#7:見え透いた策
「悲劇」を前半と後半の二つに分けることに、違和感を覚える読者もいるだろう。
しかし、リーシャ・オールデンという一人の少女の身に降りかかる残酷な運命を語る上で、この分割は必然的なものであった。
前半の悲劇。
それは、強欲な貴族、ファビウス家が仕掛けた卑劣な罠による転落。
それによってリーシャは家財を、家名を、そして家族を失い、泥濘の中へと突き落とされた。
なにより、その泥濘の中へ突き落とした黒幕に、恩義を感じて、その生涯を捧げるのであるから、まさに「悲劇」である。
これは、金と権力が支配するこの世界の汚濁そのものでもあるだろう。
だが、後半の悲劇は、それとは根本から性質を異にする。ゆえに、悲劇は前半と後半に分けられるのである。
後半の悲劇は、リーシャにとって、逃れようのない運命であり、彼女が生まれながらにして背負った宿命だった。
この後半の悲劇を詳述する前に、榊原冬馬にとってのリーシャという存在について、語らせてほしい。
前世における冬馬は、名家の子息として、期待という名のレールの上を寸分の狂いもなく歩まされる人生を送った。
武術をはじめとした、現代の地球では何の役にも立たない技術を、「天才」という名のもとに教え込まれた。
感情を排し、ただ、榊原家の息子として振舞った。
抗うという選択はしなかった。抗っても、自身の宿命は変わらない、そう思っていたからだ。なにより、抗った先に何があるのか、それがわからなかった。
人より恵まれた家庭環境、五体満足な身体、整った容姿。すべて、榊原家の父と母から受け継いだものだった。
恩義を感じていたわけではないが、それでも、榊原家の在り様に、自身への扱いに、異を唱える資格はないように思えた。
周囲との摩擦を避けるため、彼は会話を最小限に抑えた。
楽しくはなかったが、楽ではあった。
そんな彼が、会話を排する道具として選んだのが、ゲーム『異世界戦記』だった。
決して、面白いわけではなかったし、入れ込んでいたわけでもなかった。
ただ、その膨大なストーリーの中で、彼の心を唯一震わせたのがリーシャ・オールデンだった。
彼女は、決して完璧ではない。
口調はきつく、態度は冷淡で、群れることを嫌う。
しかし、彼女は、彼女らしかった。「自分」があったということかもしれない。
近所の孤児が飢えていれば、誰に見られることもなく、ぶっきらぼうにパンを放り投げる。
感謝を求めるでもなく、救済を謳うでもない。
ただ、自分の目の届く範囲で、自分が正しいと思うことを、自分がしたいからする。
きっと、自分には決して許されなかったその「泥臭くも美しい生き方」に、どうしようもなく惹かれたのだと思う。
彼女は、自身の運命を背負いながらも、普通に生き、自分らしく生き、人間らしく生きた。
彼女は、常に気丈に振舞おうとし、時に自分の運命を嘆き、密かに、そして凄絶にその運命に抗った。
運命に抗うことから逃げた自分に、運命を変えたいと行動するリーシャは眩しく映った。
だからこそ、ルークへと転生した彼にとって、『仙華の悲劇』の回避は、”推し”の救済であり、前世への懺悔であり、今世での宿命であった。
リーシャの運命を変えるだけでなく、それはきっと、自身の運命への挑戦であるように、ルークには思えた。
と、”推し”への信仰が溢れてしまったが、『仙華の悲劇』の後半について、端的に、悦明させてほしい。
後半の悲劇は、すなわち、リーシャを縛り付ける運命の正体と言ってもいいだろう。
それは、彼女が十八歳までしか生きられないという「呪い」である。
この呪いは、原作『異世界戦記』において、プレイヤーがどのような介入を試みようとも、一度として解呪されなかった。
彼女は常に、十八歳の誕生日を迎える直前、雪が舞う夜にその命を散らす。
それが、いわば、この世界の不動の摂理であった。
解呪の方法は、理論上は二つ存在する。
一つは、呪術を施した術者を、呪われた本人が直接殺害すること。
もう一つは、神話の時代に失われたとされる「解呪薬(極)」を調合し、服用させることである。
(ルークの死までではあるが...)原作を覚えているルークは、呪術者が誰であるかも、解呪薬の作り方も把握していた。
さて、理論上と言ったのは、今世、ことリーシャにおいては、解呪の方法は一択だからである。
というのも、呪いをかけた張本人は、リーシャが生まれるよりもはるか昔に、すでにこの世を去っているからだ。
原作では、「呪術者はリーシャが生まれた時に、すでに死んでいる。呪術者の名前は「X」と呼ばれた正体不明の呪術の天才魔導士である」とだけ、唐突にストーリーに挿入されるのだ。
「X」の正体は誰も知らなかったが、前世で、ルークは独自の推測を立てていた。
ルークは、魔法への深い適性と長大な寿命を持つ種族であるエルフ、それも闇魔法や死霊魔法に精通するダークエルフが「X」ではないかと推測していた。
しかし、推測がどうであれ、術者が死んでいる以上、直接的な殺害による解呪は断たれ、残された道は、「解呪薬(極)」の生成のみであった。
解呪薬の材料の中で、最も入手困難とされるのが、SSS級アイテム『呪秘』である。
これは、C級以上の魔族を討伐した際に、極めて稀にドロップする特殊素材だ。
魔族のランクが上がるほど、レアアイテムのドロップ率は上昇するが、それでも例えば、A級魔族—―国を一つ滅ぼす力を持つ災厄を倒したとして、ドロップする確率は二割にも満たない。
CC級以下ならば、その確率は限りなくゼロに近い。
さらに厄介なのは、『呪秘』というアイテムそのものが「自我」を持っていることだ。
『呪秘』は、それを手に取ろうとする者の魂の深淵を読み取る。
もし、手に取る者が『呪秘』を単なる稀少な石ころだと侮っていたり、あるいは真に切実な動機を持っていないと判断されれば、その瞬間に『呪秘』は自らの存在を否定し、価値のないガラクタへと姿を変えて消滅する。
真実を見抜く澄んだ瞳と運命を切り拓こうとする強固な意志を持つ者にしか、『呪秘』その真の姿を維持することはないのだ。
そして、リーシャを死の淵から救い出すために必要な『呪秘』の数は一千個。
一割にも満たないドロップ率のアイテムを、一千個、たった一人で集めきる。
これこそが、ルークが自らに課した、気が遠くなるような、そして血の滲むような修羅の道であった。
明後日のクリスマス。
王都は、魔族たちの組織的な急襲を受けることになる。
今回襲来する魔族の最高ランクはC級。
普通に考えれば、『呪秘』が手に入る見込みは万に一つもないだろう。
それでも塵ほどの可能性を捨てるわけにはいかなかった。
一千個という途方もない頂に辿り着くためには、稼げる機会はすべて、たとえそれが微細なものであっても掴み取らねばならないからだ。
だが、行動を起こすには、細い糸を渡るような慎重さが必要だった。
もしルークがここで表舞台に立ち、魔族を一撃で殲滅するほどの圧倒的な力を見せつけてしまえばどうなるか。
魔王や高位魔族たちは、想像以上に狡猾で用心深いのだ。
自分たちの想定外の「特異点」が存在すると知れば、彼らは即座に深淵へと潜伏し、ルークのもとへは、その姿を現さなくなるだろう。
それは、ルークにとって『呪秘』を入手する機会が永遠に失われることを意味する。
ゆえに、この戦いは「殲滅」と「秘匿」の両方を遂行する必要があった。
魔族も含め、誰にも気づかれぬ間に魔族を屠り、誰にも知られぬうちに素材を回収する。
一千個が集まるその日まで、ルーク・グランジニアスという男は、ただの「無能な護衛」であり続けなければならない。
目立つことは、すなわちリーシャの死を招くことに直結するからだ。
そしてなにより、身分がなければ、学園に入学することはできない。
リーシャの近くにいれば、予期せぬ危機から彼女を救うことができる。何より、この世界で楽しく生きるには、「身分」と「力」が必要だった。
すなわち、まだ、「グランジニアス家四男」という身分を捨てるわけにはいかなかった。
とにもかくにも、聖夜の日に、ルークが「公的に、誰の目にも触れずに自由行動ができる状態」を完璧に作り出す必要があった。
ルークは、意を決して屋敷の三階へと向かった。
目指すのは、アリス・ルーファウスの妹、クレア・ルーファウスの部屋である。
そこはアリスの部屋とは対照的に、パステルカラーのぬいぐるみや可愛らしい絵画で埋め尽くされていた。
どこか浮世離れした、幼い夢をそのまま形にしたような空間。
(とは言っても、アリスもクレアもまだ十歳....アリスが大人びているという方が正しいのだろう...)
ルークは微かに笑みをこぼした。
部屋の中からは、クレアのケラケラと笑う声が聞こえてくる。
ルークは、その和やかな空気を切り裂くように、勢いよく、扉を押し開けた。
アリスは、不躾な侵入者に対し、剥き出しの殺意を込めた視線を向けた。
彼女にとって、ルークは自分の所有物であり、機嫌を伺ってくる道具に過ぎない。
その道具が、許しも得ずに自身の領域に土足で踏み込んできたのだ。
「何用?」
冷徹な響きを帯びた、短い問い。
だが、ルークはその声の裏側に、僅かな「揺らぎ」を感じ取っていた。
原作通りのアリスなら、きっとルークを蹴り飛ばして、追放しているはずだ。
しかし、ルークは「アリスの違和感」を明確に感じ取っていた。
今までの護衛たちとは決定的に違う、底の知れない何かがこの男にはあるのではないか、という疑念。
ルークは、その疑念を逆手に取るように、感情を排した無機質な声で告げた。
「護衛を辞任させてください」
その瞬間、アリスの表情に亀裂が走った。
驚愕が瞳を支配し、続いて、それを塗りつぶすような猛烈な怒りが彼女を包み込む。
それは、彼女の支配欲に対する絶対的な反逆だった。
返答は、言葉よりも早く放たれた。
アリスが手をかざした瞬間、大気が咆哮を上げた。
アリスの「風魔法」が、至近距離からルークを撃ち抜く。
ドォン、という鈍い音と共に、ルークの身体は壁へと叩きつけられた。
肺の中の空気が強制的に押し出され、視界が白む。
ルークはわざと無様に咳き込み、涙を浮かべて、床に這いつくばった。
情けなく、弱々しく、今にも壊れそうな「無能なルーク」を演じきり、額を床に擦り付ける。
「もう……限界なのです。どうか、お許しを……!」
土下座をするルークを見下ろし、アリスは鼻先でせせら笑った。
「限界かどうかは私が判断するわ。扉は直したのかしら?」
「今は、直せません」
ルークの消え入りそうな声が、さらなる逆鱗に触れる。
「今は? 今、直せと言っているのよ。あなた、自分の立場を理解しているの?」
アリスの掌に、鋭利な風の刃が形成される。
ルークは喉を潰さんばかりの叫び声を上げた。
「三日ください! 三日くだされば……必ず、完璧に直してみせます!」
「扉一つに三日? 私を馬鹿にしているのかしら?」
ザシュッ...!
ルークは受け身を取らず、生身で受けた。演じることも止めた。
放たれた衝撃が、再びルークを地面に叩き伏せる。
ルークの口から鮮血が溢れ、壁の一部を赤く染めた。
激痛が全身を走るが、彼は止まらなかった。
震える腕で血溜まりの中から這い出し、冷静な表情を崩さず、言い切る。
「アリス様のお部屋の扉は......対魔法障壁が施された、王家御用達の特注品。普通の素材では修復不可能です。......しかし、聖夜の夜にのみ、闇市場にその基材となる稀少鉱石が流れるという情報を掴みました。加工は....私一人で遂行いたします。どうか三日の猶予を頂きたく...」
アリスは、形成していた魔法を止めた。
彼女の瞳の奥で、傲慢さと好奇心が激しく火花を散らす。
ルークへの期待と疑念が交差しているようだった。
そしてなにより、扉に三日もかけるルークの真意を見透かそうとしているようだった。
アリスは、しばらくの沈黙の後、口を開いた。
「いいわ。認めてあげるわ。ただし、馬鹿な真似はしないことね。あなたの命日が三日先延ばしになっただけなのだから」
ルークは、深く頭を下げた。血が床に滴り落ちる。
ルークが顔を上げると、アリスは姿を消していた。どうやら自室に戻ったようだった。
クレアが心配そうな顔で見つめている。
ルークはクレアにも深く頭を下げると、自身の居住地、馬小屋へと向かった。
(今日、明日、明後日。三日は長いようで短い。加えて、原作通りとは限らない.....鍛錬しなければ...)




