第31話 再開
明朝、簡単な身支度を始める。
女中がいないので一人でまとえるもの。となると戦時指揮官らしく、いっそ軍服でもまとうべきだろうか。まあいい、手近なドレスを手に取りさっとと着替えをすませた。
最上階、勇者の部屋は無人で誰もいない。彼は今戦場にいて、レイモンも同道しているはず。心配で仕方ないけれど、そうも言ってはいられない。日が昇るまで誰も来ず、私自身よくも呑気に眠れたものだと感心する。
「誰かいますか」
声をかけると扉の向こうから「おります」と男性の声がした。親衛隊、近衛騎士となる彼らの一人だろう。
「下に行きます。朝食はどこでとるべきでしょうか」
「執務室にお持ちします」
と応じられ、私は扉を自身で開け彼らを確認した。五人もいたのか。それでも顔には出さない。申し訳ないという気持ちを仕舞い込み、まるで我が城とばかり先頭を歩く。
階段を下りても誰も話しかけてこない。つまり、恐らく大きな動きはなかった。執務室の前に着くと、騎士が二人して扉を開いた。
「ご苦労様です」
と労い、明確な線引きを行う。
護衛、身辺警護に関わる者と戦時指揮は全くの別物だ。
その執務室には既にアルベルト、ハランド、そしてクロウがいた。帰国しろと言ったのに……クロウは表情に何も出さず、残る二人も平静としたものだ。執務机は一つだけ。冴えないソファーはあるが、誰も腰掛けていない。勇者なら堂々と使うだろうに。
「朝食をお持ちします」
そう言ってアルベルトが部屋の外に声をかけた。細やかな反応があり、執務室は沈黙に包まれる。嫋やかに振る舞い、執務机の椅子に腰を下ろす。それから三人それぞれを眺めていたら、ハランドの様子が昨日と違うのに気がついた。
「怪我をしたの?」
包帯を左腕に巻いている。彼は騎士ではなく兵士の格好。簡易な兵士の装いだから気づいた。
「朝食前にお話しするようなものではありません」
アルベルトが先回りするよう口を開いたが、ハランドは眉根を微かに寄せている。
「では四人で睨み合うとしましょう」
あえて誰とも視線を交わさず告げると、
「昨夜のサキュバス、仕留め損ないました。申し訳ありません」
ハランドが頭を下げ報告してきた。確認し、それからアルベルトに目を向ける。彼は表情を一切変えずクロウを確認している。そのクロウはそっぽを向いて、当事者ではないと顔に出していた。
さて、一体どういうつもりだろう。
確かに朝食前に聞く話ではなさそうだ。
果たしてそれで前線の兵士が納得するか怪しいものだけれど、殺戮の勇者は「飯ぐらい楽しめよ」と言いそうだ。そう、前線の彼らとて食事ぐらい楽しめているだろうか。何も楽しいことなどないだろうに。
時が刻まれ、運ばれる朝食を眺めていると、
「毒味役はすませました」
と、見たこともない女性が告げてきた。そう、それなら仕方ない。食べるしかない。少し豪勢過ぎるので、三人にも手伝ってもらうことになると思うけれど。
食事を終えてから小休止を挟む。
何も始まっていないけれど再開とする。
早速、アルベルトが口を開いた。
「昨夜忍び込んだサキュバス、取り逃がしました。が、被害は軽微。ハランドと魔法使い殿で手に終えないとなれば、致し方ない結果と存じます」
他愛ないことと断ずるよう彼は言うが、私は彼我の力関係が分からない。ただ、疲弊しているとはいえ魔法使いの彼女がいて無理となれば受け入れるべきか。確かめたくもあったが、頷こうとしたその時、
「わざと逃がしておいて、よくもぬけぬけと」
クロウが初めて口を開いた。ずっと黙ったままだったのに。一体どういうつもりで、どういう意図か。ゆっくりと確かめる。
「わざと、とはどういうことです」
「私は無責任な立場。今やなんの肩書きも存在しません。退室のご許可をいただきたい」
目も合わせず、クロウは礼の一つも示さない。なるほど、そういう姿勢か。彼がここにいるのは、彼の意思ではない。アルベルトが鋭く告げる。
「ハランドはいざ知らず、魔法使い殿を侮辱するか」
「それは逆であろう? 貴様部下を侮辱されても、魔法使いの侮辱は許さないと。迂遠だ貴様」
対立が再燃している。しかし、魔法使い殿とは面白い呼び方だ。名を名乗っていないのだろうか。その点端的に尋ねると、
「彼女の名はミネルヴァ。南方の小さな村出身ですが、腕前は確か。身元は洗っておりますが、まず問題はありますまい」
アルベルトが勝手に判断を下している。それだけの権限を勇者から取り付けているのか。信頼も厚いとみた。
「お話を聞きたいのですが、可能でしょうか」
「構いませんが、勇者の帰国を待ってからに致しましょう」
アルベルトは努めて冷静に振る舞っているが、どうにも違和感がある。全く、皆私という存在を前に力が入り過ぎている。私が殺戮勇者を制御するならば、では私を制御するのは誰か。アルベルトは勇者の信頼厚いようだが、しかし私を必要としている。
なんとなく立場と状況が見えてきた。
だから、結論は見えているが言葉とする。
「クロウは好きに退室なさい」
「了解しました」
「認められん。牢獄にでも入るつもりか。聖王国の名門貴族が、職場放棄とは前代未聞」
クロウはここで、ついにアルベルトを睨みつけた。が、その怒りの源泉はどこにある。恐らく「名門」という正に迂遠な嫌みに対してだろう。職場放棄も何も、私は昨夜主従の別れを告げている。
ここで配慮すべきは、アルベルトの立場。クロウには悪いけれど、振り切ってでも帰国すればよかった。
「ミネルヴァさんと今話して何か不都合ですか?」
「お疲れです。信用は出来ますが、殿下の御前に連れてくるのは些か不用心と心得ます」
では誰が昨夜の出来事を説明するというの? 仕方ない。少し居心地の悪そうなハランドに委ねよう。
「ハランド。傷は問題ありませんか」
「不覚を取り、恥じ入るばかりです。問題はありません」
若者、いや私と年の変わらぬ護衛は緊張感を演出した。さりげなく受け取り返答する。
「あなたこの男同士の意地の張り合いをどうみます」
「は? あ、いえ……」
問いかけにハランドが戸惑いを見せた。それはやはり、若さの表れと言った反応だ。直属の上司と、今や部外者ながら私の護衛を勤めたクロウ。さて、この三文芝居染みたやり取りを私はどうまとめればいいのか。ハランドは困惑を取り除けぬまま口を開いた。
「判断出来かねます。王女殿下の命ずるままに」
「そう。ありがとうハランド。では……」
そう言って一つ間を起き、
「ごちゃごちゃとうるさい連中ね。連れて来いと言っているでしょう、連れて来なさい。そしてクロウはなぜここにいるか説明なさい。どうせ戦況は動いていない。さっさと些事を片付けます」
強く言とした。
アルベルトが苦笑を浮かべている。初めて見る笑顔かもしれない。
クロウはぶすっとしたままで、うんざりと顔に出ている。
ハランドは昨夜氷のよう冷たい顔をしていたのに、どうやら腹の探り合いは苦手らしい。無駄に表情を硬くしている。
私も、らしくなってきたというべきか。