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#14:馬小屋からの昇格

聖夜の柔らかな月明かりは、ここには届いていないようだった。

ルークとシンシアの眼前に広がっていたのは、夜の闇よりもなお深い、粘りつくような瘴気に覆われた『彷徨いの森』であった。

「……ここが、『彷徨いの森』。……不気味ですね、ルーク様。空気が、まるでお砂糖が腐ったみたいな匂いがしますっ」

シンシアが小さな鼻をひくつかせ、ルークの服の裾をぎゅっと握りしめた。

「……ああ。空間そのものが魔力によって歪んでいるな....普通の人間なら、入っただけで気が狂うだろうな....」

 ルークは鑑定(極級)を発動させ、森の深部へと視線を投じる。

視界に広がるのは、因果の流れ、魔力の淀み、そして魔物たちの配置図であった。

(瘴気がこれほど濃いのは、自然発生的なものではない。……魔族が陣を敷いている証拠だ。アリス、王族の身でありながら、どこまで厄介なことに首を突っ込んでくれたものか....)


ルークは指先で空中に複雑な印を描く。  

聖魔法(極級)『浄化の聖域(ルミナス・サンクチュアリ)』。  

二人の周囲数メートルに、目に見えぬほど微細な、しかし絶対的な純度を保つ「光」の結界が展開される。

これにより、森の瘴気は物理的に遮断され、二人の足元だけが春の陽だまりのように清浄された正常さを保つ。

「ルーク様、すごいですっ……! 苦しくなくなりました! これも、『二人だけの秘密』の魔法ですね?」

シンシアがパッと表情を明るくし、ルークを見上げる。

(こいつは、いつから、”キャラ変”したんだ....黙々と、そして粛々としていてほしいものだが....)

「……行くぞ。足元の魔力の糸を辿れば、アリスのもとへ着く」

ルークは淡々とシンシアに告げる。

森の中は、魔物だらけであった。

ガサガサと茂みが揺れ、現れたのは、通常の森には生息しないはずのランクB級の魔物、ブラック・オーガの変異種。

筋骨隆々の巨体に、瘴気を吸って赤く光る眼。

「シンシア。……槍を構えろ。お前なら、こいつらを倒せる」

「……はいっ! ルーク様がそう仰るなら、私、頑張っちゃいますっ!」


無邪気な言葉とは裏腹に、シンシアの槍捌きは、十歳の子供とは思えないほど、冷酷で無慈悲であった。

「……はあぁぁっ!」

 鋭い踏み込み。シュンッ、という風を切る音と共に、白銀の穂先がブラック・オーガの魔核を一突きで貫いた。

ルークは背後で無言を貫きつつ、周囲に隠蔽(極級)を発動させ、彼女の魔力の痕跡を完全に隠蔽した。

(……シンシアは才がある。……槍術(低級)だが....それは追々、上げていくとするか.....)

 

森の奥へと進むにつれ、魔物の死骸が転がっているのが目に入った。

ルークは再び『鑑定(極級)』を広域展開する。

【鑑定結果:特定対象「アリス・ルーファウス」の魔力反応を感知。距離、前方500メートル。……対象は、逃亡したものの、再度、魔族に包囲された模様。追跡者、魔族5体。ランク:全員B級】

ルークは、自身とシンシアに隠蔽(極級)を発動させると、音もなくアリスのもとへと近づいていく。  


アリスは、疲弊しているようだったが、取り乱したりはしていなかった。

引き裂かれたドレス。汚れのついた肌。それに反して、冷静な面持ちと冷徹な眼光。

アリスは、自身の背後の大樹に冷たくその背を預け、五体の魔族と対峙していた。

「……ふん、しつこいわね。魔族は絶滅したと聞いたけど....しぶとさだけは認めてあげるわ」

アリスの声は、凛としていた。

その声には震えすらなく、むしろ目の前の魔族たちを心の底から見下すような、冷徹な響きすら持っていた。


「ひひっ……。逃げれば逃げるほど、捕まえたときの絶望が深くなるんだよなぁ!ルーファウスの者は魔力の”純度”が高いが、貴様はその中でも”質”も高いからなぁ!....きひひっ....」

魔族の一人が、長い舌を出しながら言葉を吐く。


ルークは数メートル手前の茂みでシンシアとその会話を盗み聞きしていた。

「……一体誰の差し金かしら?魔物に感情があるとは思えないのだけど?」

「貴様っ!我らを魔物と同列に語るとは!......へっ...だが、いいだろう....どうせ、死ぬのだ……とはいえ、俺もよくは知らないが、魔王様からの御所望でな....あるアイテムを創るために、貴様が必要なようだ....お前は、王族の魔力の中でも、純度も質が高いからなぁ...!けへへっ....純度が高いってことは、清らかな気持ちの持ち主ってことでぇ....質が高いってことは、人間の中では才があるってことぉ.....それを今から、俺らが汚していくぅ.....げへへっ....」

「……魔王、ですって? 聞いて呆れたわ。そんな伝説の怪物を持ち出して私を恐れさせようというの? 滑稽だわ。私が死ぬ時は、貴様ら全員を地獄に道連れにしてやるわ」

アリスは口端を釣り上げ、不敵な笑みを浮かべた。  

「貴様っ!魔王様まで愚弄するとは!!」魔族の一人が吠える。


(魔王、か。……アリスのような王族の魔力は確かにもともと純度の基礎値が高い。アリスが純真な奴だったことには驚いたが.....王族であり、かつ質が高いからとアリスを攫ったのか...しかし、純度の高い魔力が必要になるアイテム.....それも魔王が得たいものだとすれば、『隷輪』しかないはずだ....だが、『隷輪』は、原作では、最後に、魔王が主人公のアーサーを殺害するために、使用するはず....アーサーが注目されるのは、14歳の時の国内の武術大会で優勝してからだ。つまり、アーサーの存在すら知らない現時点で魔王が『隷輪』を求めるわけがない....)

ルークはそこまで考えると、一つの可能性をこの事件に見出していた。

それは、原作では”ありえない”ことであったが、ルークがオールデン夫妻の運命を変えたように、展開が変わることは十分に考えられた。

(確かに、アリスの魔力は、いくら純度が高くとも、たかが知れている。アリスの魔力だけで創れるアイテムはせいぜい、CC級のはずだ。すなわち、今回の目的は、魔族によるアリスの暗殺ではないか....それも、魔族には、本当の目的を知らせず、裏から操れるほどの強大な”魔王”がいる。本来、魔族が魔王以外に服従することはない。すなわち、黒幕は、魔王を操っているか、あるいは魔王になりすましているはずだ....)


ルークは、魔族五体に対して、鑑定(極級)を発動させる。

【鑑定結果:B級魔族五体。体内に呪言が存在。呪言は、アリスを殺害後、強制的に発動する模様。また、アリスの殺害に失敗しても、強制的に発動する模様】

(やはり....魔王は同族を大切にする....すなわち、魔王は操られているか、すでに死んでいるかの2択。まさか....魔王を支配下に置くあるいは討伐できる可能性は、原作では、たった一人....いや....まさか.....ありえない....)


アリスが唐突に笑い出した。

「……ふふ……あはははっ。....こんな時でも、あんな無能の顔を思い出すなんて。……私は、本当に、毒されているのね.....」

「そうか....!では笑いながら逝け!!」 

魔族の一人が爪を伸ばし、彼女の喉元に突き立てようとした、その瞬間—―。


「……アリス様ぁぁぁっ! 今、今助けに行きますぅぅぅっ!」

場違いなほど情けない、裏返った叫び声が森に響き渡った。  

茂みを突き破って飛び出してきたのは、泥だらけの服を着て、鼻水を垂らしそうなほど惨めな表情で、棒切れを構えたルークであった。

「……ルーク!? ……って.....無能が来ても仕方がないわ....!」

アリスは、少し声を荒げたが、その声には、喜びと憂慮が隠されているようだった。

「……あ、あう……。あ、あ、アリス様を……放せっ! この……化け物ぉぉっ!」

ルークはガタガタと震えながら、無防備に突っ込んでいく。  

そして、魔族が軽く一振りした腕に、わざとらしく自分から当たりにいった。

「うわああぁぁぁぁっ!?」

ルークの体は、木の葉のようにふわりと浮き上がり、そのまま凄まじい勢いで茂みの奥へと吹っ飛んでいった。  

ドサッ、という鈍い音が響き、ルークの姿は見えなくなる。

「ルークっ!? ……って......無能なのに……でしゃばらないで....」

アリスは息を静かに吐くと、眼前でせせら笑う魔族を睨みつけた

「……貴様ら。……私の、たった一人の、役に立たない、どうしようもない従者を……よくもっ!!」

「へへっ!そりゃあ、悪かったねぇ!たった一人の役立たずだけど、最愛の彼を殺しちまってなぁ!!」

「な!?べ、べ、べつに最愛なんかじゃないわ!ただ少し....って...違う...あんな奴に興味ないから...!」

アリスが怒ったように否定する。

「どうでもいいけどよぉ!次はお前の番だ、お姫様ぁ!!」


一方、茂みの奥。  

誰の目からも遮断された場所で、ルークは、無傷で着地していた。  

泥を払い、冷徹な笑みを浮かべる。

「……ふむ。我ながらいい演技だった。どうやら、アリスは、魔族たちによって、この瘴気でも生きられる程度の結界を張ってもらっていたようだ......ん?アリスがなにやら叫んでいる.....よく聞こえないが、とにかく死ぬ前に助けなければな.....シンシア、準備はいいな?」

「……はい、ルーク様。……頑張りますっ!」

「いや.....その.....お前は頑張らなくていい.....魔族のB級と魔物のB級は格が違う。魔族のB級は言うなれば、魔物で言うなら、S級だからな....」

「そんなぁ....お役に立ちたかったのに....」

「いや、役には立ってもらう....俺がお前の後方から、魔族どもを倒していくから、お前はそれに動きだけ合わせろ。いいな?」

シンシアは、口を尖らせながら頷く。

「承知しましたですっ」


シンシアは、茂みから魔族めがけて、飛び出していく。

「はぁっ!」

そんなシンシアの掛け声に合わせて、シンシアの後方から、ルークは雷魔法(極級)『断罪の雷光槍(ジャッジメント・ボルト・ランス)』を発動させる。

アリスと魔族たちの眼前に、凄まじい閃光が走った。

魔族たちは、その少女が放ったと思われる、魔法に、顔を引きつらせた。

「な、なんだこの魔力はっ!? ……ガキのはずが……っ、ひっ、あ、ありえないっ……!!」

魔族の一人が、茂みの奥で冷徹に瞳を光らせるルークの存在に、一瞬だけ気づいたようだった。  

「時すでに遅し……散れ」

ルークがそう呟くと同時に、閃光は、五本の巨大な雷撃となり、正確に五体の魔族を貫いた。  


魔族たちは、叫び声すら上げなかった。  

魔族たちは、一瞬にして、消滅した。

 

しばらく、彷徨いの森には静寂が訪れていた。  

ルークは、再び泥まみれの服をわざと汚し、腰を押さえながら茂みから這い出してきた。

「……あ、あいたたた……。お、お嬢様……。だ、大丈夫、ですか……?」

「ルークっ!!」

アリスが駆け寄り、ルークの襟首を掴み上げた。

「貴方っ! あんな無謀な真似をして……っ! 私がいつ、助けに来なさいと言ったの!? 自分の身の程も分からず、吹っ飛ばされて……っ、この、救いようのない、大・無・能っ!!」

アリスの声は怒鳴り声に近かった。  

しかし、襟首を掴むその手は、小刻みに震えているようだった。

「……だ、だって……お嬢様を、放っておけなくて……。僕、護衛ですから……」

「……黙りなさいっ! 貴方程度の力で護衛なんて、おこがましいにも程があるわ。……でも、まぁ。……その無謀な勇気だけは、王家に対する忠誠心として、心の隅に留めておいてあげなくもないわ」

アリスはツンと顔を背けた。  そして、隣に立つシンシアを凝視する。

「……で、ルーク。この子は……誰なの?」

「あ、えっと……。アリス様がいなくって...探しに出た道中で、僕が道に迷っちゃって....それで、泣いてたら、助けてくれたシンシアちゃんです。……彼女、すごいんですよ! アリス様がどこにいるかもわかっちゃったんです!それにお化けも、やっつけちゃうんです!」

「……ルーク様、お嬢様を助けられてよかったですっ! 私はシンシアと言いますっ、アリス様っ!.....ルーク様の護衛をすることになりましたっ!お給金は、ルーク様から頂いておりますっ!」

アリスはシンシアの愛らしさと強さに、王族としての冷徹な目を向けつつも、どこか興味深そうに観察した。

「……シンシア、と言ったかしら。素晴らしいわ。……私の無能な従者を拾ってくれただけでなく、この私まで救うなんて。……気に入ったわ。今日から私の妹分にしてあげるから、光栄に思いなさいっ!」

「……わぁっ! アリス様、ありがとうございますっ!」

アリスはシンシアを側に引き寄せ、彼女の頭をなでながら、小さな声でシンシアに告げた。

「 .....それと...私の無能な従者を助けていいのは、私だけだから....護るのも殺すのも私の役目よ....いいわね?」

シンシアは小さく頷いた。


アリスが喋り終わると、ルークは、腰をさすりながら口を開いた。

「あの……お嬢様。……シンシアちゃんは、家がないらしいんです。……もしよければ、僕の……えっと、あの馬小屋の隣にでも、住まわせてあげられませんか……?」

その言葉に、アリスが急に表情を険しくし、ルークを冷たく見下した。

「……馬小屋? 貴方、自分の立場を理解しているの? シンシアが、そんな不潔な場所にいるなんて、ルーファウス王家の名に泥を塗るつもり?」

アリスは腰に手を当て、毅然と言い放った。

「いい? ルーク。シンシアは今日から、屋敷の中の、私の部屋に近い二階の部屋に移りなさい。……当然、貴方も一緒よ! ……分かったら、さっさと戻るわよっ!」

「……えっ!? ……そ、そんな、いいんですか……?」

「……勘違いしないで。貴方が快適に過ごすためじゃないわ。……無能な貴方がまた勝手に出歩いて、迷子になったら、私の評判に関わるからよ。……管理しやすい場所に置いておくだけ。分かった?」

アリスはシンシアの手を引き、ルークには「ほら、さっさと歩きなさい!」とぞんざいな言葉を投げながら、森の出口へと歩き出した。

(馬小屋から昇格したとはいえ、俺もアリスやシンシアと同じく十歳の子供だ.....アリス.....同じ十歳の子供として心は痛まないのか.....アリスの魔力の純度はそのうち低くなるはずだ....多分、きっと、絶対....)

ルークは二人の背中を、せかせかと追っていった。

三人の子供たちが森を抜ける頃、聖夜は終わりを告げ、空は白み始めていた。


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