#30:秘密の計画
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【前話のあらすじ:三日間の"自由"を得たルークはロゼリアと会うために、シンシアを無慈悲に突き放した。そして、ルークは...】
ルークは、部屋に入ると同時に、自身とロゼリアに魔法をかける。
隠蔽魔法(極級)—―『無貌仮装』。
この空間内で交わされるあらゆる言葉、細かな表情の機微、魔力の揺らぎ、外部のあらゆる探知魔法や盗聴、あるいは偶然の知覚からも完璧に遮断される。
もし、給仕が料理を運んできたとしても、彼らの目には「どこにでもいる、少し裕福な平凡な男女」に映る。
そして、別の者には、「どこにでもいる、裕福な家の兄妹」に映る。
それが、『無貌仮装』の効果であった。
この術式を維持するためだけに、普通の魔術師なら一週間は寝込むほどの魔力を消費しているが、ルークにとっては呼吸をするのとなんら変わらなかった。
ルークにとって、ロゼリアは極めて特殊な、例外中の例外と言える存在だった。
彼女は、ルークが自ら正体を明かす前に、その不自然なほど完璧に塗り固められた「無能」の演技に、いち早く違和感を抱いたようだった。
彼女は彼が「無能」でないと一目で確信し、ルークに詰め寄り、ルークに認めさせた、唯一の存在であった。
そして何より、彼女はルークの目的である、リーシャの無二の親友であった。
ルークの「リーシャを救う」という目的を知っているのは、ロゼリアだけであった。
実力を知るシンシアをある意味の「親友」とするならば、目的すらも共有するロゼリアは、ルークにとって唯一無二の「心友」であった。
彼女の前でだけは、ルークは「グランジニアスの四男」である必要はなかった。
「アリス王女を、あそこまで完璧に丸め込んで、三日間の自由を手に入れるなんて。……貴方の手際、本当に恐ろしいわね....」
「勝手に言ってろ.....雑談はここまでだ。時間は貴重だからな。……ロゼリア。お前が今回、俺に協力を求めた、ヴォルガ王国に捕らわれた『囚人』の詳細について、隠さずに話せ。何がお前を、これほどまでに駆り立てる?」
ルークがそう切り出すと、ロゼリアの表情から華やかな笑みが消え、代わりに深い哀しみと、何年もかけて熟成されたような、静かな、それでいて苛烈な憤怒が浮かび上がった。
「ええ…そうね...…その人の名は、ピラシュ。……私の母がまだ健在で、ラピス家が本当の意味で幸福だった頃、私たちに仕えていた筆頭執事よ。……けれど、彼は単なる使用人や使用人の長以上の存在だったわ。母にとっては兄のように慕う相談役であり、私にとっては……あの権力欲に取り憑かれた冷淡な父や、野心家の兄たちよりもよっぽど、私を慈しみ、愛してくれた、本当の『家族』だったの」
ロゼリアは、手元のワイングラスの中で揺れる、深紅の液体を見つめながら、8年前に起きた「国家の裏切り」について語り始めた。
その声は、過去の記憶を一つずつ丁寧に解きほぐすように、ゆっくりとした調子であったが、微かな怒気を含んでいるように聞こえた。
ルーファウス王国が北の大国リットランドの猛攻に晒され、王都近辺まで敵軍が迫った、国家存亡の危機、通称『ウォルバードの大戦』。
当時、王国は疲弊し、外交の主導権を握っていたラピス家は、隣国ヴォルガ王国へ、法外な支援金を条件に援軍の要請を行った。
ヴォルガ側は援軍を承諾したが、その際、表向きの条約とは別に、裏の条件として提示したのは、金銭でも領土でもなく、当時の「ラピス家公爵夫人の身柄」――つまり、ロゼリアの母を、ヴォルガの老王の側室として嫁に出せという、外交上の礼節を著しく欠いた、侮辱的かつ卑劣な要求だった。
老王は、ルーファウス一の美貌と謳われた彼女を、自らのコレクションに加えようとしたのであった。
「ラピス家は……私の父も、家の名声と存続にしか興味がない兄たちも、母一人を差し出すことで家と国が守れるなら安いものだと、躊躇なくその条件を呑もうとしたわ。家族を売って、自分たちの地位を守ったのよ。……けれど、ピラシュだけは違ったわ。彼は、母をそのような汚らわしい地獄へ送ることを、断固として拒んだ。……そして、彼は母を守るために、自ら死地へ赴くことを選んだの。彼にとっての忠義は、家に対してではなく、母という個人に向けられていたから....」
「大戦が終わった直後、ヴォルガからの迎えの刺客が、母を連れ去りに来たわ。ピラシュは、ラピス家に伝わる秘蔵の魔道具と、自身の全魔力を注ぎ込んだ完璧な変装術を用いて、病弱だった母になりすましたの。彼は母の寝室で、ベールを深く被り、彼女の身代わりとなって捕らえられ、本物の母は、ピラシュが用意した秘密の隠れ家へと移された。その生活は二週間も続いたわ」
ロゼリアは少し懐かしむように言った。
「あの時の生活は、私にとっても、過酷だったわ。だって、母がいないのだもの」
「とにかく、ヴォルガ側は彼を公爵夫人だと思い込んだまま、勝利の戦利品として意気揚々と連れ帰り、やがてその正体が、美しく着飾っただけの男であることを知った時、国家としてのプライドを傷つけられたことに、彼らは当然、激昂したわ。彼らはピラシュを公に処刑することもせず、ただ『身代わりを送った侮辱』を外交上のカードとして残すために、彼をヴォルガの最深部に存在する、魔法で遮断された地下牢へと放り込んだの。そもそも、国を救うためとはいえ、独断で公爵夫人を連れ出すことを認めたラピス家は、それだけで王家に潰される要因になるから、家門は焦ったの....」
「……母はその直後、ピラシュへの罪悪感と心労が祟ったのか、持病が悪化して亡くなったわ。最後に彼女が呼んだ名は、父の名ではなく、ピラシュの名だった。……父はピラシュの返還を秘密裏に求めたけれど、ヴォルガは『貴殿らの不誠実への報いだ』と一蹴したわ。ラピス家も、それ以上は家の醜聞になることを恐れて、彼の存在を歴史から抹消したの....」
「……やがて消息も途絶え、誰もが彼は拷問の末に死んだと思っていたわ。……けれど、つい一週間前、私が独自に組織した密偵が、彼がまだヴォルガの、太陽の光も届かない最下層の地下牢で、家畜以下の扱いを受けながらも、生きていることを突き止めたのよ。八年間よ、ルーク。彼は、暗闇の中で、母を救ったというその誇りだけを糧に、生き延びてきたの....」
ロゼリアの拳が、テーブルの上で白くなるほど強く握られていた。
「八年間。たった一人の女性の誇りを、そしてラピス家の最後の一滴の良心を、その身一つで守り通すために、彼は想像を絶する地獄を味わい続けてきたのだわ。今のピラシュは、もしかしたら精神を壊しているかもしれない。けれど、私は彼をあんな場所で死なせるわけにはいかないの。彼を救いたいの.....手を貸して...」
「……ヴォルガの地下牢か……」
ルークは少し、躊躇った。
答えは決まっていた。しかし、どうにもピラシュが引っかかっていた。
なぜ、今、見つかったのだ?ピラシュは8年もヴォルガの牢獄で耐えたのか...?
行くことでしか見つからない答えもある。そう割り切るしかなかった。
「……わかった。話に乗ろう。あと2年後に武術大会がある。グランジニアス家として、兄も含めて、皆が出場する。2年後の武術大会の開催地はヴォルガだ。その時でいいか?」
「ええ、いいわ。それと私もついていくから。足手まといにはならないわ」
ロゼリアは、そう告げると、優雅に葡萄酒を飲み干し、不敵な笑みを浮かべた。
窓の外では、王都の偽りの平和を謳歌する民衆の喧騒が、再び始まりつつあった。
市場の競り声、子供たちの笑い声、教会の鐘の音。
「ねえ....一ついいかしら?」
「なんだ?」
「貴方はリーシャの呪いを知っているのでしょ?」
ルークは何も言わなかった。
「あの呪いをかけた人を私は知っているわ...」
それは突然の訪れだった。
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