喧嘩
始めての
反発
文化祭も終わり、季節はいつの間にか秋になっていた。外を眺めれば木々の葉はひらひらと落ちていく。夕暮時の赤い陽の光はとても綺麗で、彼らの顔を赤く染める。
じっと身じろぎもせずそれに見惚れていた二人は、手を握る。お互いの温もりがとても心地好い。
「ねぇ、もうすぐ何があると思う?」
「付き合ってから一年記念か?」
「もっと早くだよ」
思い浮かばなくて首を傾げた。その行動が可笑しかったのか、千歳はクスクスと笑いを漏らす。
秋、この季節に二人はあの屋上で出逢った。互いに同じ目的で、偶然に。不機嫌そうな勇也の顔も、いつも無邪気な千歳の顔も、今では破顔、悲愴、様々な表情を互いに見せ合った。そうして結ばれていく絆はとても深い。
「もうすぐ勇也の誕生日なんだよ」
「何だ、そんなことか」
「そんなことじゃないよ!ねぇ、プレゼント何がいい?」
突然聞かれても欲しい物は容易には出てこない。顔をしかめて、唸る。ふと、どこか違うところに考えが向かったのか、プレゼントとは関係のないことを千歳に問う。
「修学旅行、どうするんだ?」
「………………、どうした方がいいのかな?」
困ったように苦笑して、千歳は床に視線を落とした。白い、ビニール的な病院の床はつまらない。憂鬱な時に見つめても、気は紛れない。気付かれないように小さく溜め息をついた。
四日間この地から離れ見知らぬ所で過ごす。これは自分にとってかなりの負担となる。おまけに勇也はその場にはいない。止めるべきか、それとも高校時代の思い出として頑張って行くか、千歳は決め兼ねていた。
「行きたくないわけじゃない。だけど、行くべきかどうか迷ってる」
「行きたいなら、行けばいいだろう?」
「…………う、ん。だけど、それで発作が起きたら皆に迷惑がかかる」
「なら、やめればいいだろ?」
はっきりしない物言いに思わず彼は不機嫌になる。口調からそれを察して千歳も表情を歪ませる。
沈黙。重い空気に千歳は何も考えられない。今、何について話していたのかさえ忘れてしまいそうになる。勇也は一つ息をついて、努めて優しい声音で千歳に言う。
「千歳、それを決めるのは君だろ?俺はその結果を聞くだけだ。迷うのはわかるけど、決めなきゃ何も始まらないよ」
「─────────によ、結局何もわかってないくせに」
「千歳?」
今までにない千歳の重い雰囲気に勇也は怪訝な顔をする。下を向いたままの彼女の顔を覗くように身を低くすると、千歳は突然立ち上がる。
涙でぐしょぐしょになった顔で、必死に勇也の顔を見つめた。
「勇也に私の何がわかるの?!発作をいつも気にして、やること制限されて、いつもいつもそれがストレスになってた!好きな行事もそのせいで参加できない!行きたいけど、それを考えると行かない方がって迷ってること勇也は苛つくかも知れないけど、私にとっては重要なことなんだよ!」
「千歳?」
「何よ!そんな心底疲れたような顔で傍にいるくらいなら、いなくなればいいよ!どうせ私の傍にいるのはただ、私に同情してるだけだからでしょ!」
「────────────っ!!」
はっとして千歳は口を押さえる。今、自分は何を口走ってしまった?と、後悔で更に表情を固くした。明らかに傷付いた表情の勇也は、ただ哀しそうに千歳を見ていた。一度口を開いたがすぐに閉じてしまう。
「いつも、いつも、勇也は私のために無理してくれる。だけど、それは逆に辛いの」
嗚咽を抑えながら紡がれる言葉に勇也は歯を食いしばる。
この雰囲気、この様子、この言葉。これは別れの時のものだ。背筋がぞっと凍える。
「だから、もう、終わりにしよう?」
言葉にしてしまったそれ。もう引き戻せない。今まで光にすがって生きてきたのに、自分から簡単に手放してしまうのか。心の中で自分を嘲る。
「それは、俺が信じられなくなったからか?」
冷たく放たれたそれに千歳は息を飲んだ。哀しそうに歪められた彼の表情はそれでもまだ何かを堪えてるようで。よく見れば小さく肩を震わせていた。
千歳は硬直した身体を何とか動かして、首を横に振る。目が、見れなかった。
「確かに俺は千歳の気持ちなんか理解できない。千歳だけじゃない。友達も、先生も、親でさえも気持ちなんか理解することなんてできないし、できるものでもない。それは、誰だって一緒だ。千歳だって俺のこと何も理解してない」
本当のことだ。なのに、それがとても苦しい。はっきりと言われたことが、当然のように言われたことが。だが、自分はもっと彼を傷付けた。そう、思ったら何も言えない。
「だって、そうだろ?俺が無理に千歳に合わせてると思ってるんだから。俺が同情で千歳と付き合ってると思ってるんだから。それだけで俺のことを理解してないってことわかるさ」
勇也は千歳に手を近づける。一瞬、ビクリと肩を震わせたが、予想していたこととは逆に一瞬にして身体が温かいものに包まれた。彼はいつの間にか堪えていた涙を流して、必死に訴えた。
「俺は一年前まで人なんか信じられなかった。学校では上辺だけ、その場だけの関係が広がり、親は親でしらけた関係だった。何をするにも本気になれなくて、長続きすることはなかった。そんな俺が同情だけでお前のためにこんなに尽くすと思うのか?こんなに一緒にいれると思うのか?」
一年、それはまだ十七歳の勇也にとって気が遠くなるほど長いもの。その間ずっと彼女について、彼女を心配して、彼女を支えて。そんなこと今までしたことがなかった。するとも思っていなかったくらいだ。
抱く力を一層強くして、勇也は言葉を繋げる。痛みに思わず顔を歪ませて、千歳は彼の服を握りしめる。
「阿呆か!いられるわけないだろう!いつも言ってきた。俺は誰よりも何よりも大切だって」
「好きなんだ、千歳が。愛しいんだ」
彼女の瞳から流れる涙は勇也の服に吸われていく。小さく、何度も呟かれる謝罪の言葉に勇也は同じくらい何度も頷いた。悪気があったわけではない。ただ、自分の中にあるストレスと不安に耐えられなくなっただけだ。そして、最近疲れ気味だった勇也を心配しているだけ。
わかってる。だけどそれでも放たれた言葉は深く心に突き刺さった。宥めるように彼女の背中を撫でて、勇也は落ち着かせるために彼女の耳元で口を動かした。
「別れるもんか。俺は絶対千歳を手放さない。ずっとずっと一緒にいるんだ」
一つ
一つ
消えることなく
不安は募る
二十一話目です。始めての喧嘩?なのかな。わかりませんが、少し切羽詰まった様子を書いてみました。これから先このようなことが増えるかもしれません。どんどん話は病気に近づいてきます。次は勇也の誕生日です。