2
始業式の日はいつもより早く学校が終わる。始業式が締め切りになっているいくらかの宿題と教師からの伝達事項だけを耳に入れれば、他にすることもないのかすぐに帰宅できる。
教室で少しの間亜依と他愛もない雑談をしてから、亮太は校門を通って帰路に着く。ちょうどそのとき、何か声が聞こえた気がして亮太は顔をあげる。
「ん?」
きょろきょろと周囲を見回して、少し離れたところで何かを言い争っている男女がいるのに気がつくと、厄介ごととは分かっていても野次馬根性から亮太はそちらの方へと歩を進める。修羅場か何かだと聞いていて面白いのだが。
その間にも、自然と口論は亮太の耳に入ってくる。
「だからごめんっつったじゃん! 大体日付も確認してって言ったのに!」
「嘘言うお前も悪いだろうが! 宿題出し損なっただろ!」
「多分ってつけたじゃん多分って!」
驚くべきことに、女の声には聞き覚えがあった。一度見ただけではあるが、容姿から判断しても今朝方亮太のクラスに飛び込んだあの下級生に違いなかった。
男との言い争いの内容を聞くに、どうやら宿題の提出期限を間違えて伝えてしまったようでそれについて男が文句を言っているらしい。
多分だとか不確かな言葉を付けていたのだし結局のところ確認を怠った男が悪い。だが、男からしたらそれなりに信頼して提出期限を聞いたのに嘘をつかれたと思ったのかもしれない。
その辺りは当事者二人の関係性によるので口出ししないことにして、さて、と亮太は思う。野次馬根性を発揮して近寄ってみたわけだが、大して緊迫した現場と いうわけでもなかった。そのまま立ち去ろうとした亮太は、しかしそのときふいと視線を逸らした男の方とばっちり目が合ってしまった。
「なんすか」
亮太が先輩だと理解はしているのか、そんな反応が返ってくる。ただの好奇心だと言うのは許されなさそうだ。仕方がない、と覚悟を決めて亮太はにこりと笑みを見せた。
ええと、教室で彼女がどこのクラスだと騒いでいたメンバーは彼女のことを何と言っていたのだったか。確か――永井だったか?
「永井さんと待ち合わせしてたんだけど、遅いから迎えに来たんだ。そろそろ解放してもらえる?」
亜依にしょっちゅう胡散臭いと評される笑みを浮かべて男に笑いかければ、何事かをもごもごと言ってからやがて諦めたようだった。
「……っす」
「じゃあ連れてくから。行こうか、永井さん」
すたすたと二人の許に近づいて手を取ると困惑した視線を向けられたが、亮太はそれに応えず歩き出す。亮太のことなど知らないだろうが、助けられたことだけは分かっているのか棗も大人しくついて来る。
棗の手を取ったまま校門を出て左、最初の角を右折したその辺りで足を止める。駅前へと続くその大通りはひっきりなしに車が通っている。大通りということで人通りもちらほら見られる。
男から十分に距離が出来たところで、棗から遠慮がちな声をかけられた。
「あの……助けてもらったのは助かったんですけども、……どちら様ですか?」
困ったような声に、亮太はにこりと微笑む。こんな役回りをさせられたのだから、せめて彼女をからかいでもしなければ気が済まない。
「僕は阿倍野亮太。所属は君が朝飛び込んだ教室」
それを耳にして、棗は亮太が期待した通りに青くなる。
「ま、まさか噂のミスター腹黒ドエス先輩ですか……っ!」
棗の血の気が引いた原因はてっきり朝の一件かと思ったのだが、予想に反して亮太のことを知っているらしい。部活でそのような呼称をされていることを思い出し、亮太は苦笑する。部活の後輩の中に棗と親交のある者がいるのだろう。
「心外だなぁ」
亮太はただ人をいじったりして困っている顔を見るのが好きなだけだ。だが、それを口にするとますます棗が本物だ……と萎縮するので、ひとまず亮太は話を変えることにした。
人を不名誉なあだ名で噂している元凶が誰かは予測がついているので次の部活のときにでも反省を促すことにして、さて。