2. 招かれざる客を乗せてもらえませんか
"馬車が道端でがたんと止まった。車輪が転がる音と一緒に、罵声が響く。
「てめぇ何やってんだ! 酒がこぼれたじゃねぇか!」
車内から怒鳴り声。わたしの魔法の罠は相変わらず優秀ね。
「親分! 車輪が! あっちに転がって……!」
御者席の眼帯男が、こちらへ転がってくる車輪を指差している。
「この野郎、どう運転してんだ! 買ったばかりの馬車だぞ! 何かあったら足をへし折ってやる!」
「ひぃっ!」
子分は慌てて飛び降り、まだ回転している車輪を追いかけてくる。
もう少し近づいてもらわないと……指を軽く動かして、車輪をこちらへ誘導。
「止まれ! 止まれってば!」
独眼の男は減速しない車輪を必死で追う。まるで鼻先に餌をぶら下げられた犬みたい。
……ちょっと遊んでみようかな?
いたずら心で車輪を大岩の周りをぐるぐる回らせる。男は馬鹿正直に後を追い、反対側から回り込むという発想すらない。
「ん……まだ本調子じゃないか……」
頭がまたくらくら。闇に蝕まれた精神力はまだ回復しきっていない。魔法も長くは保たないし、そろそろ本題に入ろう。
「はぁ……はぁ……こ、このやろう、まだ逃げ……」
真新しい木製の車輪を手に取る。金属の補強部品に、高級な樹脂ゴムの車輪枠。加工法は知らないけど、この一団、なかなか羽振りがよさそう?
「おい……それは俺のだ! 置いてけ!」
へばった男の脅しなんて、まるで迫力なし。言い終わると同時に膝に手をついて、ぜぇぜぇと息を整えている。
「もちろん、車輪なんて要らないわよ」
「いいから! さっさと寄越せ!」
怒気はあれど覇気はゼロ。近づくと汗臭さが鼻を突く……。
「早くしろ、さもないと……ぐぇっ」
顔を上げた瞬間、投げた車輪が鼻梁を直撃。そのまま白目をむいて気絶した。
あー、狙いが甘い。下手したら即死コースじゃない……そんなつもりじゃなかったのに。
まあ、肋骨に当たっても十分ダメージだったでしょうけど。
「あらあら、ごめんなさいね。痛かった?」
鼻血を垂らして完全に意識を失った男。新しい生活環境へご招待の時間ね。
「…………」
体は軽いけど、汗の臭いは重い……。
時折うめき声を漏らす独眼男を引きずって、背後の暗い樹海へ放り込む。
さすが逃亡犯か冒険者、タフね……。
血の付いた車輪を抱えて馬車へ戻る。
「おい、どこ行きやがった! まさか本当に車輪を取りに……新品の馬車だぞ!!」
あのさぁ、修理中なんだから邪魔しないでよ?
車内から振動音。どうやら""親分""のお出ましらしい。
「新車をこんなにしやがって……命知らずが……」
「こんにちは」
黒髭の大男がびくりと身を震わせた。背中の短刀に手をかけ、警戒態勢。なかなか玄人っぽい構えじゃない?
「て、てめぇどこから湧いた!」
鞘から刀を抜き、恐ろしいものを見るような目。まあ樹海の端でこの格好……怪しさ満点よね?
「車を直してるの。ちょっと静かにしてくれる?」
証拠として血まみれの車輪を指差す。ちょうどその時、近くの樹海から怪物の咆哮が響いた。
宴の始まりね。あの子分を見つけたのかしら?
「バユンはどこだ……てめぇ、何をした!」
ああ、独眼男の名前か。もう意味はないけどね……本人はもう……。
「車輪が欲しかっただけよ。渡してくれないから、奪っただけ」
「この野郎ォォォ!」
大男が短刀を握りしめて突進してくる。怒りで完全に頭に血が上ってる。
腰の袋から小瓶を一本抜き、男の目に向かって投擲。この距離なら避けられないし、武器で弾くこともできない。
「ぐあっ! あああああ!!」
男は地面に倒れ込み、顔を押さえて転げ回る。
「くそが! 何しやがった! ぎゃああああ!!」
泥と埃まみれの大男。ガラスの破片と治癒効果のある液体が周囲に散らばる。
この瓶は特製で、砕けると極細の粉末になるの。
「治癒薬なのに、どうしてそんなに苦しそうなの?」
微笑みながら""患者""に症状を説明。
「たぶん、ガラスの破片が治りかけの傷口に食い込んじゃったのね?」
膝をついた男を仰向けに蹴り倒す。
「ガラス……まさか……ぎゃああああ!」
「ガラスって高いのよ? これも売り物だったの。わたしの薬は買い手はいても売り手はいないから……」
大男の顔を掴み、人差し指で額を軽く叩いてから、目の周りの皮膚を押す。
まるで微風が雲を撫でるように……。
「すぐに静かになるわ。楽しみね」
「やめろ! そこに触るなああ!!」
……
独眼男と違って汗臭くないけど、ずっと重い。
意識を失った男をさっきと同じ場所に放置して、馬車へ戻る。
「今回は特に手早かったわね……でも相変わらずきれい」
車内の寝台に横になると、さっき闇に戻ったせいか、またくらくら……。
樹海は死んだ生き物をすべて飲み込む。肉体も、血も、魂も。完璧な執事みたいに跡形もなく。
「思ったより上等ね……人の技術もここまで進化したの?」
車内は保温用の綿布で内張りされ、色合いもなかなかセンスがいい。床板も安物みたいにギシギシ鳴らない。
「これは……何?」
二人なのにベッドが一つだけって変。梱包された藁の塊も、ベッドには足りない。枕かな?
ベッド脇の小さなレバーを引くと、寝台の下から追加のマットが飛び出した。毛布みたいなのや、マットレスみたいなのまで。
苦労して押し戻す。見た目より収納力があって、質もいい。わたしの罠でも車輪一つで済んだし、御者席には小銭入れまで。
でも武器以外に、樹海沿いの道を通る理由が見当たらない。密輸?
まあどうでもいいか。めまいも治まってきたし、手綱を取っていつもの村へ向かおう。
「さあお馬さんたち、今日からわたしがご主人よ」
久しぶりに手綱を振ったら、危うく自分の手を叩きそうに。だって馬車の運転なんて、ほとんどしないもの。
この馬車、すごく安定してる。揺れないし、跳ねない。二頭の馬も新しい主人を歓迎してくれてる?
まだ日は高い。今夜には目的地に着けそうね。"