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「ルベリーカ、あんたをこの部屋から出す気はないよ」


 白磁の肌に、ミルクティー色の髪がさらりと揺れる。

 放たれた言葉に、ルベリーカは「は」と息を吐いた。


 柔らかいベッドの上。身じろぎすると、じゃら、と何かが音を立てる。

 足元を見れば、透き通るような白銀がキラキラと輝いていた。キラキラ、キラキラと。この世で一等美しい宝玉とばかりの光は、部屋の奥に続いている。


 転がっていくようなそれは、長い長い鎖であった。


 魔法の足枷が、ルベリーカの足でキラキラと光っている。

 男が噂通りの実力者ならば見えないようにすることもできるだろうに、隠す気がないとは雑な魔法だ。と、断じるにはあまりにも見事な魔法に、顔を上げる。

 逃がす気はない、とは言葉通りの意味なのだと、その瞳にルベリーカは気づいた。

 男は、フロウディストは、この鎖を見ていたいし見せたいのだ。

 眼鏡の奥の瞳が、じ、とルベリーカを飲み込まんばかりに見詰めている。

 うっそりと細められる、青とも緑ともつかない不思議な色の瞳。湖を覗き込むような底知れなさに、ルベリーカの唇が震えた。


「本気なのね」


 喘ぐように、ルベリーカは「じゃあ」と言葉を落とす。


「家族には、もう」

「会わせない」


 かわいそうだけど、とちっとも思っていないだろう声が、歌うように言う。


「お茶会も、夜会も」

「行かせるわけないよね」


 誰にもおまえを見せないよ、と楽しそうな指が伸びてくる。

 音を立てない所作は、低い温度の指先は、蛇と呼ばれる男の性質そのもののようだ。

 容易に他者を縊り殺せるだろう恐ろしさを孕んだ静かな狂気は、そのくせ大事なものを扱うように、ルベリーカの短い赤髪を撫でた。


 その指を、ルベリーカはがしりと掴む。

 まあ、良い。

 ()()()()()は、どうでもいい。

 そんなことは承知で、ルベリーカは男の手を取った。馬車に乗った。

 だから良い。この男がまともでないことは、多分、気づいていた。

 それよりも、フロウディストはなんと言っただろう。


 お茶会も夜会も()()()()()()()

 家族に()()()()()()()

 この部屋から()()()()()()


「つまり、じゃあ、」


 ルベリーカは、胸いっぱいに広がる感情のままに叫んだ。


「引きこもっていいってことね!!」

「待って思ってた反応と違うんだけど」




【 悪蛇辺境伯と蠍令嬢の愉快な結婚 】





 誰かが触っている。

 ふわふわ、そわそわ、さらさら。それはルベリーカを、居心地が悪いような永遠にまどろんでいたいような、不思議な気持ちにさせた。

 身体を起こす気力を寝かしつけるような指先は、けれどもやんわりとルベリーカの髪を引く。つん、つん、と焦れったくなるような力に、ルベリーカは目を開けた。


「おはよう、ルビー」

「……ずいぶんないやみね」


 口を動かすのが億劫だ。うまく発音しない唇であくびを噛み殺し、ルベリーカは身体を起こした。

 ()()()()()、窓の向こうでは太陽が高い位置で輝いている。つまりは昼時である。何が「おはよう」か。

 この部屋で生活するようになって、はや一週間。飽きもせずに繰り返されるやりとりに、ルベリーカは盛大に顔を締めるが。


「ルビーが起きたら俺の一日の始まりだもん。おはよう、俺のルビー」


 んふふ、と男は歌うように笑う。

 切れ長の瞳をゆるく細めて、形の良い唇を広げて、猫のように。


「……おはよう、フロウディスト・プラジュスト辺境伯様」

「違うでしょ、ルビー」


 ゆったりとした服から除く指先は、女性のように白く細いのに。ルベリーカの頭を撫でてゆく指の感触には女性にはない硬さがある。ゴツゴツと骨ばったそれが、丁寧に髪を撫で付けてゆくのを甘んじて受け、ルベリーカは唇を歪めた。


「おはよう、フロイ」

「良い子」


 低くて甘ったるい声が至極嬉しそうに言うのに、ルベリーカは唇をむにゅむにゅと噛んだ。キャラメルを口に放り込まれたような気分には、いつまで経っても慣れやしない。


「顔を拭いてあげようか」

「自分でできるわよ!」

「あら残念」


 跳ね起きたルベリーカに笑い声を上げながら、フロウディストはルベリーカのベッドから立ち上がった。

 涼しい横顔はそのまま()()()()()()衣装部屋へと姿を消す。勝手に立ち入るとは何事か、と怒鳴り散らかすのは早々に諦めた。レディの寝室に勝手に入ってくるな、人の寝顔を眺めるな、と罵るのもとうに諦めた。

 ルベリーカが何を言っても何をしても、フロウディストは笑うばかりなのだ。嫌悪も苛立ちもなく、ただひたすらに喜色を浮かべる整った顔ときたら。気色が悪いったらない。腹を立てるのが阿呆らしくなる。

 そも、この部屋もこの部屋にある物も全て、フロウディストが「ルベリーカのために」と揃えたものだ。身一つで転がり込んだルベリーカが、己の所有権を主張するのは滑稽に思えた。


「腹ただしい男だこと」


 馬鹿馬鹿しい気持ちでルベリーカは立ち上がった。

 寝室の奥の部屋には、それはもう立派な洗面台がある。煌びやかで美しいうえに、手をかざすだけで水が出てくる超最新モデル。

 そんなもの、ルベリーカは王都でも見たことがない。魔力を使わなくても水が出てくる洗面台自体、ようやく中流階級で普及し始めたばかりの代物だというのに。

 一級品で飾り立てたかつての自室は、フロウディストが用意したこの洗面所にすら敵わないのだ。

 ルベリーカのためだけに用意したという広いこの部屋は、まるで別世界のようだった。

 無論、大きな鏡に映る自分の顔は少しも変わらないが。


「……何よ」


 鏡に映る女は、ひどい顔でルベリーカを睨みつけている。

 釣り上がった目、跳ね上がる眉毛、消えないそばかす、細い顎、燃えるような赤髪。

 おとぎ話に登場する悪い魔女はきっとこんな顔をしているだろう。陰鬱で、恐ろしくて、不細工で、それで── 


「顔洗った?」

「きゃあ!」


 背後から突然声をかけられ驚けば、鏡にはきょとんとした顔のフロウディストが映っている。一拍置いて「きゃあだって。かぁわいい」と目を細める顔は憎たらしいほどに美しい。


「あなた、何度言えばわかるの! もう少し気配とか足音とか出しなさいよ! いきなり人の近くに立たないで!!」

「クセになってんだ音殺して歩くの」

「何よそのふざけた顔!」


 フッとやたら気障ったらしい顔を浮かべるのがまた腹ただしい。バン、と洗面台を打ち付ければフロウディストは「こらこら」と笑った。


「んなことしたら手が傷つくでしょう。痛くないの」

「触らないでちょうだい!」

「あーんほら赤くなってる。かわいそうにねえ」


 よしよし、とルベリーカの手を擦る指はひたすらに優しい。ルベリーカの話はとんと聞きゃあしないが。


「あのねぇルビー、最初に言ったでしょ?」

「!」


 ちゅ、とルベリーカの指先であまりにわざとらしい音が鳴る。

 触れる、柔い感触、温度。


「おまえを傷つける者は、おまえでさえも許さないよ」


 ルベリーカの心臓に口付けるような瞳にはもう、巫山戯た色などどこにもない。

 ひたすらに甘く、重く、熱く、ルベリーカを縛り付けるように光る。


 否。

 ルベリーカは、この男に繋がれているのだ。

 ルベリーカの足首で煌めく鎖は、フロウディストの意思なく生きることを封じている。今やルベリーカの生はフロウディストの真っ白い手の中。



 ──或いは、死さえも。



「くだらない」


 ルベリーカはフロウディストの手を振り払った。

 許さない? お笑い草だ。簡単に振りほどけてしまうその程度の力でルベリーカを捕まえようだなんて、なんて愚かしいことだろう。

 ルベリーカを拘束するならば、もっと強固で、もっとどうにもならい力で結んでもらわなくては。例えば、鎖が縛る右足のように。


「なら、罰を与えるが良いわ。打つ? 犯す? 好きにすればいいわ。ただし」


 ふん、とルベリーカは鼻を鳴らした。


「二度と、あんたの名前なんて呼んでやらないけど」


 フロウディストがルベリーカにどんな幻想を抱いているのか、ルベリーカの知ったことではないが、ルベリーカは大人しく誰かに従うような女ではない。これで幻滅するならすれば良いのだ。

 けれど。


「それは嫌だなあ」


 フロウディストは、くたりと笑った。

 腹を立てるどころか、眉を下げて子どもを見るように優しく笑うので、ルベリーカは呆気にとられてしまう。突き飛ばしてやろうと思って伸ばした両手を取られてキスされた気分だ。悔しい。


「悪い子だね、ルビー」


 ふふ、と楽しそうに笑うフロウディストに、なんとか一死報いたいルベリーカは腕を組む。

 

「当然でなくて? あなた、聖女でも娶ったつもり?」


 下品だと評判のルベリーカの笑いに、まさか、とフロウディストはゆるく首を振った。

 心底馬鹿らしいとばかりに目を細めるけれども、そこには嘲りも軽蔑もない。求めているのは清らかで愛らしいばかりの花ではないのだと、何よりも雄弁に語る瞳に、ルベリーカは息を呑んだ。


「俺が愛しているのは、ただの女の子だよ」


 とろりと滲むのは、愛。

 そう、愛だ。

 愛がルベリーカを縛り、ルベリーカの世界から切り離し、ルベリーカを世界に繋ぐ。

 不愉快で愉快で涙が滲むほどに苦しいそれが決して胸から溢れていかぬよう、ルベリーカは腹に力を入れた。


「おあいにくさま。わたくしは、ただの女ではないわ」


 悪女と呼ばれて久しい笑みは、甘い言葉よりよほどルベリーカに馴染んだ。


「わたくしは悪たれ蠍令嬢。簡単に思い通りになると思わないことね」


 ルベリーカはべしりとフロウディストに指を突きつけてやる。


「引きこもって贅を尽くし、おまえの資産を食いつぶしてやるわ!」

「うーんめっちゃ思い通りなんだよな」


 

 

  ルベリーカを愛するあまり彼女を軟禁する変態(ヤンデレ)と、フロウディストの金、もとい愛を平らげんとする我儘令嬢(ひきこもり)

 これはそんな二人の、愉快な結婚生活の物語である。







ピクシブで公開していた「ヤンデレ」と「ひきこもり」の組み合わせのファンタジーバージョンです。

いつもの「なんちゃってシリアス」なバカップル。

あれ楽しかったなあと合間の息抜きに書いていたのがたまってきたので投稿させていただきました。

更新は気まぐれになりますが、とりあえずストックがなくなるまで投稿する予定です。

のんびりお付き合いいただけましたら幸いです。




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