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#9:聖夜の始まり 

聖夜の夜が訪れるまで、ルークは「存在しない」者として時を過ごしていた。  

王都を包む凍てつくような冬の空気。馬小屋の湿った藁の匂い。

それら外界の刺激から逃れるように、彼は亜空間魔法(極級)によって切り取られた、認識の及ばぬ狭間へと身を投じていた。  

外側には、闇魔法(極級)で構築した自身の分体を配置している。

それは呼吸をし、時折寒さに身を震わせ、じっとしている。

監視者たちの瞳には、無能で臆病な四男坊が、寒さに耐えながら、必死に思索に耽っている姿が映っているはずだ。


だが、実際のルークは、漆黒の虚無の中で胡坐をかき、静かに自身の内側を見つめていた。  

瞑想—―それは前世、榊原冬馬として培った精神統一の技法。

しかし、今世のルークが行っているのは、単なる集中ではない。

それは、自身の体内に張り巡らされた魔力回路、その「根源」へと深く潜り込む作業だった。


(……震えているのか...)

ルークは自身の指先を見た。目視できるほどの震えではなかった。

だが、精神の深淵では、かつて経験したことのないほどの波紋が広がっていた。  

緊張。  

それは、数多の死線を潜り抜けてきた彼にとって、馴染み深くもあり、同時に忌々しい感情でもあった。  

今夜、彼は前世で定められていたシナリオを、その手で書き換えようとしているからだった。

原作ゲーム『異世界戦記』。  

もし、その台本があるとすれば、今夜の(ページ)にはこう記されているはずだ。

『聖夜の悪夢—―王都郊外にあるスラム街より現れた魔族の群れが、オールデン伯爵夫妻を含む多数の市民を殺害』  

リーシャにとって、この出来事は彼女の運命を決定づけ、物語を動かすための絶対的な「起点」のはずだった。

彼女の両親が死ぬことで、彼女はファビウス家に忠誠を誓い、裏稼業に手を染めてゆく。


だが、ルークはその「起点」を根こそぎ破壊しようとしていた。  

今までの行動—―アリスの嫌がらせに耐えたり、演技をしたり、隠れて修行を積むといった行為—―は、あくまで「ルーク」が端役であり、原作のストーリーには描かれていない、いわば、”未知”の部分であった。


もしかしたら、ルークの行動は、すでに原作のストーリーを変えてしまっているのかもしれない。しかし、その真偽は定かではなかった。


だが、今夜の魔族殲滅は違う。

リーシャの両親は、原作のストーリーでは、今宵、その命を落とすのだ。それは、明確な運命であり、その運命を、ルークは知っていた。

その”既知”のストーリーを壊し、リーシャの両親を救う。

その一撃は、確実に原作のストーリーから程度がどうであれ、逸脱することになるのだ。


(もし、救ってしまったら……その後のストーリーはどうなる?)


怖さがあった。底知れぬ恐怖だ。  

原作でのルークの登場シーンはあまりにも少ない。

自分がどれほど影響を与えたのかを証明する術はない。

もしかしたら、もう既に原作は変わっているのかもしれないし、あるいは、何をしようと「修正力」が働き、別の悲劇がリーシャを襲うのかもしれない。

「ほんの少し」の変化が、バタフライ・エフェクトのように波及し、世界そのものを壊してしまう可能性。  

しかし、それでも、もしリーシャの両親を救えたなら、ルーク・グランジニアスという男の「非業の死」という結末も、書き換えることができるはずだ。  

その希望の光が見えた瞬間、ルークの精神の檻が、内側から爆発するように砕け散った。


ドクン、と心臓が大きく脈打った。  

亜空間の闇が黄金色の粒子に変わり、ルークの全身を駆け巡る。  

重力から解放されたような、不思議な浮遊感。

視界は澄み渡り、脳細胞の一つ一つが超伝導状態になったかのような明晰さが訪れる。

【通知:魔力回路が6ホールに到達しました】

脳内に響く無機質なシステムメッセージ。  

だが、その重みは過去のどの通知よりも重かった。  

この世界において、魔力回路—―「ホール」の数は、その者の才能と直結している。

生まれ持ったホールの数は不変であり、それが人生の格差を決定づけると信じられている。  

ルークは、前世の冬馬としての膨大な経験値があったため、生まれた瞬間から第5ホールまでを完成させていた。

赤ん坊でありながら、世界を達観し、魔力の流れを掌握していたのだ。  

だが、6ホール。それは「蓄積」では届かない領域だった。

(人生を悟る、か……)

ルークは自嘲気味に思った。  

悟りとは、何もかもを諦めることではない。  

自分の人生がいかに過酷で、いかに理不尽で、いかに孤独であったとしても、それを全て受け入れ、その上で「どう生きるか」という決意を固めた時にのみ訪れる境地。  

ほとんどの人間は、自分の人生の全貌を見ることなく、ただ流されて死んでいく。

だが、転生者であり、死の運命を知るルークだけは、自分の「一生」を先んじて悟らざるを得なかった。  

今世を生き抜く。  

推しであるリーシャを救い、自らもまた、運命という名の神を屠って生き残る。  

その強すぎるほどの「人生」への渇望が、才能の限界を超え、眠っていた第6の扉を抉り開けたのだ。


第6ホールに到達したことで、ルークの魔力循環は別次元へと突入した。  

これまでは、血液のように体内を巡るだけだった魔力が、今は「思考そのもの」と直結しているように感じられた。  

ルークは意識的に、その膨大すぎる魔力を心臓と脳へと集約させていった。  

荒れ狂う暴風のような魔力を、極限まで圧縮し、穏やかな小川のようなせせらぎへと変える。

制御、循環、凝縮。その高度な魔力操作の果てに、新たな極致が産声を上げた。

【通知:雷魔法(極級)、聖魔法(極級)、付与魔法(極級)を取得しました】


ルークは静かに目を開けた。  亜空間の闇が、彼の意志に呼応して震えている。  

もはや、この世界で彼に敵う者など数えるほどしかいないだろう。

だが、ルークの瞳には一点の曇りも、慢心もなかった。  

彼は知っている。力があることと、守り抜くことは別次元の問題であることを。


「……ステータス」

心の中で呟く。  眼前に、まずは「表向き」のステータス画面が投影された。

【名前: ルーク・グランジニアス】【称号: グランジニアス家四男、アリスの護衛、臆病者、弱虫、泣き虫、無才】 【武術: なし 】【魔法: なし 】【状態: 空腹、疲労、諦念、絶望】【アイテム: なし】【所持金: 銀貨5枚】


あまりにも惨めな文字列。  

アリスが、クレアが、ゲイルが見ている「偽りのルーク」。  

臆病で、弱虫で、絶望に打ちひしがれた無能な子供。  

ルークはそれを嘲笑うことなく、むしろ愛おしくさえ感じた。

この「偽りの皮」があったからこそ、彼は牙を研ぎ続けることができたのだから。


「隠蔽解除」

もう一度、心の中で念じる。  

システムが激しく書き換えられ、真実の姿が白日の下にさらされる。

【名前: ルーク・グランジニアス】【称号: 神童、武神、戦神、魔仙、冷徹者、巧演者、達観者、努力家】【武術: 剣術(極級)、槍術(極級)】【魔法: 火(極級)、水(極級)、雷(極級)、風(極級)、聖(極級)、闇(極級)、亜空間(極級)、氷(極級)、回復(極級)、付与(極級)、鑑定(極級)、隠蔽(極級)、調理(極級)、鍛冶(極級)、錬金(極級)、強化(極級)】【状態:冷静、健康】【アイテム:なし】【所持金:銀貨5枚】 

ほとんどの魔法属性、および主要な武術における「極級」の到達。  

それは、「神の領域」への到達を意味していた。

冒険者ランクで言えば、伝説上のSSS級。まさに超越者の領域であった。


ルークは自身の掌を強く握りしめた。  

ステータス画面の文字列には現れない要素—―状況判断力、度胸、冷静さ、そして敵の心理を読み切る狡猾さ。  

前世での榊原家の長子としての経験が、ルークに告げていた。

「数字を過信する者は、数字に殺される」と。

(油断は禁物.....相手は魔族なのだから....)


ルークが亜空間から現実の世界—―馬小屋の隅へと帰還した時、世界は既に夜の帳に包まれようとしていた。  

冬の太陽は無情なようで、陽が落ちるのが早い。

時刻は16時を回ったところ。  

空は深い藍色から漆黒へと染まり始め、遠く王都の中心部からは、クリスマスの祝祭を告げる鐘の音が微かに響いてくる。


ルークは、昨日からの出来事を振り返った。  

馬小屋で、【闇魔法(極級)】と【鑑定(極級)】を組み合わせ、屋敷全体の動向を完璧に把握していた。それらはいつもと、さして変わりはなかった。

だが、零時頃のことだ。  

ルークの鑑定情報が、一瞬だけ「異質な何か」を捉えた。  

それは今まで感じたことのない、生理的な嫌悪感を呼び起こす気配。

冷たく、粘り気のある殺意。

(魔族……)  そう、直感した。

だが、その気配は陽炎のようにすぐにかき消えた。  

なぜ、王宮、それもアリスの部屋のあたりに魔族が現れたのか。

アリスの動向を狙っていたのか。  

いくら考えても答えは出なかった。


馬小屋への監視の目は、未だに遠巻きに彼を追っている。

まずは、敵の規模・位置が原作と同じかを確認しなければならない。  

ルークは、闇魔法(極級)で分体を創ると、隠蔽(極級)を施したうえで、風魔法(極級)でスラム街へと飛ばした。

【鑑定(極級):広域検索(対象:魔族)】

瞬時に、頭の中に地図が浮かび上がる。  

王都の繁栄から取り残された、影の吹き溜まり。スラム街。

【通知:魔族、計100体を検知しました】

(一応、原作通りか....)

魔族が動き出すのは17時。残り一時間。ちょうど良い時間だった。

 

ルークは一旦、王都の中心街へと向かった。  

監視の目を完全に撒くこともできるが、「買い出しに来た少年」という姿を彼らに見せる必要がある。  

40分ほど歩き、市場に辿り着くと、そこは別世界のような熱狂に包まれていた。


クリスマスの飾り付け。色とりどりの街灯。  

市場には人々が溢れ、誰もが笑顔を浮かべていた。

恋人たちが寄り添い、子供たちがはしゃぎ回り、商人の威勢の良い声が響く。  

あと数時間もすれば、この光景が無残な瓦礫と死体の山に変わるのだと思うと、ルークの胸の奥で冷たい何かが疼いた。  

この笑顔も、この賑わいも、原作では「消えるはずのもの」だった。


ルークは雑踏を掻き分け、目的の店へと向かった。  

豪華で、それでいて重厚さを感じさせる店構え。

看板には『ベリー・ナイスー・ストアー』と記されている。  

ここは王都でも有数の魔導素材を扱う店としてその名を馳せていた。


店内に入ると、カウンターに座っていた巨体の男が顔を上げた。  

彼は、ルークを見て、鼻を鳴らした。

「金はあるんだろうな?」

それもそのはず、ルークはまだ十歳なのだから....

ルークは無言で、グランジニアス家の家紋を見せる。  

彼の瞳が大きく見開かれる。

「……っ! グ、グランジニアス家の方でございましたか! こ、これは大変な失礼を……!」


先ほどまでの威圧的な態度は霧散し、揉み手をして、少し媚びたような笑顔を浮かべた。 

ルークはその豹変振りを冷めた目で見つめる。  


アリスの護衛としての立場、そしてグランジニアスの名を背負っている以上、子供と言えど、舐められてはならなかった。

「対魔法用連板を一枚ほしい。在庫はあるか?」


ルークの声は、十歳の子供とは思えないほど冷徹に響いた。  

彼は何度も頷き、「ございます、ございますとも!」と叫ぶと、近くにいた一人の少女を呼んだ。

「おい! お客様を最奥の間にご案内しろ! 最高の商品をお見せするんだぞ!」

ルークは少女に導かれ、店の奥へと進む。  

背後で、客を装った監視者たちが店に入ってくるのを、ルークは視線の端で捉えていた。


案内された最奥の部屋には、特殊な魔導加工を施された”魔導板”が山のように積み上げられていた。  

案内役の少女は「お決まりになりましたら、お呼びください」と口では言いながらも、その場を離れようとせず、ルークのすぐ後ろで待機していた。

「……用がないなら、出て行け」

ルークが短く告げると、少女は微かに肩を震わせたが、決して部屋を出ようとはしなかった。  

ルークは少女を観察した。  

利発そうな顔立ち。まだ十歳だというのに、その容姿は驚くほど整っている。  

将来、間違いなく『百華』にその名が載るだろう—―そんな予感を抱かせるほど、少女の美しさは完成されていた。

「代金なら、グランジニアスの名にかけて必ず払う。店主にそう伝えろ」

 だが、シンシアは首を小さく横に振った。

「……貴方様の気を惹くようにと、そう命じられております」

シンシアは顔を赤らめ、俯きながらそう漏らした。  

ルークは溜息を吐いた。  

この利発で美しい少女を使い、グランジニアス家の四男に取り入り、あわよくばパトロンとしての繋がりを作ろうという魂胆だろう。

「……くだらない。十歳の子供に、見ず知らずの男を誘惑させるのか。店主の正気を疑うな」

ルークの辛辣な言葉に、シンシアは涙を浮かべる。

「……ブルドグ様は、恩人なのです。私は孤児で、両親の顔も、自分の名前も知りません。野垂れ死にそうだった私を拾い、シンシアという名をくださったのが、ブルドグ様なのです。その恩義を返したくて、お願いして、ここで働かせてもらっているのです。ブルドグ様は、人に媚びますが、アコギな商売はなさらないですし、ホントはとってもお優しい方なのです。」


「鑑定してもよいか?」ルークは静かに聞いた。

シンシアの微かな頷きの後、ルークは鑑定(極級)を起動させた。

【鑑定結果:ブルドグへの恩義は真実】

ルークは、微かにため息をつく。 

「……だとしても、やめておけ。好きでもない相手に媚を売る人生は、いつか自分を壊す」

「……嫌いではないです」

「は?」少し変な声が出る。

シンシアは顔を上げ、潤んだ瞳で真っ直ぐにルークを見つめた。

「むしろ……好きです。温かさを貫く強さを持ってますから」

ルークはもう一度鑑定をかけた。

【鑑定結果:好意(純粋)】

(ちっ...鑑定は時に面倒だ。見たいとその時、思っている具体的な情報しか表示しない....全てを具体的に描くのはたしかに無理だが、それにしても面倒だ....なにより、「温かさ」と「強さ」か.....俺の演技に気づいているのか...?)

などと、”温かさ”も含め、自分の形容詞として、自然と受け入れていく。

「……だとしても、俺が君に好意を抱くことはない」

ルークは努めて冷酷に、感情を殺して言い放った。   


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