覚醒
「楽しかったね、部活動」
帰り道、ののかが僕にそう言った。
「そうだね。メンバーも揃って、部室ももらえていい感じだね。レミちゃんが入ってくれたから、トウヤが真剣に書いてくれるようになったのもいいね」
去年は教室の片隅で僕らが小説を書いたりしている横で、トウヤは漫画を読んだり、宿題をしていることが多かった。
会話には参加してくれていたが、どちらかというと聞き流しているだけだった。
無理やり入ってもらったので、それでもありがたかったが、やっぱり一緒に活動してくれる方が嬉しい。
僕もお題を考えるのに、気合いが入るというもの。
「次は私がお題考えようかなぁ」
「ののかがやると全部歴史ものにならない?」
「えへへ」
「かわいく笑ってごまかさないでよ。歴史ものはもうしばらくしてからね。初心者むけじゃないし」
「えぇ。そんなぁ」
歴史ものは、文章力に加えて、当然歴史の知識がいる。
「トウヤはたしか社会は地理を選択していたから、ちょっと辛いだろうし。もう少し慣れたらね」
「はーい。じゃあ、忍者ものとかはどう?」
「渋いところきたね。それはちょっと面白そうだな。僕も読んだことないかも。どんな感じに書くの?」
「忍者ものっていっても、リアル系と忍術系があってね。あ、ちょっとまって電話だ」
この時間にかけてくるのはののかのお母さんだろう。
「お母さんが醤油切らしたから買って来てだって、スーパー寄って帰っていい?」
電話は案の定ののかのお母さんだった。
「おーけー」
僕は頷く。
「醤油使うってことは、なんだろう? 肉じゃがかなぁ?」
「ののかのお母さんの肉じゃがおいしいよね」
胃袋を掴まれている。
彼女の母親に。
お袋の味がののかのお母さんの手料理の味になりつつあるともいえる。
いいのだろうか?
お母さんは、お金渡してるから大丈夫と言っていたが、少し甘えすぎではと思う。
「バス乗る前にスーパーで買って帰ろう」
「了解」
二人で忍者の魅力について語ったりしながら、買い物をしてスーパーをでた。
このときまでは、変わらない毎日だった。
もう少しでバス停が見えるというところで、目の前の交番から男が飛び出してきた。
警察官ではないのは、服をみたら一目瞭然だ。
赤い水玉模様の白いTシャツを着ている。
明らかに挙動不審。
不意にこちらを振り向くと目があった。
これから先何かいいことが一つもないかのような失意の眼差し。
盗んだのであろう。
男の手には、拳銃が握られていた。
現実感が遠のいていく。
感覚が夢を見ているような曖昧な境界を越える。
銃口がののかの方を向いていた。
武器を構える人間を見て、僕はいつものように、戦闘態勢にはいる。
僕は唐突に理解した。
あちらの世界で銃が発達しない理由を。
銃弾より魔法弾の方が速い。
ただの銃弾なんてあちらの世界では、子供でもよけられる。
僕は自然と一歩を踏み出した。
魂が覚醒する。
鍵がかかっていたかのような感覚が無理やりこじ開けられて、魔力が発現した。
いつもは借り物のように感じていた魔力が、今は自身の魂から生まれてくるようだった。
魔力が体に満ち溢れ、意識が高速化していく。
属性は火。
夢でいつも行うように、魔法を構成、手のひらを火属性魔法で高温にした。
バンと音がして放たれた銃弾を僕はハエでも叩くようにはたき落とした。
手のひらからどろりと溶けた銃弾がこぼれる。
僕は手のひらから魔法弾を銃口に向かって放った。
バンと火をあげ、銃が暴発する。
「うわ、なんだくそ」
男が悪態をついて、銃を投げ捨てた。
男は次は胸からナイフを出してでたらめに振り回しながら近づいてくる。
随分遅く感じる。
軽く足をかけると盛大にこけ、ナイフを手放した。
僕は、ナイフを空中でつかむと、そのまま男の手のひらに突き立てた。
手を地面に縫い付けられて、男の口から絶叫が響きわたる。
僕は姫を振り返って見た。
さあ、姫、許可を。
いつものように無慈悲な声で指示を。
敵にとどめを。
王族の命令は絶対に遂行する。
僕は待った。いつものセリフを。
『私をあだなすものを倒しなさい』
『夜盗は殺してもかまいません』
『私の敵は、全て滅ぼしてしまいなさい』
魔族ではないものを殺すことはできない。
あんなひどい世界でも、人殺しは犯罪だった。
王族の許可なしには。
「さあ、はやく!」
僕は、姫を促した。
だけど、こたえはこなかった。
僕が姫のセリフを待っているうちに、交番から現れた警察官二人に男は取り押さえられた。
振り返るといつものように姫がいる。
どうしてそんなに怯えたような顔をしているのだろう。
命を狙われることなんて、よくあることだろう?
こんなことは……あれ?
「悠久、大丈夫だった?」
心配そうに、姫が服を引っ張った。
僕は我に返った。
ああ、違う。
姫なんかじゃない。
姫は僕の心配したりしない。
目の前にいるのは、ののかだ。
ののかは殺人犯なら殺していいなんて言わない。
平和の国日本で正当防衛までは許されるとはいえ、積極的にとどめをさしていいわけがない。
あれは夢の話だ。
そのはずなのにどうして。
どうして僕の体の内から……。
魔力を感じるんだろう?
警察官に連行されていく男を眺めながら、自分の胸のうちから魔力が満ちてくるのを感じていた。
◇ ◇ ◇
事件はいたってシンプルだった。
自暴自棄になった男が警察官から銃を奪い、暴れまわろうとしたところで、最初に見かけたのが僕たちだったらしい。
仲むつまじい幸せそうな高校生カップルが歩いていたら、頭にくるよね。
リア充爆発しろってやつだ。
気持ちはわかるよ。
立場が逆だったら、もしもののかの隣を歩いているのが自分じゃなかったら僕もそう思うだろう。
思うだろうけど……。
心の中で思うだけなら罪にはならない。
だけど、実際に行動にうつす奴が自分の目の前に現れるなんて想像もしなかった。
だけど、僕は何一つ恐怖を感じなかった。
◇ ◇ ◇
事情聴取を終えた僕たちは少し遅めのバスにのった。
「私もうだめかと思ったよ。銃は突然暴発するし、犯人はいきなりすっころぶし、本当に運がいいよね。あ、でも本当に運がよかったらそもそも事件に巻き込まれないかも」
ののかはいつもの調子で話している。
「そうだね」
僕はゆっくり頷いた。
警察の事情聴取でもののかは同じように説明していた。
多分怖くて一瞬目をつぶったのだろう。
僕の動きは、速すぎて見えていなかったらしい。
ののかはゆっくり僕の肩に頭をのせた。
「私さ。体もどこも悪くないし、なんとなーく、毎日普通に過ごして行くものだと思っていた……。でも、もしかしたら突然死ぬことだってやっぱりあるよね……」
人間誰しもいつかは死ぬ、誰しもそれがいつかなんてわからない。
「銃口がこっち向いた瞬間終わったって思ったもん。銃声も聞こえた気がしたし、撃たれた気がしたんだけど」
突然、ののかの声が震えだした。
「あれ? 私死んでる? 幽霊じゃない?」
今になって急に怖くなってきたのか、震えが伝わってくる。
僕はののかと手をつないだ。
「ののかはここにいるよ」
「死んだら、ごめんね」
ののかの目から涙が流れ出した。
「私が死んだら、あと追ってくれたらうれしいなんて嘘だよ。悠久だけでも生きてね」
零れたののかの涙が、ぼくらの繋いだ手の上にこぼれていく。
「そんなこと言わなくて大丈夫だよ。ののかは生きてるよ。僕と一緒にずっと生きていく。明日からだって変わらない毎日が続いていくんだから」
「うん……。そうだね。本当になんともなくてよかった」
ポロポロ涙を流すののかを見ながら、僕らは普段死なんて意識しないただの高校生なんだと再認識した。
だけど、僕はいつの間にか、現実でも殺されることがあるかもしれないという前提で生きていたことに愕然とした。
銃口が向いた瞬間も、ナイフを振り回された瞬間も恐怖はわいてこなかった。
怖いなんて考える前に、どうやって殺そうか?
真っ先にそのことを考えていた。
僕は慣れてしまっている。
命のやり取りに。
ただの高校生が毎日毎日、死と隣り合わせで生きている方が異常だ。
魔法は今日初めて使ったはずなのに、昔からずっと使っていたかのような感覚がある。
心はすっかり勇者であることを受け入れている。夢が現実に染み出してきているようで気味が悪かった。
終わってしまえば、結果として、怪我一つしていない。
ビックリ箱を開けて驚いたようなものだけど、開けた箱が本当はパンドラの箱でないことを祈るばかりだった。