第53話 クロウ・レッドフィールド
夕暮れが訪れ陽が落ちていく。アルタニア城は鮮やかな朱色に染まり一日の終わりを告げ始めている。だけれどそう簡単には終われない。今日の公務は既に終えているが、勇者から様々なことを伝え聞いてしまった。
その一つとして勇者は私にこう言った。
「君はナルティア家から解放され自由を手に入れた。これが君の選択であり、責任ある自由は誰しも同じである。そして君はどこに嫁ぐ予定もない。むしろ迎え入れるべき立場となったのかもしれん。どっかに嫁ぐなら全部終わってからにしてくれると助かる。俺的にはどうでもいいことだが自由恋愛という奴だ。皆が求める責任者としての役割を果たせば他は自由なので好きにするといい。もしかしたら戸惑いはあるかもだが残念ながらシスティーナ殿、あなたは自由の身となった」
自由と自由恋愛……微塵も縁がなかった。今までの人生で初めて自由意志と自由を手に入れ、そして自由恋愛が許される。おかしいな、王となるはずなのに立場や家柄、家格に縛られず自由に振る舞っていいとはどういうことだ。えーっとつまり、
「勇者は責任者としての私しか求めていないから、自分で決めろということ?」
婚約者がどうこうとか婚姻外交とか、そういう予定はないと。どうしよう、全て自分で決めないといけないんだ。生まれて初めての経験。定められた道がないとはこういうことなのか。
執務室で一人呟く様はとても孤独に思えた。ダメだ、私ってろくに友人もいない人生だった。王宮に出入りする貴族家の人間なんて皆間者のようなもので、本音で話せるはずもなかった。異性同性にかかわらず友人すらいないなんて。
ああ、私こそが社会的存在とは言えないような気がしてきた……。まずい、今の私は実家への恨みだけで「聖王国ナルタヤ滅すべし」とか主張してしまいそうだ。恨みつらみは今問題ではないというのに。
深い吐息を零していると、執務室の扉がノックされ向こう側から声が届いた。
「システィーナ様、クロウ・レッドフィールド殿が面会を求めております」
ハランドに告げられ許可する。クロウ、彼はまだ帰国出来ていないのか。というかそれも私が決めるのだろうか? 扉が開くと徐々に見慣れた顔が近づいてくる。いかにも不機嫌そうだ。長く足止めを食らっているからだろう。クロウは私の前に立つと、
「どうもシスティーナ様、お話があって参りました」
皮肉染みた物言いで口火を切った。
「どうも聖王国の名門貴族クロウ・レッドフィールド殿。何かご用ですか」
こちらも皮肉で返すと、
「殿下、未だに帰国出来ません。私はどうすればいいのです」
ムスッとした顔に拍車がかかった。教会のスパイ如きが偉そうに、と言いたいところだけど恐らく実態の一部に過ぎない。そう、クロウには言いたいことも聞きたいこともあった。というか色々な人物のことを知らねば。まずは彼からか。
「帰国ですか。勇者に確認してみますが、挨拶ぐらいしてはどうです? あいつには一度も挨拶していないのでしょう?」
「それは向こうに言って下さい」
「構いませんが本当にいいのですね?」
牽制すると彼の表情が露骨に曇った。どうやら本当に会うと都合の悪いことがあるらしい。勇者も会おうとしないのだからお互い様と言ったところか。それでもあえて尋ねる。
「どうして会おうとしないのです。直接帰らせろと要求すればよいではないですか」
「言えば帰れると仰いますか」
「まず間違いなく許可されるでしょう」
私の考えを伝えると、今度は苦虫を噛み潰したような顔してみせた。そうして、
「殿下、会えば言わねばならんことがあります。そうでなくとも記憶は想起されるでしょう」
「顔見知りでしたか」
「あちらは覚えていないかもしれませんが、こちらは忘れたくとも忘れられない」
苦しげな表情から一転、勇者に対する憎悪のようなものを感じる。まあそうだろう、ここまでくれば事情も察するというもの。このルナリアにおける深刻な問題に彼は直面したのだ。
「言いたいことは分かります」
「本当にお分かりですか? でしたら殿下の許可をいただきたい。今更引き止める義理もありませんし」
「そうですね。目の前で転生者を殺されてはトラウマにもなるでしょう。お気持ちは察します」
本当に察しているかはともかく気持ちは理解しよう。微かに首肯するとクロウの表情がほんの少し揺らいだ。どうやら的を射たらしい。
「あなたは冒険者ギルドと繋がりがある。教会とも繋がりがある。そしてレイモンを通じ王宮とも繋がりがある。商会は言うまでもないでしょう。今回は私の為便利に使ってしまい申し訳ありませんが、言いたいことがあるならどうぞ」
手をかざし促すと、
「何を仰っているのか。私はただの貧乏貴族。ただし殺戮の勇者については伝えておいていいでしょう。仰る通り奴は人殺し、連続殺人鬼だ」
意を決したかクロウは強い眼差しを向けてきた。