一章:奈落よ奈落よ何故躍る、人の心が分かって恐ろしいのか 3
オライオンが眉間に皺を寄せ、頭を抑えた。
「なんだこれは……。俺は探索者だ。それ以外が思い出せない」
嘘だろ、と吐き出したオライオンに動揺が広がっていく。
「俺には目標が……。なにか、なにか大事な目標があったはずなのに……!」
「んむ……御免」
フェンの右手が素早く振られる。オライオンの顎を掠めたそれは、一撃で意識を刈り取った。赤毛がそのまま枕へ落ちる。
「フェン……なにやってるのさ」
ハルキの非難に、フェンは両腕を組んで応えた。
「どうも様子がおかしいのでな。とりあえず気絶させた。こやつ、ただの記憶喪失ではなさそうよ」
「それは今の見れば分かるけど。方法が乱暴なんだよなあ……」
ぽりぽりと頭を掻いて、ハルキは天井を見上げた。どうにも今回の探索はきな臭い。奈落探索は結局こんなものだから、撤退の選択肢はない。そもそも、潜らねば借金で破産だ。
膝を打って立ち上がる。
「市に連絡してくるよ。まずは懸賞金をかけてもらわないとね」
にんまり、とフェンが口端を吊り上げて笑う。邪悪な笑いだ。
「たぁのしくなってきたのぉ」
小奈落前ではあんなに警戒していたのに、時間が経てばこの有様だ。当人が愉快と判断すれば、なににでも首を突っ込むのがフェンだ。今回も暴走をしないよう手綱を握らないとならない。握ったところで振り回されるのがオチなのが痛いところだ。
部屋を出る間際、フェンが思い出したように声を投げる。
「甘いジュースでも買ってきておくれ」
「はいはい、分かったよ」
扉を閉めてハルキはスマホを操作する。市へ新たな小奈落の発見とその座標を送信。今日中には市が新規の特別個体の仮名称と賞金を発表するだろう。
やるべきことを終えて、ハルキはホテルの売店へ向かう。
元々の小奈落へ行くか、それとも新しく発見した場所へ向かうか。当座の悩みはこれに尽きる。
既存の場所は、いつ誰と遭遇するか分からないし、既に討伐されているかもしれない。だが、特別個体の特性は判明している。
新たな場所は誰よりも早く駆け付けることはできるが、どんな特別個体が生息しているかがまったく分からない。弱ければ幸運、強ければ地獄。
奈落における小奈落の数は常に増加傾向だ。市は小奈落の発見と共に討伐隊を編成するのが常であるが、人的リソースは足りていない。だからこそ探索者という稼業が成立し得る。
存在する可能性がある場所か、確実に存在する場所か。同業者と遭遇するリスク、討伐のリターン。複雑に絡み合う状況ですぐに判断は下せない。とはいえ、支払期限が迫る状態で立ち止まることは破産を意味する。なにより、ギリギリの状態で焦って出した判断は、きっと死を呼び込む。
「鍵はオライオンかな。悪い人でもなさそうだし、一緒に奈落に潜ってくれるといいんだけど」
ひとりごとを言いながら、ハルキは売店でコーヒーふたつとブドウジュースを買った。
両手いっぱいになった缶が肌を冷やし、焦燥を落ち着かせていく。奈落探索で冷静さを失えば死ぬ。舵取りはハルキの領分だ。
部屋の前に戻ったハルキは、ノブを肘で下し、肩でドアを開けた。
「見よ、この洗練された細工。そして表面の光沢よ。偏執的で妄執的とすらいえる匠の技術よ。お主ならば分かろうて」
「おお、君が持つだけで様になるな! カンフー映画で見たことがあるポーズだ!」
さっきまでシリアスを漂わせていたオライオンが、フェンと意気投合していた。脳震盪になったのにこんなに早く起き上がっていることも理解できない。
部屋の中で棍を回していたフェンがハルキに気づく。
「お、出前が届いた。三人分とは、さすが気が利くの」
「俺のもあるのか? ありがとう!」
オライオンが快活に笑う。
なんだ、無駄に元気じゃないか。
「フェン、間違っても部屋の備品は壊さないように」
ブドウジュースを差し出すと、苦しゅうない、とフェンが老子の表情で缶を受け取る。若干ピキついたが、こんなことで苛立っていたら彼女と生活なんてしていけない。
「で、君はもう大丈夫なの?」
コーヒーを渡すと、礼を言って受け取ったオライオンが頷く。
「ああ、考えるのをやめた。奈落の不可思議現象はいまに始まったことではないしな」
「びっくりするくらい前向きだね。この街でも長生きできそうだ」
「これが俺の取り柄だからな」
どうやら、このメンバーではシリアスは長続きしないらしい。まあ、空気が暗くなるよりよっぽど良い。
ハルキは真ん中のベッドに腰を下ろし、コーヒーをあおる。弛緩したこの空気では、コーヒーは少し苦い。
「こほん、では自己紹介と行こう。我はフェンと申すもの。探索者では前衛を担当する」
オライオンが座るベッドの上で、ちょあーとフェンがポーズを取った。行儀が悪いからやめてほしい。
「俺はオライオンだ。フェンと同じく前衛だな。謎めいた過去を持つ男だ」
これはツッコミが追い付かなくなりそうだな、とハルキは思った。
「謎は人を輝かせる。我もミステリアスな男は嫌いじゃないぞ」
おおー、となぜか目を輝かせるフェンに、まあまあまあ、とオライオンが嬉しそうに両手を軽く掲げる。
ノリがいいなあ、とハルキがコーヒーをちみちみとすすっていると、フェンが腕を突き出して指をさす。
「ほれ、厭世的な雰囲気を醸し出していい男ぶっとらんで、ぬしの番ぞ?」
どうやら観客には回らせてくれないらしい。
「僕はハルキだ。ふたりとは違って後衛になるね。援護は任せてほしい」
オライオンの眉が上がる。瞳には驚きの色が宿っていた。
「後衛の援護は珍しいな。治療以外にもなにかできるのか?」
どうやって答えたものかと悩んだ瞬間、フェンが入り込んでくる。
「こやつはすごいぞー。電気の可愛い妖精を生み出してのお、こう、ぐわーってできるのだ」
思わず天井を仰いだ。絶対魔法ではできないことを堂々と言ってのけたのだ。特異な力を隠したいハルキにとっては最悪のうっかりだ。
「フェン、どうやら俺が知っちゃいけないことを君は口にしたみたいだぞ?」
「なぁに、構うことはあるまい。我はオライオンを信じた。お主もいまになって我らを裏切ろうとは思わんだろう?」
オライオンが拳を厚い胸板に打ち付ける。
「ああ、こうして生きているのは君らのお陰だ。俺は受けた恩は絶対に忘れない」
「とのことだ。ぬしよ、我以外にも白状するときが来たな」
世の中、諦めが肝心な場面はそこそこある。諦めれば途端に負けることばかりのケイオス市だが、いまがその時なのだろう。ハルキは腹を括ることにした。
「いまから語ることは一切口外禁止、墓場まで持ち込むこと。いいかい?」
オライオンの表情が真剣なものになって首肯した。
「僕は魔法が使えないんだ。代わりに、マナへ干渉して操作することができる。例えば、低純度のマナ結晶を弄って高純度に変えたりね」
「それだけでも垂涎ものだろうが、他にもあるのか」
「マナは生物の脳へ浸蝕し干渉する。僕も詳しくは知らないんだけどね、これに加えて思考に関する様々な性質を持つようなんだ」
「ああ、魔杖装の宝珠なんかが分かりやすいな。所有者の脳を複製して演算力を上げる宝珠はマナ結晶が原材料だ」
「ということは、疑似的にでも生命体を生み出せるってことなんだ。治癒能力もそれに付随したものだよ」
オライオンが口元を抑えて目を伏せた。
「たしかに、それは魔法じゃない。マナは奈落内で生成される物質だ。それを操作する技術は聞いたことがない。俺の謎めいた過去にはあるかもしれないが……。なるほどハルキ、君がこの力を隠す理由がよく分かった」
「バレればどこかの研究所で良くて実験体、悪ければホルマリン漬けだね」
「人を食い物にする悪辣の街はいつも健在か」
ケイオス市では、金の生る木は搾取される運命だ。だからハルキは、普段採取する低純度のマナ結晶を高純度へ変換して市場に流すことはしない。気づかれれば身が危ういのだ。
「さて、僕らはとある事情で特別個体を討伐する必要があるんだ。オライオン、君はどうする?」
「俺がいた小奈落か?」
「あれは偶然見つけたんだ。本来の目的場所は別だったんだよ。とはいえ、討伐の検討対象にはなるかな」
オライオンが顎に手を添える。
「俺としては俺がいた小奈落へ行きたい。この記憶喪失はあそこの特別個体によるものだろう。さすがに自分の情報がすっぱり消えている、というのは不便だからな。倒せば記憶も戻るだろう。きっと」
「我もオライオンに一票だな。競合が出ない内に最速で狩りに行くのが我らとしては肝要よ」
オライオンはともかく、フェンの回答は予想通りだ。あんな怪しい場所に彼女が行きたがらないはずがない。
前向きなのも良いが、情報は盤面に出して検討する必要がある。
「あの小奈落はフェンですら警戒した場所だ。それに、オライオンが負けてすらいる。かなり厳しい場所だと推察できる。独占できる可能性があるけど、危険度はかなりだよ」
あ、これは間違えた。ハルキは己の言葉選びの失敗を悟る。フェンの表情に不敵な笑みが浮かんでいたからだ。
「面白い。実に面白い。困難を打倒してこその人生よ。これは俄然やる気がでるのお!」
フェンがベッドの上に立って腕を組み、うむうむと何度も頷いている。オライオンも異存がなさそうだ。覆りそうにない二対一。この短期間に二度も諦めが必要になるとは、人生ままならないものである。




