第16話 ルビコンを渡る
「勇者さんここは一つ……」
見かねたレイモンが口を挟んでしまった。私一人で言い伏せてやるつもりだったのに。
「つまりなんだ、お願いしなきゃ話に乗らないとでも言うつもりか」
「話には乗るけれど気分が悪い」
「気分かよ」
そうだ。私の気分以上に重要なものは、レイモンの存在ぐらいと言っていい。というか説明もしない勇者が悪いのだ。
「左様ですか。乗るという確約をいただけるんならなんでもしますよ」
かぶりを振りながら、勇者は呆れたと仕草で伝えてくる。構わない、いくら呆れられてもそんなものはタダだ。重要なのは形式と、私を頼ったという事実。
「へいへい、んじゃあーー」
「ちょっと待って、書記官を呼んでちょうだい」
勇者の発言を遮り記録係を求める。人も用意した、と豪語したのだ。いないとは言わせない。
「書記官。ああ、王子、ちょっと呼んで来てくれ」
「ちょっ! レイはあなたの従卒ではありません!」
「いいよ姉様。勇者さんは顔が怖い。剣呑な話かと尻込みされてしまう。僕の方が適任だ」
レイモンはそう言って退室し、私達二人きりになってしまった。
なぜレイモンが使い走りのような真似を……!
視線に怒気を孕ませるが、勇者に通用するはずもなし。これはよくない。勇者は私達を見くびっている。私のレイモンをまるで弟分のようにこき使うなんて!
そんな怒りとは裏腹に、勇者は思い出したように話しかけてきた。
「今人がいないのか。あの侍従も席を外しているな」
「クロウのこと? 挨拶も出来てないと腹を立てていたわ。あなた挨拶も出来ないの。人としてほんとどうかしてるわ」
嘲りを込めると、
「あいつが挨拶しに来ねーんだ。利口な奴だよ」
そう言って勇者は天井を見上げた。
意外過ぎる物言いだけれど、私もそこまで察しは悪くない。そうか、クロウは一連の流れをそもそも知らない。手紙の内容は私も伏せている。
「なんか嫌な予感がするな。先に伝えておくぞ」
「何よ急に」
少しだけ身構えると、勇者は声を低く小さくした。
「内部に裏切り者がいる」
「それはお互い様ではなくて」
でなければ、アルタニアも簡単には陥落しなかったろう。だが、勇者の声色は違った意味合いを帯びていた。
「カラクーム山脈の東に裏切り者がいる」
「それは……エストバルの東、ナルタヤにもいるということ!」
思わずも大きな声を出してしまい、勇者に指を一本立てられた。
「仔細は後で話すがこの城、この国にもいるだろう。今は泳がせておけ。炙り出したりするなよ。まとめて駆除する」
「待って、それはアルタニアの勢力ではないの?」
「違う。転生者と魔王の勢力だ」
なぜ、こいつ何を言っているの。魔族につくなんて、そんな人間いるはずがない。
「信じられんか。けど、でなきゃこんなことしてない。俺は戦争屋ではないからな」
「そ、そう……後でレイモンと話を聞くわ」
目一杯強がって私はそれしか返せなかった。
それからレイモンが、若い書記官を一人連れ戻ってきた。
「は、発言を記録すればよろしいのですか?」
書記官は声を震わせ恐れおののいている。
確かに勇者は恐ろしいだろう。私だってよく二人きりで耐えられたと、自分に感心しているぐらいだ。
「そうだ。聖ナルタヤ王国の首脳、第五王女システィーナ殿下、及び同国第七王子レイモン殿下に正式にお伝えする用件がある」
事務的な口調だが、威風堂々とした貫禄のようなものが感じられる。先程までとは別人のようだ。力自慢の冒険者、そんな成り上がり者ではないと感じる私がいた。
戸惑う私にお構いもせず勇者は跪き、
「この度のご来訪、アルタニアの仮の統治者を勤める者として、感謝の念に堪えません」
口上のようなものを述べた。
「……えっと」
「いえ、ナルタヤの勇者の危急の知らせとあれば、我々は協力を惜しみません。どうか面を上げて下さい」
咄嗟のことで言葉に詰まった私に代わりレイモンが返答する。
「アルタニアはご覧の惨状。私めは戦地で生きる者であり、とても統治など敵いません」
「なるほどご意見は承りました」
「私めに成り代わり、新生アルタニアを正式に統治していただきたい。承諾していただければ至上の喜びと存じます」
「光栄の誉れ。ナルタヤの勇者は今後も魔族討伐、魔王の打倒を旨として活動を続けて下さい」
「ありがたき幸せ」
そうして深々と頭を下げる姿は、とても今までの勇者とは思えない。正直開いた口が塞がらない思いだ。
「以上。下がっていいぞ」
勇者に睨まれた書記官は檻から飛び出すように去っていった。
「これで満足か」
「ええ、姉様も納得してくれたと思います。ね、姉様」
……納得、するしかない。
言葉には出来ないけれど、私はとても重要な場所を、私のささやかな望みを叶える為に通過した気がする。
城の外から声が聞こえる。
だけれど私には、この奇妙な光景が頭から離れない。
そんな私に勇者が付言するよう言葉を放ってきた。
「この場に転生者がいたら"ルビコンを渡った"とでも言うんだろうな」
知らない言葉なのに、私にはその意味が不思議と理解出来た。城外が騒がしく、城内に喧騒が訪れる頃になるまで、私は執務室で呆然としたままだった。
・ルビコン川を渡る。賽は投げられたと古代ローマ、ユリウス・カエサルは言った。
隅田川を渡るのとはわけが違うらしい。
後戻り出来ないという意味。




