二章:楽園は我々一人ひとりの内にある 2
翌日、2LDKのリビングはゆるやかな空気が滞留していた。ハルキもフェンも出かけてしまったから、家の中にいるのはペルテテーだけだ。こちらに引っ越してきてから久しぶりのひとりの時間。
この街に来てから、ペルテテーは孤独だった。だから一人の時間は慣れていた。テレビをのんびり眺めている時間も悪くない。ひとりでいても、必ず誰かが帰ってくる。
ハルキがディアナに逢う。デートする。保護者という立ち位置ではあるけれど、はたから見ればあの格好いい女性と特別な時間を過ごす。もちろん、ペルテテーとていい気分はしない。でも昨日彼が返してくれた言葉があるから安心できる。
無自覚な人たらしが、あのとき明確に自覚的に行った。お陰で平静を装うのに必死で、昨日の夕食は一品作るのを忘れてしまった。フェンがぐーすか寝てくれたのは助かった。ハルキの部屋に行けば何をしでかしてしまうか分かったものではなかった。
かたん、と玄関からノブを回す音。
「悪い、書類処理が全然終わらん。助けてくれ」
オライオンの情けない声だ。どうやら一人の時間は終わりらしい。
ペルテテーはキッチンに向かってコーヒーを入れた。オライオンは意外と甘いもの好きだから、砂糖を多めに入れておく。
「ん、今日はペルテテーだけか? ハルキとフェンは買い物か~」
「今日はフェンとディアナのデートだって。ハルキはその付き添い」
机に書類の束を置いたオライオンが固まる。
「マジか、フェンすげえな。なにをどうやり取りすれば歌手とデートすることになるのか俺にはまったく分からん」
コーヒーを淹れ終わったペルテテーはカップをオライオンの前に置く。
「サンキュ。でもよくハルキも行ったな」
「先方からの打診みたい。フェンって見た目があれだからね、保護者同伴ってことみたい」
「ああ、悪い。勘違いさせたな。よく麻薬の爆心地につっこんだなって思ってな」
一瞬思考が止まる。
「え? あんた知ってたの?」
「フェンがもらった甘いもんをすぐに食べないのは不自然だろ。で、調べてみれば出てきた」
ったく、俺にも言ってくれよな、とオライオンが苦笑しながらコーヒーをすする。
「は、え、どこから繋がったの?」
「SNSを洗った。で、どうも毎回キャンディが配られているらしい。ちょっとイってる投稿も見かけたしな。それだけじゃ分からんだろうけど、フェンの行動が駄目押しだ」
「え、あんたもしかして、頭いいの……?」
俺の扱いひどくない? とオライオンががくっと顔を落とす。
「あのな、ペルテテー。俺一応ユニオン序列一位の御曹司だぞ。元だけど。教育くらいされてるぞ」
「あ……うん、そうだった。ごめん」
「ま、ハルキなら器用にすり抜けるだろ。危機管理はピカ一だしな。というかあいつ、絶対俺に書類仕事押し付ける気で行きやがったぞ。やっぱ悪魔だ悪魔」
「まさかそんなこと……あるね」
ペルテテーの脳内ハルキが、オライオンに微笑みながら「あとよろしく」と宣告していた。あの男ならやりかねない。
「ていうか、あんたも麻薬のこと黙ってたんじゃん」
あ、ばれた? とオライオンが舌を出す。可愛くない。
「関係ない火元に全部頭突っ込んだら身が持たないだろ。まさか全力で飛び込むとは思ってなかったけどな!」
ははは、とオライオンが笑う。
「全然笑いごとじゃないんだけど……」
「戦う場所を選ばないとこの街じゃ負ける。それは俺が身をもって知ってる」
オライオンの表情が前髪で隠れる。
「……どゆこと?」
「ハルキがいなきゃ俺は死んでたってこと」
「ノーヴェンバーのことを言ってるなら私も同じだね。というか、あんたより酷い有様だよ」
はは、とオライオンが笑う。自虐が籠った声だ。
「あいつ聞かないだろ。俺がなんであの小奈落にいたかって」
「うん?」
「俺はあの日、ルヴェインの死体置き場の存在を確認しに行ったんだよ」
こくん、とペルテテーは思わず喉を鳴らした。オライオンが右手で顔を半分覆う。
「知ってた。そう、知ってて行ったんだ。確かめに行ったんだよ俺は」
「……どうして」
「ユニオンの闇を暴きたかった。なまじ情報と実力があったから、ひとりでできると思い込んだ。結果があれだ。全部黙っていたせいで、ハルキも、フェンも、ペルテテーも巻き込んだ」
何も言えない。掛ける言葉が浮かばない。オライオンの懺悔が続く。
「なんで死体置き場があったと思う? どうしてルヴェインは漏洩リスクを犯してまで大量の労働者を酷使して殺した? なんでアルゴリズムダンスが出てきたか分かるか?」
分からない。なにひとつ答えがでない。あまりにも自分の世界と遠すぎて、オライオンの抱える闇がまったく見通せない。
「クリスタルラインの急所はなんだ? ユニオンも急所は同じだ」
「……マナ結晶」
「そうだ。マナ結晶はろくに鉱山がない。鉱脈もない。掘る場所なんて存在しない。だから供給がどうしても不安定になる。ならどうする。アヴェスターを狩って無理やりにでもマナ結晶を回収するか?」
オライオンが顔を隠していた手を下ろす。その表情は――絶望だった。
「正解は簡単だ。アヴェスターを作る。あわよくば、カテゴリー四まで成長させて特別個体を作れればいい」
「え……えぇ?」
「ノーヴェンバーはその初めての実験体だ。クリスタルラインが図面を引き、ルヴェインが実行した。だが、それが破綻した。アルゴリズムダンスが出てきた理由は単純だ。マナ結晶の供給が細れば電気代が上がる。あいつらの心臓部はデータセンターだ。こいつは電気を大量に食う。ケイオス市の電力はタダ同然。だから動いた。いや、アルゴリズムダンスしかユニオンで情報統制できる会社がなかった」
「あ、んた……なんで、それを……」
「言えるわけないだろ。俺の家が全部仕組んでました、なんてハルキ達に言えねえだろ」
オライオンの目が暗い。おぞましいほどにドロドロと渦巻いている。
「計画は、きっとまだ動いてる。一回失敗したんだ。次はもっと慎重にやる。今度は止めてみせる。全部をつまびらかにして、ユニオンを潰してやる……!」
「あんた、ひとりでやる気なの……?」
オライオンの表情が崩れる。
「無理に決まってる。下手に探れば次の日の朝には死体になって川に浮かんでる。これはそういう次元の戦いなんだ」
「だったら、ハルキ達に話そう? 私も付き添うから。そんな重い荷物全部ひとりで背負ったら、あんた潰れちゃうよ!」
「分かってる。ひとりじゃ無理だ。四人全員揃ったって太刀打ちできるかすら危うい。本当なら、ここで刃は引くべきなんだ」
「だからって、あんたがひとりで行く理由にはならないよ!」
「俺は分かってて黙ってたんだぞ? 俺がこの前の災厄を呼び込んだんだ。許されるわけないだろ」
「でも、あんたはここに来た。何食わぬ顔で、書類仕事がめんどくさいって言いながら、それでもこの場所に来たんだよ」
オライオンが頭をぐしゃぐしゃにする。
「初めてできた、俺がいていい場所だと思ったんだ。毎日が眩しくて、ここにいるだけで心地よかった。でもその分、罪悪感が増していくんだ」
「来ていいんだよ! 自分の心と相談して、少しずつ話しなよ。もういっそ四人で暮らしたっていい。あんたがひとりで部屋に籠ることにしたのは、ハルキ達とずっと近い場所にいると、罪悪感でくびり殺されそうになるからでしょう?」
「都合がよすぎる。俺しか得をしてない」
「いいじゃんか。誰かひとりが得をすることだってあるさ。私たちは仲間なんだから。酸いも甘いも共有しようよ」
「……すまん、ペルテテー。助けてくれ」




