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卓哉は何とか今日予定されていた授業を全て終えていた。だが自分でも分かるほどに卓哉の授業は上の空だ。
特に今終わったばかりの二年生の授業は酷かった。今日から新単元に入るということで教科書に載っている小説の音読を段落毎に区切って生徒にさせていたが、ぼんやりしているために生徒が読み終わっても気がつかず、生徒から次を催促され我に返ることも数度あったほど。
幸い明日からの連休中に予定はないので、その間に何とか折り合いをつけ、名も知らぬ情を交わした相手との一件に決着をつけなければならない。
そう決意をし教室を立ち去ろうとした卓哉に、甲高い声が掛けられた。
「やーまだっ」
その声に卓哉は苦々しい顔をする。新卒の教師はどうやら二年以上の生徒達の中では友人に準じた扱いか何かのようで、常に嘗められているのだが、その中でも特にそういった言動ばかりを取る少女ら三人に声を掛けられていたのだ。
「山田先生と呼びなさい」
こういった態度を取らせることと友好的な関係は別物であるし、特に新卒は嘗められてからでは遅い。そう指導されているため卓哉はぴしゃりとそう言うが、セーラー服に身を包んだ少女達はそんな大人の事情など意にも介さない。
「山田は頭固いなぁ」
呑気にそんな声を上げてけたけたと笑うばかりだ。卓哉は苛立ちを覚えたが、相手は子供だと言い聞かせて何とか己を押さえ込んだ。
「それよりさ、山田今日ぼうっとしてるけどもしかして色ボケ?」
「あれでしょ? 熱い夜ってヤツを思い出してるんでしょぉ」
教室で教師に振るのにこれほど相応しくない話題もあるまい、と卓哉の顔に苦々しい表情が浮かぶが、少女達はますます楽しげな様子を見せるばかりだ。
挙げ句多少声を潜めてではあるが、とんでもないことを言い出した。もしこの現場を同僚に見つかりでもしたら、懇々切々と教師として己の行動に対する責任を諭されるに違いない。
「私達知ってるんだからね!」
「金曜の夜、先生ったらミナちゃんと一緒にいたでしょ?」
「ミナちゃん?」
聞き覚えのない名前に誰何を返してから、卓哉は該当する人物が一人しかいないことに気が付いた。酔った弾みに卓哉が寝てしまった女だ。
だがそれを少女達は卓哉が惚けてみせたのだと思ったらしい。声に少しばかり己は知っているのだという優越感を織り交ぜて、少女は言う。
「ミナちゃんはミナちゃんよ。駅前の塾のミナちゃん。ごまかしたってムダよ。アタシ達先生達が密着して歩いてるの見ちゃったもん」
「あのミナちゃんが! って思ったよね!」
「しかも冴えない山田と。ねぇ、あの後ホテル言ったぁ?」
きゃはは、と残酷に卓哉をけなす少女達の声は、しかしもう卓哉の耳には入っていなかった。
どうやら卓哉が体を重ねた相手は彼女らの知り合いらしい。どこの誰だか分かったのはよかったが、この姦しい三人娘に見られていたのなら、あっという間にこのことは学校中に広まるに違いない。もう教師生命は断たれたも同然だった。
「あれ山田?」
「……高校生があんま遅くまで出歩くんじゃない。あと山田先生、だ」
「ええーっ」
「山田頭固い!」
何とか取り繕ってそう言い教室を離れれば、背後から不満たらたらの声が卓哉を追ってきたが、もう卓哉にはそれに相対するだけの気力も残されてはいなかった。




