一章:奈落よ奈落よ何故躍る、人の心が分かって恐ろしいのか 4
市の報告を見たハルキ達は、早速車に乗り込んで例の小奈落へ向かっていた。
ハルキはせめて先遣隊の結果を待つよう訴えるも、加熱したフェンの意見に勝てるはずもなく、オライオンの容態を心配をしてみれば、当人はその場でバク転して問題ないという始末。
完全な袋小路に追い込まれたハルキはすぐに諦めた。
「一日に二回も奈落に潜るのは初めてだよ……」
「ぬしよ、討伐賞金が千五百万リルよ。これだけで三等分してもウハウハよ! これはもう行くしかないと天も言っておる」
助手席のフェンは金額を聞いてからこの有様だ。賞金に加え、手に入るであろうマナ結晶を考えれば悩みが吹き飛ぶレベルの額であるのは間違いない。だからといって、通常踏む手順をすっ飛ばすのは生き急ぎすぎだ。
「危険だと感じたらすぐ引き返すからね。ふたりとも分かったかい?」
「相分かった」とあまり信用できないフェン。
「もちろんだ」というオライオンの返事はまあ信用できるだろう。
車が本日二度目の奈落へ突入する。慣れることのない悪寒が全身を駆け巡る。フェンが助手席から車上へ移動。やっふーと圧縮空気弾を連打し、視界に映る間もなくアヴェスターを爆散させていく。
「すごいな、ソロで潜る俺じゃできない芸当だ」
「ああ見えてもフェンは優秀なんだよ」
褒めているのだから、車上で「ほわぁぁ~!」という掛け声はやめてほしい。切実に。こちらは視界がない状態での運転で、神経がやすりで削られている気分なのだ。
「我が風を阻むものなし!」
高らかに宣言する様は恰好が良い。映画であれば、だ。
「いや、風道とでも言うべきか? ハルキよ、どちらが良い?」
フェンが助手席の窓から逆さになった顔を突き入れる。
「どっちでもいいから前見て前!」
「なに、問題ない。既に我が知覚できる敵は全滅した」フェンが顔を戻して続ける。「だが仕方なし、繊細なハルキのためにもうしばし見ておこう」
「ご厚意痛み入るね、ホント」
一直線に進みしばらくして、フェンが停止を命じた。ブレーキを踏んで車を止め、オライオンと共に外へ出る。
跳躍したフェンがハルキの前に降り立つと、棍を前方に向けた構えを取る。オライオンも隣で魔杖剣を抜いていた。
「十メートル先、目標の小奈落よ。ぬしらよ、準備は良いな?」
落ち着いたフェンの声。オライオンが頷き、ハルキは腰にある魔杖短剣の柄を右で握る。
「よし、行こうか」
前衛ふたりを先頭にして進む。フェンが大きく息を吸い込み、魔法を発動。握られた青竜三爪の三つの宝珠が淡く光り、前方の空間の白い霧――マナが散る。
そして、再び異界が姿を現す。乾く寸前の血色が渦巻く空間。見るからに生きた人間が存在できる場所ではない。
それでも、ハルキは足を踏み出す。
「取り決め通り突入後、フェンは視界確保。オライオンは敵の制圧。頼んだよ」
ハルキが魔杖短剣を抜くと同時、ふたりが駆ける。
後ろを走りながら、ハルキは支配するイデアの引き金を二度引く。短剣の切っ先から白い光の帯が二条放出。前衛ふたりの魔杖装へ到達し、宝珠の演算能力を向上させる。
ふたりが小奈落へ突入。落ちる薬莢の音。ハルキも続く。
中に入ると血色の世界だった。大地も空もすべておぞましい血の色だ。足元から奈落とは違う怖気が這ってくるようだった。
「視界良好。敵はおらんな」
前を向いたままフェンが呟く。オライオンも魔杖剣を構えた臨戦態勢だ。
視界不良での初手不意打ちが無くて、ハルキとしてはほっとする。
「ここからが本番だ。小奈落のヌシ、特別個体の討伐にいこうか」
慎重に中を進んでいく。敵影が見えない。違和感が生まれる。アヴェスターが見当たらないことが幸運なのか、それとも何かしらの兆候なのか判断がつかない。未知の領域での判断は胃が締め付けられるほどに重い。
百メートルほど進んだというのに、何もない。ただ歩いているだけなのに、自然と息が荒くなる。ちらりと目線で振り返ったフェンがにんまりと笑う。
「案ずるなぬしよ、我がいるからにはぬしに指一本――」
視界の左半分が爆発した。突然の攻撃に巻き込まれたフェンの身体が吹き飛び放物線を描く。
「フェン!」
「下がれハルキ!」
オライオンが叫ぶと同時、空中から影が落ちた。
衝撃音。オライオンが魔杖剣で何者かの攻撃を受け止めていた。ハルキの目にもようやく敵が映る。
緋色の短い前髪。長い髪を後ろで乱暴にまとめられ、荒く広がっている。額にはふたつの角。十代後半の鬼種の女性だった。
だが、目がおかしい。白目が黒くなっている。口端から唾液が流れていた。
オライオンが魔杖剣を横一線。女が軽業師のように後方宙返りをして距離を取る。両手には剣が二本。魔杖双剣だ。
「マナが浸蝕してアヴェスター化してるのか?」
オライオンの問いに、女は双剣を交差させるだけだ。右の赤い剣の切っ先が正面に向けられる。
オライオンがその場から右に離脱。直後、地面が爆発した。粉塵が舞い、衝撃波がハルキの前髪を揺らす。
女の側面へ回り込むようにオライオンが疾走。ハルキも短剣を携え、即座に援護ができる構えを取る。フェンのことは一時的に思考から消す。あの程度で死ぬたまではない。
女はその場に佇んだまま、側面へ展開したオライオンへ青い剣を一閃させる。
走るオライオンの足元に半透明な氷が生まれる。
「なっ、魔法の制御力が高すぎる!」
一瞬で生えた氷がオライオンの下半身を覆う。女の赤い剣の切っ先に炎が灯る。半径一メートル程となった火球が放たれる。
ハルキは既に動いていた。魔杖短剣の引き金を連続で引き、オライオンの前面に白い壁を五重に展開。
火球が壁に着弾。三枚目までを一瞬で浸潤、貫通する。四枚目で火球が止まる。
空になった弾倉を捨てて入れ替える。初弾を薬室に叩き込んで引き金を引く。
オライオンの下半身を凍てつかせる氷へ熱を送り込む。火傷は我慢してもらうしかない。
「滅茶苦茶痛いが助かる!」
四枚目の壁が崩壊、五枚目に火球が到達するが、オライオンの足は自由になった。女の視線がハルキへ注がれる。双剣の切っ先が向けられた。横合いから嵐が現れる。
「よっくもやってくれたのお!」
フェンが女の側面から跳び蹴りを放つ。女は左の剣で受けるが、それは失策だ。カンフー大好きっ子の物理攻撃を片手でいなすなど論外。
理不尽な攻撃力をもろに受けた女が吹き飛ばされ、地面を転がる。
「その人の動きを封じてくれ! 僕が元に戻す!」
フェンとオライオンが疾走を開始。
「ハルキのナンパ、成功させてみせようぞ!」
「俺もその子は結構タイプだ!」
こんな時でもふたりの軽口は止まらない。
起き上がった女へ、ちょわ~とフェンが踊りかかる。魔杖棍による突きの連打。女が双剣で器用にさばいているが、カンフー少女の力は伊達ではない。人外の威力を誇る突きが女の態勢を簡単に崩す。
「ほれ、これでしまいよ!」
棍による高速の足払い。嫌な音と共に女が地面に倒れる。同時、オライオンが女に覆いかぶさる。見た目的には女に襲い掛かる男そのものだ。
「いまだハルキ!」
女の傍まで駆け寄ったハルキは、細い首に用意していた抗マナ浸蝕剤を突き刺す。女はオライオンに抗うも身動きひとつ出来ていない。前衛の馬鹿力の面目躍如だ。薬を撃ち込まれた女の目が見開かれる。目の白目が少しだけ戻っていく。だが、完全に黒を浄化できない。浸蝕レベルが高いのか、別の理由か判別は不能。
体内のマナへ直接干渉して無理やり操作するしかない。
ハルキは魔杖短剣の切っ先を女の首元へ向けた。引き金は引かない。単純なマナ操作は専売特許だからだ。
マナを視る目で女の身体を確認。脳のマナ濃度が異様に高い。暴走の原因はこれだ。おそらく。きっと。
「うああああああああ!」
女が咆哮。左手がひるがえり、魔杖剣を動かそうとして――
「暴れるなかれ」
フェンの棍が女の手首に突き立てられる。女の動きが止まる。
ハルキは慎重に、しかし、素早く女の脳に溜まるマナを散らしていく。
「ハルキ、まだか……!」
オライオンの苦悶の声。
「もう少し!」
マナを散らしきり、ハルキは駄目押しで二本目の抗マナ浸蝕剤を女へ刺し込んだ。
女の瞳が急速に元へ戻る。全身の力が抜けたのか、震えていた身体が止まる。オライオンがおっかなびっくりといったように自分の身体を起こす。
女は動かない。ハルキは女の首元へ指を添え、脈を確認。生きている鼓動が指の腹に伝わる。足首へ視線を滑らせる。やはり、フェンの足払いであらぬ方向に曲がっていた。
「フェン、足首をまっすぐに。治療するよ」
「ぬし、本日二度目の凶行よの!」
フェンの軽口は無視し、魔弾を消費して治療を開始する。自然治癒力の底上げで骨と骨が癒着を始める。
その過程で、フェンが無理やり骨の位置を調整する。とんでもない激痛なのだろう、「いったいッ!」と女が叫んで上半身を起こした。
「なるほど、俺の治療方法がこれだったのか。なかなか鬼だなハルキ!」
「君たちの僕への評価がどうなっているのか、帰ったらたっぷり聞かせてもらうよ」
うぎゃー、と半泣き状態の女性を見るのは気分が良くないが、麻酔の取り扱い方なんて分からないのだから仕方ない。
「痛い痛いお母ちゃあああん!」
腕をばたつかせる女性に、ハルキは落ち着かせるように話しかける。
「もう治ったよ。まだ痛いかい?」
えっぐうっぐ、と涙ぐむ女性が目を丸くする。
「あれ、痛くない」
「それは良かった」
むくっと立ち上がった女性が、軽くジャンプを繰り返すと、バク宙をした。前衛は怪我が治ったらバク転かバク宙をする決まりでもあるのだろうか。
「おお、治った!」
涙を拭って笑った女性が、周囲を見て表情を消した。
「こほん……見知らぬ私を助けてくれたこと、感謝する」
「キャラ変わっとらんか、こやつ」
フェンが渋い顔で女性を眺めていた。オライオンはいつの間にか周囲を警戒する態勢を取っていた。
女性が再度咳払し、魔杖双剣を鞘に仕舞うと両の掌を合わせた。
「改めて感謝する。私はペルテテー・レルホムン。特別個体とやりあっていたのだが、どうやら面倒な手合いでね。軽い一撃をもらっただけでこの有様だよ」
「僕はハルキ。ここは小奈落内部だ、手短に。僕らはこのまま討伐に行く。君はどうする?」
「私は族長のレルホムンが長子。恩を仇で返すことはしない。そちらが問題なければ共闘したい」
「いい返事が聞けてこちらもありがたいよ。報酬相談は後にしよう」
ハルキは手を差し出した。恐る恐る右手を伸ばしたペルテテーと握手を交わす。その様を見ていたフェンが、あらあらまあまあ、とおばさん化していた。
「ついにハルキに春が来たかのぉ。小突き回した甲斐があったものよ。のう、オライオンよ」
「俺も見たいが警戒してくれ。ここ小奈落だぞ」
「然り。だが命を危険にさらす価値はあるぞ」
「そうか。ちらっと見るから監視を交代してくれないか?」
この二人は馬鹿なんじゃないだろうか。
ペルテテーがフードを被ってハルキから離れる。
「に、賑やかなんだな……」
「いっそうるさいって言ってくれていいよ……」
ハルキがため息すると、フェンと視線が合う。地面に打ち付けた棍を両手で握りながらニマニマしていた。
「では、そろそろ行くかの。敵さんも待ちくたびれた頃合いだろうさ」
近づいてきたフェンが、ハルキの背中をぱちんと叩く。無駄に痛い。
「フェン! どうなってる! 振り返っていいか⁉」
オライオンのどうでもいい言葉は無視することにした。




