楽しかった。
「ごめんね。初めてのデートだったのに」
「まだ気にしてたのか。別にいいよ。俺は千歳と話せるだけでデートだから」
気遣うように呟かれたそれは真実で、千歳は嬉しそうに頬を染める。
白い部屋、白いカーテン、寒い故に閉められた窓はからはひんやりと冷たい空気が伝わってきて。あの発作から変わったことはなくて、二人は病気を気にすることなくいつも通りに話をする。
だけど、勇也は気付いていた。いつも通りに笑う彼女の顔に次第に希望がなくなっていることを。ふとした瞬間に見せる儚い表情が彼の胸を締めつける。
「不安?」
「え?……………何が?」
戸惑ったように冷や汗をかいて、千歳は言った。顔を歪ませる彼に更に表情をこわばらせた。かすかな表情を見られたことに気付いて隠していた不安な顔を勇也に見せた。
「寂しいの。こんなに勇也が近くにいてこんなに楽しい時間がもう、そんなに過ごせないんだって思ったら」
吐きだした本音は本当に残酷なもので、彼の心を傷付けた。彼女は今、何の希望もない状態でここにいる。助かることを考えていない。ただ、この時間だけを楽しめればいい、と残された時間にすがりつくようにして立っているだけだ。
その事実が、予想していた事実が本人の口から言われると重く勇也の胸にのしかかる。
「馬鹿なこと言うなよ」
「勇也?」
泣いてはいけない。そう自分に言い聞かせて振り絞った声は震えていた。千歳は揺れる瞳を彼に向けて目を瞠る。泣いてはいない、だがその顔は確かに見えない涙を流していて。
「お前が諦めたら俺達は何もできないじゃないか。いくら周りが頑張っても、本人が頑張らないと何にもならないんだぞ!わかってるだろう?」
「そんなこと言っても、私には時間がないの!!」
不安で押し潰されそうな日々。だけど、今彼女の心を押し潰すのは彼の哀しそうな顔。
「今までずっと気付かずにきてしまったから………、私の生命はおそらくあと一年」
医師から言われたわけではない。だけど、母親の顔が、自分に接してくる看護士の顔が次第に雲っていくのを見ればすぐにわかった。その証拠に思い出を作りたいと言ったらあっさりと学校に行くのを許してくれた。
自分の身体だからこそ、一番理解できた。発作の感覚はどんどん短くなっている。無理をすればすぐに、長く、苦しくなっていった。こんな状況でどうやって頑張れと?と、いつも思っていた。
「どうすればいいの?私は!身体はどんどん弱くなってるし、発作は苦しいし、体重は増えないし……。これじゃぁ手術したくてもできないんだよ?」
自分が握るシーツをジッと見据えて、彼女は肩を震わせた。
黙って聞いていた勇也はそっと、その手に自分の手を重ねる。
「夢を持てばいい」
「……………?」
言っている意味がよく理解できずに、彼女は顔を上げた。瞬きもしない彼の綺麗な瞳から流れる雫は白いシーツに後をつける。手から感じる温もりは彼女を締めつけていたものを少しだけ和らげた。
「一年後、今度は本当に夜遅くまでクリスマスを楽しんで」
静かに紡がれるその言葉を黙って聞いて、瞳を閉じる。
「もう少したったら俺は卒業で、千歳は卒業式に俺のボタンを取りにくる」
「くす、自信過剰」
「俺は大学に入って、君は進路に向かって頑張る。少しだけ時間がなくなるけど、それでもあいた時間は二人だけで会って話をして」
「また、変なことするんでしょ?」
「夏休みや冬休みは二人だけで旅行に行って」
「進路のことで大変じゃなかったっけ?」
「で、千歳も大学?」
「一応進学校に入ったらそのつもりじゃない?」
「なら、近い所受かってもらって、一緒に住んで、俺は先に就職して」
「何でそうなるのよ。ってか、勇也就職できるの?」
「るっせ、で、千歳も大学卒業して」
彼女の額に自分の額をくっつけて勇也は一番穏やかな声音で最後の夢をささやいた。
「結婚するんだ」
彼女の目頭が熱くなった。諦めていた夢。大好きな人とのこれからの人生。呟かれて、見せられて、また……求めてしまった。
「夢………見たくなんかなかった」
「どうして?」
「見て、それでも叶えられなかったらと思うと怖かったから」
「大丈夫。諦めないでいいよ」
彼女の顔を両手で上げて、破顔する。安心する自分にしか向けられないその顔に千歳は不思議な安心感に包まれた。
「大丈夫。千歳は手術が無事にできて、高校も大学を順調に卒業して、俺と結婚するんだ」
何の根拠もない言葉。
だけど、その言葉は嘘ではない。だけど、本当でもない。
優しい予言。優しい予定。
都合のいい夢。
「千歳のお母さんと、この病院の医者と……。俺と、一緒に頑張ろう?自分自身の夢のために、な?」
君は僕が言った言葉に
素直に
頷いてくれた
愛しいから
失いたくないから
君には希望を持ってもらいたいんだ
九話目です。恋人同士が一度は必ず夢を見る結婚。さて、二人はできるのでしょうか。限られた時間の中で。この題名自体がなんだか切ないものですが、だからといって哀しい終わり方をするとは限りません。
少ししかない希望にすがって二人は頑張っていきます。最後までその頑張りを見守って頂けると嬉しいです。
三亜野雪子