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一章:奈落よ奈落よ何故躍る、人の心が分かって恐ろしいのか 1

 走行中の車内にフェンの鼻歌が響く。ディアナの曲だろうが、ところどころ音を外していてよく分からない。


 ハルキはケイオス市の東セクターの奈落入口へ向かっていた。ビル群の大通りを抜け、工場が建ち並ぶ区画へ車を走らせる。


 青地に白い剣を模したロゴを何度も見かける。ケイオス市が誇る企業連合体ユニオン、その中でも序列一位の集団に属するクリスタルライン社だ。儲かってるんだろうなあ、給料いいんだろうなあ、とハルキは若干現実逃避をしたくなる。


 こっちは桁の見間違いを逆手に取られ、理不尽な契約を結んだというのに。一見すれば愛らしい見た目のボン爺ですらこれだ。朝一番で電話を掛けてみれば「勘違いする方が悪いのじゃよ」と大笑いして切られた。ケイオス市の悪辣さは上限というものをしらない。


「どうした、機嫌が悪そうよな。ほれ、アメちゃん食べるか? 朝方近所の御祖母様にもらったのだ。酸味が引き立つよいぱいん味よ。まんごぉ味もあるぞ?」


 フェンがにこにこ笑顔でアメを差し出す。苛立っているのがおかしくなってきて、ハルキはマンゴー味のアメを受け取り、口に放り込んだ。


「フェンはよくお菓子をもらうよね」


「この姿の最大の利点よな。お陰で甘味に困ることはない。すいぃつとやらは買わねばならぬが」


「稼ぎ終わったらなにか買おうか」


「おお良いな! 我はどら焼きを所望したい。この前でぱぁとで試食させてもらってな。なんでも東方の国の伝統菓子らしいが、上品な味わいが大人な我の口にどんぴしゃだった」


 デパートで試食するフェンの姿は想像にかたくない。おおかた、「食べさせてくりゃれ」とでもかわい子ぶって店員をかどわかしたのだろう。


「なんぞ、その胡乱な目は。我の愛らしさに目がくらみ、店員が色々なすいぃつを差し出したのだ。我は悪くないぞ」


「まあいいさ。フェンを連れて行けば安く買えるかもしれないからね」


 フェンが急に気持ちの悪いにやけ面になる。


「おやおやハルキよ、優しんぼが急に悪知恵を働かせたのう。よいよい、人はほどほどに善悪を彷徨っている方が健全よ」


「買い物上手と言ってくれないかな。僕だって値切れるならそうするさ」


 そうでなければ、どうやってこの街で暮らしていけようか。油断すれば足元を掬われる。最悪な街である。


「ほれ、そろそろ入口に着くぞ。楽しい楽しい我とのおしゃべりもおしまいよ」


 工場区域を抜ければ、目的地はもうすぐそこだ。奈落の一キロ手前にある探索者専用の建物群が見える。装備類に薬品、食料品、雑貨屋、簡易病院からホテルまで揃った小規模な商業区画だ。市が「奈落の化物を狩ってくれ」と言わんばかりのラインナップである。


 町の入口には探索者専用の検問所がある。朝が早いにも関わらず、既に三台の車が並んでいた。


 数分待って検問所で車をアイドリングさせる。窓を開けると、検問所の所員が無言で手を差し出した。ハルキはそれにIDカードを渡す。カードをスキャンした所員がぶっきらぼうに返した。


 所員の視線がハルキの奥へと向かい、目を丸くする。


「子どもの探索者とは、世も末だな」


 すぅっとフェンの表情が童女のそれになった。短い眉を下げ、やわく握った拳を顔に近づける。


「お母さんのためにお薬が必要なの。だからお兄ちゃんとがんばるの」


 声まで幼くなっていた。うえ、とえづきそうなのをハルキはなんとか堪えた。その表情をどう受け取ったのか、不愛想だった所員の表情に感情が浮かぶ。


「通ってよし。生きて帰ることを祈ろう」


「ありがとうおじちゃん」


 なんとも言えない気分のハルキは窓を閉めてアクセルを踏んだ。


「なんぞ、またぞろ変な目をしておるな。機転を利かせたのだぞ? あれで無駄に止められては時間がもったいなかろう」


「いや、いいんだ。ただ……」


「ただ?」


 気色悪かった、という言葉をハルキは喉の奥に封じ込めた。フェンの機嫌を損ねる必要もないからだ。


「フェン、抗マナ浸蝕剤を取ってもらえる? 忘れない内に飲んでおこう」


「ふむ、そうさな。気づけば浸蝕レベル四になってアヴェスター化してはたまらん」


 ほれ、と渡された錠剤をハルキは飲み込む。フェンも口に放り投げたのを確認して、視線を前に向けた。


 町を通り過ぎ、眼前にあるのは白い霧に覆われた奈落のみ。車内の液晶画面を操作し、奈落のマップを表示させる。


 画面上の青点が現在地、奈落内にある赤点が特別個体の予想地点だ。近場の赤点は北北東に約十キロ。浅いとは言えない距離だ。予想マナ濃度はレベル二。自分たちの耐性値を考えれば問題はない。


「フェン。タイマーを十二時間にセット」


「承知」


「分かっているとは思うけど、マップの信頼度は低い。特別個体は独自に動くし、位置情報の提供は探索者に一任されている。軍が介入している地域じゃないからね」


「どれ、直近の更新時間は……昨夜か。早寝のねぼすけさんでなくば移動してよう」


「不測の事態に備えて、四時間以内に発見できなければ引き返すよ」


「異存はない。道中のアヴェスターはどうする?」


「できるだけ無視しよう。最速で駆け抜ける」


「相分かった」


「視界が悪いから目視を頼むよ」


「任せよ。露払いもしておこう」


 フェンが助手席の窓を開け、昨日と同様に車上へ立つ。魔法の扱いに長けた彼女は、一般的な視野しか持たないハルキよりも遥かに目が効く。これがいつもの役割分担だ。


 ハルキは更にアクセルを踏み込む。車が遂に奈落へ突入。同時、あらゆる方向から覗かれているようなおぞましい感覚が全身を襲った。


 凍えそうになる背筋を座席に押し付ける。フェンの報告が走る。


「前方百メートル先に敵影二。どれ、小手調べといこうか」


 車上のフェンが棍を振る。不可視の圧縮弾がアヴェスターに着弾。敵が一瞬で爆散する。


「お見事。もしかして出力上がったかい?」


「そのようだ。やはり見立て通りよい武器よ……おっと、更に敵影三。今度は散っておるな」


 ハルキの視界に入る前に敵が消えていく。探索中のフェンはやはり頼もしい。


「ハルキよ、右に大きく迂回せよ。ご同業がおる」


「それは面倒だ」


 ハルキはハンドルを回す。奈落内に法律は無いに等しい。下手に無関係な者と接触して問題でも起きれば、最悪成果物の奪い合いに殺し合いだ。


 マップを確認しつつ、ハルキはハンドルを動かす。視界がほとんど効かない奈落内での運転は神経が削れる。岩や過去の遺物に衝突すればそこで終わる。


「ハルキ止めよ!」


 ブレーキに足を叩きつける。慣性で思い切り前につんのめる。勢いが消え、今度は座席に背中から落ちる。自然と止めていた息を吐き出す。


 フェンが車の前方で棍を構えている。


 異常事態だと察知し、ハルキも魔杖装を取って車から出て駆け寄る。


「フェン」


「なにやら見慣れぬ空間が見える」


 フェンが構えた棍で地面を叩く。魔力の放出と共に、一瞬だけ白い霧が晴れる。


 視界に現れたのは、どす黒い赤が渦巻く半球状の空間だ。霧が戻り赤の空間が再び白に沈む。


「これは小奈落だ。でもどうしてこんな場所に? マップには無かった」


「その程度は些末なことよ。小奈落を形成する特別個体が動いたか、新たにできたものだろう。それよりも……」


 フェンが言葉を止める。思わず彼女を見ると、珍しく表情をこわばらせていた。


「あの小奈落から人の気配がする。それも十や二十ではきかぬ。千を超える気配よ。しかも、真っ当なものではない」


「千? 小奈落に千人もいるなんて聞いたことがない」


 フェンは臨戦態勢を解かない。ハルキを見すらしなかった。ただ前方の空間を睨みつけている。


「いや、もはや人ではない。我にも理解できぬなにかだ」


 尋常ではないフェンの様子に、遅まきながらハルキも魔杖短剣を構えた。


「ハルキ、アレは決して視るでない。下手に視れば食われるぞ」


 ハルキは喉を鳴らす。


「マナの観測が危険?」


「ぬしの特異な術は知っているつもりだが、あれに下手に干渉しようとするな。禍々しいなんてレベルを超えておる」


「分かった。やめておくよ。それで、どうす――」


「待て、なにか出てきよった!」



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