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亜依より少し年は上、大学生くらいだろうか。同年代の男子より遥かに落ち着きがある。否、落ち着きというよりは妙に厭世的な雰囲気を纏っているというか。大人、という感じだ。
じろじろと亜依が見ているのに少し居心地が悪いとばかりに身じろがれたが、亜依はそのまま視線を青年に投げ掛け続ける。
「鶴岡さん、またこんなところにいて!」
亜依が青年を見つめるのをやめたのは、そんな言葉と共に看護士が屋上に現れ、ずるずると鶴岡と呼ばれた青年を引きずっていったそのときになってから。鶴岡、と口の中でその名を紡ぐ。
「また彼ここに来たのねぇ」
されるがままの様子をただ見送っていると、パジャマ姿の御婦人に話し掛けられた。いつ来たのか分からないが、少なくとも鶴岡捕物の際には既に屋上にいたらしい。
「彼、いつもこの時間一人で空を見てるのよ。もしかしたら治らない病気なのかも知れないわね」
言われた言葉にどきりとした。亜依は様子見で病院に留まっているに過ぎないが、そうではない人もここにはいる。短期間ですらすることのない入院に暇を覚えてしまうというのに、それがもしも不治の病だったとしたら――。
彼の纏うあの厭世的な雰囲気の理由が分かるような気がした。
亜依は翌日、鶴岡の部屋を探した。鶴岡と書かれたネームプレートを探して病棟をひたすら全ての階を網羅して歩き回るだけだが、それにかなり時間が潰れた。
漸く見つけたのは呼吸循環器科の一室。その響きだけでも何か恐ろしい病を内包しているのでは、と思ってしまうのを必死に堪えて、ネームプレートを再確認する。
『鶴岡孝司』と書かれた個室だ。苗字は確かに合っている。人違いがあったら恥ずかしいので確認のためにひょいと室内を覗き込む。ベッド横のカーテンから覗いた顔立ちは確かに昨日出会った鶴岡のもので、亜依はほっとした。それから、ふと気付く。
病室には、先客がいた。鶴岡によく似た男性だ。恐らく兄弟だろうと当たりをつけた亜依は、廊下で考え込む。
男は彼の知り合いだから見舞いに来て当然だ。それに対して好奇心から無我夢中で来てしまったが、昨日二三言交わしただけの亜依が鶴岡の部屋を訪問するなど、論外なのではなかろうか。しかも、病室を教えてもらったわけでもなく、探し出してまで。それって。
ストーカーっていうんだよ。
親友の声音で自分にとどめを指す空耳が聞こえ、亜依はうわ、と思った。腹黒ドエスにそんなことを言われては、最早おしまいだ。
「あうぅぅ……」
しゃがみこんで呻くと、
「あれ、お客さん?」
上から声をかけられ、びくりと顔をあげると先程の見舞い客が亜依を見ている。しゃがみ込んでいる亜依に不思議そうな顔をしているのが分かり、亜依は引き攣った笑みを返すことしか出来ない。
「お見舞い来てくれたんだ? 孝司、お見舞いだぞ」
「は、離してくださいよぉ……」
何故だか妙にうきうきしている恐らくは鶴岡の兄であろう青年に、亜依は抗議をするが聞き入れられる様子はない。
そのままずるずると室内に連れ込まれた亜依に、鶴岡が目を丸くした。これはもうストーカーと思われたので確定だ、と亜依はごまかすように笑うしかない。
それをどう捉えたのか。
「俺お邪魔みたいだし帰るわ。仲良くやれよ孝司」
「ちょ、秀司! 待てよ!」
鶴岡が止めるも聞こえていないかのように亜依を室内に残して姿を消してしまった鶴岡の兄に、亜依と鶴岡は二人揃って出口の方へぽかんとした顔を向けるばかり。
暫く続いた痛いばかりの沈黙が、亜依を責め立てているような気がした。
「昨日の人ですよね? 何か?」
長すぎる沈黙の末鶴岡に話し掛けられたときになってやっと、亜依はほっと息をつくことができた。
「あはは、あの、……えへ」
とはいえ、状況はなんら改善されてなどいなかったのだが。
「鶴岡さんこんにちはぁ!」
そんなことを言いながら引き戸を開いた亜依に、鶴岡がちらりと視線を向ける。鶴岡とはあれから毎日見舞いに来る仲となった。鶴岡の自分に向けた視線に驚きの色が混じるのを気分よく亜依は受け止める。
亜依はつい昨日とうとう退院した。そして今日から学校に通い、放課後の今鶴岡の見舞いに来たわけだ。
「高校生だったんだ……化粧してんだね」
予想通りに驚いてくれた鶴岡に、亜依はふふん、とばかり自慢げな顔をする。暫く話すうちにお互いに丁寧語はやめ、会話はため口だが、すっぴんは正直なとこ ろ幼く見えて亜依は不満だった。鶴岡の亜依に対する話し振りも、丁寧語でなくなったからかもしれないが、心なしか子供に見られているような気がしていた。
高校生らしく、子供に思われたくはない。年齢こそ少しばかり大人に足りないが、精神的には大人のそれと変わらないと信じている。
「久しぶりに学校行ったら驚かれちゃってぇ」
言いながら見舞い客用の椅子に座る。今日あったことをひたすら鶴岡に伝える時間だ。鶴岡はそれに一々相槌を返すこともあれば、何も言わないこともある。
大抵はひたすら亜依が喋り倒すこの時間は別に何をするわけでもないが、鶴岡の傍にいると落ち着くというか。最初はただの好奇心からだったはずの接触が、今では心地好いからやめられないだなんて、まるで何かの中毒のよう。