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自己嫌悪で消えてなくなりたい卓哉の心境とは対照的な明るい慰めが卓哉の上に投げ掛けられ、頭を抱えていた卓哉は顔をあげる。ミナは水を手に一息つくと、 打って変わって真剣な眼差しを見せていた。いつの間にか、ミナの前に置かれていたパスタはミナの胃に収まっていた。一方、話を聞くのに集中していた卓哉の 方はほとんど中身が減ってやいなかった。
「私は高校生じゃないし、避妊もちゃんとしてたから卓哉君が取るべき責任って奴はないけど、私と結婚してくれる?」
言われて卓哉は言葉に詰まった。ミナが大学生と知って以来考えないようにしていたことを口に出されたからだ。口がからからに渇いた気がする。水の入ったグラスに手を伸ばして中の澄んだ液体を飲み込むと少し心中に落ち着きが戻ってきた。
結婚云々は自分でも先ほど口にしたことではあるのだが、必要性に駆られていない今、卓哉は諾と返すことに抵抗があった。
「いや、俺達お互いのこと知らないじゃないか」
何とかそう口に出すと、ミナは首をふるふると横に振った。
「私は知ってるよ? 自己紹介ちゃんとしたもん。山田卓哉、二十二歳。職業は国語教師。仕事は好きだけど、慣れない環境で四苦八苦してる。趣味は読書。結構無 節操に本に手をつけるけど、文学賞取った奴は絶対読む。あと専門書や実学系には興味がない。今付き合ってる彼女はいなくて、交際相手に求めるのは癒し」
指折り数えながらつらつらと淀みなくあげられたプロフィールに、卓哉は口を閉ざさざるを得なかった。酔っていたから、とミナは言うが、酔っていてもミナは誠実に卓哉に向き合っていたのだろう。だからこそ、口で一通り述べただけだろう細かいところまできちんと覚えている。
「私は酔ってたけど、この人と結婚してもいいなって思ったのは本心。ま、いきなり結婚って言うのは確かにちょっと、って思うけど。単に付き合うくらいはいいじゃない? 私が女に思えないからってフるのはありだけど、私を知らないからってフるのは許せないな」
ミナは酔っ払っていたとはいえきちんと卓哉と交わした約束を忘れないで覚えている。それに対して全てを酒が抜けると共に忘却してしまった挙げ句、そんな真 摯に対応しようとしてくれた相手をホテルに一人残すような真似をする自分の不誠実さに己の矮小性を見出し、卓哉はそれを恥じた。
酔っていようが結婚の申し出をしたらしいし、彼女の年齢ならば何も犯罪ではない。結婚でもなく交際を断る理由が果たして明示できるか。
「ね、まずは恋人から始めてみない? まずは私を知ってよ、卓哉君」
――否だ。
卓哉はこれ以上ミナの言葉を拒むほどの人で無しではないつもりだったし、ちょうど明日からは黄金週間で、その間の予定もない。お互いを知る時間は十分にありそうだ。
卓哉に残された返答は諾でもう決まったも同然だった。
まずは伸びてしまって美味しくないかもしれないパスタを食しながら、ミナの自己紹介を聞こう。
そんなことを考えながら、卓哉は口を開いた。
卓哉とミナの話はここで一旦終わりです。
次はストーカー気質の人の話、のはず?