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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

愛おしいということを言葉にしなければ伝わらない主と猛禽の関係

作者: 須山

世界は広い、そして未知で溢れている。誰だって怠惰に過ごしたくて、でもそれを許されない世界が存在する。人々は神に祈った。ひとりにしないでくれ、と。またはひとりでいさせてくれ、と。たくさんの正反対の願いを神は叶えようとして、変わった。


なんてことない、世界は。その一欠片の慈悲によって生まれ変わることとなった。一つ二つと増えゆく事象はやがて連綿と続いたことで当たり前のものに、変わった。





一人にひとつ、生き物が懐く。ヒトが生まれ落ちてすぐにその生き物は知っていたかのように現れたり、ヒトが成長し多くの生き物たちが集められた施設へ行って出会ったりと懐く過程は様々だ。また生き物たちの姿かたちは単純に鳥や猫、大型の生き物からネズミのような小さな生き物までヒト以外の動物全般と変わらない。だが一点、普通の動物と異なる点をあげることが出来る。


それはただ一人、主と認めたその者にだけ懐くという点だ。生き物たちは己の主には従順に、もしくは甲斐甲斐しく接する。だがその家族や恋人は無機物かのように視界にも入らない。警戒心を持つ個体も中にはいるが、とにかく主以外はどうでも良いというように関心を持たないのだ。





「ツミ!」


ジリジリとした暑さがあとを引く、日が陰りだした夕暮れ。クドはようやく慣れ始めた仕事を終え、帰途に着くため学舎から出たところで声をあげた。腕には肘まで覆う革手袋を装着して、いつその鋭い爪がくい込んでもいいように少し前へと手を伸ばす。


ほどなく、少し高い鳴き声と共に腕へと重りがのしかかる。相棒の猛禽、ツミがその赤い目を向けたあとひと鳴きし、クドの頬へと擦り寄った。


「ただいま」


この春から事務員としてクドは自身も学んでいた学校へと就職を果たした。午前中には各所の清掃をし、午後には机仕事をする。学んでいた時以上に隅から隅まで学舎を歩き回り、経費や備品の整理管理を行う。目まぐるしく過ぎていった日々だが、三月半もすればなんとなくの日程を作れるようになった。時々はこうして早めに仕事を終えることが出来るくらいには落ち着きも取り戻している。


「今日は剪定師が刈り落とした木々の片付けをしていたんだけど、毛虫がすごくて。さすがに集めて処分するのが嫌になっちゃった」


黒くもぞもぞ動く幼虫を思い出して背筋がゾワッとする。クドはツミへと今日あったことをポツポツ語りかけながら暮れる日とともに自宅である集合住宅へと足を向けた。ツミの餌や自身用の食材を買い足しながら、露店を冷やかしたり、知り合いに会って雑談したり。当たり前に一日が過ぎていった。


クドが相棒である猛禽、ツミと出会ったのはようやく両手で歳を数えようかという齢でだった。幼くして母を亡くし、父は出稼ぎに出ていたため父方の祖父母に育てられた。


この世界では一人にひとつ、生き物が懐く。亡くした母には栗鼠が、父には馬が、祖父母にもそれぞれ生き物たちがいる。母の場合は物心着いた時には傍にいたそうだが、父は施設で巡り合っている。クドも祖父母に連れられて訪れた施設でツミに懐かれた。


施設の中は様々な木に花が、水場や砂漠地帯を模して造られており幾体もの動物たちが生活している。魔術によって空間拡張されているおかげで、とても広大な土地となっているが各環境施設への行き来は転移陣によって接続されているため一瞬だった。


祖父母と手を繋ぎ転移陣を飛んだクドは自分を容易く持ち上げることが出来る大きさの猛禽に体当たりをされた。のちのツミである。少し高い声で鳴きながら、広げられた翼はクドを包み込んで余るほどで嘴が藍墨茶色の髪をかき分け啄んだ。


クドは驚き悲鳴をあげた。父母とは縁が薄い代わりに愛情はたっぷりと与えられて育ってきたからか、内気な少年はその鋭い真っ赤な瞳と爪を見て泣き出した。連れてきた祖父母も慌てたが、何より襲いかかっている猛禽がひときわ高く声を上げ、そっと離れたことに今度は三人ともが動きを止める。座り込んだクドが手を伸ばせば届く距離でちょこんと座り込み、悲しそうな頼りない音を猛禽があげるものだから保護者は察した。


クドにとっての唯一の生き物が、クドが見つけるより先に見つけてくれたと。そこからはとんとんと話は進み、ツミはクドと苦楽を共にすることとなる。


ツミ、と名前をつけた途端にじゃれる頻度があがり、よく頬擦りをされるようになった。赤い目は見つめるとすっと細く、瞳孔が開く。クドは革手袋を常に持ち歩くようになり、呼べばどこにいようとツミは文字通り飛んできてくれる。学生になると触れ合う時間は減ってしまったが、講義の合間に窓から木々を見上げればいつでも見える位置でこちらを伺ってくれており返事をするようにひと鳴きする。


ツミは悪戯好きでよく虫や小動物をクドの元へと運んできた。たまにキラキラしたものやどう見ても人のものとわかるものを奪ってきたりするから、叱ることもあった。その度に可愛げに鳴くものだから、結局許してしまいクドが謝りに行って事なきを得ることを繰り返す。


そうして十年以上過ごして来た。


だが、世とはおかしなものだ。その変化は日常を壊すには些細なことだったけれど、確かに大きな影響を及ぼした。これはクドだけではない、学舎にいる多くのものが事実体験することとなる。





「ツミ?」


その日クドは少し遅い昼食を食べようと中庭へとやってきていた。二期制の学校であるためちらほらと年がそう変わらない学生たちが見える。たいていここを利用するのは大型に部類される相棒を持つものたちで、その相棒も飼い主以外に興味を持たないため干渉されることはないに等しい。


呼べばどこにいたのかという勢いで飛んでくるツミが、なかなか来なかった。


「おかしいなあ。ツミー!」


もう一度声を上げたが、影も見えず仕方なくクドは一人もそもそとクロワッサンにハムとレタスを挟んだサンドイッチを食べ、人肌に温くなった水筒の紅茶を飲み干した。木の下での食事とはいえ時折差し込む日は眩しいほどで吹いた風は汗を冷やすほどのものではなかった。


時は過ぎて帰途に着くため、クドはツミを呼ぶ。程なくしていつもの重さが腕にのる。


「お昼は来てくれなかったけど、何かあったの?」


聞いても鳴き声が返ってくるだけだというのに聞かずにはいられなかった。だが言葉がわかるかのように、珍しくツミがその大きな翼を羽ばたかせながら普段より多く鳴き声をあげた。そしてその赤い水晶がクドの黄緑色を映し、細めた。頬へ顔を寄せ、擦り寄せる。


「もうっ、今日は甘えたなの?」


昼の出来事などなかったかのような甘えぶりにクドは相貌を崩しながら、感じた違和感を振り払った。


些細なことだけれど、こういった距離の出来方がこの日を境に増えていく。いつもなら見上げた窓から覗く姿が見えなかったり、声をかけてもなかなか現れない。クドは首を傾げる思いをしつつ、一日いちにちを清掃と机仕事に追われ、気づけば違和感は頭の端から抜け落ちていた。


そうしてこの事態を理解した時には、学舎全体が大きな渦に飲み込まれていた。





「学生のひとりに、集まっている?」


噂に疎いクドは週に一度行われる職員会議の端っこで、議題とともに配布された一枚の絵が描かれた紙を見て再度目を通すこととなった。本来事務員であるクドはこういった会議には参加せず、後日まとめられた議事録や朝礼の場で内容を知ることになるのだが、非常事態だと学校関係者が勢ぞろいしてこの度の会が開かれていた。


一枚の紙に書かれていることには、とある学生の元に多くの生き物たちが集まって囲っている、ということだった。


一人にひとつ、生き物が懐く。この世界での当たり前が、崩れかけていた。雀や狐、兎のような小型中型だけでなく、馬や熊、大型猛禽類まで幅広くそれも複数がいがみ合うことなく取り囲んでいるというのだ。そして本来なら主といえるただ一人にしか懐かないというのに、そのからだに触れることや餌を与えられることを生き物たちが許しているという。


その影響で、学生たちはもとより教職員たちにも不安が広がっていた。自分たちの相棒が、別のヒトに懐き呼び戻そうと学生に近づけば威嚇するものまでいるというのだから。


さらに事態は加速しており、件の学生への嫌がらせなどが発生し始めている。それに便乗した被害も増えており、学舎は騒がしくなっている。


クドはふと最近の清掃で腐った乳のような異臭のする衣服や、ふやけて読めなくなった教科書が池や林の比較的見つかりやすいところに落ちていることを思い出した。机仕事でも備品の使用状況が変わり、慣れてきたと思った作業に時間がかかってしまう。これらも今回のことが原因なのではないかと思えてきた。


考えに耽ける間に会議は終わり、学生の動向に注意するよう締めくくられて、解散となった。


「ツミ、もそうなのかな……」


いつもなら空へ声をかけるのだが、最近の違和感が顔を出しクドはひとり帰途に着く。暑さはなかなか和らがず、セミの鳴き声だけがこだましていた。





「なんて、こと」


二期制の学校の修了式。これからひと月の休暇を挟み新学期となるのだが、クドのこころは浮き立つどころか台風の中に置いてけぼりにされたように荒れ果てていた。はじめて、生き物たちが一人の学生に懐いている姿を目撃したからだ。そのなかに、あの真っ赤な目をした相棒がいることも。


「ツミ」


名を呼んでも、ちらりともこちらを見ない。駆け寄りたいのに、同じ行動をとった学生が威嚇されたり邪魔され近づくことすらできていない様を目にして足が竦む。生き物たちの中心にいるのは、どこか困惑げな学生。周りに助けを求めても近寄ることも出来ず、その輪から抜け出ることも出来ず、懐かれているはずなのにひとりぼっちのよう。


だからといって誰もどうすることも出来ない。生き物たちの行動が、懐くである以上、この世界の当たり前に当てはめるしかなく、つまりそれは集まる全てがそのヒトを主とみなしているということだから。


何かがごっそりと抜け落ちた。それは悲しみだったのかもしれないし、焦りだったのかもしれない。どうしてという、悔しさや怒りもあった。そういったものが、感情が諦めという形で抜け落ちてしまった。


そして気づいてしまった。クドを構成する環境にツミはなくてはならない存在となっていることに。隣にあることが当たり前で、自分を一番に優先してくれる、かけがえのない相棒。一人に、ひとつ生き物が懐く。それが、どれほどの幸運なのかということを。


「うしなって、初めて気づくっていうけどさ」


ツミのことを大切に思ってきた。その感情は友としてなのか家族としてなのか、それとはまた違う何かなのか。考えてはこなかった。けれど、いま、目の前で起こる現実を受け入れることが、難しかった。





学生たちがザワザワと色めきながら、しかし次第に帰途へついてまばらに減っていく。クドには仕事が残っている。長期休暇があるからといって、減るものでもない。むしろ学生たち居ない分、清掃の範囲は広くなり普段できない部分だって念入りにできるようになる。


持ち歩いていた革手袋は夏になると蒸れる。それでも持ち歩いてしまうのは、未練だろうか。


「……ツミ」


蝉時雨。生い茂る木の下、にょきにょきと大きくなっている入道雲と真っ青な空を視界に映して、言葉がこぼれ落ちていた。


「ツミ!」


いつぶりだろうか、高い独特の鳴き声。滑空してくる塊はクドの相棒。腕をのばせば、心得たりとそこを止まり木にしてツミはその頬を擦り寄せた。


「ツミ」


なあにと言うように、髪を啄まれて、息だけが口から吐き出された。クドはひとつ唾を飲み込んで笑った。少し歪だったかもしれない。


「ツミの唯一は、僕じゃなかったんだね。でも、ね。僕はツミのこと大好きだったよ」


最後かな、こうしてそばに来てくれるのは。休みが来るんだ。その間クドは仕事に精を出すのだ。忙しくなれば、忘れられる。忘れられたら、いい思い出だったと思い返せるようになったら今度は自分から施設へと行くのだ。そして今度こそ唯一の存在を見つけよう。


「急に、変なこと言ってごめんね。ツミ」


ツミは言葉がわかるかのように行動してくれることもあるけれど、言葉の意味までは分からないだろう。その頭を撫でてやろうともう一方の手を動かそうとした時。


『こちらこそ愛しているぞ、我がツガイ!』


いつもの高い鳴き声と頭に直接感じる意味。


「へ?」

『クド、くど。我がツガイ。やっと通じた』

「どこから、声……え、ツミ、なの?」

『そうだ。我はツミだ。我がツガイ、クドが名付けてくれた、大切な名だ』


翼を折りたたみ、ツミが再び頬へと擦り寄る。目を細めるようにして見つめてくる瞳に、聞こえてくる意味にクドは自然と心が満たされた。開きっぱなしになる口が息を吸った事で、呼吸まで止めていたことを知った。


『我がツガイ、クド。どうすれば我のこの思い、伝わるのか考えていた』

「そう、なの?」

『ああ、上等な餌を与えれば、気づいてもらえるかと』


上等な餌?とクドが首を傾げれば、その髪を啄んで囁く。他の奴らも同じ考えで、結局手に入らなかった、と。けれど、こうして言葉が伝わるようになったから、もういいのだ、と。


『愛しているぞ、クド』


さあ、ふたりの住処へ帰ろう。腕から飛び上がったツミがクドの頭上を旋回する。生き物たちの考えは、分からない。分からないけれど、クドにとってのツミは唯一の相棒であることは変わらない。


「一緒に、帰ろう」


空は青い。育つ入道雲は白くて、夏真っ盛りだ。日はまだ長い。一人にひとつ、生き物が懐く。神さまが聞き届けた人々の願いごと。愛しいと思い言葉にしたなら、唯一の存在と真に心が通じ合うはずだ。






おしまい

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