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前回の話から割とダイレクトに繋がっています。
塚田亜依は病院の公衆電話前ではぁ、とため息をついた。
亜依は数日前酷い痛みに襲われた。少し前からしていたその痛みをついお腹に来る風邪か何かと無理やり無視していたのが悪かったらしい。少し肌寒くなってきた十月の寒空、体育の最中に倒れ、そのまま病院に運ばれた。そこで盲腸だと診断され、何よりも先に高校生でもなるんだ、と驚きを覚えたのを亜依は忘れない。
亜依の中では何となく年かさの人がなるイメージがあったので、そうか高校生にして盲腸か……、と 思ってしまったのも仕方があるまい。実際のところ、病院で聞いてみれば亜依くらいの年代は発症率が若干高いだとか、大人だけがなるものではないと聞いたがそれにしたって。
両親の言もあり、医者の勧めに従って亜依はそのまま手術を受けた。取っ払っても問題ない器官があるなんて人の体は不思議だ。いらないものならばそもそもなくていいのに。
亜依はそのことにかなり驚いたのだが、もしかしたら亜依が知らないだけで常識なのかもしれないからまだこの感動は誰とも分かち合っていない。
そして、肝心の手術については問題なく成功した。
だがそこで問題が発生する。亜依は手術さえ終わればもう帰っていいものだと思っていたのだが、亜依にはよく分からないあれこれがあるらしく、結局数日の入院を余儀なくさせられるのだという。
だが、亜依としては決して体調が悪い訳ではない。そうなるとただベッドに横になっているのは苦痛でしかなく、何か時間を潰しうるものを求めたくなる。夏休 みや休みの日に家でだらだら過ごすのとは比べものにならないほど、病院での時間は退屈の一言に尽きた。その上時間を潰すようなものもなく、化粧道具も持ってきてもらえなかったから化粧水だけの論外な状態だというのもまた、気分を盛り下げる要因だ。
大体、これではやけに生真面目な双子の姉とそっくりになってしまう。叔父の家に下宿してまでど田舎の学校に通った姉の考えていることなど、亜依は分からないし分かりたくもない。
そもそも亜依はもっと華やかで可愛らしくなりたいのであって、あんなつまらない人間になりたくはない。もっと、街で輝いているような、そんな女になりたいのだ。
――そして自分だけ見てくれる誰かがほしい。
幼い頃から出来のいい姉と比べられてきた。同い年で同じ顔をした姉に劣る模造品でいたくない。亜依の方が優れている何かがあるはずだ。そうして化粧で可愛く武装し始めたのに、それを取り上げられてしまっては。
わざわざ一度見舞いに来てくれた姉を思い出す。一人で来ればいいものを、あの姉は彼氏と共に現れたのだった。亜依は半分くらい姉が見舞いに来たのは彼氏とのデートが目的だと信じている。
因みに亜依の姉の彼氏が何故か亜依のクラスメイトだからだが。一体どこで知り合ったのか、夏休みに姉に惚れたらしいクラスメイトは無事に姉をゲットしたら しかった。それに先を越されたと思う自分がまた悔しい。地味なくせに、亜依がまだ彼氏がいないのにどうしてあの姉が。化粧をしてもまだ亜依はあの姉には遠 いのだろうか。
――思い出したらまた腹が立ってきた。何か違うことをしよう。思考につい沈んでマイナスに流れてしまいそうなところから、そんな風に必然的に何かすることを求めてベッドを抜け出して今に至る。
目についた公衆電話で誰かに連絡しようと思い受話器を手にとったのに、そこでかける相手がいないことに気が付いてしまった。というか、番号を諳んじることのできるような仲の相手などほとんどいない。
何かあったときに大抵電話相手となってくれる阿倍野亮太は、その極めて稀な例に当て嵌まっていたが、今日は確か後輩の少女と遊びに行くと言っていたはずだ。
異性ではあるが悪友とでもいうべきクラスメイトを思い出す。
携帯にかければ電話に出てくれるだろうが、それをすると折角のデートを邪魔してしまう。そもそも、折角後輩といい雰囲気になっている亮太とはある程度距離を置いた方がいいのだろうか。
亜依と亮太の距離は友人にしては近すぎるとよく言われるし、亮太は恋愛事に疎いから亜依との関係について誤解を招くようなことを言うかもしれない。そうでなくとも近すぎる距離間に、彼女が変な誤解をする可能性もある。
「暇……」
結局亜依は受話器を戻した。ぽつりと呟いて、ふと亜依はすぐ傍の階段に気が付いた。これを上まで昇ろうか。探検、なんていうものもいいかもしれない。思い立って亜依は階段を一段ずつ踏み締めた。
最上階から少しずつ下がっていこうと決めたのだが、何十もの階段を昇りきった先にあったのは屋上だった。フェンスが高く張り巡らされているのは自殺防止の ためだと、ドラマで聞いたような気がするが、どの建物よりも高い屋上から見た空は広く、つい飛び出したくなる気持ちが亜依にはわかるような気がした。
吸い寄せられるようにフェンスへ触れると、背後から声がかけられた。
「そのフェンスは外れませんよ」
亜依が振り返ると青のストライプのパジャマに身を包んだ青年がすぐ傍にいた。亜依と同じ入院患者だろうか。丁寧な言葉遣いだが、亜依に向けているのは呆れたような視線だ。亜依はむっとする。
「別に死のうとしてたとかじゃないです」
亜依の返答に、興味のなさそうなふぅん、という声を返して、青年が亜依の隣に立った。フェンスから下を見下ろして、どこか遠くをその視線が見つめている。妙に醒めた目が印象的で、亜依は言葉も発せられないままただ青年を見つめる。




