エピローグ②日中戦争のWiki
日中戦争 (にっちゅうせんそう)
(この記事は、史実とは異なる歴史を記述しています。)
日中戦争は、1937年(昭和12年)の[[盧溝橋事件]]をきっかけに始まった、日本と中国(当時は[[中華民国]])との間の大規模な武力紛争。当初は全面戦争の様相を呈したが、昭和16年(1941年)の石橋湛山内閣成立以降、日本の対中政策が大きく転換。軍事行動の縮小と、政治工作・外交戦略へとシフトし、最終的に中国大陸が四つの国家・政権に分裂する形で、事実上「凍結」されるに至った。
戦争の経過
初期(1937年 - 1941年)
(史実と同様、盧溝橋事件から始まり、第二次上海事変、南京攻略、徐州会戦、武漢会戦などを経て、戦線は際限なく拡大。日本軍は広大な地域を占領するも、決定的な勝利を得られず、重慶に遷都した蔣介石率いる国民政府の抵抗に遭い、戦争は泥沼化する)
転換期(1941年 - 1943年):石橋内閣の対中政策転換
昭和16年(1941年)に成立した石橋内閣は、不拡大方針を明確化。対米英開戦を回避すると同時に、対中政策を180度転換した。
戦線の戦略的縮小:日本軍は、占領地の維持が困難な内陸部から自主的に撤退を開始。戦線をチャハル、河北、山東の三省を中心とする華北地域に縮小し、河川や山脈を利用した持続可能な防衛線を構築した。これは「敗走」ではなく、あくまで「戦略的再配置」とされた。
傀儡政権の樹立:日本は、華北の占領地域において、軍事力による直接統治ではなく、政治工作による間接統治へと方針を転換。抗日でも親日でもない「第三勢力」として、穏健派知識人を党首に据えた『中国社会党』を結成させ、極秘裏に資金と組織運営を支援した。この新党は、貧しい農民や労働者の不満を吸収し、共産党への支持が流れるのを防ぐ「防波堤」の役割も担った。
国共内戦の誘導:日本は「中国の過半の地域が安定した支配下に入った段階で、その正統政府と停戦協議に入る」との声明を発表。これは、これまで「抗日」で協力していた国民党と共産党に対し、「中国統一」の座を賭けた内戦を再開するよう、暗に促すものであった。
分裂と凍結(1943年以降)
日本の戦略転換と、それに伴う「力の空白」は、中国大陸の政治情勢を決定的に変えた。国共合作は完全に崩壊し、中国は四つの主要な勢力に分裂する。
満洲国:皇帝・溥儀を元首とする。日本の強力な庇護下にあり、重工業地帯として日本の経済圏に完全に組み込まれる。1945年、日ソ中立条約の更新と米英の黙認により、その存在は国際的に事実上承認される。
中華共和国:首都・北京。日本の支援する「中国社会党」が統治する、華北の社会主義共和国。日本の経済的・軍事的影響を強く受けつつも、形式的には独立国家として振る舞う。
中華人民共和国:首都・延安(後に西安)。毛沢東率いる共産党政権。主に中国内陸部の農村地帯を支配し、ソビエト連邦からの支援を受ける。国民党との内戦を継続。
中華民国:首都・南京(重慶から還都)。蔣介石率いる国民党政権。主に長江流域や沿岸部の都市部を支配し、アメリカ合衆国からの支援を受ける。共産党との内戦を最優先課題とする。
この四つの勢力は、互いに牽制しあい、大規模な内戦を繰り広げたため、日本への攻撃は散発的なものに留まった。
戦争の終結
和平・停戦プロセス
1947年(昭和22年) - 日華和平条約の締結
日本は、華北で安定した支配体制を築いた中華共和国を「正統な交渉相手」として公式に承認。両国間で和平条約を締結し、正式に国交を樹立した。これにより、日本は日中戦争の「終結」を一方的に宣言した。
1948年(昭和23年) - 日満華相互安全保障条約の締結
日本、満洲国、中華共和国の三国間で、経済協力と軍事同盟を含む相互安全保障条約を締結。「北東アジア安定化機構」とも呼ばれ、共産党および国民党の脅威に対抗するための、事実上の反共ブロックを形成した。
1951年(昭和26年) - 停戦合意書の調印
内戦で疲弊した中華人民共和国および中華民国と、日本との間で、個別に「停戦合意書」が交わされる。これは、和平条約ではなく、あくまで「戦闘行為の停止」を確認するだけの文書であり、国境線は現状の支配地域をもって事実上の停戦ラインとされた。
上海租界問題
詳細は「[[上海租界 (戦後) ]]」を参照
日本軍が撤退した上海の国際租界は、米英仏が治安維持を担う形となったが、日本の巧妙な外交戦略により、その運営は常に混乱。最終的に、租界は、列強各国の権益が複雑に絡み合う、治外法権の国際自由都市として、中国のいずれの政権にも属さないまま、存続することとなった。
影響
日本の国力温存:全面戦争の泥沼化を回避したことで、日本は国力を大きく消耗することなく、第二次世界大戦後(太平洋戦争はなかったため、欧州を中心とした第二次世界大戦)の経済発展にそのエネルギーを注ぐことができた。
中国の長期的分裂:日本の介入と謀略は、中国の統一を著しく遅らせ、大陸に4つの政権が並立する「中国の戦国時代」とも呼ばれる、長期的な分裂状態をもたらした。これは、その後のアジア全体の冷戦構造に、複雑な影響を与え続けることになる。
新たな日中関係:日本は、友邦である「満洲国」「中華共和国」と、敵対的関係にある「中華人民共和国」「中華民国」という、複数の中国と、それぞれ異なる関係を築くという、極めて複雑な二重、三重の外交を強いられることとなった。
日中戦争は、明確な勝者も敗者もいないまま、極めて人工的かつ不安定な形で「凍結」された。この「終わらない戦争」の遺産は、その後の東アジアの国際関係に、長く暗い影を落とし続けることになる。
カテゴリ: 20世紀の戦争 | 日中関係史 | 昭和時代の戦争 | 1937年の戦闘 | 1951年の戦闘
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