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夏休み明け、とはいえまだまだ猛暑の盛りの登校初日。夏服に身を包んだ生徒たちがどんどん校門に吸い込まれていく。
大きな休みが終わってしまい、またルーチンワークを繰り返さなければならないことへの失望の暗い顔と、宿題として出された課題が終わる気配を見せないこと に対する焦燥のせいで青くなるもの、はたまた久しぶりに友人に会う喜色満面と、生徒達の顔色はこれでもかというくらいに感情に満ち溢れカラフルだ。
そんな中で、三番目に分類される永井棗はうきうきとしていた。漸く学校が始まったのだ。彼女からすれば、友人に久しぶりに会うことが出来るのに楽しみでない方がおかしい。階段を一段飛ばしに駆け上がり、興奮のままに棗はがらりと扉を開ける。
「おっはよー!」
兄妹揃って備えている母譲りの美貌に笑顔を貼り付けて元気よく挨拶をした棗は、しかし沈黙を以ってそのクラスに出迎えられた。
一つも朝の挨拶が返されないことに、棗は困惑しきょろきょろと周囲を見回す。そして、自分が冒した間違いに気がついた。
それ即ち。
「……っ! ま、間違いましたぁぁあ!」
新学期ともなると誰かしら必ずやらかす者が出る、教室間違いである。上級生の教室に飛び込んでしまった棗は、そのことに気がつくや否や奇声をあげて教室を飛び出して行った。
黙って出ていった方が当然注目もされずに済むのだが、その辺りはパニック状態の棗には思い至ることが出来なかったようだ。結果として、クラス全員が棗に注目してしまっていた。
「……なんだったんだ、あれ」
「……びっくりしたぁ」
その行動に驚いたのは、棗に飛び込まれたクラス全員の方だった。見知らぬ下級生が元気いっぱいの挨拶をしたと思ったら、奇声と共に走って教室を飛び出して 行ったのだから、当然といえば当然だろう。部活の宣伝か何かかと思い込んでいた者もいたのか、あれなんで出てったの、などと疑問符も飛んでいる。
途端にざわざわと今の出来事について話す生徒たち。しかも顔立ちも可愛らしかったことから、あれはどこのクラスの、だとかそういう話をしているグループもいる。下心見え見えの彼等に、女子の一部から冷たい視線が飛んでいた。
阿倍野亮太と塚田亜依もまた例に漏れず今の出来事について話している。
「確かに可愛かったけど、すごい面白い子だったよねぇ」
くすくすと亜依は棗を笑った。逃げ出した下級生について何も知らないが、先程の行動を見る限り余り高校生らしくないというか何というか。法律上は子供に未 だ含まれる年頃とはいえ、本人の認識はこのくらいになるともう大人のそれにほぼ近しい。そんな年頃で大声で元気よく挨拶だなんて、と亜依の声音は言外に告 げている。
別に下級生を擁護したいわけでもないが、亜依に意地の悪いことを言いたくなって亮太はにやりと笑う。
「中学生からあがったばっかりって感じでいいんじゃないかな。少なくても君よりは好ましいだろうさ」
「ひどぉい。毎日化粧したりとか頑張ってるのに何が不満なのぉ!」
ばっさりと亜依の言葉を切って捨てた亮太に、自他共に認める都会っ子である亜依がそう批難がましい声をあげる。しかし、亮太はそういうところだよ、などと言うばかりだ。
「ってか君と僕は付き合ってるわけでもないし」
「私も亮太はこっちから願い下げだけど、それでもああいう子供っぽいのに負けるのも嫌なんだけどっ!」
きつい物言いではあるが、普段から二人はこういった言い合いをしょっちゅうしている。きっとうまいことテンポが合っているのだろう。
亜依の容姿がどれほど優れているにしても恋愛だとかそういった関係にはなり得ない。だが、代わりに亮太の中では亜依は最も親しい異性の一人だ。傍から見れば恋人か何かに勘違いされたりもするが、お互いにお互いがそういう対象でない。
安い挑発も友人とのそれだとよく分かっているからか、亜依も亮太の罵詈雑言に対して本気で怒ったりはしない。
そこでちょうど鳴り響いたチャイムと共に担任が教室に入ってきたので、亜依と亮太の論争は終わりを告げた。