選ばれた婿殿
陶波国の末姫と言えば、王による一時期の溺愛が思い出される。もう十年近く前だったか、内々であれど会談にも隣席させるほど近くに置いていたとか。子供には難しい政治の話をする中、小さな娘が混じる不思議な光景だったという。
しかしそれも長くは続かない。末姫の体調不良を機に、どこにでも伴うことはなくなったようだ。と言うのも、何が原因かは不明だがその声は失われてしまったのだ。元来大人しい質であった末姫は完全に黙し、国中の医師を集め手を尽くしても末姫の声は戻らなかった。
(で、これが件の末姫というわけか)
手を伸ばせば届きそうな距離に彼女はいた。
その娘は白い面を扇で隠し、艶やかな目元だけを覗かせている。齢は十七と言っただろうか。少女らしい淡さと匂い立つような色香が混じり、どこか不安定ゆえの魅力を感じさせる娘だ。顔の半分を隠していても、漂う艶やかな雰囲気は隠せない。
卓子を挟んで向かいに座る末姫と傍近くにはべる侍女を順に眺め、リコウは心中眉をひそめていた。
とんだ茶番だ。さっさと終わらせてしまうに限る。
「この度リコウ殿をお呼びしましたのはご存知の通り、末姫様の婿殿をお選びするためにございます」
しずしずと侍女が告げる名目を聞いたのはリコウで何人目だろうか。
末姫の婿選びはしばらく前から始まり、既に幾人もの相応しいであろう男達がこの場に呼ばれているはずである。立候補をせず、初期の婿候補の内にいなかったリコウが今ここに呼ばれているのだから、その誰もが末姫の目に適わなかったのは明らかだ。
言の葉を紡ぐ声を持たない末姫は、ただじっとリコウを見つめている。
婿としての基準など分からないが、リコウは己が選ばれるとは露ほども思っていなかった。柔和とは程遠い己の容姿をよく理解した上で、少しの笑みを浮かべることもない。姫君たちにしてみればさぞ恐ろしいだろう。
「して、末姫様はいかにして伴侶を選ぶのでしょう」
それなりに高位の職に就くから呼ばれた人数合わせに過ぎない。そう自負するリコウは、さっさと終わらせたいとばかりに促した。
「リコウ殿は現宰相補佐であり、前任の宰相閣下の御孫であらせられる。その身は清廉潔白、不正を許さぬ正義をお持ちとお聞きしております。――ここまでで間違いはありましょうか?」
随分と持ち上げられた釣書にリコウは口の端を引き攣らせた。
「ずいぶんと過分な評価です」
「末姫様はその真偽を知りたいとおっしゃっております」
侍女は末姫に視線を移し、末姫は頷いて立ち上がる。
「……末姫様?」
音のしない足捌きでどんどんと近寄る末姫にリコウは心持ち仰け反っていく。
「この場でのことは他言無用に願います」
淡々と侍女の声が響いた。
その台詞は「後の方々にも公平を期すため」と、始まる前にも聞いたが、念を押す雰囲気にただならぬものを感じた。
あと一歩の距離で末姫は止まる。いつの間にか扇は閉じられ、末姫のあどけなさと艶やかさが混じる面が晒されていた。末姫は何か期待するように瞳を輝かせ、ゆっくりと最後の距離を詰めた。ぽってりと濡れた唇が薄く開きながら近付き――
すう。
はあ。
「…………は?」
リコウは己の肩口で聞こえた深呼吸に思わず目を点にした。
満足したのか、リコウが固まっている間に離れた末姫の小さな口が笑みを象っていく。
彼女はくるりと振り向いて侍女に頷いた。リコウから見えない位置で、握りしめた片手がぐっと上がっている。
「おめでとうございます。此度の末姫様の婿選びは、リコウ殿に確定いたしました」
詳細は追って連絡いたします。
そう告げる侍女の片手も末姫に返すように上がっていたのだが、リコウの視界には写らなかった。