第34話 レイモンの帰還
アルタニアに来て五日。もう五日なのかまだ五日なのか。レイモンが勇者を追い、出立してわずか二日しか経っていない。
それでも帰って来るというのだから喜ばしい。もっと長引くと思っていた。
午前中、内心落ち着きないが、要職に就く内部の人材の挨拶を受け続ける。
もう女王の扱いで、皆へりくだり浮わついた言葉を並べていく。
空々しい様ではあるが、彼らこそこの国の中枢だ。それぞれが各分野の指揮官であり、司令塔として役割を果たしてもらわねば困る。
ーー遅めの昼食をすませた直後、慌てた様子の使者が訪れ、レイモンが首都経由でこちらに向かっているとの報告があった。
ああ、本当に還って来るのだ。心底安堵したのは言うまでもない。
城門が見える尖塔から、確かにレイモンが戻ってきたとの報せがあり、私はやはり努めて平静を装う。
怪我などしていないかと不安は尽きないけれど、とにかく早く会いたい。会えば分かるのだから。
全ての面会を停止し執務室で内心落ち着きなく待っていると、扉の向こうから声が届いた。
「レイモン殿下がお戻りになりました。拝謁したいとのご仰せ」
アルベルトが告げる。
「了承する。入室されよ」
扉が開かれると、そこに確かにレイがいた。
疲れも見せず、まるで時節の挨拶をすませに来たような表情を携え。
安堵感は天まで届きかねないが、レイモンの服装だけがおかしかった。簡易な兵装をまとっている。
それが可笑しくて、そして嬉しくてつい立ち上がり出迎えそうになった。けれど、ここにはアルベルト達がいる。侮られてはならない。
レイモンは躊躇いなく私の前まで歩を進め、
「ただいま帰還致しました。ご命令通り、勇者の動向及び戦況の確認をすませました」
堂々と偽りを述べた。
執務室が静けさに包まれる。
どう応じればいいのか……私はただ抱き締めたい心持ちだけれど、それは二人きりになってからでいい。
そっとアルベルトに視線を向けると、
「勝手が過ぎます。レイモン殿下、あなたは軍人ではない。将軍でもない。戦場の視察など無用。万が一があればどうされるおつもりか」
意外にもクロウが叱りつけた。なるほど私の代わり、と言いたいところだが確かにレイモンは未だ聖王国ナルタヤの第七王子。クロウも聖王国の貴族。私の次はレイを連れ戻す算段か。
ようやく腑に落ちた。諦めが悪いとも言うが、クロウらしい立ち振舞いだ。最後まで役割に徹するとは。クロウは更に続けた。
「なんですその格好は。あなたは兵士ではない」
諫言にレイモンが応じる。
「心配かけたねクロウ。何かあった?」
にこりと笑みを浮かべレイは続ける。
「この格好でないと目立つんだよ。それぐらい分かるだろう?」
「そうですか」
クロウはすんなり引き下がり、憮然とした顔で口を閉じた。また傍観者となるつもりだろう。実際それしか出来ないのだし。
続いてはアルベルトが口を開いた。
「前線の視察、お勤めとして真っ当と心得ます。ご無事の帰還何より。お疲れとは存じますが、システィーナ殿下にご報告を。申し遅れました、私はアルベルト・タランザ。以後お見知りおきを」
「うん、よろしく。何から話せばいいかな」
レイモンはここで、私へと視線を向けてきた。
何を聞けばいいのか。とにかく怪我はなさそうだし、まずは勇者について確かめるべきか。
しかし先にレイが話し始めた。
「ああ、転生者だ。あれは後で来るよ。どこに飾るか決めないといけない。アルベルト、適当な場所はあるかな?」
水を向けられたアルベルトの顔に、微かな困惑が浮かぶ。アルベルトほどの者でも、転生者はやはり扱いに困るか。
いや違う。レイモンはおかしなことを言っている。だから確かめる。
「飾るとは、どういう意味ですか?」
「システィーナ様、ただいま帰りました」
「お帰りなさい……」
レイモンは終始笑顔を湛えているが、私を含め四人の困惑は止まらない。一体どういうことなの。
「あの、説明してもらえる?」
「えーっと、ここで? 話していいか僕には判断がつかないんだ。勇者が還ってからでいいんじゃないかな」
そうかもしれないけれど、あいついつ帰るのよ……。
仕方なく簡易的な報告を求めると、レイモンはやはりにこりと笑って話し始めた。
「対西エスターナは圧勝。都市国家クラハントはよく分からない。今は北で東エスターナと揉めてる。じきに終わるんじゃないかな」
いくらなんでも簡易過ぎる。さては勇者に口止めされているわね。
クロウの存在もあるだろう。
レイは一瞬で場の異様さを見抜いた。
クロウがここにいるのはおかしいと。
本当に、いつまでも子供と思っていたのに、すっかり別人になってしまって。
仕方なく、
「分かりました。詳細は勇者の帰還後ということで。皆さん、少し疲れました。一度奥に下がります」
告げると、クロウを除いた全員が深く頭を垂れた。
ーー執務室の奥には書斎とも言うべき小さな別室がある。
私とレイモンは、その部屋でようやく二人きりになれた。思わず、
「レイ、心配したのよ。どうして勝手なことをするの……」
告げ、強く抱き締めると、
「一人にしてごめんよ。どうしても勇者の戦いを見たかった。口では信じると言っても、実際見てみないと心の底からとはいかないから」
「分かるわ。だけど一言ぐらい……」
レイも私を強く抱き締めた。もう私より背が高く、包容力があった。冷たい肌が、心が温かくなっていく。
二人きり、静謐の中ただそれが続く。
涙こそ出ないが、ただこうしていられればどれだけ幸せか。けれど、私達にそれは許されない。
レイがそっと腕の力を緩めた。
「姉様、勇者に賭けるだけの価値はある。あいつの強さは異次元だ。勝負は一瞬だったよ」
私の両肩に手を乗せ、レイは続ける。
「転生者は自分が負けたことにすら気づいていなかった。それにあいつは、もう約束を果たした」
「なんの約束……」
地下での会話は、私は知らない振りをするしかない。
「転生者を捕まえてくれとお願いしたんだ。までも、今回はたぶん望みの代物ではないけどね」
レイモンはそう言って肩をすくめて見せるが、いくら転生者でも人を物呼ばわりするなんて。
「転生者というものは、そんなに人間離れした姿形をしているの?」
「ん? いや僕らと同じ人間だよ」
「そう……」
それでいて化け物扱い。確かに敵ではあるけど、これが戦争というもの。
一転、暗がりを感じるような私に、
「あいつ明日には戻るんじゃないかな」
レイモンは明るく言い放った。
しばらく戻らなくていいんだけれど、帰ってくるのか。空気の読めない奴だ本当に。
私達はまた抱き合い、愛を確かめ合った。
窓から陽光が差している。
戦場で戦う者達などお構いなく、私はその身を愛する弟に委ねていた。心すらも。